36. 魔法使い達の最期
石畳の方角から黒く巨大なものが迫っていた。
灯りが充分でなくよく見えない。
だが音と動きで分かった。
波だ。巨大な。
石段の最上部に達しそうな高さ。
近付いて来る。
「アルト!!」
殿を務めていた第一中隊長が叫んだ。最後尾はまだ石段を上りきっていない。
レベルゼが定めた時間内に「道」を突破しなければならなかったのだと悟る。
ざあっ……
地響きを思わせる重い音に混ざって、もう水飛沫の音までもが聞こえ出していた。
呑まれる。
後数秒で。
前を向き、地面に目を凝らした。
残り数歩の距離。
「道を外れるな!!前に続け!!」
そう叫ぶしかなかった。
上空には逃げられない。
『丘全体を保護魔法で覆おう』
叫びながら二人の中隊長にそう伝えた。
ほぼ常に他の魔法と同時使用している保護魔法だけなら帝国魔法使いは息をするように使える。
二人は即座に反応した。一瞬の間も置かず、紫水晶三人の保護魔法が展開される。扉に触れない、丘を包むような形状。言葉ではなく「絵」を共有出来る思念通話は、こういう時には確実だ。
そして保護魔法の発動と同時にわたしは東屋に飛び込んでいた。
「……!」
転がりそうになりながら振り返る。
二人、三人……後続が次々と飛び込んで来る。その後ろで宙に浮かぶ灯が、水から逃げるかのように高度を上げて行くのが見えた。
来る!
次の瞬間。
どぉ……ん………
紫水晶三人の保護魔法と波がぶつかり合い、雷鳴のような音が轟いた。
魔法の壁が水圧でビキビキと軋む。
水の塊が丘を周り込み、ごうごうと森へと流れて行く。
「っ………!」
凄まじい水圧。
「落ち着け!!前に続け!!」
魔法を支えながら声を限りに叫んだ。水の高さと頂上の高さはほとんど同じだ。仮に保護魔法が破れても体が水没することはない。列を乱さず冷静に前に続けば、おそらく間に合う。
だが嫌な予感が背筋を這い上った。
今パニックを起こさないことがどれだけ難しいか分かっていた。
自分自身が湧き上がる恐怖を抑え込むのに必死だ。
レベルゼはこれも計算していたのか。
大量の水と幾つもの上空の火。
最初の広間を再現する光景。
心の深い場所に刻まれた恐怖は、理屈や理性で抑えられないことがある。
誰かが宙へ逃げようとした。
よせ
咄嗟に声にならなかった。
そしてほとんどの仲間とはこれっきり、二度と会えなかった。
突然、夜から昼に変わった。
「……!!」
声が喉の奥で張り付き、奇妙な音を立てる。
真っ白な場所。
水音も、東屋を目指していた隊員達の姿も、宙に浮かんでいた火も。全てが消えている。
「あああああああ…………」
背後から声が聞こえて、どきりとして振り向いた。
後ろに仲間達がいた。だが明らかに人数が足りない。十人程の顔ぶれを見渡し、東屋に辿り着いた者達だけだ、と気付く。
転移させられた。
頭のどこかで冷然とした声がしたが、すぐには受け容れられなかった。
だが転移したこと以上に受け容れられないことがある。
最初の広間――――――――――――――――――――
外に出られなかった。
巨大な扉に囲まれた円筒形の空間。その底にわたし達は立っていた。
でも受け容れられないのはここに戻されたことじゃない。
落ちた筈の大量の氷と、散乱していた仲間達の体がなかった。
迷宮の入口は全てが元通りになっていて、何ごともなかったかのように美しく整っていた。
§
この東屋に上空から近付こうとすると全ての扉が動いて、道が変わってしまう。
東屋に辿り着いていた十人以外は、おそらく全員別々の扉に呑まれたのだと思う。
はぐれた隊員は誰も生還出来なかった。紫水晶さえ。
生還した五人の中で唯一無傷だったわたしは、その後応援が来るまで一人で仲間達の遺体を回収して回った。
迷宮で命を落とした仲間達の遺体は皆、霧の森の中に落ちていた。
ごうっ……
波音が迫っている。
あの時到達出来たのは東屋の入口までだ。この先がどうなっているのかは分からない。
神経を研ぎ澄まし、足を踏み出した。
東屋は柱も床も白かったが、魔道具の台座の足元だけ色が濃かった。床石の素材と色がその周囲だけ円形に違うのが、明かりに乏しい中でも見て取れる。
「……」
そこに仕掛けられている罠に気が付いて立ち止まる。
最後の扉がそこ――――――――円筒形の台座の足元に、落とし穴のように造られていた。
「―――――――――――――」
これだったのか。
扉は全て水平方向に移動するようだったので、東屋の中にいた自分がどう扉に呑まれたのか、あの時よく分からなかった。
五百七十年越しに疑問が解けた。
この扉が動くか拡がるかして、おそらくわたし達は床から呑まれたのだ。
下向きの「扉」を踏まないように、慎重にその縁に立った。
台座の上に厚手の敷物が敷かれており、球状の魔道具がそこに載せられている。外から届く微かな明かりが、透明な玉に閉じ込められて見えた。
静かに両手を伸ばす。
幻影を操る水晶玉―――――――――――――――
触れて念じれば、都市規模の範囲と人数に意のままの幻影を仕掛けられる魔道具。
水晶玉を持ち上げた瞬間に足元の扉が消え、肌を打っていた波音から重さが消えた。
さぁっ………
潮が引くような音をさせながら、目の前に迫っていた水の壁が高さと勢いを失っていく。
「――――――――――――――――――――」
そして台座の向こうに、新しい扉が現れた。