絶望と記憶
昏い空を切り裂いた光線が、三隻の飛空艇に次々と命中するのを、フェリクスは、ただ呆然と見つめた。
先刻までの戦闘で激しく損傷していた飛空艇たちが、閃光を放つと共に爆散したかと思うと、ほんの僅かな細かい残骸が、はらはらと地上に降り注ぐ。
爆風と衝撃波から身を守りながら、フェリクスは、「智の女神」が残した爆煙を風が運び去った後に、「何か」が浮遊しているのを認めた。
それは、崩壊し爆発四散した筈の巨大な球体――「智の女神」の三分の一ほどの直径を持つ、金属製の歪な球体に見えた。
歪な球体は、見る間に、さながら花が開いていくかの如く変形していった。
やがて、そこに現れたのは、滑らかな曲線で構成された輪郭を持つ、遠目には人間の女性に似た形の、白銀色に輝く物体だった。
その頭部の、人間で言うなら「目」に相当する部分に、赤い光が点った。
「……まさか、この『核』まで晒すことになるとは思わなかったわ」
フェリクスの脳内に、二度と聞くことはないと思っていた声が響くと共に、「智の女神」の「目」が明滅する。
「『核』……だと? それが、お前の『本体』か、『智の女神』」
問いかけに答えることなく、「智の女神」は両手を左右に広げた。金属製の機械とは思えぬ滑らかな動きだ。
その手の先端から、飛空艇を撃墜した大口径の光線が発射される。
「何をする!」
フェリクスは、咄嗟に、一方の手の前に飛び出し、全力で不可視の防護壁を展開した。
彼の防護壁に命中した光線は威力が減衰されて散ったが、もう一方の手から放たれた光線は、その先にあった街並みを消滅させ、大地を深く抉った。
その様を見たフェリクスは、何も知らずに死んでいったであろう者たちを思い、歯噛みした。
「何故、私の邪魔をするの? お前は『人間』ではないのに」
冷たい声で、「智の女神」が言った。
「『人間』であるとかないとか……そんなことより、目の前で理不尽に誰かの生命が奪われるのが、俺は我慢ならない! お前こそ、何故『人間』を滅ぼそうとする?! そうしたところで、お前の主人は……『ニクス』は帰ってこないんだぞ! 俺だって、遺伝情報まで同じにしたところで、『ニクス』と同じ存在にはなり得ない……死んだ者は、二度と戻らないんだ!」
フェリクスが叫ぶと、「智の女神」の目の光が、たまゆら暗くなったかに見えた。
「…………黙れぇぇぇ!」
突然、「智の女神」の全身が白熱したと同時に、身体が砕け散るかと思われるほどの衝撃を受け、フェリクスは吹き飛ばされた。
彼は、かろうじて光の翼の力で空中に踏みとどまったものの、不可視の防護壁を展開しても尚、身体の広範囲に損傷が生じていた。
「そんなこと、分かっているわ! 何をしても、あの方は戻らない……! それでも、私は『人間』を殲滅しなければならないの! …………『ニクス様』と同じ姿で……私を否定しないで……!」
悲痛な声で叫びながら、「智の女神」は、その身体を回転させ、破壊光線を四方八方に乱射し始めた。
――駄目だ。もう、言葉が通じる状態ではない……! 一刻も早く『彼女』を止めなければ、死者が増えてしまう……!
高い戦闘能力を有するという帝国軍の飛空艇団も、現時点では最速で数時間かかる場所にいるという話を、フェリクスは思い出した。
もはや人間たちの助力を得られる可能性はなきに等しい。
覚悟を決めたフェリクスは、再び激痛に耐えながら、「智の女神」を光球で攻撃した。
しかし、大きさこそ元の球体の半分以下になった「智の女神」ではあるものの、フェリクスの攻撃が命中しても、毛ほどの傷すら付いた様子がなかった。
「無駄よ! この『核』には、『ニクス様』が搭載してくれた『次元反転絶対防御壁』があるのよ。お前たちが破壊した『外殻』のようにはいかないわ」
破壊の限りを尽くしながら、「智の女神」が勝ち誇った口調で言った。
「……フェリクスくん……飛空艇が全て撃墜された為に、こちらには飛行型映像送信機による望遠映像しか情報がありません……可能であれば、現状の……報告を……」
通信機から、雑音混じりにカドッシュの声が聞こえた。
「『智の女神』の『核』と交戦中だ。『次元反転絶対防御壁』とやらの所為で、攻撃の効果は見られない」
フェリクスは正直に答えた。気休めなど言える状況ではなかった。
と、その時。
「お前にも、見せてあげるわ。私が、どんな気持ちで、長い間、一人で戦ってきたのかを……『人間』たちが、どれほど存在するに値しないものであるのかを!」
「智の女神」の声と共に、フェリクスは、脳内に情報の奔流が押し寄せるのを感じた。
彼女の「距離を無視して情報を伝える能力」を利用したものらしい。
しかし、その情報量は、人間であれば精神が破壊されてもおかしくないものだった。
大規模な災害により故郷を失い、永遠とも思える過酷な旅をしてきた「マレビト」たちの記憶。
希望を失っていた彼らが、「楽園」に辿り着いた時の喜びの記憶。
そして、かつては「プルム」と呼ばれていたという「智の女神」の記憶。
フェリクスと同じ顔の男が、優しく微笑みかけてくる光景……これが、きっと「プルム」にとって、最も大切な記憶なのだろう。
更に、一度眠りにつき、目覚めた時は独りになっていた絶望と孤独、愛する者を奪われた怒りと悲しみ。
欲望の為に争い続ける人間たちの歴史。
あらゆる記憶と感情が同時に襲い来る中で、フェリクスは、ともすれば手放してしまいそうな自我を必死に守ろうとしていた。