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ミザリアの異世界案内所

■案件① 村主すぐり 明夫あきお



 22時半を過ぎた繁華街にて、見るからにうだつの上がらない男が歩いている。


 その男は、先ほど大きなため息と共にパチンコ屋から出て来た所だ。

誰が見ても明らかに負けたのが解るほど、その男は落ち込んだ顔をしていた。


 それはそうだろう。この男は、今朝、父親の財布を黙って借りてきたのだが、中に入っていた5万円を全て、遊技代として支払ってしまった所だった。


 男の名前は、村主すぐり 明夫あきお。半年前から職探し中だ。一応……。


「くそ、金保留が出たのに! あの店、絶対遠隔してやがる……」


 明夫は、ぶつくさと訳の分からない独り言を呟きながら、足元に転がっていた空き缶を蹴っ飛ばす。

カランと派手に音を立てたその空き缶は、飲み残しの液体をまき散らしながら、前を歩く男のかかとにぶつかり、靴下にシミを作った。


「んだぁ? コラァ!」


 その振り向いた男は、首から肩にかけてタトゥーを入れた、明らかに堅気じゃない、いかつい男だった。そして、鬼のような形相で明夫に向かって走ってくる。


「うぁ! ヤバ!」 明夫は踵を返し、全力で人と人の合間を駆け抜ける。


 後ろでさっきの男の叫ぶ声が聞こえる。


 明夫はとにかくガムシャラに走ったが、まだ後方で叫び声が聞こえる気がする。


 くそっ、しつこすぎるだろ! パチじゃ当たらないのに、なんであんな奴に……。


 明夫はビルとビルの間の細い路地を掛け抜け、目の前の雑居ビルの裏口に逃げ込む。


 はぁはぁはぁ……ここなら大丈夫だろう……。何なんだ、あいつ。くそ!


 明夫は息を整えつつ雑居ビルの通路を進み、突き当りにあった地下へ降りる階段を降りる。

地下一階には、寂れた飲み屋や定食店が並んでいた。数人の酔っぱらいが、くだを巻いている。

明夫も一杯引っ掛けたかったが、残念ながら手元には小銭しかない。


 飲み屋街の前を通り抜けると急に照明が暗くなり、いつの間にか通路の突き当りまで来てしまった。

仕方なく引き返そうかと思った明夫だが、左手にさらに下へ降りる階段を見つける。


 何だ? このビル、意外にも地下二階まであるのか? 下の階は暗いし店など無さそうだな。丁度いい。ほとぼりが冷めるまで、ここで待つか……。


 明夫は帰りが始発になるのを覚悟し、階段の踊り場まで下りてしゃがみ込んだ。そしてそこで、下の階に薄っすらと明かりが灯っているのに気が付く。


 うん? 地下二階にも店があるのか? こんな薄暗い所にある店なんて、絶対に普通じゃないよな……。


 そう思い、明夫は何となく興味を惹かれ階段を下りて明かりの方へ向かう。


 その明かりの元は、四角い腰位の高さの看板だった。


【ミザリアの異世界案内所】


 その看板にはそう書かれている。小さく「異世界への永住者募集中」とも書かれていた。


 はぁ? 異世界案内所だって? 最近アニメや漫画でよく見るあれか? チート能力でハーレム的な? ふん、バカバカしい話だが……正直、ちょっと興味はあるな。


 もし本当にこことは違う異世界に行けるなら、今の生活よりはマシになるかもしれないなぁ。


「よし、ちょっと、冷やかしてやるか……」


 看板の先を見ると、通路を塞ぐように黒いカーテンが掛けられている。そして、その奥からは人の話し声が微かに聞こえた。


 あのカーテンの先が異世界案内所って所か?


 明夫はカーテンを両手でかき分け、中へと足を踏み入れる。すると、すぐ目の前に重厚な木製のテーブルが置かれていた。そのテーブルの上には怪しい水晶玉が置かれてあり、左右にはロウソクが灯っていた。膝に何かぶつかったと思ったら、背もたれの無い木製の丸椅子だった。


 明夫は、布をくぐった先があまりに窮屈で驚き、後ずさる。


「あら? いらっしゃい。初めてのお客様かしら?」


 そう言いながら、テーブルの奥の暗闇から女性が現れた。


「あ、ああぁ。ちょっと看板に書いてあった文字が気になってな。覗きに来ただけなんだけどよ……何だい? ここは?」


 明夫はそう尋ねながら、目の前の女性をまじまじと観察する。


 まず目につくのは、今時、ハロウィンの時くらいしか見ないような、黒い三角帽子だ。


 さらに、胸元が大きく開いた黒いドレスを着ているので、どうしても胸の谷間に目が行ってしまう。肩にはマントが掛けられているが、そこからは雪のように白い両腕が伸びている。


