05
「えぇっ!!」
本日、早くも二回目の驚きです。
モク・ヨクさんは、地面スレスレまで前傾姿勢を取ると、恐ろしい勢いで私目がけて跳躍してきたのです。
バコンと、およそ地面を蹴り出したものとは考えもつかない爆裂音と共にモク・ヨクさんが迫ってきます。
しかし、異様なのは対空時の跳躍姿勢です。
上体を立てながらバタバタと手足を激しく動かして、少しでも中空にいる時間を稼ぐような動作をしているのです。
あまりにも無様……隙だらけです。
そんな状態だと、私に好きにしてと言ってるのと変わりません。
ですが、この距離を一瞬で詰める脚力、控えめに見ても化物ですね。
チンチクリンな動きですが、もう私の間合いに到達するんですもんねぇ…。
一秒にも満たない、ほんとの一瞬。
周囲もザワついたのが分かります、冷や汗もんです。
あまりの圧に、思わずくるっと半身になり避けてしまいました。
組み付こうとしていたのでしょうか、モク・ヨクさんは私の背後の地面に激突し砂塵を巻き上げています。
間抜けだなぁ、と思って振り返った瞬間砂埃から獣さながらの形相でモク・ヨクさんが飛び出してきます。
またお得意の跳躍で。
「ひっ…!」
怖い顔なもんで情けない声を漏らしてしまいましたが、がら空きの胸を私は見逃しません。
両手を大きくこちらに向けて伸ばしてくる最中の無防備な態勢。
オジジから武術を教わってて良かった、今は素直にそう思えます。
先手必勝、私の体は既に動いていました。
相手と自分の軸をずらしながら、しかしこちらの威力は確実に伝わるように。
指先は勿論、二の腕も肩も背中さえも脱力し、地の力を脚から吸い上げ、極上の衝撃をあなたに。
二の打ち要らずを掲げ、標的の心臓に向けて拳の軌道を合わせます。
オジジ直伝、乙女の柔肌を台無しにした鍛錬、鉄砂掌の功。
「順歩冲捶!」
相手の懐に体を入れつつも、芯を狙って右拳を打ち込みました。
鉄砂掌で鍛えこんだ拳を突き出し、体当たりの要領で相手を打つ技です。
オジジとの鍛錬を思い出しますね。
いやに硬い砂の入った袋を、永遠と叩かされました。
掌、甲、手刀、指…。
あんまりごつい手にはなりたくなかったんですが…。
ともかく、私の技はモク・ヨクさんの胸に無事被弾しました。
バチっという炸裂音と、ドンという鈍い衝撃音、完璧です。
ほんとは顔面狙いたかったのですが、折れた歯が手に刺さると嫌なので。
モク・ヨクさんは空中にいたせいで、攻撃を食らってグルっと後方へ回転し後頭部から地面に叩きつけられました。
「ぐ、ぅっ……!」
またも砂塵が舞います。
これが終わったらすぐにシャワーに行きたいですね。
しかし、思ったより筋肉の分厚さが半端ないです。
手応えは十分ありましたが、直ぐに起き上がってくるでしょう。
大抵の相手なら、今ので戦闘不能、悪ければ……。
新人にしては、恐ろしい鍛えこみ方ですね。
「く、くぅ~~! 見たか皆! 今のがマキ式体術の拳だっ!
巨漢が成す術もなく中空で一回転したぞ!
か、かっこいいなァ~~!! 感動だァっ!!」
リーダーの無邪気な声が嫌でも耳に入ってきます。
きっと両手に握り拳を作って、ギュッとしているに違いありません。
その格闘術オタク性質のせいで、女子たちからはドン引きされる哀れなリーダー。
褒められるのはやぶさかではありませんが、私もドン引きしているんです。
顔が良いだけに、そのギャップが女っ気を遠ざける。
小っちゃな男の子みたいで、ちょっとは可愛いと思いますよ、同情します……。
のそり、とモク・ヨクさんが立ち上がり始めます。
この予想は外れて欲しかったのですが。
丈夫な体に感謝してください、私も必死なんです、何度も言いますが痛いのは嫌なんで。
私は、躊躇なくその這々の姿に追撃を行います。
完全に立ち上がりかけた、その動作に合わせます。
素早く相手の懐に右足を潜り込ませ、次いで半身のまま上背をねじ込みます。
相手の体を飛ばさないよう、体内にだけ衝撃を発生させるように…。
「鉄山靠!」
背中から相手に向けての体当たり、私くらいの体重でも力の流れを掌握すれば男でも少し浮かび上がります。
その勢いに合わせて、瞬間的に肩関節を沈めて固定、肘を相手に突き出し、手と腕を絞り肘の先端に硬度を集中。
筋肉が厚いのであれば、一点集中で薄い個所を狙うまで。
より威力を加える為、先ほどとは反対の体で打ち込みます。
「裡門頂肘!!」
先程の技から更にもう一歩深く踏み込んでの一撃、相手の鳩尾に肘が埋もれていくのが分かります。
皮一枚越しで臓腑を打たれるのは、なかなか堪えるものでしょう。
それにしても、なんと練りの低い動きでしょうか。
マーシャルロードを発とうという方々は、それなりの技を身に着けていたものです。
反して、彼と言ったらまるで何の武術・流派も学んでいないような、言葉を選ばないのであればただの素人です。
鳩尾を抑え声にならない呻きを漏らしているモク・ヨクさんに、とどめの局部攻撃……
ブンッと、重い風切り音とともに私の足元から鈍い音が聞こえてきました。
私には全く視認することが出来なかったのですが、どうもモク・ヨクさんが無茶苦茶に右拳を地面に打ち下ろしたようです。
それにしても、凄い重い音、思わず下を確認します。
「…!」
私は、息を飲みました。
ぶっきらぼうに振り下ろされた拳、そこを中心に地面が陥没し周囲にはヒビが入っていたのです。
恐ろしい破壊力です。
この世界には、こういった怪力の持ち主がいること自体、そう珍しくありません。
巨岩を砕くも者もいれば、大樹の根を引き抜く方もいます。
でも、私初めてなんです、こーゆー人。
咄嗟に、後ろへ下がります。
しかし、まぁ当然のことと言えばそうなのですが…。
さっきも言ったんですが、私はあまり戦闘経験が豊富ではありません。
だからこういった威力のモノを、しかも眼前で振るわれると体も正直に硬直してしまうんです、そういうもんです。
あっけなく足がもつれて、後方に尻もちをついてしまいました。
上背だけはしっかり耐えたので、そこだけは褒めてもらってもいいと思います。
乙女の桃尻、こんな所で使ってはいけないのですがね。
「そこまで!! 試合終了だ! 皆抑えろ!!!」
自分でも、はっきりと恐怖による四肢の震えが分かりました。
リーダーの声が届くか届かないか、私の両足の間にモク・ヨクさんの左拳が打ち下ろされました。
やはり地面がひび割れ、恐ろしい轟音と、骨盤から響く振動が私の燃ゆる闘争心を一瞬で吹き飛ばしました。
そして、門番衆がモク・ヨクさんに飛び掛かるところで、私の目の前は外側から黒く染まっていきました。
恐らく、私は今日お嫁に行けなくなったのでしょう。
腰に感じる、生暖かな温もりを感じながら、私は気を失いました。