浮上
地上の様子を映し出している画面の一つには、輝く巨大な球体が、周囲の高層建築物を薙ぎ倒しながら、ゆっくりと夜空へ上昇していく姿があった。
あまりに非現実的な光景に、指令室にいる全ての者たちは、何が起きているのか理解するのに、若干の時間を要した。
「あれは……『智の女神』の中枢じゃないのか……?」
アーブルが、信じられないという顔で呟いた。
「半球状の建物だと思っていたが、球体の形をした建物が埋まっていたということなのか」
皇宮の隣にあった、巨大な半球状の建物――フェリクスは、アーブルの言葉で、「智の女神」の中枢があると言われていた建物の形状を思い起こした。
異変の正体に気付いた者たちの間に、衝撃が広がった。
「『智の女神』中枢部の周辺は、経年劣化対策の改修と称して頻繁に工事が行われてはいましたが……まさか、飛行する機能があることまでは把握していませんでしたね……」
仮面を被っていても分かるほどに、カドッシュの顏も青ざめている。
「待て、あんなものが浮上しているなら、その周辺は、どうなっているんだ……皇宮だって、只では済まない筈……!」
グスタフの疑問に答えるかのように、画面の映像が切り替わった。
「飛行型映像送信機からの映像来ました!」
監視用の画面は、「智の女神」中枢部が埋まっていたと見られる巨大な穴の周辺が、爆撃でも受けたかのように崩壊している様を映し出した。
もちろん、最も近くにあった皇宮など、跡形もなくなっている。
「あれでは、まるで……地表部分が内側から吹き飛ばされたように見えるが」
フェリクスは、画面に映し出される惨状を呆然と見つめた。
――付近には、多数の人間がいた筈だ。「智の女神」は、自らが支配する帝国の民さえ、どうなっても構わないというのか……
想像を超えた事態に、フェリクスは眩暈を起こしかけた。しかし、自身の腕の中で、セレスティアが顔を覆って震えているのを見て、彼は我に返った。
セレスティアを安心させる為の言葉を探しても見つけることができず、フェリクスは、ただ、彼女を抱きしめていた。
「……『智の女神』は、機能停止したんじゃなかったのかよ……?」
アーブルの言葉が終わらないうちに、再び、地下施設を激しい振動が襲った。
「……報告をお願いします」
「まだ生き残っている飛行型映像送信機が……今の映像、再生します」
カドッシュに指示された構成員が情報端末を操作した。
監視用の画面に映し出されたのは、帝都の摩天楼の群れよりも更に高く浮上した「球体」が、一瞬、輝きを増したかと思うと、全方位に無数の光弾を発射する様だった。
光弾が命中した場所にあった建物は、半ば蒸発するかのように崩壊している。
「この本部の地上部分にある『別邸』も、今の攻撃で半壊した模様です。空間歪曲式防護壁のお陰で、その程度で済んだと言ったほうが正確でしょうが……」
監視役の構成員が、冷静さを装いながらも、声を震わせて報告した。
「これは……『罰』なのか? 僕たちが、『智の女神』を機能停止させようとしたことへの……?」
「こういうのは、『腹いせ』って言わないか?」
グスタフの言葉に、アーブルが、引きつった笑みを浮かべて答えた。
その時、フェリクスは、頭の中に、何か雑音のようなものが生じる感覚に襲われた。
「……誰かの声……どこから……?」
フェリクスの腕の中にいるセレスティアが、そう言って、不安げに彼の顏を見上げた。
「……ごきげんよう、愚かな人間たち」
突然、大人の女性のようにも、少女のようにも聞こえる不思議な声を、フェリクスは感じた。
――これは、音声ではない……脳内に情報を直接送り込んでいるというのか?! そして、俺は、この声を「知っている」……!
フェリクスは、脳内に無理やり入り込まれるかのような不快感を覚えていた。
「この声……まさか、『智の女神』?!」
グスタフが、びくりと肩を震わせる。
「……私は、お前たちが『智の女神』と呼ぶ存在よ。これは、私の力……距離を無視して情報を伝える力を、魔導絡繰りで増幅しているの。この『声』は、少なくとも、帝国内にいる人間全員に聞こえている筈よ」
「『機能』ではなく『力』? まるで、自分が『人』であるかのような言い草ですね。壊れかけの機械のくせに」
カドッシュが、やや皮肉めいた口調で、誰にともなく言った。
「――私が、『機械』? 半分は合っているけれど、半分は間違っているわね」
言って、「智の女神」が小さく笑った。それは、たしかに「機械」とは思えない反応だった。
「――少し、お前たちのことを甘く見ていたわ。さっきの『攻撃』で、私の思考回路に損傷を与えたのは褒めてあげる。この程度、すぐに修復できるけど」
フェリクスは、「智の女神」に対して、何とはなしに、厳格な存在なのだと思い込んでいた。
しかし、こうして話を聞いている限りでは、どこか無邪気ささえ感じさせる、少女のようにすら思えた。
「ご褒美に、聞きたいことがあれば答えてあげる。この『声』が聞こえている者の声は、私にも聞こえるのよ」
「こういう場合、『ご褒美』と言いつつ、ご褒美じゃないのが殆どだよなぁ」
言って、アーブルが天井を見上げた。
「あら、何も知らないまま滅ぶより、気になることは知っておきたいでしょう? 飼い主からの、せめてもの慈悲というものよ」
冷たい声で、「智の女神」が言い放った。
「飛行型映像送信機」、作中で何と呼ばせるか色々考えたのですが、読者の方のイメージしやすさを優先して暫定で「ドローン」にしてあります。