20. 魔女と魔法使いと魔法使いの従者
「アルト様から頂いた物です」
屋敷から飛び出してしまいそうなその方を引き止めるために自室から持って来たのだが、空気がさっと強張り、逆効果だったかもしれない、と気が付く。
金と宝石で縁取りと花模様を施した、鏡面仕上げの艶やかな木の箱。素材のせいもあり、ずしりと重い。
古代の魔道具は美術品としての価値も高いものだが、これはそれに劣らないだろう。金と宝石だけでもきっと家が建つ程の値打ちがある。
もしもの場合の形見の意味も込められたのだとすぐに分かり、覚悟していた筈なのに頂いた時には胸が苦しくなった。
ただこの方が真っ先にそこに思い至るとは考えず、迂闊なことをしてしまったのかもしれない。「魔女」と呼ばれた方は優れた才知をお持ちだった。その知性と感性の鋭さに動揺するが、安心して頂きたくてお持ちしたものだ。
「魔道具の箱です。アルト様が手ずからご自分の無事を知らせるために造られました。この蓋が閉まっている間はあの方はご無事です」
「アルトが……」
無事を知らせるため。
嘘ではないのだが、この方はそれ以上のことに気付いてしまいそうで緊張する。
アルト様に万一のことがあった時、初めて開く箱。
開くと同時に魔法が発動し、各所への知らせなどの必要な措置が自動的に行われると聞かされている。魔法ではなく、人の手で処理しなければならない書類の類は箱の中にあると言われていて、わたしは後を任されていた。
「随分前にほとんど出来上がっていたから、少し手を加えるだけで済んだ」
こんなご用意をいつ、と動揺したわたしにアルト様は静かにそう仰った。
そうだった。突然のご決意に思えたが、そうではなかった。
アルト様はもう何年も前に、迷宮に向かっている筈だった。今日まで先延ばして来られたのは、おそらくこの方のため――――――――
机を挟んだ向かいの席を見やる。
震える手を、その方は箱に伸ばされた。触れようとして躊躇われる。その手の方へ少しだけ箱を寄せて差し上げると、躊躇われていた指先がようやく木に触れた。アルト様自身に触れるかのように、そっと。
「アルト………!」
絞り出す様に名を呼んだ、張り詰めた声。卓上にはたはたと涙が落ちるのを見て、胸が抉られた。
今ははっきりと分かる。
アルト様が想いを寄せられていたのはこの女性だ。
「アルトを追う」と言うその方を止めることは出来なかった。
ʄ
まさかと思いながら、随分前には気付いていたのだ。
ある日「絵のように美しい金髪の魔法使いが、魔法図書館で大火事を消した」とかいう噂が耳に届いた。
明らかに尾ひれと改変が加わっていると思ったが、「大火傷をした男がいたが、火事が消えると火傷も消えた」と聞いて、わたしは慌ててアルト様を部屋に訪ねた。
血の気が引いていた。
魔法使いが希少な存在となった今、治癒魔法はある種「封印された魔法」となっている。
どれだけの魔法使いがこの魔法に苦しめられたか分からない。わたしが生まれた頃にはとっくに禁忌同然の扱いだった。
治癒魔法の使い手と知られると医学では癒えない病や傷を負った者達が押し寄せて、生活がままならなくなってしまうのだ。
自分が手を差し伸べれば助かる命を切り捨てれば、切り捨てた側も深く傷付くものだ。それでも到底対応しきれないと断れば、本来助ける義理もない筈の相手に「お前が殺した」と言わんばかりに凄まじく恨まれてしまう。
魔法使いにとっては治癒魔法は、もはや呪いのような能力だった。
魔法使いの多くはこの魔法を隠して生きる。特にアルト様の治癒魔法は、知られてはならなかった。
死の淵から人を呼び戻せる程の治癒魔法の使い手は、世界ではおそらくもう、アルト様だけだ。
その「火事」の場に「魔法図書館の魔女」がいたことはアルト様から話を伺った、この時に初めて知った。
「黙っていて済まない……。治癒魔法のことは秘密にして貰えるよう頼んだ」
アルト様は申し訳なさそうに仰られたが、わたしは謝罪して頂きたいのではなかった。
「治癒魔法を使ったのではなく、罰を解除したら自動的に火傷が癒えたことにした」「一番近くで見ていた彼女にもそう証言して貰った」と説明されたものの、全く安心出来ずに訊き返した。
「その方は口止めの意味を理解されておられるのですか?!」
確かにわたしの耳に届いた時点でそういう話になってはいた。だがことの重大さを理解していなければ、人の口はそれだけ軽くなる。
「わたしが説明するより早く分かってくれていた。とても信頼できる女性だ」
「アルト様――――――――――!」
一瞬、絶句した。その女性の人間性頼みで安心しろと言われても無理だった。
「アルト様。非道な言いようかもしれませんが私は見も知らぬ自殺志願の男より、アルト様ご自身を大切にして頂きたいのです」
不老不死でなかったらこの方は人助けで命を落としていたのではないかと何回思ったか。
「分かっている……済まなかった。――――――――ただあの男のためだけにしたんじゃない」
そう言われて、アルト様は視線を逸らされた。
「―――――――重い傷は、見た方も傷付くだろう」
「――――――――――――――――――」
あの横顔を見た時から、「魔法図書館の魔女」はアルト様にとって特別な存在なのかもしれないと思っていた。
ʄ
このまま魔女を行かせていいのだろうか。
帰って来られないのでは。そんな不安が胸を過った。
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