02. 魔法図書館の魔女
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知りたい気持ちを抑えられなくなったのは、リスタだったからだと思う。
訊いてどうすると延々と思っていたのに、別れ際にわたしは遂に尋ねていた。
「いつからこちらにいらっしゃるのですか?」
だがリスタの答えは、想定より大分ふんわりとしていた。
「かなり昔からですよ」
「―――――――――」
追求するのもおかしいだろう。
笑顔の彼女に、わたしはそれ以上尋ねられなかった。
挨拶を交わして別れ、それっきりになる筈だったし、そのつもりだったのに。
その後も彼女のことが頭から離れなかった。
魔法図書館の出口で、結局わたしは、赤いジャケットの男性を捕まえていた。
魔法図書館には館内と外の世界を繋ぐ仕事を担う、「補助職員」と呼ばれる職員がいる。不老不死の魔法は掛かっておらず、図書館の外へも自由に出られる人達だ。来館者の雑多な質問にも応じている彼らは、採用とか退職とか、「本物」の職員の管理全般も担っている筈だった。制服はジャケットとズボンに変わっていたが、ワインレッドの色だけは古代のまま継承されていて、数百年振りでも彼らのことはすぐに見分けられた。
「職員の方のことですが……今一番長くいる方で、どれくらいですか?」
尋ねた時、それがリスタであることや、最長年数が五百年に及ぶことを確信していた訳ではない。半ば賭けるような気持ちで尋ねた。
人のよさそうな男性は、だがわたしの緊張を蹴散らすように陽気に答えてくれた。その質問を待っていましたと言わんばかりに、前のめりに。
「実はですね、リスタさんと言って、『魔法図書館の魔女』と呼ばれている生き字引きみたいな方がいるんですよ!凄い方です。在籍何年だと思います?……五百年ですよ!信じられます?!」
――――――――誰もいない荒野で初めて他の人間を見付けたようなこの時の衝撃と感動は、きっと言葉を尽くしても伝えられない。
ʄʄʄ
会いたい。
同じ時間を生きている人間がいるといざしってしまうと、会いたくて話したくて、堪らなくなった。
―――――――でもやっぱり、あれ程会いたかったのはリスタだったからなのだと思う。
次の日の朝一番で、わたしは再び魔法図書館を訪れた。
元からしばらく通うつもりだったのだから、これは予定通りだ。妙な言い訳を自分にしながら、人捜しの魔法を使った。巨大迷宮の魔法図書館で、時間と場所の約束をせずに特定の職員に会うのは至難の業だ。
幸運なことに、リスタはまだ他の来館者には捕まっていなかった。
魔女はその日も、一杯の光の中で分厚い本を読んでいた。
高齢の彼女に何を話そうと思っていたのか分からない。だがわたしは、どきどきしながら魔女に声を掛けた。
「おはようございます、リスタ」
「まあ」
やはり再会に驚いたようで、リスタは目を瞠りながら立ち上がった。
「おはようございます、アルト。今日は昨日の続きでいらしたのですか?」
「今日は他の本を探しに来ました。―――――手伝って頂けますか?」
「ええ、もちろん」
魔法書を探しに来たのも本当だが、本探しを口実にしようとしていたのも本当だった。
彼女と話せる――――――――――胸を逸らせながらそう思ったのに、わたしはまさかの事件に水を差されることになった。
突然「わあああああああ」という男の喚き声が、背後から聞こえた。驚いて振り返る。
少し向こうの書棚の前で、男が開いた本を頭上に掲げて喚いていた。
「いけません!」とリスタが叫んだ時には遅かった。
ページが破れる音が聞こえて、次の瞬間、男の足元からぼっと火が立ち昇った。
魔法図書館では本を故意に傷付けた者には、罰が下る。
それはよく知られたことで、入館の時にも注意を受けることだったが、極稀にその罰で自殺を試みる者がいる、と話に聞いたことならあった。
人々が悲鳴を上げて、男から遠ざかる方へと逃げて行く。
だがその時。リスタがわたしの横を駆け抜けて行った。
優美を絵に描いたようだった彼女が、一人炎の方へと駆けて行くのを見てびっくりした。それで火を叩こうと言うのか、彼女は走りながら水色の帯を解こうとしていた。
わたしが彼女の後を追ったのは、男のためというより、彼女と他の来館者のためだった。怪我をしてほしくなかったし、きっとここに、酷い遺体を見慣れている人間は少ない。すぐに追い着くと、わたしは彼女を後ろに押しやった。
左手を上げ、人差し指を男に向ける。
ぼっ。
「えっ」「消えた?!」
どよめきが起きる。
男はまだ床で悲鳴を上げ続けていたが、彼を包んでいた火は消えていた。
「アルト、あなた―――――魔法使いなの?!」
