79 五大賢者の終焉
そこは異様に明るい空間だった。
天井全てが光り空間を照らすその場所が密閉された地下だとは
俄かに信じがたい。
地上への出口が無く転移の魔法か転移門を通じてしか出入りが出来ない
完全密閉された魔法研究施設。
この施設の主は不思議な文様のローブを着込み、ベネチアンマスクのような
目元を覆う仮面を装着したエルフらしき男。
奇妙な事に目元を覆うマスクには目の所に穴が無く、その変わり中央に
実に大きい真紅のガーネットが1つ嵌め込まれていた。その仮面の顔は
まるで単眼巨人を彷彿とさせる。
赤玉の賢人ラーテ。
この施設で五大賢者の最後の一人となった彼は
豪華な椅子に脱力して座る若者を見つめていた。
若者の目元には青く輝く大きなアクアマリンが嵌め込まれた仮面。
椅子の周囲に配置した透明度の高い水晶のようなソーサリアー
ジュエルで出来た石塔のような物に呼応して不思議な光を放つ
アクアマリンの様子を見ながらラーテは呼びかけた。
「君は誰だ?」
若者は朦朧とした様子で応える。
「私は……僕は……僕はセスターク………私はハーリク………
僕はハーリク?…私はセスターク?…僕は…私は…僕は…おおおお…」
ラーテは苦悩するように頭を振って、
「まだまだ調整が必要か…我ら五大賢者に強く依存し忠誠も高かった
セスターク皇子を依代に使っても安定しない……む、いかん!」
アクアマリンの表面に僅かにひび割れが現れ内部から7色の光りが漏れ出した。
慌ててラーテは魔道エネルギーの注入を止めハーリクとセスタークの意識を
一時的に眠らせる。
「ふう、どうやら念圧による微細な割れのようだ。内部の魔法術式の組み換えを
行いつつ物質構成の呪文で修復…は乱暴だな。魂魄石に極少量のエネルギーを
与えて自己修復機能を動かすか。そのまま問題点の洗い出しも平行して行えば
効率がいい。…待ってろハーリク。もうすぐ助けられるからな。」
ようやく青玉の賢人ハーリクの復元が最終段階に入りラーテの言葉にも
熱が篭る。なにしろ最後に残った仲間なのだから。
ラーテは魂魄石の修復作業を進め、作業の目処が立った段階でセスターク皇子の
覚醒作業に入った。だが衰弱させては元も子もないのでゆっくりと時間をかけて
目を覚ますよう調整する。
「よし、これで数分ほどで自然な目覚めが訪れる。そのまま魂魄石も
自動で機能し精神支配に入れば今度こそハーリクの復活が……」
その時、南の壁一面に設置された巨大魔法陣が何やら反応した。
良く見れば魔法陣の下にこの大陸全体図のモザイク画があしらわれ、
要所要所に水晶の玉が填め込まれている。
反応し光っているのはツツ群島国の位置の水晶だ。
「ええい、何事だというのだ?」
ブツブツ文句を言いながらラーテは水晶に手をかざし、
詳細な情報を読み取った。そして困惑の叫びを上げる。
「何故だ?鮫村城の竜骨機12機全てが起動し既に動かされている!!」
更に詳細を調べると警報が光った理由は動いた竜骨機の2機ほどが破損し
行動不能になった事によるようだ。
「竜骨機は一軍に匹敵する戦力だ。簡単に破損するとは思えん。まさか……」
竜骨機は強い。だが仮想敵のガープ相手には時間稼ぎ程度にしか役に立たない
事は分かっている。つまりガープかガープ級の敵の襲来の可能性がある。
「いかん!!竜骨機はともかく『アストラル・ヘルゲート』が失われては
元も子もない!!」
対ガープ用の必殺の罠、アストラル・ヘルゲート発生装置の事を懸念し
ラーテは転移の呪文を唱えツツ群島国の鮫村城へと虚空を跳躍。この
ルアンの地下施設を後にした。椅子に座るセスターク皇子を独り残して。
アストラル・ヘルゲート、古代魔法文明期において光の大神の神殿を
擁する魔法要塞都市を消滅させ、正式な古代の名称が禁忌とされた
魔法帝国グレイゼンベールの技術の結晶。
アストラル・ヘルゲートは古代魔法帝国における最悪最強の攻撃手段である。
竜骨機などとは比べ物にならず、その存在自体がデリケートであり死紋衆や
血ヶ崎藩にも秘匿し存在を知らせていない。
アストラル・ヘルゲートは魔法力で異世界との扉を開くアストラルゲートの
原理を応用し、敵の軍勢を含む一定空間を丸ごと世界の外、次元の深遠にして
世界の狭間の空間に投げ捨てて消し去ってしまう。素粒子だけが漂い時間の
概念すら無い場所へと敵を放逐する兵器なのだ。
魔法、科学の違いなく『この世界に存在』する者ならすべて次元の地獄穴に
