41. 決戦の場所
カツン………
床が硬質の音を立てる。
また暗くなったが、今度は何も見えない程の闇ではない。陽が地平に隠れたばかりの時間のように空間は薄っすらと光を含んでいた。
深く息を吸って吐く。
カン、カン、カン、カン、カン……
踏み出すと自分の足音が決戦の銅鑼のように響いて鼓膜を打った。
§
同じ造りの別の場所である可能性はあったが、判断が付かなかった。
真っ先に頭に思い浮かんだのは、いきなり仲間の三分の一を奪ったあの罠のことだ。もう一度爆発と氷の落下が起きたら紫水晶が一人となった今度は防ぎきれない。
自分が最高指揮権者になってしまったのだと気付いていた。立ち尽くしていることは出来ない。喉をこじ開け、声を絞り出した。
「前進する!!正面の扉へ!!」
その扉を選んだのは、それがただ正面にあったからというだけだ。
九つの扉はみんな同じで、自分達が最初に退避した扉がどれであったのかすら分からなかった。選びようがなかった。
一瞬虚を突かれたようにした隊員達はすぐに指示に従い、一塊になって巨大な空間の中央から端へと宙を飛んだ。魔力を使って数人掛かりでその扉を開ける。
だが退路だけ確保すると、わたしは「待機」を命じて全員を扉の前に留めた。
罠が再発動すると決まっている訳ではない。何が待っているのか分からない扉に簡単には入れない。神経を研ぎ澄まして床と上空の様子を窺いながら、同時進行で三人の紫水晶に思念で呼び掛ける。
全員が床の消失に備えて宙に待機したまま、しばらくが経過した。
「――――――――――――――――――――」
それから更に時間が経っても罠は発動しなかった。
扉に囲まれた白い広間は静謐を保ったままだ。
充分と思える時間が過ぎた後、先ず自分だけ床に降りてみた。続けて二人、四人と、最後には全員を宙から降ろしてみたが、足元が消えることはなかった。
最初の一度きりの罠だったのか。それともここがあの場所とは違うのか。
何も起きないのであれば、ここで現状を確認したり体を休めたり出来るかもしれないと思う。確認や休息は、状況が許すのであれば本来必ず行うべきことだ。
でも今は、それが苦しい。
目の前の仲間達の亡者のような表情を見た時、背筋がぞくりとした。
自分自身も含めて、何も考えずにただ機械のように脱出を目指すことで皆なんとか精神の正常を保っていたのだ。
立ち止まった途端にそれが崩れるだろうと感じる。
「進もう」と言いそうになった。
精神的にはその方が楽だった。
だが生死の掛かった罠に晒され続けて食べも休みもせずに、既に半日以上が経っている。どう考えてもそれは無謀だ。このまま動き続けたらどこかで急に力尽きる。
「罠が発動しないのならここで待機出来る。ここが最初の広間なら、戻って来る者がいるかもしれない」
感情を切り離して人形のように喋ると、自分ではない別の誰かが話しているように思えた。
我を失って叫びそうになっている自分を、この時必死で隠していた。
「罠の再発動がない」と判断するまでの間に第一中隊長と第二中隊長と言葉を交わしていた。どちらも『迷宮内のどこかに一人だ』と言った。
だが大隊長の状況は分からなかった。どれだけ呼び掛けても、もう反応がなかった。
「しばらく待つ。食事を摂って体を休めよう」
ここに誰かが戻って来る可能性は限りなく低いと分かっていながら、そう告げた。
「夜にならないんだな―――――――――」
それから長い時間が経ち。床に寝転がっていたトラゴスが何もない天井を見つめて言った。
ずっと上の昼空のように見えるものはやはり空ではなく、わたし達は出られないのだと改めて思い知る。
日はもうとっくに落ちている筈だった。
携帯食を床に投げ付け、発狂したようになった数人を取り押さえてから、全員虚脱していた。
男が七人、女性が三人。
幻影魔法の部屋で男の一人は左目を、女性の一人は右手を失っていて、それは治癒魔法でももうどうすることも出来ない。
壁際で座り込んでいる女性達を見やる。
たった三人――――――――――――
隊の半数近くいた筈の女性が三人しか残っていない事実が重かった。
女性の投入に、だからあれ程の反対があったのに。
衝撃に耐えなければいけなかったり瞬発力が求められたり、魔法を用いた戦いであっても物理的な力が必要な場面は想像以上に多い。
それ故に、ほとんどの国が危険な任務への女性魔法使いの投入は控えた。
人里離れた場所で日数を過ごさなければならない時には、手洗いとか月のものとか配慮が必要になることも起きる。
現に今、遮る物がないこのだだっ広い空間で彼女達の尊厳を守ることが難しくなっている。
レベルゼの魔道具が他国の手に渡ることを恐れ、皇帝は焦っていた。複数の国を従える帝国は決して安定していない。
多くの反対を押し切って女性の投入は強行され、わたし達は充分な準備期間も与えられなかった。
その後わたし達は交代で睡眠をとったが、どれだけ経っても誰かが広間に辿り着くことはなかった。
せめてここにいる九人を、わたしは連れ帰らなければならない。
絶望の中でそう思っていた。
「行くぞ」
巨大な扉に囲まれた空間で半日を過ごした後。全員を自分の保護魔法の中に入れてそう告げた。
そしてわたし達は、十人でその扉を潜った。
この迷宮から脱出を果たしたのは五名だ。女性の生還者は、いなかった。
§
あの時ホロスを広間の床に抑え込みながら「帰るんだろう!!」と叫んだとふと思い出し、目の端が熱くなった。
あの時もわたしは「帰ろう」と言っていた。
必ず帰る。決着を着けて。
左手をもう一度胸に当てる。
魔道具はあと二つ。ここが最後だ。
リスタ。
生を取り戻して来る。
その縁に立ち、闇を見降ろした。