01. 魔女に会う
何度か想像したことはあったものの、リスタがこんなに綺麗だったなんて、とびっくりする。
直後だからなのかもしれないが、リスタの肌は瑞々しく、薔薇色に輝いていた。彼女の髪が金色だったことも、そう言えば知らなかった。
急激に鼓動が高まっていくのを感じながら、膝の上で彼女をもう一度きつく抱き締める。
周囲で沢山の人が騒いでいたが今日だけは照れ臭いとも思わない。むしろ世界中から祝福されたい気分だった。
と、無我夢中だった数秒前には気が付かなかったことに気付いた。
細い―――――――――――リスタは元から細かったけれど、こんなに?
「リスタ―――――――ちゃんと食べていましたか?」
尋ねると、リスタは不安気にした。
「わたし、やつれていますか?」
自分が今どんな風に見えているのか不安なのだ。当然のことだと思い至り、急いで応えた。
「とても綺麗です――――――――ただとても細いです」
言いながら彼女の左の手首を握ると、両手首を一緒に握っても手に余るだろうくらいに細い。魔法図書館にいる間に食事の習慣を忘れてしまったのではないかと心配になる。
すると、青い瞳は恥ずかしそうに下を向いた。
「宿代が足りるか分からなかったので……食事を控えてしまって……」
「――――――――――――――」
あんな体でなんて無茶を。
リスタの道程を想像した時、溢れる程に想いが込み上げて、彼女を掻き抱いた―――――――――――――「…………痛い」と控え目に訴えられるまで。
五百年ぶりの外の世界は、右も左も分からないくらいに変わってもいただろうに。
誇張ではなく命懸けで、リスタはわたしを追ってくれたのだ。
ʄʄʄ
初めてリスタに会った時、彼女が「魔法図書館の魔女」と呼ばれる存在だとは知らなかった。
あり得ない筈の位置にある沢山の窓のお蔭で、魔法図書館はいつも一杯の光に満ちている。リスタは巨大な机の向こう側で、れんがのように分厚い本を読んでいた。白い髪が光を絡め取ってきらきらと輝いていて、品のいい老婦人の姿を何か天井画のようだと思った。ターコイズブルーの貫頭衣に、白い内着の図書館職員の制服。二千年前から変わっていない服のせいで、リスタは余計に天界の住人じみていた。
「リスタ。この方が、ナトカとか言う王国の書物をお探しなのですが……」
「まああ、とても珍しいご要望ですわね。いいですよ。わたくしがご案内します」
同僚にそう応じると、老婦人は微笑みながら立ち上がった。
「魔法の最高傑作」と言われる魔法図書館は、世界中の本を自動的に再現して収蔵し続けている。古代から存在する自治都市ミラトルにあり、外観は全く変わらないのに図書館の内部は日々爆発的に拡大していて、最早世界最大の――しかも最大記録を永遠に更新し続ける――巨大迷宮だと言っていい。
魔法図書館の職員は、この迷宮の案内人だった。
と、言っても、図書館の全容は職員すら把握出来ていない。この日図書館を訪れたわたしは、案内に困ったらしい職員から別の職員へと引き継がれたのだった――――――――在籍五百年の「魔法図書館の魔女」へと。
ʄ
世界のどこかで書かれた本を認識し、紙とインクを産み出して再現し、部屋と書棚を拡張して収蔵する……魔法図書館は幾つもの超絶魔法の集合体だ。
来館者の大半は、実は本ではなく図書館を観に来た世界各地からの観光客である。
「……見事な古代魔法ですね」
城壁のように聳え立つ書棚の間を歩きながら、案内人にそう告げてみた。佇まいや話し方が優美な老婦人に、わたしは最初から好感を持っていた。
「ええ本当に」
彼女はやはり優雅に微笑んだ。
「ここを造られた方は、きっと本をこよなく愛していらっしゃったのでしょうね。本は魔法の箱ですもの」
「……本が」
「一つ一つ、開けばどれも知らない世界を教えてくれるでしょう?遠い場所のことも、遥か昔のことも。しかも魔法が使えなくても読めるし書けるだなんて、凄い魔法だとは思いませんか」
「……なるほど」
彼女は想像もしなかっただろうが、ある種の魔法使いに憎悪に近い思いを抱いていたわたしの心に、その言葉は小気味よく響いた。
魔法の頂点とも言われる魔法図書館で、よりにもよってその存在目的である本の話でそんな風に思うなんて、皮肉かもしれない。
でも魔法なんてなくても、人は世界の果てにも遥か過去にも行けるのだと思った。
だがこの時、わたしは別のことにも心を捕らわれていた。
楽しげに話すその女性。
魂に触れるような―――――――――人生で数度しか味わったことがない感覚。
彼女が高齢なのは分かっていた。
高齢でなかったとしても、わたしと彼女に縁はないとも分かっていた。―――――――――たとえわたしの方がずっと年上だろうとしても。
「とても素敵ですね」
そう言った時には、自然と微笑が零れていた。
そのひと時楽しく話せれば、それで十分だと思ったのだ。
だが「ナトカ国がよくお分かりになりましたね」と尋ねた時。
「わたくしはここへ来て長いのです」、と応えた彼女にどきりとした。
ナトカは五百年程前に、短い期間しか存在しなかった国だった。
目的の棚の前で「本探しのお手伝いをさせて頂きますよ」と言われて、「古文字が読める」と告げられた時には、心臓がばくばくした。
まさかと思った。
魔法図書館の職員には不老不死の魔法が掛かっている。
「職員になりたい」と言う人間は世界中から集まって来るが、ほとんどの人間が百年も持たずに退職することを知っていた。
不老不死のような極端な魔法には、数々の制約が伴うからだ。
魔法図書館の職員の場合、最大の制約は「図書館の外に出られない」ことだった。
図書館の外に出れば魔法は解けて、二度と不老不死には戻れない。
もしそうだったとして………訊いてどうしようというのか。
「……ではぜひお願いします。わたしはアルトと申します」
名乗ったのは、そこからまだしばらく一緒に時間を過ごすことになりそうだったからだ。
「リスタと申します。本のことでお困りのことがあればおしゃってくださいな」
朗らかに言って、「魔法図書館の魔女」は微笑んだ。
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URLはこちら:
前作「魔法図書館の魔女、探し物は本ではないと言われる」
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主人公の前日譚「魔法使いが魔女に会うまで」
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