39. 魔女と魔法使いの願い
ʄʄʄ
六番目の扉から生還した時、握り締めた左手を胸に当てていた。
「………」
湧き上がる不安を抑え込み、左を見上げる。そこに五番目の扉とその巨大な取っ手に巻き付けた鎖が見えた。
予想を外してしまった。
呪いを解いた後最後にはこの迷宮を出なければいけないから、わたしは出口の場所の予想を立てていた。
迷宮の外の「神殿」とこの広間は完全な別空間ではないと考え、出口は「神殿」の出入口と同じ方向にあるだろうと考えていたのだ。
鎖で印を付けたのは、その場所と予想していた二つの扉の内の一つだった。
五番目と六番目の扉。
外に繋がっているのはこのどちらかだろうと思っていたのに。
何か見落としているのか………。
どちらの扉の中にも出口を見付けられなかった。
「――――――――――――――――――」
焦燥感はあったがそれでどうなるというものでもない。取り敢えず背中の鞄を降ろし、手に入れて来た魔道具を取り出した。
六番目の扉で見付けた二つの魔道具は、意匠と色は違っていたが対になっていた。宝石で飾られた、優美で小さな磁器の馬。「氷結の駒」と「炎上の駒」を順番に床の上に置く。それから顔を上げ、白大理石の広間を見渡した。
自分が立てる音以外の一切の音がない、真っ白で広い空間。
制圧を終えた場所が決して分からなくなったりしないように、手に入れた魔道具はそれを得た扉の前に置いていた。
最初の扉から六番目のこの扉まで、魔道具の位置や鎖を巻いた扉が変わったりはしていない。ここが間違いなく六番目の扉だと思う。
あと三つ………
迷宮の三分の二を制圧してまだ呪いが解けない。
万が一「解呪の宝珠」を見付けられなかったら。
強烈な不安が心を苛む。
その場所にまだ出会っていないが、出口がある場所なら一ヵ所だけ知ってはいた。
五百七十年前にわたしと四人の仲間だけが脱出を果たした場所だ。他の誰も生還出来なかったあの時、あの場所に辿り着いたわたし達はただ幸運だった。
だがあれはあくまでも、挑戦者を迷宮の外に無理矢理転移させる「罠」なのだ。
「宝珠」を見付ける前にその罠に掛かる訳にはいかない。最悪の場合、最初から全部やり直しだ。
想像しただけで気が遠くなった。
「宝珠」が見つからない限りわたしは目的を果たせないし、目的を果たしても無事に迷宮を出られなければ意味がない。
そのどちらもが未だに見つからない現実に、追い詰められる。
「――――――――――――――――――――――」
二つの魔道具を出した後の鞄を覗き込んだ。
その魔道具だけは防御魔法や強化魔法を掛けた容れ物に入れ、鞄の中の仕切られた場所に大切に仕舞っていた。
リスタ―――――――――――
自分を支えるように鞄ごとそれを抱き締めた。
わたしは帰らなければならない。必ず。
呪われた体はすぐに回復するが、服は既にぼろぼろだった。迷宮に入ってからもう丸一日は経っていると思った。
ʄʄʄ
「何か他に方法はないでしょうか」
「待ってもらうしかないねぇ……」
受付けの男性に、木製の窓枠越しに申し訳なさそうに言われた。
賑やかな町の乗合馬車の料金所は混んでいた。五つの窓口に並ぶ五つの人の列が、小さくはない建物の外にまで連なっている。皆殺気立っていた。
半日近く列に並んでようやく自分の番が来たのに、目的地への馬車は数日先まで満員だと言う。
この状況で粘る客はきっと迷惑だったと思うけれど、疲れ切って見える老女に同情してくれたのか、口髭を蓄えた男性は地図を取り出して拡げてくれた。
「その方向は本数が少なくてね……どうしても急ぐならこの町まで歩いた方が早いんだよ。ここからなら馬車の本数が増えるからね。若い人ならここまで三日くらいで着くけど……お婆ちゃん、具合が悪そうだよ?連れはいないのかい?」
言いながら男性は今いる場所からその町までの街道を指でなぞってくれたけれど、かなり躊躇いがちだった。
心配して下さったことに謝辞を述べ、一人だけれどどうしても行きたいのだと応えて、示された地図と道を見つめた。
「三日……」
考えるために一度列を離れたらまた半日並び直さなければならないだろう。今ここで数日先の切符を買うか歩いて行くか、決めなければいけない。後ろの方が苛立っている気配を感じた。
ʄ
大勢の人と馬車が行き交っていた。教えて頂いた大きな街道はその町まで繋がっていたから、迷う心配はない。
アルトが迷宮へ向かってから既に二週間が経っている。
あのひとはもう迷宮に着いてしまったかもしれないと思う。急いでも無駄なのかもしれない。
でも堪らなく不安で、体がふらついていてもわたしは前に進むことを止めることが出来なかった。なぜか今、ミラトルを出発した時よりも不安が大きい。
アルト―――――――――――――
どうして。
なぜこんなに不安なの。
鼓動が速くなる。
お願い、生きていて………!
アルトの温もりが残る右手を抱き締め、わたしは胸で叫んでいた。
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