「はい」
隠すつもりはなかったがわざわざ明かすつもりもなかったことを、思わぬことで知らせることになってしまった。魔力を持つ人間の数は年々減っていて、一人が持つ魔力の量も減り続けている。魔法使いはいまや珍しい存在だ。
わたしは呻き続けている男の前に膝を着くと、人差し指で床に小さく十字を描いた。火に包まれていた時間は短かったものの男は軽傷ではなく、肌は赤く爛れていた。
自己治癒力を極限まで高めてやると、男の皮膚はみるみる回復した。
すぐ横でリスタが息を呑んだのが分かった。
数秒を置いてそろそろと体を起こした男は、元通りになった自分の手を茫然と見つめていた。治癒の完了を確認し、わたしは立ち上がった。
「――――――いざ死にそうになったら、死にたくないと思ったのではありませんか」
そう訊いたのは、男がそう思ったことに気付いていたからだ。何度も経験していたから、実際に死に直面すると、多くのことが死ぬ程のことではなかったと思うことも知っていた。
男の覚悟の甘さに腹が立ったのは、自分が幾度も覚悟を繰り返してきたからだった。
生きたいと願いながら叶わなかった人達も何百と見てきたから、余計にだ。
「死ぬなとは言いませんが、もう一度考え直す機会を得たと思って、よく考えてみて下さい。一度死んだと思えば、これまでとは違う考えになるのではないですか」
それ以上は言わずにあとは本人に委ねた。後悔する余地があったのなら、違う道が残されているだろう。励ますことはしない。他人を救えると思うのは、傲慢だった。
それにしても。
男がページを破った筈の本が床の上で鳥のように動き出していた。
そして創造者の本への偏愛を知らせるように、本だけは自動的に回復して、宙を飛んで自分で書棚へと戻って行った。床にも焦げ跡一つ付いていない。
髪と服が焦げた男だけが後に残された。
人間の方ももう少し大切に出来ないものか。心の中で溜め息を吐くわたしの横でリスタが膝を着き、座ったままの男を助け起こそうとした。魔法図書館では重罪に当たる罪を犯した男を、このまま帰す訳にはいかないというのもあるのだろう。
この先のことは彼自身が切り拓いて行くしかないと思うから、職員でもないわたしは手は出さなかった。
「魔法?!」「魔法使い?!」
周囲で人々が騒めいている。もうそのくらい、魔法使いは珍しい存在だった。
と。
焼け焦げながらもある程度の形状を保っていた男の服が、ぼろぼろと崩れ出した。
あまり男に慣れていないのか、リスタがはっきりと動揺した。
「………」
なぜだかほぼ反射的に男とリスタの間に入っていた。
「代わりましょう」
平坦な口調が自分でも有無を言わさぬ雰囲気と思えた。でも彼女が明らかにほっとしたように見えるので、いいと思う。
補助職員達に引き渡される頃には、男は憑きものが落ちたような表情をしていた。
その補助職員達に頼まれて、それからわたしは事務室まで彼らに同行することになった。
事務室では魔女は、赤い服の職員達に混ざってさしあたりの着替えを出したりお茶を出したりと、なにやかやと男の世話を焼いていた。彼女のそんな様子を、わたしはただじっと見つめていた。
五百年も図書館にいるらしいのに彼女の挙措に「生活の記憶」を感じる。こんな状況でなぜなのか自分でもよく分からなかったが、心が微かに温かくなった。
やがて自治都市の警備官が到着すると、男はもちろん、リスタもわたしも警備官に状況を尋ねられた。
ʄʄʄ
結局その日はその騒動で、リスタと二人になる機会を失ってしまった。
日暮れに帰宅して玄関を入ると、街で用意してくれた使用人達がそこに固まって何か騒いでいた。
わたしはこの時、自治都市ミラトルに専属魔法使いとして迎えられていた。
魔法使いの激減に伴い、かつて魔力で動いていた物は魔力不要な物へとどんどん置き換えられていたが、ミラトルのように古くから存在している街では社会の隅々にまで魔力を動力とする物が浸透していたため、置き換えが容易ではなかったのだ。
わたしの仕事は街の魔法の管理や修繕だったが、毎日決まった仕事がある訳ではなかった。図書館に通うには都合がよかったが、必要とされる魔力の量や魔法の技術はわたしにとっては正直、契約金を貰うのが申し訳なくなる程低かった。
その程度の魔法であっても今や希少だったので、わたしはかなりの高待遇で街に迎えられており、大きな屋敷まで与えられていた。条件の交渉が面倒で、提示された待遇をそのまま受け入れた結果だった。待遇を下げる交渉をする必要もないのかもしれないが。
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