突き落とし抵抗する術は存在しない。
欠点はアストラルヘルゲート発生装置を中心に穴が開くので装置自体も飲まれる。
つまり使い捨てであり、鮫村城に仕掛けられた装置が最後の1基で次は無い。
ラーテも使い方は分っても作り出す事はできない。1発勝負なのだ。
計画ではガープ追撃部隊を誘い込み、死紋衆や竜骨機と交戦している隙に
すかさずアストラル・ヘルゲートを発動。鮫村城とともにガープを消し去る。
むろん囮として戦う死紋衆も道連れだ。死紋衆や血ヶ崎藩がラーテを
見捨てたようにラーテの側も最初から死紋衆を使い捨てにするつもり
だったのである。
(まずい!まずい!このままでは計画が!!)
まだ罠の迎撃準備は整っていない。本来なら厳重に防御の魔法結界で
何重にも護られる筈のアストラル・ヘルゲート発生装置は無防備な
状態で設置されたばかりであった。
ラーテは計画破綻を想定し、せめて装置の回収を考えている。
装置を使用するならガープ部隊、それも指揮する闇大将軍か
それに並ぶ大幹部を仕留めねば意味が無い。
ヂュン!!
一瞬、火花を散らすとラーテは鮫村城の地下壕に出現した。
そこにある秘密裏の物資搬入に使用する大きな転移門を
起動し魔道エネルギーの注入を開始、装置の移送準備を
整えるとラーテは大急ぎで装置の設置場所である天守閣
最上部へと転移しようとした。だが……
「うぬっ!!なんだこの魔道の波動は?!」
強力な魔法結界が張られラーテの転移呪文は発動しなくなってしまった。
ラーテは思わず舌打ちをしながらドタバタと地上へ上がる階段を急ぐ。
ゴゴゴゴゴォォ…
鮫村城の主郭の隅にある石灯籠がズレ動き、その下にある
隠し階段からラーテが地上へと這い出して来た。
彼は出た場所の前方にそびえ立つ鮫村城の天守閣を見上げて、
「ふむ、どうやらまだアストラル・ヘルゲートは残存して…」
シュゴオアアア!!!!
ラーテが何か言いかけた時、天守閣の右側から破滅的な破壊力が
叩き付けられ鮫村城の天守閣は土台の石垣ごと消し飛び、基礎の
土台の一部が轟音を立てて崩れ落ちてしまった。
「……………残存は……していない。ヘルゲート装置は喪失したか…」
搾り出すような声で計画失敗を悟り絶望するラーテ。もし最初に
装置の所に転移したら即死していただろうに命拾いした安堵を
感じる余裕さえなく苦悩しかラーテには無い。
殆ど無意識に破壊の力が飛んで来た方向に目を向ける。
そして目の当たりにしたのは重力制御飛行でこちらに向かって
迫る闇大将軍の姿。ラーテにとってはまさに絶望の化身であった。
さて、集束重力波グラビティ・タイダルウエイブで強烈な一撃を放った
闇大将軍は魔力で敵情を知る陰陽師の羽庭の方を向く。
羽庭が小さく頭を横に振るのを見て、
「ちっ、ラーテを仕留め損ねたか。それじゃもう一発……いや、
大雑把な事をやってちゃ足元をすくわれかねん。直接ラーテの
姿を確認しながら倒すべきだな。」
そう判断した闇大将軍は戦闘員№39のサンキューを暫定指揮官に
指名すると重力制御飛行で肉食魚がウヨウヨいる堀の上空を飛び
鮫村城の残骸へと突撃して行った。
陰陽師の羽庭も飛行魔法で追随し、残されたサンキューは血愕斎の
補佐を受けつつ指揮を取り、怪物軍団と死紋衆の残存戦力を制圧。
脱力した死紋衆の頭領、江戸主水を肩に乗せた竜骨機が尻餅をつき
恐怖にかられ闇大将軍から後ずさりし戦意喪失している事から先に
右方向の血ヶ崎軍への対処を企図する。
血ヶ崎軍はまだ距離があるが先遣隊らしい騎馬隊が急進しており
間もなく参戦する距離へと到達する模様だ。
そこでサンキューは見事に竜骨機を撃破する役目を成し遂げ、
闇大将軍の大破壊に呆然としている紅影と蒼影に血ヶ崎軍の
騎馬隊に対処するよう要請。
「既に戦いの大勢は決しました。無益な殺生は無用です。
お二人の実力ならば温情をかける余力はあるはず。くれぐれも
弱い者イジメは自重下さい。」
「委細承知!!任しといて!」
「承知しました!血ヶ崎の騎馬隊を抑えます!!」
もはや勝利は動かないと見たサンキューは戦後処理を見据えた
指令で二人を差し向ける。騎馬隊は約500騎ほどだが紅影と
蒼影ならば二人で充分だろう。
「敵の戦力もこれまでのようだ。後は闇大将軍閣下がラーテを
仕留めるのを待つだけだな。」
サンキューは朝日を浴びながら爽やかに呟いた。戦闘員形態のままで。
ドドドドドドドォォォォォ!!!