 その両腕の手首には、金のリングや幾つもの縄のような物が巻かれている。右手には銀色の立派なキセルを持っていて、そこからは怪しい緑色の煙が漂っていた。


 大きな帽子のつばで見えにくいが、顔立ちはデパートのマネキンのように美しい。そして青い目に金髪のストレートヘア。とても日本人とは思えない。


「看板に書いてあった通りよ。私は、私達の世界。――貴方からしたら異世界という事なのだけれど、そこへ連れて行く案内人よ」


 その魔女は、前髪を邪魔そうに手でかき分けると、キセルをひと吹かしし、ゆっくりと話す。真っ赤な口紅が艶やかに光り、心地よい声が耳に入って来る。


 一瞬ぼうっと呆けてしまった明夫だが、首を左右に勢いよく振り、叫ぶように答える。


「おいおい、異世界だって? マジかよ! どこだよそれは!」


 魔女はクスっと笑い、煙を漂わせながら静かに答える。


「残念だけど、本気で移住を考えている人にしか、詳しい事は話せないわ。貴方は、冷やかしでしょう? 本気でこの世界を離れるつもりは無いのよね」


「い、いや。もし本当に異世界って所が有って、そこに行けるなら、行ってやってもいいって思っているぜ。今の生活よりもマシになるならよ」


 フゥ~ 金髪の魔女は、キセルを咥えたと思うと明夫に向かって煙を吐き出した。薄い緑色の妙な匂いのする煙だ。


「うわ、何だよ。客に何しやがる」


「貴方は、まだお客様ではないわ。さぁ、お掛けになりなさい」


 そう言って、魔女は明夫を目の前の椅子に座らせ、自分もテーブルの向こう側の椅子に腰を下ろす。


「私の名前はミザリア。貴方のお名前は?」


「え? あ、村主 昭夫……です」


 ミザリアの視線を真正面から受け止めてしまった明夫は、その謎の迫力に飲まれ、思わず敬語で答えてしまう。膝が震え、体中から冷や汗がにじみ出る。


 何だ? 急に? 足が震えやがる……。


 明夫はミザリアの冷たい眼差しから目を外す事が出来ないでいた。


「明夫……平凡な名前ね。でも気に入ったわ。明夫が本当に異世界に行く資格があるのか、話を聞かせてもらおうかしら」


「お、おう……何でも聞いてくれ……です」


「フフフ。まず、どうして異世界に行きたいのかしら?」


「え、えっと、そりゃ、今の生活が色々と上手くいかないし、異世界でチート能力とかで、ひと花咲かせてみたいなって思ってよ……」


 明夫は我ながら、バカな事を語っているなと思い、目の前のミザリアの様子を伺う。


 明夫の心配を他所に、ミザリアはいたって真面目に聞いてくれている。明夫が一通り異世界で欲しいチート能力について語った所でミザリアはゆっくり話し出す。


「――期待外れで悪いのだけれど、チート能力なんて物は無いのよ」


 ミザリアはそう言って、右手のキセルを咥え煙を吐き出す。


「え? 無いのかよ! チート能力って異世界転生の基本じゃね~か!」


「そうね……。私も、こちらの世界の異世界物語を幾つか本で読んだわ。確かに、それらの物語では、主人公は神様の手違いで死んだり、どこかの王国に魔術で召喚されたりしてチート能力を得る事が多かったわね……。でも、貴方は生きて今ここに居るじゃない?」


「え? まぁ、確かにそうだけど……」


「明夫、試しに一度死んでみたら? ひょっとした神様に出会ってチート能力という奴が手に入るかもしれないわよ?」


 そう言ってミザリアは口に手を添えてクスクスと笑う。


「い、いや、流石に死ぬのは、ちょっと……」


 明夫は露骨にガッカリした顔を見せたが、それでも異世界への興味はまだ捨てきれないようだった。


「お、俺よ、本気でここじゃない、どこか別の世界でやり直したいんだよ! この世界は誘惑が多くて駄目なんだ。俺には……」


 気が付けば、明夫は目に涙を浮かべてミザリアに訴えていた。


 そうだ、今みたいな生活を続けていても駄目になるだけだ……。


「た、例えばよ、スライムとかゴブリンなんかをコツコツ倒してレベル上げて強くなれば、そっちの世界で冒険者として活躍出来るんじゃねえか? 俺、そういうザコ狩りとか得意だぜ!」


