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22. 魔女と魔法使いの記録

翌朝。


まだ朝焼けも見えないような薄明るい時間に目が覚めた。

考えてみれば、魔法図書館に来る前からわたしの睡眠時間は随分短くなっていた。年を取ると疲れていても眠れない。


おそるおそる、ベッドサイドに用意されていたスリッパに足を入れて立ち上がった。体が重く、あまり回復を感じない。でも動けないという程ではなかった。



まだ馬車も汽車も動いてないわね―――――――――――――

汽車って、どうやって乗車券を買うのかしら。五百年前には汽車はなかった……。


本で読んだりお客様から話を聞いたりはしていたけれど、細かいことがよく分からない。もちろん乗ったことも見たこともなかった。でも汽車と馬車を乗り継がなければ、アルトにはまず追い付けないと言う。



どうせもう眠れないと思うからすぐにでも出発したいのに、街が目覚めなくてもどかしい。それから顔を洗い、着替えて髪を梳かして身支度を終えても、空はようやく黄金こがね色に染まり出したところで、気持ちばかりが焦る。



アルト――――――――――――――――



手持ち無沙汰な数分を過ごしてから、わたしは部屋の扉を開けた。勝手にうろうろしてはいけないだろうけど、応接室からこの客室までの昨日きのう通った場所を歩く分には多分見咎められないと思う。


まだ出発出来ないというのなら、彼がいた場所をもう一度見ておきたかった。


水色の絨毯が敷かれた階段を降りる。朝と夜では同じ場所も別の景色に見えた。



朝はいつもどうしていたの――――――――?



アルトの姿を想像しながら応接室の前まで来た時、少し先の扉が開け放たれていることに気付いた。大きな窓でもあるのか、その部屋から溢れ出すように光が廊下へとこぼれている。


すぐの距離だったのでそこまで進んでそっと中を覗いてみた。


「まあ……」



なんて綺麗。



昇ったばかりの朝陽が差していた。美しい内庭うちにわを臨むガラス張りの部屋。壁面のほとんどを窓が占めていて、小さな部屋は木々の緑と、白い光に満ちていた。


家具らしい家具は部屋のほぼ中央に置かれている一本脚の円卓だけ。その円卓を挟んで、布張りの二脚の椅子が向かい合わせに配されていた。



二脚――――――――――――――



特別な意味などないのだろうに、なぜだか胸がぐぅっと苦しくなった。


誘われるようにテーブルの前まで歩いた。それからしばらく、わたしはそこにたたずんでいた。



「リスタさん………?」



名前を呼ばれてはっと振り返る。オーディーさんだった。

でも他の誰もまだ起きている気配がなくて、邸内はしんとしたまま。


年寄りだけね……


心の中で苦く笑う。


「おはようございます。すみません、勝手に……」

「いえ………」


部屋を出ようとしたけれど、戸口に立つオーディーさんの表情に気が付いて足が止まった。彼は苦し気に円卓とわたしを見つめていた。



何かあった………?――――――――――――まさか。



心臓がどくりと跳ねる。



「いえ、箱の蓋は閉まったままです」


慌てた様子でオーディーさんが否定する。ほんの一瞬のことだったけれど、その一瞬の激しい緊張で膝から崩れそうになった。


なら一体何が――――――――――?


魔法使いに古くから仕える老僕の顔はやっぱり苦し気で、わたしは体を強張らせて次の言葉を待った。


やがてオーディーさんはかなりの逡巡を見せながら口を開いた。



「とても出過ぎたことだとは思いますが、見て頂きたいものがあるのです」



ʄ


「アルト様からお預かりしている魔道具です」


そう言って、オーディーさんは銀の指輪をした左手を扉に押し当てた。がちゃりと鍵のく音がする。客室へ向かう階段とは違う階段を上がった先の、二階の部屋。


「本来なら許されないことなのですが」


呟きながら、オーディーさんはわたしに扉を開けてくれた。


はっとした。


深紅のカーテンが掛けられた窓。大きなソファとベッドがあった。家具の数は客室とほぼ同じだったけれど、書斎机の上の本や使い差しのインク壺に生活の気配がある。


なによりも、アルトの匂いがした。



ここはアルトの―――――――――――――――――



あのひとの、部屋。



入って左に壁面一杯の大きな本棚が見えた。どうしてか、わたしの視線はそこに吸い寄せられていた。自分でも意識しない微かな違和感がわたしを引き付けた。


オーディーさんがわたしに見せたかったのも本棚だった。


「以前はこの本棚にはほとんど本がありませんでした。アルト様は古い魔法書以外お読みにならなかったので」


そう言われてやっと気付いた。


アルトが自分で選ぶ本は古い魔法書ばかりだったのに。見覚えのある背表紙が幾つも並んでいて、それは魔法書ではなかったのだ。


本棚は七割がた埋まっていた。促されるまま近付いて、それ以上のことに気付く。



この本も、この本も、本棚にあるほぼ全ての本が、わたしがアルトに薦めた本――――――――どれも二人で一緒に読んだ本ばかり。


分厚い背表紙に手を触れた。体が震える。



わたしたちの十五年がそこにあった。



これは二人の想い出(きろく)だ。




アルト。




立っていられなかった。


その場に崩れ折れ、声を上げてわたしは泣いた。


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