親衛隊とも言うべき馬廻衆の騎馬武者五百を率い総大将の木川清康は
八本足のスレイプニル種の軍馬を駆って掘沿いの間道を急進していた。
「うぬっ!!!」
主戦場を目前にした血ヶ崎の騎馬隊の前に女忍者とブルードラゴンが
立ち塞がる。
「ここは通行止めだよ!!死にたくなかったら尻尾を巻いて退散しな!!」
少女と言って良い女忍者の舐めきった態度。
鹿角の飾の兜と煌びやかな具足で全身を固めた清康が顔を真っ赤にし
生意気な物言いに向け怒声を上げた。
「生意気な小娘めが!!例えドラゴンを従えようと所詮は一人と一匹!!
一気に踏み潰してくれる!!全騎、密集突撃隊形を取れぃ!!!」
「……別に俺は従ってる訳じゃないんだけど…」
憮然と呟くドラゴン姿の蒼影と紅影に向けて槍先を揃えた騎馬突撃が
敢行される……かと思われた。
「お待ち下され大殿ぉ!!あの女忍者の赤髪と所持する横笛の見事さ!!
あれぞ狼賀の紅影に相違無いかと!!」
目敏い馬廻衆の1人が気が付き、主君である清康に注進すると
血ヶ崎騎馬隊は騒然となり動きを止めた。
その様子を見て紅影は面布を下げた顔に勝ち誇った表情を浮かべ、
「そうさ!アタイが噂の紅影様さ!お前ら小便チビる前に降参しな!!」
「その言葉使いは何事じゃ!!瑠璃玻璃姫!!!」
「はえ?!るりは…え?」
それは紅影にとって予想外の反応だった。目が点になった紅影に
かまわず清康はまくしたてる。
「紅影などという下賎な忍者の名を捨てぃ。今日からお前は瑠璃玻璃姫じゃ。
それと態度を改め礼儀作法を身に付けろ!さもなくばお前を姫君として認め
摂政にしてやる事は出来んぞ!」
「はあ?」
紅影が清康に見下げたような目線を向け、
「誰も姫君にして欲しいなんて頼んでないっ!!だいたいアンタ、いったい
何様のつもり?」
!!!
「無礼者!!ワシが誰かも分らんのか!!!」
一瞬で激昂した清康。だが紅影も負けていない。
「はんっ!アタイの事も分からなかった爺なんか知らないね!!」
売り言葉に買い言葉、決して浅慮ではないが血の気が多い、どこか似た
性質の二人の間に馬廻衆の武者が割って入り、
「どうか弁えて下され姫様!こちらは我が血ヶ崎藩の藩主にして
貴方様の祖父であられる木川清康公にございます!!」
それを聴いた瞬間、紅影の熱は急速冷却され表情が凍りつく。
据わった目と応える言葉も随分と冷たい。
「……へえ、アンタがお母ちゃんとアタイを投げ捨てた木川の殿様かい。
いまさらノコノコ出て来て姫君にしてやる?馬鹿?ふざけてんの?」
「…無礼な口を慎めぃ!倒幕の大義の為に必要でなければお前なぞ
即座に斬って捨てておるぞ!」
「倒幕?大義??」
「そうじゃ。何の価値も無かったお前と無意味な子を産んだ白亜めの
働きにワシが利用価値を見つけたのじゃ!!お前を我が藩の姫君として
朝廷に送り天尊の血筋を盾に摂政へ擁立。そうすれば倒幕の詔を発布し
ワシは正義の大戦を開始できる!!素晴らしかろう!」
価値が無かった?無意味な子?