 明夫は、凄くも無い事を、さも自慢気に言う。


「ザコ狩りをしたいと言うなら、(なた)でも片手に東北に行って、熊とでも戦って来なさいよ。こっちの世界でも出来る事よ」


「い、いやいや、熊は難易度高いだろ。鉈じゃ無理だろ……銃とか無いと」


「言っておくけれど、ゴブリンは熊よりも強いわよ。スライムはそもそも魔法が使えないと倒せないし。熊より弱い魔物なんて私達の世界には居ないわ」


「そ、そんな、ゴブリンって熊よりも強いのかよ……マジかよ……」


 明夫は鉈を片手に持った自分が、熊を倒せるか頭の中で想像してみたが、どう考えても熊の餌になる未来しか見えなかった。


「そ、そうだ! じゃ、俺に魔法を教えてくれよ! 実は俺には魔法の才能が有るかもしれねぇじゃん!」


 はぁ~ ミザリアは煙を吐きつつ大きな溜息をついた。


「明夫には魔法の才能以前に魔力が全く無いわね。魔法を使う事は出来ないわ」


「そんな……勉強や訓練しても駄目なのか?」


 そう言いつつ明夫は、自分が勉強や訓練などから目を背けて生きて来たのを思い出す。


 ――そうだ……そもそも、そんな事が出来ていたら俺は……。


 ミザリアは黙って首を横に振り、困ったような顔をする。


「一応聞くけど、明夫がもし私達の世界に来られたとして、どういう暮らしをしたいと思っているのかしら?」


「え? どういう暮らしをしたいかって? そりゃ、理想は最強の戦士になって、美少女にモテモテで、ハーレム状態で暮らすとかが理想だけど……。チート能力は無いんだよな? じゃ、衣食住に困らない安全な場所で、一人でもいいから可愛い女の子と、どうでもいい話をしたりして暮らせれば満足かも……」


「――そんなの、こちらの世界でも出来る事じゃない。むしろ、こちらの世界の方が可愛い女の子が多いし、魔物も居ないし、平和で楽園のような所なのよ?」


 ミザリアは呆れながら言うと、またキセルを咥え、ゆっくりと煙を吐き出す。


「いや、だってよ……。もう俺、今の世界じゃ何やっても上手く行く気がしなくて、一旦リセットしたいと言うか、全てをやり直したいんだよ!」


「言葉も通じない危険な世界で、明夫なんか、人生をやり直す前に終了してしまうわ」


「え? ちょ、言葉も通じないのかよ? それは流石にキツイって。あんたとは喋れているじゃねぇか。そこは何とか頼むよ!」


 明夫が言い終わると同時に、ミザリアの後ろの方でアハハハと笑い声が聞こえる。


「な、なんだ?」


 明夫は不審に思い奥の部屋を覗き込む。一瞬、何かがキラキラと光って見えたが、それが何かまでは分からなかった。


「気にしないで……。奥に、私の使い魔の妖精が居るのよ。それと、私が明夫と会話出来ているのは、私が翻訳の魔法を使っているからよ。私は私の世界の言葉を話しているだけ。それが貴方には自分の国の言葉で聞こえているのよ」


