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アンドリューが近衛騎士から外され謹慎処分となったことは、瞬く間に噂となって広まった。
王宮では嫌な思いをするだろうから家にいればいいと父は言ってくれたのだが、家にいてもただ落ち込むだけだ。
それなら、何を言われてもいいから王宮で仕事をしていた方がマシだ。
父と共に登城し、父をはじめとする複数の外務官が勤める部屋に入る。
私はこの部屋の片隅で、自身の語学を生かして書類の翻訳の手伝いをしている。
無言で書類の捌く音だけが聞こえていたのだが、部屋の扉がノックされた。
ここでは私が一番下っ端なので、応対のために立ち上がる。
「失礼します」
そう言って入って来たのは顔馴染みになった他部署の男性、ダリウス・マークレイだ。
「こちらの書類をお届けに来ました」
渡してくれるのはそれなりの量の書類の束。
私はそれを受け取り、父に持っていく。
「ありがとう。エイダ、一番左端のものを彼に渡しておくれ」
「わかりました」
せっかく彼の手は空になったのだが、これはいつものことだから仕方ない。
「ありがとう。そうだ、エイダ。ちょっといい?」
書類を受け取ったダリウスが扉の外を指す。
私が父の方を見ると、頷かれて席を外す許可をもらった。
両手に書類を抱えるダリウスのために扉を開け、一緒に廊下へと出る。
「案外元気そうで安心した」
ダリウスは私の噂を聞き、心配してくれたようだ。
ダリウスとはお互いの仕事の関係のために、よく顔を合わせた。
外国の要人を招いたパーティーでは、父のパートナーとして出席していた私をよくかまってくれていた。
友人と呼べる男性だ。
「ちょっと大事になって、私もびっくりしてるの」
私はただ婚約者がいなくなっただけだけど、アンドリューは地位も名誉も失ったのだ。
王宮の噂好きは、アンドリューが何をしたのかと興味津々なことだろう。
「それで……彼との婚約が無くなったって聞いたんだけど…」
聞きにくそうにしているが、ダリウスとしては真偽のほどを確かめておかなければならない。
婚約者がいないとなれば、私とこうして二人きりで話しているだけできっと噂されるだろう。
「そうなの。ちょっと色々あって婚約は無くなったわ。あんまり知られたくないから、秘密よ」
どこで噂を聞き付けたのか、今我が家は釣書の山だ。
20歳にもなろう婚約破棄された女性に、ここまで縁談が舞い込んでくるなんて、正直予想外だった。
「そっか…。それなら、俺にもチャンスはあるかな?」
「え?」
「今度、一緒に街に出かけないか?」
まさか、ダリウスが私のことを見てくれていたなんて。
ちょっと照れたように笑うダリウスを見て、私は出かけるのを承諾してしまった。
ダリウスとは夜会で幾度か踊ったことがある。
仕事を兼ねた夜会でもあったので、彼はいつもパートナーを同伴せずに夜会に来ていた。
マークレイ侯爵家の三男、政務官としても優秀で、顔も良いとなれば、女性に囲まれることもしばしば。
顔見知りの私をよく仕事の話と称して、女性達からの逃げに使っていた。
女性が働くことをバカにすることもない彼と過ごす時間は楽しかったような気がする。
まさか、彼に誘われるなんて。
王宮内を歩けば、私のことを知っている人達がヒソヒソと噂話を始める。
特に騎士は噂の回りが早いらしく、すぐに声をかけられてしまう。
下心が見え見えの男の誘いなど、乗る気にもならないが、お断りすればお高くとまっているだなどど批難される。
理不尽だ。
「ねぇ、あなたがエイダ・モーズレイ?」
少し離れた場所へと書類を届けた帰り。
王宮の侍女の制服を着た女性になんとも失礼な声のかけ方をされた。
振り向いて侍女を確認するが見覚えがない。
薄い緑色の侍女服なので、地位は低いことはわかる。
「どのようなご用件でしょうか」
私の応えが気に入らなかったのか、キッと睨みつけられた。
「失礼にもほどがありますわ!私はララミー・テーラよ!!」
なんとアンドリューの相手ララミー・テーラだった。
ということは男爵令嬢だから、格上である伯爵令嬢の私に対する態度こそが失礼だ。
しかも、彼女は王宮の侍女だ。
