光の翼
地下施設から、フェリクスは再び地上の庭園へ出た。
空間歪曲式防護壁で覆われている為か、「別邸」は半壊しているものの、建物としての形は保たれ、美しく剪定された庭木も残っている。
だが、更に空間歪曲式防護壁の向こう側に目をやると、そこには、かつて人が生活していた街並みだったとは思えない光景が広がっていた。
おそらく理由も分からず瓦礫に押し潰されていった人々のそれぞれに、異なった人生や、大切なものがあった筈――そう考えたフェリクスは、一瞬、息苦しくなるほどに激しく動揺した。
しかし、「智の女神」を止めなければ、この破壊は終わることがなく、また、フェリクス自身にとって大切な者たちを守れないのだと、彼は気を取り直した。
「聞こえますか、フェリクスくん」
耳元に装着したままの通信機から、カドッシュの声が聞こえる。
「空間歪曲式防護壁は、外からの攻撃や侵入は防ぎますが、内側から出ていく場合、手続きのようなものは不要です」
「了解した」
短く答えて、フェリクスは深呼吸しながら精神を集中した。
やがて、彼の背中に、青白い輝きを放つ、光の翼とでも呼ぶべきものが出現した。
「……まるで、伝説の『悪神』だな」
「馬鹿、そういうことを言うんじゃない!」
通信機からは、外の様子を見ているのであろう構成員たちのざわめきも流れてくる。
――俺は、「そういう風に、造られている」のだろうな。
フェリクスは小さく息を吐くと、とん、と軽く地面を蹴った。
彼の身体が、ふわりと浮き上がり、上昇し始める。
大きく光の翼を羽ばたかせ、フェリクスは「智の女神」を目指して飛んだ。
光の翼は、羽ばたく力で飛行するというより、不可思議な力場を作り浮揚する効果があるらしい。
その速度は見る見るうちに増していき、音を置き去りにするまでに達した光の翼が、星空を切り裂いていく。
大気中で音速を超えて移動する場合、周囲に発生する衝撃波で自身が傷つく可能性もあるが、フェリクスは、常に物理攻撃や魔法による攻撃を減衰あるいは無効化する不可視の防護壁をまとっており、その心配もなかった。
――髪や目の色が抜けて身体が変化した時、俺は自分の力を自然に理解していた……これは、やはり、俺自身が「造られた生命」ゆえなのだろうか……
ちらりとフェリクスは考えたものの、受け入れてくれる者たちが存在するのであれば、自分が何者であるかなどは些末なことなのだと思えた。
フェリクスは、「智の女神」と交戦する三隻の飛空艇の近くに到着した。
輝く巨大な球体から放たれる無数の光球を躱しながら、彼は、敵の姿を確認した。
「――制限をかけておいた筈なのに、執行人形態になっているとは、驚いたわね。外界で学習した影響かしら」
不意に、フェリクスの脳内に「智の女神」の声が響いた。
「……俺と、残り九人いた『不死身の人造兵士』は、お前の主人の『写し』なのだろう?」
先刻の、「智の女神」との会話から導き出された考えを、フェリクスは口にした。
「そうね。『材料』は、この惑星のものだから、完璧な『写し』とは言えないけれど、お前たちは、私の主人……ニクス様の遺伝情報を元にして造ったものよ」
主人であるという「ニクス」の名を呼ぶ際だけは、「智の女神」の声に、どこか愛おしげな響きが感じられた。
「お前たちの本当の役割は、『人間』を殲滅する死刑執行人……お前は、人格調整前に逃げ出したから、それすらも忘れているのね」
「押し付けられる『役割』など知ったことではない。生憎だが、俺は、お前に従うつもりはない」
「まぁ、いいわ。『不死身の人造兵士』も、所詮は保険に過ぎないもの。今の私なら、単独で『人間』を殲滅できるのよ」
「その前に、お前を破壊する」
「……できるのなら、ね」
嘲笑う「智の女神」の言葉をよそに、フェリクスは精神集中し、攻撃の態勢に入った。
突然、心臓を握り潰されるかのような感覚と、一片の思考も許されないほどの激痛に全身を苛まれ、彼は、思わず苦悶の声を漏らした。
意識を手放してしまった刹那、フェリクスは力を失って急降下しかけた。
しかし、彼は何とか我に返ると、再び光の翼を羽ばたかせ上昇した。
――今のは、一体、何なのだ……?!
「分かったでしょう? お前が私を攻撃することなど不可能よ。『ニクス様』に近い力を持つ『不死身の人造兵士』に逆らわれたら面倒だもの。それを防止する仕組みくらいは仕込んであるわ。精神を粉々にされるほどの『痛み』の前に屈しない者など、いないのよ」
「智の女神」の言葉に、フェリクスは先刻の激痛を思い出して、歯を食いしばった。
「せいぜい、何もできないまま、そこで『人間』たちが滅ぶのを眺めていればいいわ」
その言葉と共に、巨大な輝く球体が、更に光を増して、無数の光球を放った。