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初めての感情

「どうも、お待たせして申し訳ありません」


 その日の夕刻、帝都から古城の隠れ家に戻ったカドッシュは、フェリクスたちの姿を見ると、開口一番に言った。


「カドッシュ様は、ご実家のヴァルタサーリ家当主としてのお勤めもあって、ご多忙なことは理解しております。どうか、お気になさらず」


「こちらこそ、お心遣い感謝いたします」


 セレスティアの言葉に、カドッシュが答えた。


「早速ですが、明日から、政治宣伝(プロパガンダ)映像の制作に入りたいと思いますので、ご協力をお願いします。セレスティア殿には、こちらで用意した演説用の原稿を読んで頂くことになります」 


「承知しました」


 やや緊張した面持ちで、セレスティアが頷いた。


「では、事前に原稿を確認して頂いた上で、セレスティア殿のご意見も伺いたいのですが、今からでも問題ないでしょうか?」


「はい。私なら、大丈夫です。でも、カドッシュ様は、こちらに着いたばかりですし、少し休まれた方がよろしいのでは?」


「いえ、国外の情勢を考えれば、休んでいる時間などありませんから」


 カドッシュの言葉に、フェリクスは、帝国以外の国々が、今この時も危機に晒されていることを思い出した。静かな「隠れ家」で衣食に不自由しない生活を数日送っただけなのに、こんなにも早く「平和」に慣れてしまうものなのだと、彼は自分でも驚いた。

 フェリクスたちは、カドッシュと共に「客間」に入った。「隠れ家」に着いた日、最初に通された部屋だ。

 初めて会った時と同じように、フェリクスとセレスティア、そしてアーブルの三人は、カドッシュと卓子(ローテーブル)を挟んで、長椅子(ソファ)に座った。

 そこに、失礼しますと言いながら、板状の情報端末や、書類の束を手にした構成員が入って来た。

 構成員は卓子(ローテーブル)に情報端末などを置くと、部屋を出ていった。それを見送ってから、カドッシュが口を開いた。


「まず、参考までに、これまで我々が制作した政治宣伝(プロパガンダ)映像をご覧ください」


 彼は呪文(パスワード)を唱えて、情報端末を起動させた。

 仮面を被ったカドッシュの演説している様が、画面に浮かび上がる。

 「智の女神」の危険性や、現在行われている戦争の無意味さ、人間が自ら意思決定をすることの重要性を訴える内容のものだ。


「このような映像を幾つか制作し、情報通信網を介して、帝国民の目に触れるよう配信しています」


「私、こんな風に堂々と喋れるでしょうか……」


 少し不安げな顔で、セレスティアが呟いた。


「なに、普段通りでいいのですよ。セレスティア殿には、人々を引き付ける不思議な魅力があります。映像が配信されれば、きっと注目されるでしょう」


 ──人々に注目される……それは同時に、セレスティアが危険に晒される可能性が高くなるということではないのか。これまでに、発信元を特定されたことはないと聞いてるが、本当に大丈夫なのだろうか……


 フェリクスは一抹の不安を覚えたものの、セレスティアとカドッシュの話を邪魔するのも良くないと考えて、口を(つぐ)んだ。


「──これが、セレスティア殿に読んでいただく原稿になります。ご確認ください」


 カドッシュが、セレスティアに、書類の束を渡した。

 原稿に目を通すセレスティアの真剣な横顔に、フェリクスは思わず見入った。

 彼女の、普段とは異なる表情と雰囲気が、新鮮なものに感じられた。


「……私の思っていたことが、そのまま書かれているようです。とても詩的な表現が多いのですが、これは、カドッシュ様がお考えになったのでしょうか?」


「恥ずかしながら、その通りです。昔から、文学作品が好きでして、その影響があるかもしれませんね。修正が必要な部分があれば、遠慮なく仰ってください」


 そこから、いつしかカドッシュとセレスティアの話題は、文学についてのものになっていった。

 セレスティアが、自分以外の相手と、自分には分からない話をしている……それも、楽しそうに──フェリクスは、言いようのない嫌な気持ちになった自分に、驚いていた。


「あぁ、もう、こんな時間ですね。では、明日から、よろしくお願いします」


 欠伸(あくび)を噛み殺しているアーブルを見て、カドッシュが言った。

 打ち合わせが終わり、フェリクスたちは自分たちが寝泊まりしている部屋へ向かった。

 既に夜も更けていた為、フェリクスとアーブルは寝支度を整えると、寝台に潜り込んだ。  

 隣の部屋にはセレスティアがいる筈だが、物音もしないところを見ると、彼女も眠りについたのだろうと思われた。

 部屋の照明を落として薄暗い中、フェリクスは寝台の上で何度も寝返りを打った。


「……眠れないのか?」


 アーブルが、フェリクスに声をかけた。


「すまない、うるさかったか?」


「いや、そういう訳じゃないけど」


「……」


「姫様の映像が流れたら、いよいよ後戻りできなくなるって思うとさ、緊張するよな」


「……そうだな」


 確かに、アーブルの言う通りだと、フェリクスは思った。


「アーブルは、あのカドッシュという男を、どう思う?」


「教養もあるし、言ってることは正しいし、特権階級なのに、俺みたいな奴も対等に扱ってくれるし、『立派な人』ってやつなんだろうな……でも、ちょっと苦手かなぁ」


「そうなのか」


「あの人の話を聞いてるとさ、いつの間にか、何も考えずに言うことを聞いてしまいそうになるっていうか……何となく気持ち悪く感じる時があるんだ」


「何かの……『異能(いのう)』の力なのかもしれないな」


「まぁ、俺が上流階級の奴らを好きじゃないってのもあるし、何とも言えないけど…………」


 いつの間にか、アーブルは寝息を立てている。

 相棒が、カドッシュのことを完全に信頼している訳ではない、ということに、フェリクスは安堵するかのような気持を覚えた。

 しかし、自分が、そんな感情を抱いてしまう理由が分からず、彼の胸中には、もやもやとしたものが残った。

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