決壊
フェリクスは、庭園でグスタフと戦闘に入る前に交わした会話を思い出した。
「君は何故、おかしくもないのに笑うんだ? 君が、そうして笑うのは、自分の気持ちを隠したい時ではないのか?」
言って、フェリクスがグスタフを見つめると、彼女の顏から表情が消えた。
「拠り所を失って一人になると、きっと、誰でも寂しいし不安になるのだろう。俺も、事情があって、住んでいたところを一人で出ていくことになった時は、不安で胸が潰れそうだった。これから先、自分がどうすればいいのか分からなかったからだ。だから、君の気持ちを想像することはできる。本当は、何も面白いことなど、ないのではないか」
「…………」
「君は、これから、どうしたい? もし、ここから逃れられたとするなら、再び『智の女神』に仕えたいと思っているのか?」
フェリクスの言葉に、グスタフが息を呑んだ。
先刻までとは打って変わって、彼女は口元に手を当て、視線を泳がせている。
その様からは、グスタフが酷く動揺しているのが見て取れた。
「……さまに……」
数秒の沈黙の後、グスタフが呟いた。
「……貴様に敗北してから、何もかも滅茶苦茶だ……! 『智の女神』様の命令すら無視して、貴様を追いかけてきたのに、どうしようもない差を見せつけられて……強いこと、負けないことだけが、僕の全てだったのに……貴様は、そんなものは、どうでもいいみたいな顔をして……」
彼女は、頭を抱えるようにして、身体を折り曲げた。
床のタイルの上に、ぽたぽたと雫が落ちる。
「……自分が、どうしたいかなんて……考えたこと……ある訳ない……父上や『智の女神』様の言いつけを守らなければ、僕に居場所なんてないのに……僕は……どうすれば……」
グスタフが、譫言のように漏らす言葉には、微かに嗚咽が混じっている。
堤防が決壊する如く、彼女の、自分を守る為に作っていた壁が崩れた瞬間、なのかもしれなかった。
それを見ていたセレスティアは、一歩踏み出すと、グスタフの肩を、そっと抱いた。
「ずっと、我慢していたのですね。辛かったのですね」
無言で肩を震わせているグスタフの背中を、セレスティアは、しばらくの間さすってやっていた。
その様子を見ながら、フェリクスは、セレスティアの優しさに心が温かくなるのと同時に、グスタフに対して軽い嫉妬が湧き上がりそうになるのを抑えていた。
「これから先のことは、ゆっくり考えましょう。……また、お話ししに来ても、よろしいでしょうか」
少し落ち着いた様子のグスタフに、セレスティアが言った。
「……好きにしろ」
「ありがとうございます。では、好きにさせてもらいますね」
「まったく……君は、冗談を言っているのか本気なのか分からない、お姫様だな」
そう言うグスタフの表情からは、それまであった皮肉な雰囲気が抜け落ちていた。
フェリクスたちは、グスタフの部屋を出て、地下通路を歩いている。
「……つい、口を挟んでしまったが、邪魔をしたようで、すまなかったな」
先刻の会話を思い出し、フェリクスはセレスティアに声をかけた。
「いえ……私だけでは、グスタフさんも本音を話してくれなかったと思います」
言って、セレスティアは微笑んだ。
「でも、今まで、おっかないとしか思ってなかったけど、あのヒト、黙ってれば普通に美人だよな。男の格好も、好きでやってる感じじゃなさそうだし」
アーブルの言葉に、フェリクスは頷いた。
「そうだな。ああいうのを、均整のとれた顔立ちと言うんだろう。目鼻の位置も、人間が美しいと感じる比率に当てはめたとして、ほぼ完璧だからな」
「おいおい、あんたは姫様の前で他の女の子を褒めちゃ駄目だろ」
「……?? 何故だ?」
首を傾げたフェリクスの脇腹を、アーブルが肘でつついた。
その時、通路の反対側から、カドッシュが供の者と歩いてきた。
「流石は、セレスティア殿ですね。あの皇帝守護騎士も懐柔するとは」
挨拶を済ませると、カドッシュが口を開いた。
「懐柔……ですか? 私は、そのようなつもりでは……」
セレスティアは、戸惑っているようだった。
彼女としては、純粋に目の前で苦しんでいる者を何とかしてやりたいと思っていただけなのだろう。
「カドッシュさん、さっきの俺たちの様子、見てたの?」
アーブルが、カドッシュの顔を見上げた。
「あの部屋には、監視装置があるのですよ。何かあっては、いけないと思いましてね」
カドッシュは、事も無げに言った。
「それなのですが、グスタフさんの待遇の改善をお願いしたく思います。あの方は、今や、私たちに敵対する意思を持っていません」
セレスティアの言葉に、カドッシュは頷いた。
「それも、あなたの存在あってのことです。ああいう人間は、拷問などされても考えを変えはしないでしょうが、『情』の部分を突かれると、案外脆いものなのかもしれませんね。待遇の改善については、前向きに検討させて頂きましょう」
では、と言って、カドッシュは去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、フェリクスは、カドッシュに対して、やはり、どこか完全には信用できない部分があると感じていた。




