54. リスタートとエピローグ - 2
まず食事と横になれる場所を確保しなければと思っていたが、「どこに向かっているのか」とリスタが尋ねることはなかった。
時が戻った自分の姿を自分で確認したいだろうとも思う。それは光魔法で今すぐにでも叶えられることだったのだが、わたしの方からその話をすることもなかった。
胸が一杯で言葉が出なかった。
リスタもそうだったのだろう。
空を飛んでいる間、わたし達はあまり言葉は交わさなかった。
やがて見えて来た街は近隣の中核都市でもある大きな街だった。
「あそこに降ります」
そう告げて、光魔法で自分達の姿を隠しながらその街に降りた。
商店と人が多い華やかなその街にはわたしは何度か滞在したことがあり、宿の候補が数軒思い浮かべられるくらいには土地勘があった。
そこで少し悩んだ。
なんの補充もせずにミラトルを飛び出ていたが、最初から多めに鞄に現金を入れていたお蔭で持ち合わせは割とある。
泊まろうと思えばかなりいい宿にも泊まれるが、平民の出だったというリスタを委縮させてしまうようならよくないと思った。
一般市民の暮らしぶりも五百年でかなり向上しているのだが、魔法図書館にいたリスタはその変化を経験していないのだ。
――――――――だが初めて夜も朝も共に過ごせるのだと思うとそれなりの場所にしたい気持ちが勝ってしまい、結局、それなりの宿を選んでしまった。
しかし悩みはそこで終わらなかった。
街中なのでさすがに腕から降ろしていたリスタと宿の前で向かい合った時には、わたしは激しく緊張していた。
「……体調がよくなるまで付き添いたいのですが」
誤解を与えないように最初にそう言った。
「……わたし達は夫婦ということでいいんでしょうか」
わたしが言わんとしていることをリスタはすぐに察したようだった。ただその反応がわたしの想像外だった。
一度小さく目を瞠った後リスタは少し恥ずかし気に、でも何か酷く真剣な表情で頷いたのだ。
「―――――――――――――――――――」
どういう感情なんだ??
そんな覚悟しているかのような表情をされると、ちょっと冷静でいられる自信がない。
落ち着け
部屋を分けろ
いやしかし
頭の中で幾つもの言葉が飛び交い嵐のようになったが、全部黙殺してわたしは頷き返した。
閉館時間を過ぎても共にいられる日をずっと願っていた。その初めての日なのだ。
一緒にいたかった。
ʄ
入口の左右に扉を開けるための男達がいる宿を見ると、リスタはやっぱり気後れした様子だった。彼らに扉を開けられてその入口を入りはしたが、優美な大階段や美術品のようなソファが配されたエントランスホールで、彼女はとうとう足を止めてしまった。
「………アルト、わたしもうあまりお金が残っていなくて―――――――」
「――――――――――――――――――」
わたしを追うために持っていたお金を全て使ってしまったのか。
心細げに言う彼女を見て思う。
この三週間、リスタはどんな宿に泊まっていたのだろうと考えると堪らなくなった。
「リスタ。わたしは六百年近く働いているので割と金持ちです」
品のいい言い方とは思えないが、もう直截的に言ってしまった。
有無を言わせぬものを感じたのかリスタは目を見開いて、それから曖昧に頷いた。
強引に押し切った感じがあるが、今日は押し切らせてほしいと思う。
そうやって自分で状況を作ったのだが、大きなベッドがある部屋にいざ二人きりになると胸が波立った。
リスタは本当に同じ部屋でいいんだろうかなどと今更なことを考える。
と。
所在無げに部屋を見回していたリスタが振り返り、わたしを見てにっこりと笑った。
「―――――――――――――――――」
それは破壊力が高すぎる。
「アルト?!どうなさったの?!」
片手で顔を覆いながら、わたしはその場にしゃがみ込んでしまった。
―――――――男が25歳で時が止まるのは割と大変なことだ。
なのでわたしは魔法で欲求を押さえていた。
その魔法はまだ解いていない筈なのに。
魔法を壊されるのでは、と恐れる。
―――――――無自覚らしいがなにせ魔女には実績があるのだ。
ʄ
バルコニーがある大きな窓の横に鏡台が置かれていた。
自分が若い頃の顔をもうわたしはあまり覚えていない。
鏡の前まで進もうと思ったのに、いざとなるとどきどきしてしまって足が前に出なかった。
部屋を見回す。
絨毯とカーテンのベージュ色がきらきらと金色に光って見えた。大きなベッドと応接セットまである広い部屋。
アルトは―――――――――――――――
振り返ると、アルトは入口の近くから動いていなかった。
と。
突然、彼が膝から崩れ折れた。
「アルト?!どうなさったの?!」
慌てて駆け寄って膝を着き、アルトの顔を覗き込む。どこか具合が悪いのか、アルトは左手で顔を覆っていた。
「―――――魔法で」
数秒を置き、ようやく絞り出すようにアルトは言った。
「はい」
「―――――抑えていたので」
「―――――何をですか」
「――――――――」
すると魔法使いが口元まで手を降ろして甘く微笑い、心臓が破れそうに跳ねた。
「ミラトルに戻るまでは解きませんので」
何を?
