◆それでも、生きていく1
こじんまりとした一軒家の小さな庭で、二人の少年が、訓練用の木剣を手にして打ち合っている。
共に十歳ほどで、一人は燃えるような赤い髪、もう一人は黄金色に輝く髪が目を引いた。
三十代半ばの男女が、その様子を微笑みながら見守っている。
「そろそろ休んで、お茶にしないか」
一方の少年と同じ赤い髪をした男――アーブルが言った。
「えぇ~? 僕、まだ一本取ってないから嫌だ!」
赤毛の少年が、不満げに唇を尖らせる。
「アーブルおじさん、お腹が空いたんじゃないの? お茶の後、また付き合うからさ」
黄金色の髪の少年が、そう言って肩を竦めた。
「アーブルは、昔から大食いだったからな」
少年と同じ、黄金色の髪をした女――かつてグスタフと呼ばれた皇帝守護騎士――が、朗らかに笑って言った。
「すぐ昔の話を蒸し返してくれるなよ、エリカ」
アーブルも、照れ臭そうに笑った。
グスタフは、男としての名を捨て、今は本名のエリカと名乗っているのだ。
一同は、家の中に入った。
「お茶淹れてくるから、座っててくれ」
アーブルは、残りの三人を居間のテーブルに案内した。
「奥方は、二人目のお産で、ご両親のところに帰っているのだったな」
エリカが、アーブルに声をかけた。
「そうさ。その間は、俺が家のこともやるんだ」
瓦斯焜炉に水を入れた薬缶を置きながら、アーブルは答えた。
「見てくれ、これ、本物の茶の葉だぞ」
アーブルは、茶葉の入った缶を手に持って見せた。
「代用品でない茶が飲める日が来るとはね。あれから、もう十五年になるのか」
エリカが、感慨深そうに言った。
「智の女神」の破壊行動と消失による、アルカナム魔導帝国の終焉に伴う大混乱――のちに「大破壊」と呼ばれる事件から、十五年ほどが経過していた。
突然、支配者を失った帝国は瓦解し、元反帝国組織による統治、残存していた帝国軍による軍事政権の樹立といった出来事もあったが、いずれも短命に終わった。
その中で、反帝国組織「リベラティオ」の頭領だったカドッシュ・ミウネこと、ユハニ・ヴァルタサーリは、彼を混乱を巻き起こした元凶とする者たちの手によって暗殺され、短い生涯を閉じた。
また、技術開発の要である研究所などの施設は帝国の中心部にあった為、「大破壊」と同時に多くの魔法技術が失われた。
高度な魔法文明を誇った帝国であったが、「大破壊」によって、その文明は数十年から百年は後退したと言われている。
現在、帝国のあった場所には、多数の小規模な自治都市が存在しており、分裂や統合を繰り返している状態だ。
帝国が戦争を仕掛けた国々の多くも焦土と化し、甚大な被害を被ったものの、帝国が崩壊してしまった為に、戦後の賠償などの問題も有耶無耶になり、自力での復興を余儀なくされている。
それでも、人々は懸命に命を繋ぎ、緩慢にではあるものの、世界は立ち直りつつあった。
「これは、嫁さんが作り置きしてくれてた菓子だ。砂糖たっぷりで旨いぞ」
アーブルは、そう言って一同に茶と焼菓子を配った。
子供たちは目を輝かせ、渡された菓子を頬張っている。
「ところで、例の話、どうするつもりだ」
エリカが、茶を一口飲んでから口を開いた。
「隣の集落との合併話か」
アーブルは溜め息をついた。
十五年前の「大破壊」の後、アーブルとエリカは、反帝国組織「リベラティオ」を離れた。
それからは、悪化した治安の中で、力無き者たちを守りながら旅するうち、二人の周りには人が増え、現在は、集まった人々と共に集落を作り定住しているのだ。
「合併したら、俺が首長やれって言われてるのがなぁ……人が増えると責任が重くなるし、正直、迷ってるんだ」
「それだけアーブルには人望があるということだろう。人が増えれば、できることも増えるという利点もあるぞ」
「そういうの、元貴族のエリカのほうが向いてるんじゃないか?」
「私は、参謀のほうが性に合っているよ」
言って、エリカは、ふふと笑った。
「ところで、旦那さんはどうしてるんだ?」
アーブルは、矛先を逸らすべく話題を変えた。
「ちょっと離れた街の魔導炉の修理を頼まれて、そっちに出かけているよ」
「魔導絡繰りを扱える技術者は貴重だから、引く手数多だよな。あの人、俳優にもなれそうな好い男だけどさ」
アーブルの言葉を聞いたエリカが、ふと真顔になった。
「……はっきり言ったらどうだい? 私が、彼を選んだのは、フェリクスに似ているからだろうって」
「……そうなのか?」
目を丸くするアーブルを見て、エリカは拍子抜けした様子だった。
「なんだ、気付いていた訳じゃあなかったのか」
「まぁ、言われてみれば、背が高くて目元の涼しげなとことか、似てるかもな。それ、旦那さんは知ってるのか?」
「ああ。どんな理由でも、私の傍にいられるなら、それでいいと言われて……もちろん、夫のことは、ちゃんと愛しているぞ」
「大胆に惚気るなぁ……あんたも、ずいぶん変わったな」
「お互い様、だろう?」
そう言って笑い合うアーブルとエリカを、子供たちが、不思議そうに見た。
「フェリクスとセレスティア王女だが……私は、あの二人が、まだ、この世界のどこかにいるような気がするんだ」
エリカが、ぽつりと言った。
「そうだといいなって……ずっと思ってるよ」
アーブルは、胸の奥が締め付けられるような痛みを覚えた。
一瞬でもフェリクスの裏切りを疑い、心の中でとはいえ責めてしまったことへの後悔が、アーブルの心の底に澱の如く沈殿しており、事あるごとに湧き上がってくるのだ。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「僕、出てくるよ」
「僕も行くよ。君が、ちゃんと応対できるか心配だ」
子供たちが立ち上がり、わいわい言いながら玄関へ向かった。