23. 魔法使いのおはなし
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グランタイル帝国には貴族の子弟が通う学校があったが、貴族の場合、教育は入学よりずっと早くに家庭で始まる。
だからその逸話を、まだ小さい頃にわたしは家庭教師から初めて聴いた。
古代の魔法使いが、魔法の使い手としてどちらがより優れているかと言い争いを始めた。言い合いはやがて激しい闘いとなり、その結果、村が五つ消失し、辺りの地形が変わったという。
家庭教師の話を聴きながら困惑した。教材に指定された本には子供用に平易な文章が大きな文字で書かれていて、挿絵も多かった。
わたしが困惑したのは、空中で争う二人の魔法使いの下で、幾つもの家が吹き飛ぶ様子が描かれていたからだ。
消失した五つの村にいた人達はどうしたんだろう。
この家にいた人達は―――――――――――?
その本の書き振りも教師の口振りも、だが古代の魔法使いの偉大さに焦点が当たっていて、村の人達への言及はなかった。
レベルゼの逸話もあった。
――ある時宴に招かれた「最強の魔法使いレベルゼ」は、その宴に魔力が弱い者も招かれていると知って激怒した。魔力が弱い人間との同席を「侮辱」と怒ったレベルゼは、宴を主催した家の庭に、草木が育たない呪いをかけた。その呪いは五十年解けなかったという。
レベルゼの人となりが窺い知れるエピソードだったが、この話にもわたしはかなり困惑した。
大損害じゃないのか、と思った。
当時のわたしの家も同様だったが、古い時代の大きな家の庭園は、目や心を慰めるためだけの場所ではなかった。家の人間と客人のための甘味として、四季折々の果樹が栽培されているものだった。それがなければ料理が成り立たない程様々な形で饗されており、果樹は、大きな家では欠かせない存在だった。
転居を考えなければいけないレベルの話だと思った。
「侮辱と思った」というだけでやっていいこととは思えない。
だがこの話も、レベルゼの凄さを教え伝えるために書かれているようだった。
幼心に自分が授業の趣旨とは違う所に引っ掛かっていると、分かってはいた。
昔はそういうものだったのだろう。
釈然としないまま、授業を滞らせないために取り敢えず自分を納得させた。
「昔の話であり、今は違う」と思っていた。そうでもないと気付いたのは、もっと大きくなってからだ。
幼い頃のわたしは自分に魔力があることこそ理解してはいたが、魔力の量が人より多いことは知らずにいた。
自己評価が過大にならないように「本人が小さい内は知らせない」という方針を家の者に言い含めていたのは、わたしが19歳の時に病で亡くなった母だ。魔力の量で人を分け隔てしなかった母は、わたしに魔力の量と人の価値を結び付けさせなかった。
女中とか下男とか、わたしの家では大勢の人達が働いていたが、みんないい人達で、幼いわたしによくしてくれた。魔力がほとんどない人達ばかりだったけれど、魔力がないから彼らが自分より劣っているなんて、考えたこともない。
わたしをそう育ててくれた母と家の人達をわたしは今でも尊敬している。
「帝国を守れ」「皇帝を守れ」と教えられるようになり、自分の魔力の量を知らされてからはそうすることでみんなが守れるのだと考えて、自分の魔力はそのためにあるのだと思った。
武勇に優れている者が武人となり、知に優れている者が学者や指導者となるのと同じで、人の役に立っていることに違いなんてない。わたしの場合は役立てるものが魔法というだけだった。それを「特別」などとはやはり思ったことがない。
帝国魔法使いとして勤め出した頃には、魔力の量と人間の地位が分かち難く結びついているのは帝国も古代も変わらないと分かってはいた。
でも古代の魔法使いや一部の帝国貴族達の「魔力がなければ人ではない」とでもいうような態度は、わたしには理解出来なかった。
ずっと違和感を抱いていた。
それを憎悪にまで変えたのは、この迷宮だ。
九十四人の仲間の命を奪い、わたしに五百七十年の呪いをかけた、「人類史上最強の魔法使いレベルゼ」の迷宮。
この場所の制圧だけを目指して生きてきた。
さっさとここに来ていれば、本当はずっと早くに死ねていたかもしれない。
でもどんなに「終わり」に焦がれても、ここで死ぬことだけは許せなかった。
水の膜の中に霞む木立を見つめる。
最初から避けて通れることじゃなかったんだ。
「決着を付けよう」
肌を冷やす霧に向かって告げた。
死ぬためではなく、生きるために 挑む。