「…さっきから自分勝手な野心みたいな話ばっかだけど他に言う事無いの?
アタイたち母娘を水すら与えず荒野に捨てた事をどう思ってるのさアンタ…」
「よくぞ摂政になる為に生き残ってくれた。その事は褒めてとらす。」
カッ!!!!!!!!
一瞬で紅影の体温が急上昇し、心は絶対零度の氷から憤怒の炎へと変わる。
「…何?何?何?何なのそれ?」
猛獣の唸り声のように低くドスの効いた声で清康に応える。同時に
紅影の後頭部、ポニーテールの髪がザッと開き孔雀の尾羽のように
展開し臨戦態勢に入った。
一気に清康を斬り刻もうと思ったがすぐに思い止まった。
温情ではない。もっと深刻なダメージを与える事にしたのだ。
「お断りだね。」
「何じゃと?」
「姫君なんか真っ平だし摂政にも絶対にならない。アンタの野望と夢は
砕け散る。アンタは悔し涙でそれを見ながら絶望の底に沈んでしまいな!」
「なっ?!」
「ついでにこの狼賀の紅影は幕府側で参戦し血ヶ崎軍を全滅させてやる。
アンタには一片の希望も残してやらない。」
「馬鹿を申すなぁ!瑠璃玻璃姫ぇ!!!」
「うるせえ!!アタイを早口言葉みたいな名で呼ぶな!!」
紅影に対し何かを怒鳴り返そうとした清康。
その時、呆れた口調の冷静な声が清康を諌めた。
「親父殿の負けです。それが他者に対する思いやりの心が無い親父殿の限界。
紅影殿の説得に失敗しもはや大願成就は無理と心得下され。」
「貴様!!なぜここに居る家忠!!貴様は留守居を申し付けた筈!」
そこには甲冑ではなく狩装束のような軽装で軍馬を駆って来た清康の嫡男、
家忠が苦りきった表情で頭を振っていた。
「…親父殿が出陣して半刻ほど経った頃、鈴磨探題の風間藩から『弾劾状』が
届きました。」
「弾劾状?詰問状ですらなくか?!」
「左様、どうやらどこぞの優秀な忍軍から情報提供でもあったのでしょう。
此度の軍事行動といくつかの策動が鈴磨探題に露見しました。」
「しまった!!じゃがそれなら早馬を出せば良かろうに。なぜ貴様が来た?
ぬっ!まさか貴様!!」
何かに気が付いた清康。だが、かまわず家忠は話を続けた。
「それに…既に鮫村城は陥落し死紋衆や鮫村の兵は壊滅。どうやら狼賀忍軍に
新勢力ガープの手勢が加勢していたようですな。これでは紅影殿を武力で確保は
不可能。親父殿が誠意を尽くして説得するなど更に不可能。詰みでござる。この
戦は負け。私が来たのは親父殿に代わり兵を指揮し撤兵する為に候。」
はっとして自軍を確認する清康。既に馬廻衆は槍を下げ刀を鞘に納めて整列して
おり、馬廻衆に続いていた騎馬隊も後退。街道の本隊も撤収準備なのか動きを
停止していた。
ワナワナと震えだした清康。だが上ずった声で吐き出した言葉は
妄執そのものだった。
「何が不可能じゃ!!姫さえ!瑠璃玻璃姫さえ我が元に来れば大義名分は立つ!
大義名分を得たうえで二河城に残してきた竜骨機で鈴磨探題ら幕府側の軍勢を
撃滅すれば形勢逆転じゃああああ!!」
そう吠え立てながら清康は血走った目を紅影に向けると軍馬の尻に鞭をいれ
フルギャロップで突進した!!
「先の見えぬ愚か者どもめ!!このまま弱体化した幕府と大名の関係が続けば
遠からず群島は戦の終わらぬ『戦国』と成り果てるわ!そうなればこの程度の
悲劇と被害では済まぬ!!!血で血を洗う戦国乱世を避ける為にも幕府を廃し
中央集権の政府を確立して秩序を……ぐああああああ?!」
ズギュゥゥゥゥン!!! ズギュゥゥゥゥン!!!