躾もマナーもなっていない侍女など失格だろう。
「なによ?」
「ですから、どのようなご用件でしょうか」
私は彼女と会うのは初めてだし、アンドリューとのことで今さら彼女にどうこう言おうなんて気にはならない。
ララミーは目が大きく、可愛らしい。
私といえば可愛らしいなんて表現はされない顔立ちなので、アンドリューの好みからは離れていたのだろう。
アンドリューの心が移った理由が少しわかって良かったかもしれない。
「なによ!あんたのせいでアンドリューが大変なことになっちゃったじゃない!!」
ララミーが人目も憚らずに叫ぶ。
「たかが婚約破棄くらいで、いい気になってんじゃないわよっ」
ララミーの声を聞き付けた人達が集まって遠巻きに眺めている。
今噂の婚約破棄騒動を起こした二人のやり取りだ。
他人からしたら、とても楽しい娯楽だろう。
私としてはいい迷惑なのだが、しかしいい機会でもある。
主に騎士団からは私のことを悪く仕立て上げた話が流れている。
真偽のほどもわからず、私は王太子夫婦の寵愛をもとに傍若無人に振る舞う悪役令嬢となっていた。
「なんであんたのせいで、私達が追い出されなきゃいけないのよ」
「ララミーさんと言ったかしら。私は何もしていないから、私のせい、というのはおかしいわ」
「嘘言わないで!あんたが偉い人に告げ口したから、こんなことになってんでしょう!?」
「それは誤解よ。アンドリュー様が今回のことで王命に背き、王太子殿下の信頼を失ってしまったから処分が下ったの」
私の王命という言葉に、聞き耳を立てていた周囲がざわめく。
「私とアンドリュー様の婚約は、王太子殿下をお支えするために国王陛下より賜ったものです。個人的な感情で破棄できる類いのものではなかったのです」
「なによ、それ…。そんなの知らないわ…」
国王陛下という単語を聞いて、ララミーがさすがに威勢を失う。
「それでもアンドリュー様は貴女を選んだんですから、それでいいじゃありませんか」
私はララミーに微笑む。
さぞ嫌みたらしく映ることだろう。
それでも、このくらいしないと傷ついた私のプライドが納得できない。
王太子により処分が下されてしまい、私は何もできない。
このくらいの意趣返しくらい許されるだろう。
「アンドリュー様と結婚となるとうかがいました。国境でお二人で国のために頑張って下さい」
「いやよ、いやよ!なんで平民なんかに嫁がなきゃいけないのよっ」
再び周囲がざわりとする。
王と王太子の不興をかったアンドリューは、コーマン家の籍を抜かれることとなった。
父親は反対したようだが、第一近衛隊に所属している長兄によって決断されたらしい。
マクシミリアンはコーマン家への処分はしなかったが、風評被害による被害は免れない。
「あんたが指示したんでしょう!」
「私が望んだことではございません」
あまりにも今回の話の噂の回りが早いのは、コーマン侯爵がララミーを愛人にでもする、と言ってしまったことのせいだ。
愛妻家のマクシミリアンは、愛人も側妃も不要だと考えている。
それなのに結婚したらしたで、側妃や愛人などを勧めてくる命知らずな貴族がいることから、愛人という話は地雷だ。
侯爵が虎の尾を踏んだことで、この噂をもってコーマン家の体裁をマクシミリアンは台無しにしてしまったのだろう。
つくづく敵に回したくない。
「いくらあんたが王太子妃のお気に入りだからって、やりすぎよ!!」
ララミーが涙目で叫ぶ。
「テーラさん!あなた、なんと言うことを!!」
悲鳴に近い女性の声が聞こえる。
そちらを振り返ると、深緑色の侍女服を着た女性がこちらに走って来ていた。
おそらく、ララミーの上官の侍女だろう。
「とんだご無礼を」
そう言って、侍女はララミーの頭を手で押さえながら頭を下げた。
「いたい、いたい……」
ララミーは私に頭を下げるのを嫌がり、侍女の手から逃れようとする。
「お顔を上げて下さい、侍女様」
「モーズレイ様…」
「ララミーさんの発言は不敬ですが、あなたは悪くありません。気にする必要はないですわ」
それだけ告げ、私はこの場を後にした。
これ以上の騒ぎはさすがに不味い。
けれど、私への悪評はある程度書き換えられただろう。
ララミー、いい仕事をしてくれた。
私は足早に、仕事場へと戻った。