「魔法だって? すげぇな。それに、妖精? マジかよ! 見せてくれよ!」


 明夫は興奮して奥を覗き込もうとするも、ミザリアが前に立ちふさがり、明夫はミザリアの胸の谷間から目が離せなくなってしまう。


「悪いけれど、見世物ではないのでね。それに私達の世界に行けば、そんなに珍しい物でもないわよ。妖精なんて」


 我に返った明夫は、誤魔化すように部屋の中をキョロキョロと見渡し、答える。


「そ、そうなのか。妖精なんて居るのかよ……。ますます興味がわいて来たぜ! 何とか俺が異世界に行く方法は無いのか?」


 ミザリアは目を閉じて少し考えた後、再度、明夫を見つめながら言う。


「まぁ、そこまで言うなら……適正診断だけでも受けてみる? 私達の世界で、明夫が活躍出来る能力が有るかを調べられるわ」


「おう……。あ、あのさ、それってまさか筆記テストとかじゃねぇよな?」


「安心して。貴方から発する生命力で判断させてもらうのよ」


 明夫はミザリアの事をすんなり信じて、怪しい診断まで受けようと思っている自分に、改めて不思議な感覚を覚える。まるで魔法にかかっているようだと思った。


 ミザリアは、テーブルの上の水晶玉を手元に引き寄せて、明夫に言う。


「それじゃ早速、適正を調べさせてもらうわ。明夫が気付いていないだけで、向いている職業や能力が有るかもしれないのでね。さぁ、この水晶玉に両手を乗せてみて」


 そう言ってミザリアは目の前にある水晶玉を見つめる。


「え? 水晶に手を乗せればいいのか?」


 明夫は自分に何か隠れた才能があるかもしれないと、興奮しながら両手を水晶玉に乗せる。すると、透明だった筈の水晶玉は、一瞬光り輝いた後、青と灰色が混ざったような濁った色に変わる。


 うぅ……どうなんだ? 如何にも悪そうな不気味な色だが……。やっぱり俺には、何一つ特殊な能力なんて無いのか?


 明夫はそう思いつつミザリオの顔色を伺う。


「意外ね……」呟くようにミザリアは言う。そして改めて明夫に向かって言った。


「明夫は……暗殺者の適正があるわね。相手を油断させて一撃で仕留める才能よ」


「あ、暗殺者? なんかカッコイイけど、物騒だな……。俺は別に人を殺してぇ訳じゃねぇんだけどよ……へへへ」


 そう言いつつ、明夫は少し恥ずかしそうに笑う。誰かに才能が有ると言われたのは、初めての事だった。純粋にそれが嬉しかったのだ。たとえそれが、何の根拠も無い暗殺の才能だったとしても。


 お、俺にも……俺にも才能なんて物があったのかよ!


「も、もし! 本当に俺にそんな能力が有るのなら、行くぜ! 直ぐにでも! 異世界へ!」


「フフフ。威勢がいいわね。今の世界への未練は無いのかしら?」


 明夫の頭の中に一瞬だけ両親の顔が過ったが、すぐに掻き消された。


 いや、このまま今の生活を続けている方が迷惑をかける。俺なんか消えた方が良いと思われているに違いない。


「ところで明夫。貴方、お金は持っているのかしら? 異世界へ行く為の準備には……そうね、大体30万円位が必要なのだけれど……」


「え? さ、30万? 無理無理! 3万だって無理だぜ! なんだよ! 結局、金かよ!」


 明夫はそう言って立ち上がる。先払いで30万を支払えなんて、絶対に怪しい。


「まぁ、高額だから無理も無いけれど、でも、そのお金は明夫の為に使うお金なのよ? 折角の暗殺の能力に見合う武器を用意するつもりなの」


「え? 武器だって? 剣とか槍とかか?」


 武器と聞いて明夫は振り返る。男としては、やはり武器は気になるのだった。


「私の魔法を込めた特別性の武器よ。30万では、安い位のね……」


 つまり、俺の為? 俺の武器を買う金なのか。確かに初期装備無しで異世界に行くのはキツイよな……。それに、俺専用武器……。


 明夫は少し考えて、意を決して言う。


「あ、あのよ……。支払いって、カードは使えるのかよ?」


 ミザリアは明夫の必死さに少し驚きつつも微笑んで答える。


「フフフ……もちろんよ。どんなカードでも使えるわよ」


 そう言うと、ミザリアはマントの内側から白い機械を取り出し、明夫に向ける。


 カードなら今朝、無断で借りてきた親父の財布の中にある……。暗証番号もお袋の誕生日だって知っているし。息子の旅路の資金として少し借りるか……。


「か、カードが使えるなら、いいぜ……」


 そう言って明夫は、父親の財布からカードを取り出し、ミザリアが手に持っている白い機械の中に差し込む。暗証番号を入力すると、30万円の支払いを済ませた事を証明するレシートが出てきた。明夫はそれを見て覚悟を決める。


「武器は今から直ぐ準備するわ。そうね……10分程、待っていてもらえるかしら」


 明夫は1人で水晶玉の前に残される。しかし、不安な気持ちなどは無く、どんな武器が自分専用として渡されるのか、楽しみでしょうがなかった。30万もの大金を支払ったのだ。きっと凄い、それは豪華な剣とかなのだろう。


