19. 魔法使いの従者
そうであってほしい。我がことのように胸が躍った。
せめてひと時だけでも、あの方の人生に人間らしい時間があってほしかった。
だがそれからすぐに「魔女」が老女であるらしいと知った。
独り合点であったか。
落胆したが、アルト様のご様子に魔法図書館が無関係とは思えなかった。
そこで何かの出会いがあったのだとしても女性ではないのかもしれないし、女性だったとしてもそれは「魔女」ではないのかもしれない。
そんな風に考えたが、腑に落ちなかった。考え方の根底が誤っているような気がした。
どんな女性も近付けようとされなかったアルト様が、若さを重視されるだろうか。アルト様のお心を動かすものがあるとすれば、見た目の若さよりも同じ月日を生きていることではないのか。
そしてあの日、アルト様のお心にいるのは本当に「魔法図書館の魔女」なのかもしれないと気付いた。
アルト様のご年齢が600歳に届こうとしていることを考えれば、むしろ当然なのかもしれない―――――――――そうは思ったものの、アルト様の横に老女が並ぶ姿を自然とは思えず、何か名状し難い気持ちになった。
それは違っていたと今思う。
「アルト……アルト様は、どこへ向かわれたのでしょうか」
声を絞り出すようにしてそう尋ねる女性は、体を起こしているのもやっとに見えた。この女性がアルト様の隣にいて不自然だとは思わない。お二人が並ぶ姿が目に浮かんだ。不思議なくらいにしっくりときた。
アルト様は死ぬためではなく生きるために迷宮に向かわれたのだと、心から思う。
「正確な行き先は私も聞かされていないのです」
こんなことを申し上げねばならないとは、と胸が苦しくなる。
知っている限りのことは話して差し上げたかったが、アルト様の秘密は迂闊には明かせない。
「この家で私だけは長年アルト様に仕えています―――……この意味がお分かりでしょうか?」
青い目が僅かに見開かれた。
ああ、やはりこの方はご存知なのだ――――――――――――。
「―――――あなたは『魔法図書館の魔女』と呼ばれていた方ですか?」
ʄ
アルト様と世代を越えた交流を持っている家は幾つか存在している。領土を救われたとかアルト様に何かの大きな恩義がある家が数軒と、あとはアルト様の生家ウィスター家に縁がある家で、わたしの家は後者に当たる。家系には今もぱらぱらと魔法使いが生まれる。
わたし自身は先祖を遡れば一人がウィスター家に辿り着くというだけの世界に何万といる人間の一人に過ぎなかったし、魔力も持たない。ただ世間一般よりは魔法や魔法使いに近く、詳しい家に生まれ育った。
「親族の強力な魔法使い」だと父にアルト様を引き合わされたのは、わたしが7歳の時だ。
魔力を感知する力などない筈なのに、ただ静かに立たれていただけのアルト様に圧倒された。絵物語の主人公のように美しい魔法使いには空気を変えてしまう存在感があった。
わたしはその時、アルト様に強烈な憧れを持った。一族にそんな魔法使いがいることが誇らしくもあった。
父もアルト様も7歳の子供に軽はずみなことは話されず、なぜわざわざわざ顔合わせのようなことが行われたのか、その時にはよく分からなかった。
何かの理由で我が家との関係が変わって、これからはお会いする機会が増えるのだろうかと思ったが、そんなことはなかった。
次にアルト様とお会いした時にはわたしは17歳になっていた。再会した時、微かに息を呑んだ。
少し怖かった。
実はわたしには、7歳よりももっと前にアルト様にお会いした記憶がある。物心もつかないような幼い頃だった筈だが、それだけあの方が印象深かったのだと思う。
その最初の記憶から15年近く経っている筈なのに―――――――――アルト様は全く年を取っていないように見えたのだ。
父からアルト様の呪いのことを聞かされたのはその時だった。
愕然とした。多くの人間には理解出来ないかもしれない。だがわたしは息が苦しくなるくらいのショックを受けた。
言葉がない程残酷な話だと思った。
そういう家で生まれ育ったわたしには、魔法や魔法使いはよく分からない遠い存在ではない。五百年、死ぬことも老いることも出来ない苦しみを現実感を持って想像出来た。ほんの数滴でも同じ血を引いているせいなのか、他人ごととは思えなかった。生れ落ちる時代が違えばアルト様の立場になっていたのは、わたしだったかもしれない。
その後も数年に一度の間隔でわたしはアルト様とお会いした。
そうして月日が流れ、妻と出逢い、子供も生まれた頃。他家で家令として働いていたわたしは、アルト様に雇われることとなった。世界中に散らばっているアルト様の資産を管理することになったのだ。
それから長くお仕えして来た。
尊敬も、家族としての義務感も同情も。今は強烈な憧れというだけではない感情をわたしはアルト様に持っている。―――――――――――一族の一人として、自分の命がある間はあの方の人生を見届けたかった。
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「これを」
宝石と金細工の象眼が施された魔道具の箱を、その方の前にそっと置いた。