08. 魔法図書館の夜
自治都市ミラトルでは随分前から、魔力で運用されている公共設備を魔力不要な物へと置き換えようとしては事業の途中で頓挫していた。
生活の利便性が格段に下がるために、市民の反発が強烈だったのだ。
例えば暗くなると自動的に灯っている街灯も魔力を使わない物に置き換えれば一つ一つ人力で灯さなければならなくなるのだから、市民の反発も理解出来る。
だが魔法使いが希少な存在となり今なお減り続けている中で、魔法に依存し続けるのはどう考えても危険だった。
「ここ全部、本当に今日されるんですか?」
「はい」
不安気な担当者にそう頷いて、石畳の大通りを見渡した。つい先刻まで慌ただしく行き交っていた資材や作業員達はようやく動きを止めていた。
下準備だけで午前が潰れて、もう昼を廻っている。
多くの物を「魔力不要な物」ではなく「魔力でも人力でも運用出来る物」に置き換えることを提案したのはわたしだ。そうすれば生活の利便性をすぐには手放さず、迫りつつある「魔法のない時代」にも備えることが出来る。この提案は市民の支持を得られたので、この数年間は、わたしは新しい設備の開発とその置き換えに取り組んでいた。
今日は街の中心部の街灯を置き換えることになっていた。
わたしが現場にいたのは、この工事を一日で終わらせるためだ。ミラトルと雇用契約を結んでいる魔法使いは他にも数人いるが、数十基の街灯の設置工事を一度に出来るのはわたしだけだった。
急がなければならない、と思う。
世界中の全ての問題を拾うことは出来ないが、必要な魔力を供給出来る人間がいなくなるこの先、社会では様々な困難が散発的に起こるだろう。「残された魔法使い」として、出来る限りの責任は果たしておきたかった。
この世から魔法使いがいなくなってもミラトルの人達が不自由しないように。
時間の猶予は少ない。
悲願が叶う日―――――――「岸を降りる日」が現実性を帯び始めていたから。
ただ、この日自分が工事を急いでいた理由はそれだけではないと認めざるを得ない。
「明日に持ち越したくないので」
そう言って、わたしは十基の街灯を一度に宙に持ち上げた。
ʄ
魔法図書館に五日も行かなかったのは、ミラトルに来てから初めてだった。
大急ぎで工事を終えて図書館に来られたのは六日目で、しかも閉館間近な時間だった。
魔法図書館の本は持ち出し禁止で館内でしか読むことが出来ないため、閉館間際に滑り込む人間はほぼいない。図書館の八角形の建物は水路の中に建っており、五本の巨大な橋が図書館の五つの出入口と外の世界を繋いでいた。黄昏時の朱と金に染まる橋を、帰路に付く人達の波に逆らって渡った。
図書館の入口は白く大きなホールだ。正面にずらりと並ぶ飴色の扉は、全て館内の違う場所へと繋がっている。
並ぶ扉の前で、少しだけ意識を集中した。
わたしの魔力はすぐにリスタの存在を捉えた。
ʄ
「アルト……?!」
すっかりひと気がなくなった館内で、リスタの驚く顔に迎えられた。
もう誰もいなかった。わたしを見るリスタの瞳に一瞬安堵の色が浮かんだのに気が付いて、胸が締め付けられた。
ほぼ六日ぶりの再会だった。
「五日も来られないとは思っていませんでした」
「――――――――五日間、いらしてなかったの?」
その言葉に更に胸が締め付けられる。
考えていなかったが言われてみればリスタには、わたしが彼女の所に来ていないだけなのか、図書館自体に来ていないのか分からなかっただろう。
不安な気持ちにさせていた―――――――――――
心細げな表情を見てそう思う。
「仕事が立て込んでいました」
「まあ……お忙しかったのですね」
ただそう言って、魔女は気弱に微笑んだ。
リスタの中にもわたしの存在があると、時々だが確かに感じた。
もう本を探すには遅い時間なのに、魔女は疑問を口にしない。
「アルト?」
「――――――――――――――――」
言葉が出なかった。
ようやく手が届こうとしていた。長い期間目指してきた場所に。
生きて戻れなかった時のための備えももう始めている。もしもの時には必要な相手にそれを知らせる手筈を整えたし、財産の始末についても手配を終えようとしていた。
それなのに。
―――――――――――――今、迷いが生じている。
「リスタ―――――――――もしわたしが図書館に来なくなったら、寂しいと思って頂けますか?」
「どこかへ行かれるのですか?」
はっと尋ね返したそのひとの表情。何かを打ち込まれたかのように心臓が痛む。
「もしもの話です」
応えるとそのひとは哀し気に微笑った。
この岸で、魔女も数えきれない程の人達を見送って来たのだろう。
そんな風に微笑わなくていい。―――――――――――――わたしは。
自分を縛り続けていたものが揺らぐ。
五百年追い求めてきたことより大切に想える存在があるなんて。
「わたしはここにいます。これからも」
魔女が青い目を瞠った。
この夜、わたしは「終わり」を目指すことをやめた。
自分の体のことを彼女に話そう。この時そう思った。
だが。
それからしばらく経ってもわたしはその決心を実行に移せなかった。
リスタの眼差しや言葉にわたしへの気持ちを確かに感じる。年齢という障害を取り除けばわたしの手を取ってくれるのではないかと期待した。それなのに、いざ体のことを告げようとすると躊躇ったのだ。
見た目の年齢を変えられないことが拒絶に繋がりそうなことは分かっていた。
でもそれよりわたしを躊躇わせたのは、リスタが魔法図書館に留まり続けていることに理由がありそうに思えたことだ。そしてその理由のせいで、わたしはリスタに拒まれそうな気がした。
わたしが魔女の心の楔を知ったのは、それから少し経ってからだった。
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