「お待たせ。明夫の武器が用意できたわ。コレよ」


 数分後、そう言いながら奥の暗闇からミザリアが現れる。その左手にアイスピックが握られていた。そして、そのアイスピックを無造作に明夫に差し出す。


「え?」明夫は意味も分からず、そのアイスピックを受け取るも、不思議そうな顔をしてミザリアに尋ねる。


「――えっと、俺の武器ってのは?」


「今渡した、その針がそうよ」


 ミザリアも「こいつは何をいっているのだ?」という風な、不思議そうな顔をして言う。


「え? いや、だって、30万の武器ってのがコレかよ!」


 明夫は、100均でも売ってそうなアイスピックを見つめ叫ぶ。


「その針には、私の強力な魔法が込められているわ。刺した相手を即死させる魔法よ」


「そ、即死……」


 明夫は物騒な言葉に息を飲む。


「剣術も武術も身に着けていない明夫でも、その武器であれば、熊やゴブリンにも勝てる可能性が出て来るわ。その針を根元まで付きさせれば、それだけでどんな生物も死ぬわ。100%確実にね」


 そう言われ、明夫は渡されたアイスピックを改めて見直す。全長は15cm程で、その半分が金属の針で、残りは木製のグリップだ。しかしよく見ると、針の根元だけ薄っすらと光っている。細かい何か文字のような物も刻まれていた。


「その針の根元には即死魔法を付与してあるわ。その位置まで突き刺せば相手は即死よ。どんな強大なモンスターだったとしてもね」


 ミザリアは得意げに明夫に説明をする。そのあまりの自信っぷりに、明夫は文句も言えなくなる。


「どんな相手も即死? この針を刺せば一撃で倒せるのか……」


「そうよ。根元までちゃんと刺す必要はあるけれど、暗殺者の素質が有る明夫なら、きっと使いこなせると思うわ」


 明夫は再度、手に持ったアイスピックを見つめる。どんな相手も一撃で倒せると聞くと、急に凄い武器に見えて来る。どことなくオーラを纏っているような感じすらした。


「あのよ、そんな危険な武器を、そのまま手に持って歩くのは怖いというか、危険な気がするんだけどよ」


 ミザリアは辺りを見渡した後に小さく頷くと、空のペットボトルを水晶玉の横に置いた。


「なら、これを使うといいわ。奥にギュッと押し込んでみて」


 明夫は不審に思いつつも、言われるがままにペットボトルの中にアイスピックを押し込む。強く押し込むと簡単には外れないくらいフィットした。


 ペットボトルに刺さったアイスピックに見入っている明夫の横を素通りし、ミザリアは案内所の出口に向かう。


「じゃあ、早速、実践しに行きましょう」


「え? 実践? って何を?」


 明夫は店の外に向かって歩くミザリアの後を追いかけながら問いかける。


「何って、明夫の能力と、その武器の効果に決まっているじゃない」


 ミザリアは呆れたようにそう言うと、階段を上りビルの外に向かう。


「ま、待ってくれよ! 武器の効果って即死なんだろ? どうやって実践すんだよ!」


 ミザリアは既に閉店した飲み屋街を颯爽と歩き、ビルの外に出る。


 いつの間にか、深夜の0時を過ぎていた。しかし、駅から数分の立地だからだろうか、まだ多くの人が通りを行きかっている。車道は同じようなタクシーが渋滞気味にゆっくりと並び走る。


