譲れないもの
「『智の女神』……あなたは、私を必要としているのでしょう?」
セレスティアが、口を開いた。
「私が、あなたの下へ行く代わりに、これ以上、皆さんへ危害を加えることを、やめていただけませんか?」
「セレスティア……?! 馬鹿なことを言うな!」
フェリクスは、彼女を抱きしめている腕に力を込めた。
「あら、殊勝なことね。でも、あなたは『人間』ではないのに、『人間』の為に、その身を捧げると言うの? 同胞たちの中で最後に生まれ、一部の者たちの思想によって『時間停止された限定空間』で、標本のように『保存』されていたのが、あなた……『最後の子供』なのよ。まさか、『解凍』されないまま、この時代まで存在していたとは思わなかったけれど」
「私は、ウェール王の娘、セレスティアです。『位高ければ徳高きを要す』というのが、父の教えです」
「智の女神」に対し、セレスティアは毅然とした態度で答えた。
「駄目だ、セレスティア。取引というのは対等な立場で行うものだ。奴は、俺たちのことなど対等だと考えていない。君が犠牲になったところで、状況が変わるとは思えない」
フェリクスは、セレスティアに、そう訴えた。
「そうね。生きた同胞がいるなら、そこから我々の種族を復活させることも可能かと思っていたけれど……『人間』の殲滅は決定事項だから、たしかに取引の材料にすらならないわ。それにしても……『七号』は、随分と、その子に執着しているのね」
「……だとしたら、何だ。それと、俺の名は『七号』などではない」
不意に、「智の女神」から声をかけられたフェリクスは、身を固くした。
「お前の本来の主人は、この私……でも、その子を主人と誤認して、守ろうとしているのね。哀れだわ」
「主人……誤認……だと?」
「その子の母親は、私の姉……つまり、私たちは近い血縁者であり、遺伝情報にも共通する部分が多い。だから、お前は、先に会ったセレスティアを主人と認識したのよ」
フェリクスは、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
「その子を守ろうとするのは、私が行った刷り込みの所為に過ぎない……私のところに戻るなら、誤りを正してあげるわ」
――造られた生命体である自分は、心まで作りものだというのか……?!
支えを失ったかのような感覚から、崩れ落ちそうになったフェリクスだったが、セレスティアの華奢な腕が、自身を強く抱き締めているのに気付いた。
言葉は無くとも、彼女の、フェリクスを信じる気持ちが伝わってくるかのようだった。
――たとえ、きっかけは「智の女神」の言う通りだとしても、自分がセレスティアを大切に思う気持ちが偽りでなどある筈がない……!
「俺を造りだしたのが、お前だとしても……渡された以上は、この生命も心も、俺のものだ。誰にも委ねたりするものか」
セレスティアの抱擁で我に返ったフェリクスは、力強く言った。
「…………何だか、飽きてきたわね。さっさと終わらせましょうか」
溜息をつくかのように、「智の女神」が呟いた。
そして、地下施設が、断続的な激しい振動に襲われ始めた。