32. 悪夢の出口
魔法は魔力を持つ者が思念の力で生成している。体が動かなくなったとしても意識さえあれば発動出来てしまう。
幻影に呑まれた隊員達の魔法を止めるには、だから命を絶つか、気を失わせるしかなかった。
だが「深刻な怪我を与えずに」「確実に」帝国最強の魔法使い達を気絶させるなど簡単なことではない。
正気だった者達でそれでも必死に試みたが、たった数名を気絶させるだけでも途轍もなく困難だった。
これ以上は……!
心臓が破れそうに速かった。体力の限界が近いと感じる。
絶え間のない轟音と衝撃の中で仲間が倒れていくが、倒れてもなお彼らは周囲を攻撃していた。
と。すぐ近くで女性が胸を貫かれて倒れた。
「!!」
おそらく即死だった。
声も出なかったその時。
ふいに激しい動揺が空気を満たした。火柱や氷の矢が惑うように揺らぐ。
魔法使い達の動きが止まっていた。魔法と叫び声が段々と小さくなり、視界を遮っていた粉塵が落ちて行く。やがてどちらも静かになった。
「え…………?」
強張った声と愕然とした表情。
残酷な瞬間だったと思う。
幻影は突然解除されたのだった。
床も壁も家具も、現れた部屋は全てが破壊されていた。そしてそのあちこちで、仲間が不自然な姿勢で絶命していた。
なぜそのタイミングだったのだろう。
胸から血を流し、ぴくりとも動かなくなった女性を男が茫然とした表情で見つめていた。
その瞬間にいた場所、向いた方向のままでいたせいで自分がしたことだと気付いてしまったのだろう。
彼だけではなかった。
「あ………あ、あぁ………」
幻影の中にいた者達はその惨状が自分達の仕業であることを、ゆっくりと理解した。
叫びそうになって、喉元までせり上がった声を呑み下した。生存者の治癒が先だった。
「治癒魔法を……」
なんとかそう声を絞り出し、倒れている人間の中に生存者を探し始めた。だが体は限界寸前で足がふらついた。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
幻影に囚われたままでいた方が楽だったかもしれない。
魔法から解放された者達が崩れ折れ、狂ったように泣き叫んだ。
今の彼らにどんな声も届かないだろう。嘆くより生存者の救助をするべきだったとしても、そんな命令をとても下せなかった。
その時一人が魔法を発動しようとしたのに気付き、咄嗟にその隊員を空圧で弾き飛ばした。瓦礫と血の中に男がどさりと倒れる。彼はおそらく自分の命を絶とうとしたのだと思う。
地獄絵図だった。彼らを救える言葉などなく、嘆く気力さえ尽きるまで待つしか出来ない。
まだ迷宮の入口と言っていい。なのに部隊はもう、三分の一にまで人数を減らしていた。
それまで迷宮の制圧で重傷者が出ることがあっても、死者が出ることは稀だった。
これ程の死者が出ようなどと、だから帝国もわたし達も全く想定していなかった。上位の魔法使いを全員投入することや女性を招集することに強い反対の声はあったものの、それだって、ここまでの損害を想像してのことではない。
他の迷宮と比べれば危険度が高いだろう。その程度には思っていたが、わたしは家族と死を覚悟した別れなどして来ていなかった。不慮の死や死体を見るのは初めてではなかったが慣れてはおらず、それを大量に目にした精神的な衝撃も凄まじかった。
レベルゼの迷宮は異質だった。力が足りない魔法使いをはっきりと殺しに来ていた。
仕掛けられた罠を突破出来なかった結果、命を落とすこともあるのが他の迷宮だとしたら、レベルゼの迷宮は、罠を突破出来ない人間は死ぬように造られていた。
「なんで……?!なんでこんなこと………?!帰りたい、帰りたい、帰りたい…………!!」
衝撃が絶望と虚無に代わり部屋が静かになり出した頃。両手に頭を埋めてしゃがみ込み、女性の隊員が叫んだ。
全員同じ気持ちだったと思う。彼女が叫んでくれなかったら、自分が叫んでいたかもしれない。
幻影が解除されてからもう二時間は経っていた。
生存者に出来る限りの治療を施し、遺体を一ヵ所に並べていた。生き残った者の半数は、だが茫然と座り込んだままだった。
精神的にも肉体的にも全員限界にいた。体力を考えると何か食べた方がいいのだろうが、とても無理だった。起きたことを受け止めきれていなかったし、ましてや正視に耐えないような沢山の遺体の前だ。
やがて嘆く気力も尽きるとわたし達は出口を探し始めた。
このままここにいては餓死してしまうから行動した。食べる気にはなれなかったが、食糧は携帯している。だがもちろん無限ではない。
皆幽鬼のような顔をして、機械のように動いた。感情を切り捨て、何も感じないようにしていた。
そうしなければ気が狂ってしまいそうだったからだ。
床に並べられた遺体の多くが、そこにいる誰かの家族や恋人だった。
ただ出口を見付けることだけを考えて動いた。
隊長が壁が崩れている場所から向こうを覗いた。わたし達の争いで壁は数ヵ所崩れており、それ以外には外に出られそうな場所がなかったのだ。広い部屋には扉も窓も見当たらなかった。
厚い壁の向こうには、人一人が立てそうな空間があった。そしてその空間を挟んだすぐ外に、内側と同じ壁が建っていた。外側の壁にも崩れている場所があったがその向こうもやはり、少しの空間を挟んで同じ壁だった。
探査してみると、外の壁は内側の壁をぐるりと囲んでいた。
三枚目の壁と四枚目の壁も一部を崩してみたが、その外もまた同じ壁だった。床も地続きのようにずっと同じタイル張りだ。まるで無限に部屋を拡張出来るかのようだが、その外へ出る扉はどこにもない。
「壁を崩して行ったらどこかに扉があると思うか?」
「崩せるだけ一気に崩してみますか?」
「でももし崩した所に扉があったらどうなるの?もしかしたら扉を壊したら出られなくなるとか」
「………」
もう立場に関係なく意見を言い合った。
ややして。
「アルト。何か分からないか?」
「―――――――――――――」
部隊で一番魔力の量が多いのは自分だった。
「……探してみます」
隠された出口があるのなら、レベルゼはそこに魔力で印を付けているだろう。おそらくこちらの魔力が強くなければ感知出来ないような微かな魔力で。
意識を集中した。
「――――――――――――――――!」
はっと気が付いて、わたしは顔を上げた。
§
宙に火を灯すと、オレンジ色の灯りの中にあの日と同じ部屋が浮かび上がった。
石灰が塗られた壁にもタイル張りの床にも破壊の痕はなく、五百七十年前の惨状などなかったように、部屋は綺麗に復元されていた。
長机も目の前にある。ただ誰も座ってはおらず、机の上にも何も載ってはいなかった。
自分に幻影魔法が掛けられようとしているのを少しだけ感じた。もう風が体を撫でる程度の影響しか覚えない。
振り返ると、入って来た扉はやはり姿を消していた。
カツン………
石の床に足音が響いた。
仲間達の遺体を並べた場所まで歩く。
あれっきり、戻って来ることが出来なかった場所。
その前で立ち止まり、頭を下げた。
「………」
そして顔を上げ、わたしはその場所を見据えた。