 小走りでやっと追いついた明夫は、息を切らせながらもミザリアの前に回り込む。


「お、おい……。いったいどうするつもりなんだよ……」


 ミザリアは明夫の問いには答えずに、右手の人差し指を咥えた後、その指を空に向かってかざす。大きな帽子を邪魔そうにしながらも、風向きを調べているようだった。


「ターゲットを見つけたわ。殺しても問題ない相手をね」


「こ、殺す……。だ、誰が、誰をだよ!」


 汗だくで落ち着きの無い明夫とは対照的に、ミザリアは冷静に静かに答える。


「明夫がこれから、私の指定する相手を殺すのよ。その手に持った武器でね」


 明夫は、右手に握りしみているペットボトルの中のアイスピックを見つめて震える。


「無理無理! そんなの無理だって!」


「安心しなさい。丸腰の人間は、熊やゴブリンよりもずっと楽な相手よ」


「そ、そういう問題じゃなくて!」


「それに、これから明夫が殺す相手は、殺した方が世の中の為になる極悪人よ」


 そう言ってミザリアは、まだ人通りの多い道を真っすぐに歩いて行く。


「そんな、殺してもいい人間なんて居るもんかよ!」


「あら? 私達の世界では殺してもいい人間の定義は明確よ。殺意を持って、人を殺した事がある人は、誰かに殺されても仕方ないわよね?」


「ひ、人殺しだって、殺したら……今度は、俺が人殺しじゃねぇか!」


「何を言っているの? これから貴方が行く世界で、一番遭遇率の高いザコ敵は人間なのよ? その人間を殺せないのでは、到底生きていけないわ」


「え? そんな……。マジで?」


 明夫は立ち止まって、天を見上げる。


 ――人を殺さないと生きていけない世界? 殺さなければ殺される世界? そんな所に俺は行こうとしているのか? いや、そもそも行きたいか? そんな所に。俺の思っていた異世界と、全然違うじゃねぇか……。


「――あの人間よ。明夫? 聞いているの?」


 ミザリアは車道の反対側を指さす。しかし、そこは多くの人が行き交う歩道で、明夫はミザリアが誰指さしている相手が分からなかった。


「え? いや、分からねぇし、分かった所で殺さねぇよ!」


「その武器の効果と、明夫の能力を試す必要があるし、殺しに慣れておかないと、いざという時に困るわよ?」


「いや、もうイイよ! くそ! 最初から無理難題言って、諦めさせて、30万せしめるのが目的だったんだろ!」


 明夫はミザリアに向かって大声で怒鳴る。その声を聴いて、すれ違いざまに数人が振り向くも、足を止める者は無く、明夫の叫びも雑踏に消えていく。


「くそ! どうかしていた! こんなもんに30万なんて! 返せよ! 30万!」


 そんな興奮気味の明夫にミザリアは気にせず冷静に答える。


「その武器は、明夫専用の一品よ。返却は出来ないし、なにより勿体ないわ。どんな相手でも一撃で殺せる魔法の武器なのよ?」


「じゃ、じゃあ! お、お前で試してやるよ! どうだ!」


 そう言って明夫はペットボトルを投げ捨て、ミザリアにアイスピックを向ける。しかし、その針の先は震え、小刻みに揺れる。


 くっ……。確かに異世界に行きたいなんて、言っちまったけどよ……。金を取られた上に犯罪者なんてまっぴら御免だ!


「それは無理ね。私が掛けた魔法は私には無効なの。それに、そんなに震えていたら刺さらないわよ。やはり練習しておかないと……」


「だ、だから、俺は人殺しなんてしねぇよ! 大体、こんな人通りの多い所で人なんて殺したらすぐに捕まっちまう」


「ふふふ……何を言っているの? 貴方はこの世界からいなくなるのよ? 問題無いわ。しかも最後に、殺した方が世の中の為になるような極悪人を仕留めて旅立つの。素晴らしいじゃない」


 そう言うと、ミザリアは左手に持っていた銀色のキセルを右手に持ち替え、1人の男にそのキセルを向ける。その先には、つい先ほど明夫が空き缶をぶつけ、追いかけられた男がいた。その男は、ちょうど女性の腕を掴み、無理やりどこかに誘っている所だった。


「あ、あの男! あいつが極悪人なのか? 入れ墨も有るし、如何にもって感じだけどよ……」


 明夫は、一旦ミザリアの言う事を聞いたフリをしてチャンスを伺う事にする。このまま逃げ出す事も考えたが、30万円という金額は、明夫にとって諦められる額ではなかった。


 ーーそれに、あの男には多少ながら因縁もある……。


「違うわよ。その奥の大きなリュックを背負って歩いている男よ」


 明夫は、そう言われて視線を移すと、そこにはごく普通に見える男が歩いていた。


「あの男? 全然悪そうな奴には見えねぇぞ」


「でもあの男は、子供ばかりを狙う殺人鬼よ。今、背負っている、あのリュックの中にも子供の遺体が入っているわ」


「はぁ? 何言ってやがる。そんなの分かっているなら警察に言えよ!」


「私はこの世界のルールや常識には興味は無いの。明夫のレベルアップに使えると思ったから教えただけよ。あの男なら貴方でも気兼ねなく殺せるでしょう?」


 明夫が改めて相手の男を確認すると、まさに今、目の前の横断歩道の先で信号待ちをしているのが見える。歩行者信号が青になったら、こちらに向かって歩いて来るだろう。


「お、おい! こっちに来るんじゃねぇか!」


「そうよ。だからこの場所で待っているのよ。さぁ、勇気を出して一歩を踏み出すのよ。明夫! 貴方は今の生活から抜け出したいのでしょう? そのチャンスが今よ!」


 くそっ! いちいち心を揺さぶる事を言いやがって! 本当に変われるのか? 俺は?