なんとなく分かってしまったけれど訊けない。
彼が望むなら本当は今日でもいいと思っていたけれど、でもアルトにそんなことを言われたら心臓が爆発してしまいそう。
呼吸も出来ずに固まっていると、金髪の魔法使いは優しく笑って立ち上がった。
「もうすぐ食事が来ます」
左手を差し出される。ずっと抱き締められていたのにもう手に触れることすら意識してしまう。ひたすら自分を鼓舞してからその手を取り、わたしも立ち上がった。
「………」
「……?」
ふいにアルトの表情が変わった。重なる手を無言で見つめたアルトに戸惑う。
「――――――――――――――」
どきりとした。アルトが唇で手の甲に触れていた。
「話さなければいけないことが沢山あります」
取った手を離さずに、魔法使いは微笑んだ。
その日はどちらも疲れていてあまり長くは起きていられなかった。
それでも仄かな灯りの中で、わたし達は初めて閉館時間を越えて話し続けた。
迷宮でアルトに起こったことを。
絵本の会のことやアルトの家にわたしが泊まった一夜のことも。
わたし達は初めて同じ場所で眠り、初めて同じ場所で朝を迎えて、初めて二人で食事を摂った。
アルトがわたしの年齢を二十歳にしてくれたと知った時、どうしてか泣きそうになった。
ʄʄʄ
ミラトルに帰り着いてからわたし達はささやかな結婚式を挙げた。
最初でも途中でも最後でもオーディーが泣くものだから、堪えていたのにわたしもリスタも貰い泣きしてしまった。
貸与されていた屋敷はミラトルから買い取ったので、そこが二人の新居になった。家で働いてくれていた人達もほぼ全員がそのまま残ってくれた。
そしてわたしは世界中から魔法の仕事を受けるようになった。元々優秀だったリスタは、今ではオーディーの仕事を手伝ってくれている。
時々わたし達は魔法図書館にも行き、絵本の会にも顔を出した。絵本の会の運営は、リスタが補助職員に引き継いでいたのだ。会に参加する時のリスタはわたしの妻で、「魔女の家の子孫」ということになっているけれど。
魔法図書館の職員になると言っていたあの学者にだけは少々申し訳ない気持ちがあったので、彼が学者を続けていると知った時にはほっとした。職員の試験を受ける前に、魔女が図書館を辞めたと知ったらしい。
誰よりも図書館に詳しかった魔女を失った魔法図書館は、ちょっとだけ困っている。
でも誰もそこに永遠に留まり続けることは出来ないのだ。
魔法の頂点の迷宮に永遠に残り続けるのは、人の記録と記憶だけだ。
そんな風に日々が過ぎて行ったある日、わたしはその存在に、最初に気付いてしまった。
向かいの席に座るリスタを凝然と見つめる。
朝の白い光がサンルームに差し込んでいた。
言葉が出ない数秒を過ごした後。わたしはようやく立ち上がった。
デザートを食べ終える前に急に立ち上がったわたしを見上げて、リスタが戸惑い顔をする。
そのひとの前に片膝を着く。そして彼女の膝の上で二人の手を重ねた。
「リスタ」
一度その場所を見つめてから青い瞳に視線を合わせ、ゆっくりと続けた。
「――――――――お腹に子供がいます」
大きく目を瞠ったそのひとの体が微かに震え出した。
彼女の膝の上でしばらくの間、わたし達はきつく手を握り合っていた。
街じゅうの花が咲き誇り、空が青く晴れた春の日。
小さな男の子が生まれた朝。
わたしとリスタは声を上げて泣いた。
完
読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
完結が一日遅れてすみません!(>< ; )
評価等頂けるととても嬉しいです!




