第4章
その声は、今までこの空間を満たしていた蜂蜜のような甘さを、一瞬で凍てつかせる絶対零度の刃だった。
俺とエリナが同時に声のした方へ振り向くと、店の奥の闇から、カツ、カツ、と硬質なヒールの音を立てて、一人のメイドが姿を現した。
エリナが「陽」であるならば、彼女はまさしく「陰」。
腰まであるエリナの銀髪とは対照的に、そのメイドの髪は、光さえ吸い込むような濡れ羽色の黒。
寸分の狂いもなく切りそろえられた、ぱっつん前髪の姫カットが、その人形のような白い顔立ちをさらに際立たせている。
切れ長の瞳は、知性と冷ややかさを宿した深い紫色だ。
鼻筋はすっと通り、唇は薄く、真一文字に結ばれている。
エリナが豊満で柔らかな「曲線」の美しさを持つなら、彼女は鋭利で洗練された「直線」の美しさを持っていた。
彼女が纏うメイド服も、エリナのそれとは一線を画す。
胸元の露出は控えめで、首元まで詰まったスタンドカラーが禁欲的な印象を与える。
スカートの丈も膝にかかるほど長いが、その分、体のラインにぴったりと沿ったデザインが、逆に彼女のしなやかな腰つきと、引き締まった脚のラインを雄弁に物語っていた。
手には、純白のシルクの手袋。
その立ち姿は、もはや「メイド」というより、女王に仕える近衛騎士団長のような、侵しがたい気品と威圧感を放っていた。
その紫色の瞳が、俺を捉える。
いや、捉えるというよりは、「観測」するという方が正しい。
まるで、道端に転がる汚物でも見るかのように、彼女の瞳には一切の感情がなかった。
「……なぜ結界を通り抜けられたのです? あなたのような下等な存在が、この聖域を汚すことは許されません」
ひやり、と脳が凍るような、鈴の音のように透き通った声。
だが、その言葉には、隠す気もない侮蔑と敵意が満ち満ちていた。
「ダメですよスズネ! この方は、わたしたちがずっと待っていた、大切なお客様なんです!」
俺の前に立ちはだかるように、エリナが両手を広げて抗議する。
スズネと呼ばれた黒髪のメイドは、そんなエリナを一瞥すると、ふん、と鼻で笑った。
「お客様? 笑わせないでください、エリナ。この雄からは、欲望と煩悩の、不潔な匂いしかしない。このような存在が『鍵持ち』の資格を持つなど、万に一つも有り得ない」
「そんなことありません! この方は特別なんです! 扉が、この方を選んだのですから!」
「偶然か、あるいは結界の不具合でしょう。いずれにせよ、イレギュラーは排除しなければなりません」
スズネは、俺に向かって白手袋に包まれた指先を、すっと向ける。
その指先に、パチパチ、と紫色の電光が走り始めた。
空気がビリビリと震え、魔力とでも言うべき濃密なエネルギーが空間に満ちていくのが、肌で感じ取れた。
「力づくで追い出して差し上げます。ご安心なさい、痛みを感じる暇もありませんから」
「や、やめてください!」
スズネが「排斥の光」と静かに呟いた瞬間、彼女の指先から、眩いばかりの紫色の閃光が放たれた。
まずい、死ぬ!
そう思った瞬間、エリナが俺の前に飛び出していた。
「ご主人様は、エリナがお守りします!」
彼女のその、健気で、そして無謀な行動が、ありえない奇跡を引き起こした。
紫色の閃光は、エリナの身体に触れる寸前で、まるで硬い壁にぶつかったかのように軌道を変えた。
いや、違う。光はエリナを避けるように、くるりとUターンし、術者であるスズネ自身へと猛烈な勢いで襲いかかったのだ!
「なっ――!?」
スズネが驚愕の声を上げるのと、光が彼女の身体に到達するのは、ほぼ同時だった。
だが、光は彼女を傷つけない。
その代わり、まるで意思を持っているかのように、光は無数の小さな光弾に分裂し、彼女のメイド服の、特定の部分だけを狙い撃ちにしたのだ。
シュンッ! ビリビリッ!
鋭い音と共に、まず胸元のボタンが弾け飛ぶ。
布地が左右に開かれ、純白のレースで縁取られた、慎ましやかだが、見事なまでに美しい双丘があらわになった。
シュンッ! パララッ!
続いて、スカートの留め金とサイドの縫い目が弾け飛ぶ。
重力に従って、分厚い布地がはらりと床に落ちる。
後に残されたのは、これまた純白の、清楚なデザインのショーツに包まれた、小さく引き締まったお尻と、そこからすらりと伸びる、芸術的なまでに美しい脚のラインだった。
「……」
「……」
時が、止まる。
目の前に広がるのは、彼女の無防備な姿。
エリナの豊満さとは違う、しなやかで、引き締まった、アスリートのような機能美。
白い肌は、羞恥のためか、ほんのりと桜色に染まっている。
「なっ、あ、ありえ……ない……!?」
震える声で、スズネが呟く。
その紫色の瞳は、信じられないものを見たかのように大きく見開かれ、潤んでいた。
完璧なポーカーフェイスが崩壊し、羞恥と怒りと屈辱に染まった、一人の女の子の顔がそこにあった。
スズネは、わなわなと震えながら、その怒りの矛先を俺へと向ける。
その瞳は「殺す。貴様だけは、絶対に殺す」と雄弁に語っていた。
これは、さっきよりもっとまずい状況になったんじゃないか?
俺とスズネの間に、火花が散るような、張り詰めた沈黙が流れる。
その、息も詰まるような静寂を破ったのは、またしても、店の奥から聞こえてきた、のんびりとした、間の抜けた声だった。
「わわっ、大変ですぅ~。スズネちゃんが、お洋服を脱いじゃってます~」