 歩行者信号が青になり、人の流れに乗って黒い大きなリュックを背負った男が向かってくる。眼鏡をかけたその男は、グレーのトレーナーにGパンという、何処にでも居そうな恰好だ。年齢は30代だろうか? 目立たない地味な男で、とても殺人鬼には見えない。だが、言われてみると、大きなリュックを気にしながら歩いているようにも見える。


「ほ、本当に、()らないと駄目なのか?」


「そうよ、明夫。成功したら異世界へ旅立てるのよ。フフフ」


 ミザリアは不気味に笑い、明夫の背中を押しながら言う。


「さあ! 貴方の覚悟を見せてごらんなさい!」


 ミザリアに押された明夫は、例の男の前にふらふらと立つ。


 その男は、障害物のように明夫を避けて、横を通り過ぎようとする。


 その一瞬、明夫の目にある物が映った。黒いリュックの黒いファスナーの隙間から、確かに髪の毛のような物がはみ出していたのだ。


 髪の毛!? こ、こいつ! 本当に子供を!


 我を失い、カッとなった明夫は、気が付くと手に持ったアイスピックを、男の太ももに突き刺していた。嫌な感触が手に伝わる。


 男は一瞬、明夫の顔を見るも、崩れるように、その場に倒れこんだ。そしてすぐに、周囲からは、女性の悲鳴が響き渡る。


「人が刺された!」「人殺しだ!」そんな声を、明夫は茫然と聞いていた。


明夫が刺した男は、ピクリとも動かない。本当に即死だったのだろう。


 明夫は自分のした、その事実を認識しつつも、夢の中にいるような、現実感の無い、そんな気分だった。周囲にパトカーのサイレンが集まり、渋滞と騒音が溢れかえるも、ただ静かに立ち尽くしているだけだった。


 程なくして明夫は警察官に抱えられて、パトカーの中に連れていかれた。抵抗する気は全くなかった。どんな理由が有ろうと、人を殺してしまったのだ。その事実は変わらない。たとえ、相手が人殺しだったとしても。



「――期待外れだったわ……あんなに簡単に捕まってしまうなんて」


 何の抵抗もせずに連れていかれる明夫を遠目に眺めながら、ミザリアは独り言のように呟く。


「まぁまぁ、仕方ないよ、初めての殺しだったんだから」


 ミザリアの三角帽子の中から現れた、小さな妖精が陽気に答える。


「マカロ、出てきたら駄目じゃない。誰かに見つかると面倒な事になるわ」


 マカロと呼ばれた妖精は、掌に乗るくらいのサイズで、トンボのような羽が生えており、少年のようにも少女のようにも見えた。そして、全身が薄っすらと光り、半分透けている。


「視界屈折の魔法を使っているんでしょ? なら大丈夫だよ」


「それでも声は聞こえるのよ」


「アハハハ。大丈夫だよ。みんな明夫に夢中だし、気付かないよ」


「全く……。でも、そうね。目標を仕留めたまでは立派だったわ。明夫。ちゃんと戻って来てくれれば、異世界へ一緒に連れて行ってあげたのに……」


 マカロはミザリアの頭の上で、帽子の中に潜りつつ、顔だけ出して答える。


「でも、もう明夫は異世界へ行く気は無かったみたいだよ?」


「あら、そうなの? あんなに興味があったのに、おかしいわね……」


「ミザリアが事実を伝えすぎるからだよ……チート能力とか適当にあげるって言っちゃえばいいのに。向こうの世界に連れて行っちゃったら、どうとでもなるんだからさ~」


「それじゃ、騙して連れて行くみたいじゃない。そういうのは私のポリシーに反するのよ。真実を知って、自分の意志で付いてきて欲しいの」


「でも、まだ1人も連れていけてないじゃ~ん。今年中に3人だっけ? 連れていけるの?」

 ミザリアは一瞬立ち止まり、キセルを咥え、再び歩き出す。


「これからよ。これから、何とかするのよ」


 そう言いつつ、ミザリアは早足で雑居ビルへ向かう。


「もっと目立つ場所に移動しようかしら……」


「いやいや、目立っちゃ駄目でしょ~。アハハハ」


 帽子の中でマカロの笑い声がこだまする。


「ちょっと、静かにしてくれる?」


 そう言うと、ミアリアは夜空を見上げ、煙を吐き出しながら呟く。


「なんで、こんな事をしているのかしらね……私は……」



 数日後、明夫は留置所の中で、1人天井を見上げていた。


 あの男のリュックには、行方不明だった子供の死体が入っていたそうだ。その男の持ち物から住居が分かり、部屋を調べた所、他にも3人の子供の遺体と、今までの殺しの記録が残されていたという。


