25. 魔道具のリスト
その場から動かずに三カ所に魔力を注いだ。
祭壇と柱を飾る浮彫りの中。微かな魔力で印が付けられただけのその場所は、五百七十年前は見付けるだけで時間が掛かった。場所は覚えていたが、覚えていなかったとしても今は少し集中するだけで感知出来る。正確な位置に魔力を注ぐために移動することももうなかった。
レベルゼが求める最低量の魔力を示さなければ、迷宮へ入ることは許されない。必要と思えるだけの魔力を放出する。
突然、世界が暗転した。
足の下で床がふっと消える感覚が生じる。
一瞬の落下。
同じだ、あの時と。
「――――――――――――――――」
白く巨大な空間。
宙から地面にゆっくりと降りた。
§
―――――全員、慌てて空中に留まろうとした。魔法の発動が間に合わずそのまま落ちた者も多かったが、問題にならなかった。落下は本当に一瞬で、ほとんど衝撃なく地面に着地したのだ。
どよめきと短い悲鳴の中で視界が回復した。
九本の柱は九枚の巨大な扉になって、円形の床は円形の壁に囲われていた。
祭壇だけが元の形のまま、同じ位置にある。
天井が遥かに高くて果てが見えない。
わたし達は円筒形の空間の底にいた。
上から落ちたと考えるには落下時間があまりに短かった。天井が見えず、柔らかな光が降り注いでいるせいで上は空のように思えるが、違う。どんなに上へと飛んでも外には出られないと感じる。
この時点で前に進む以外の選択肢がなくなったのだ。
いきなり攻撃されることはないと思い、自分を立て直した。
迷宮の入口で、そこに隠した魔道具の一覧を示すのが古代の魔法使い達の流儀だからだ。
迷宮には創造者の個性が色濃く反映される。
何かの記録とか遺物とか、創造者について手掛かりになるものが残されている時はだから人物像を分析してから迷宮に挑むし、「最強の魔法使いレベルゼ」に纏わる記録は多かった。
強烈な自負心の裏返しとも言えるがレベルゼはそれまでになかったことを次々とやってのける一方で、無意味に奇をてらったり小細工を弄したりもしない人間とわたし達は考えていた。
中隊長として三十一人を任されていたわたしは失った者がいないか、すぐに人数の確認を命じた。
その確認が終わらない内だった。
祭壇の上に黒い文字が浮かび上がった。
§
レベルゼの筆跡なのかもしれない。
ひと文字ひと文字、大きく流麗な筆致で宙に記されていく古代語。
海を割る刀
風を操る手袋
魔法の範囲を定める地図
着けた者が見る物を破壊する「破壊の仮面」………
順番さえ覚えている。
九行、三列に渡って記される二十七の魔道具。
そして七つ目と二十一個目にそれは示された。
―――人に若返りをもたらすからくり小箱
―――不老不死の解呪の宝珠
「―――――――――――――」
リスタの姿が脳裏に浮かんで胸が締め付けられた。
必要な魔道具は二つで、迷宮の外に持ち出したい魔道具はリスタのための一つだけだ。
恨み言一つ言わない代わりに、生も死もない場所に五百年留まっている女性。
あのひとにわたしの手を取ってほしい。
もう一度深く息を吸った。―――――――――手に入れる。そのために。
リストが二十七個目に達する。
§
一定の速度で書き続けられていた文字が止まり、「幻影を操る水晶玉」がリストの最後だと全員が理解した。
魔道具の種類と数の把握は、迷宮制圧のために編成された大隊が、最低限果たさなければならないことだった。一人でも生きて帰れれば任務が果たせるように、見たものをそのまま記録出来る魔道具の帳面に、各自がリストを写し取った。
だがその作業が終わるのとほぼ同時に。
宙の文字が音もなく消えただけでなく、祭壇の姿も搔き消えた。
はっとした。
方向が分からなくなる。
祭壇がなくなると、どちらを向いても同じ景色だった。
「目印を……!」
そう声を上げた時には遅かった。
また突然床が消えた。
今度は本当の落下だった。
ばしゃんっ!!ばしゃっ、ばしゃっ!
悲鳴が上がる。
唐突に、足の下が底の見えない深い池となった。ほぼ全員が落下して、半数は頭の上まで水に浸かった。完全に濡れなかった者はおそらく一人もいない。魔法の勝負は扉を入ってからだろうとどこかで甘く考えていて、床に注意が足りていなかったのだ。わたしも膝下まで濡らした。
「がっ!がはっ!」
すぐに全員宙まで浮上したが、全身水中に落ちてしまった者はかなりの水を飲んでしまった様子で激しく咳込んだ。
油断していた。もう攻撃が始まるなんて。
「保護魔法を展開しろ!!」
「保護魔法!!」
わたしも総隊長も怒号を上げていた。
保護魔法は魔法の干渉や衝撃を遮断する、透明な魔法の膜だ。どこからどんな攻撃が来るのかまるで予想が付かない状況で、取り敢えず身を守るよりなかった。各自に自分の体を覆う保護魔法を展開させる。
その時、ふいに背中に熱を感じた。全員の様子を確認するために高い位置からみんなを見渡していたわたしは、はっと上を振り返った。
上空に、白く光る物が散らばっていた。熱を持つ光の球。
熱い。
まさかあれが降り注いで来るのか。
水とは比較にならない危険を感じた。隊の者達が本能的に高度を下げる。退路は池となった下方か、周囲の扉しかない。だが巨大な扉がそれに相応しい重量を有しているとするなら、人力で開くとは思えなかった。魔法で大きな力を加えることは出来るが、あの熱球を避けながら扉を開けられるのかどうか。
レベルゼの迷宮を制圧するために召集された者達は、全員迷宮の制圧経験を持っていたし、先人の経験も座学で学んでいた。だがこんな罠は、それまでに経験したことも聞いたこともなかった。
保護魔法の強度を試している?!
レベルゼの迷宮に小細工めいた罠はなかった。常に魔力の量や魔法の技術の真っ向勝負だった。小細工の方がまだ残酷ではなかっただろう。
自分を守り切れない者がいるかもしれない。
光球の落下を保護魔法で食い止めようとしたが、間に合わなかった。