 しかし、本名や身元などは不明なままで、いつしか明夫が殺した男は「殺人鬼A」と呼ばれるようになっていた。


 TVやネットのニュースでは、殺人鬼Aに復讐を果たしたヒーローのように明夫を扱う記事も有った。実際に被害者遺族から感謝の手紙や言葉が届いているという。


 しかし、明夫はそんな物には興味が無く、冷静に人を殺してしまった事を後悔していた。どうして、警察に連絡しなかったのか? 殺さなくても取り合さえるだけで良かったのでは? 明夫は自分のした事が正解だとは思えなかった。


 明夫は警察官や弁護士に、何度も「この男が殺人鬼だと知っていて狙ったのか?」という内容の事を聞かれた。その度に、明夫は「知らなかった。偶然だ」と答えた。魔女にそそのかされたなんて、どうせ信じて貰えないし、あの男を刺したのは、間違いなく自分の意志だった。


 それにしても、皮肉なものだ。今まで自分以外のみんな敵で、誰かに親切にしてもらう事など無かったのに……。殺人犯になったとたんに、みんな急に俺に興味を持って、優しくなりやがって……。もちろん殺した相手が極悪人だったからというのが大きいのだろうけど、それにしても俺は、今まで何と戦っていたんだろうなぁ。


 後に、明夫は実刑5年を言い渡された。


 被害者が殺人鬼だった上に、刺した場所が太ももで、凶器はアイスピックである。殺す気は無かったと言えば、執行猶予が付いたかもしれなかった。でも、明夫は殺意が有ったと言い張った。刺したら死ぬとわかっていて、太ももを刺したと。


 それは、まぎれも無い事実だったし、人を殺して、なおかつ嘘までついては、両親に顔向けが出来ないと思ったのだ。


 ――刑務所の中で数カ月を過ごし、明夫はある事に気が付いた。


 ミザリアは嘘を言っていなかったんだ。こここそがミザリアの言っていた、俺の希望した異世界だったんじゃないのか?


 明夫は、ここで規則正しい生活と、根気よく何かを続ける事を身に着けていた。それは以前明夫が暮らしていた環境では達成出来なかった事だった。


 それに……週に1度の楽しみも出来た。


「おい、村主。面会希望だぞ。いつもの子だ!」


 看守に呼ばれて、明夫は面会室に向かう。「来た!」と、心の中で叫びつつも、冷静を装い、ゆっくりと歩く。


「村主さん。またお話を聞きに来ました。今日こそは、あの男の正体に気付いた理由を教えてもらいますよ!」


 そう言って、黒いスーツ姿の若い女性は微笑む。彼女はニュースサイトの記者で、子供ばかりが連続して消えるという、謎の失踪事件を追っていたという。


「毎週毎週、懲りずに来るよなぁ。山川さんよぉ」


 明夫は、内心この山川という女性に会えるのを楽しみにしているのだが、それを悟られないように、慎重に言葉を選びながら話す。


「そりゃ、村主さんが話をしてくれるまでは諦めませんよ! 今や村主さんはちょっとしたヒーローです。足を刺したのに、あの男が運悪く死んでしまっただけで、本当だったら……」


「勘弁してくれよ……俺はただの殺人犯だぜ」


 明夫は、自分が世間から英雄視される事に、困惑していた。今となっては、そんな事はどうでも良かった。目の前の女性だけが振り向いてくれさえすれば。


 ――さて、今日も適当に会話を引き延ばすか……へへへ。


 それにしても、ミザリアに理想の世界を聞かれた時に、可愛い子が居るのが条件と言ったが、どうせなら、彼女……いや、女房が居る世界が良いと言っておけば良かったなぁ。


「まぁ、それくらいは自分で頑張ってみるか……。大きなマイナスからのスタートだけど」

「え? どういう意味ですか?」

 キョトンとする山川を無視して、明夫は話を始める。


「なぁ、山川さんは、この大都会に、魔法使いが居ると言ったら信じるかい?」



                                        おしまい


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