ドッゴオオオオン!!
ズガアアアァァン!!
突如、血ヶ崎騎馬隊の前面に魔道砲が撃ち込まれた。牽制射撃らしく
命中弾は無かったが全力疾走を開始した直後の清康の軍馬は至近の
砲撃炸裂に驚き、暴れ馬と化して跳ね回り清康を振り落としてしまう!!
ザッパアアアン!
「親父殿ぉ!!」
「いかん!!大殿が堀に落水したぁ!!」
「大殿おおお!」
鮫村城の水掘は広く深い。城の主郭地下には竜骨機の格納施設があり、
水中発進口から出撃するため充分な深度が必要なのだ。
甲冑を着たまま落水すればどこまでも沈む。
家忠、馬廻衆に続き蒼影まで堀の縁まで駆け寄った。独り残る紅影だったが
小さく頭を振って駆け寄る。だが水掘りで紅影が見たものは…
「ああ、駄目だ……」
馬廻衆の武者がバシャバシャと水音を立てる水面を見て呻く。
堀の水面では清康を中心に激しい水しぶきが上がり血で赤く
染まっていた。
鮫村城の水堀には防御の為に肉食魚牙鮒が大量に放たれていたのだ。
血飛沫の中心に沈み行く清康の右手が水面から出ていたが既に動きは無い。
シュルルルルルル!!
紅影は考える前に髪を伸ばし清康の右手を捕捉すると力を込めて
引き上げる。だが…
(軽い!)
水から出たのは清康の右手だけ。肘から先は消失し2、3匹の牙鮒が
食い付いていた。
「…申し訳ござらん。紅影殿、その手を此方へ頂けますかな?」
ぽんっ
家忠は牙鮒を振り落とした清康の右手を受け取ると紅影に
深々と頭を下げ、
「怒りを堪え親父殿をお救い下された事、心より感謝いたし申す。
本当にありがとう。」
「…助けられなかったけど…」
「なんの、こうなったは親父殿の自業自得。墓に入れる骸が残っただけ
御の字でござるよ。それより紅影殿、その、顔を良く見せて下さらんか。」
「え?」
怪訝に思いながら紅影が家忠の方を向くと家忠は相好を崩して微笑み、
「貴女の母、白亜の面影がよう出ておられる。可愛らしい顔立ちにござるな。」
「え?!おじさん誰?」
「文字通り伯父さんに候。貴女の母、白亜の兄にて。親父殿の横暴を抑えられず
貴女達母娘を救えなかった情け無い兄にござる。」
そう言うと家忠は真顔となり紅影の前に膝をつき、深々と頭を下げて平伏した。
「前血ヶ崎藩主の冷酷無情な行い、貴女達親子に理不尽な運命を押し付けた事を
血ヶ崎を代表してお詫び申し上げる。……本当に済まなかった。」
地面に額をつけ微動だにせぬ家忠の様子に紅影は後頭部を掻きながら
小さく息を付き、
「謝ってくれてありがと。けど、もういいよ。一番謝らせたかった殿様は
腕一本になっちゃったし遺恨は水に流す。あ、だけど姫君とか摂政の話は
駄目だかんね?」
「それは無論の事にて。親父殿の非業の最期をもって我が血ヶ崎藩は尊帝派を
離脱する事にいたしまする。最も過激だった我が藩が退けば今後このような
騒乱は起こりますまい。他の尊帝派大名は新勢力ガープと結んでいる狼賀忍軍に
手出しを控えようし普通の姫君に対するような誘拐などの手段にも出られまい。
何せ『狼賀の紅影』じゃからのう。」
誇らしげな笑みを浮かべる紅影に家忠は少し躊躇するように言葉を繋ぐ。
「その…こんな事を聞く資格は無いかも知れぬのだが教えてくれまいか?
白亜は息災にしておるのだろうか?」
「お母ちゃんなら最近は元気だよ。妹もまだ小っちゃいし何時までも
落ち込んでいられないって。」
「そうか、生きて……って妹?!それはつまり白亜は再婚したのか?」
あっそうか、という顔をして紅影は説明してくれる。
「あの『鵺走りの荒野』で死にかけてたアタイ達を救ってくれたのは狼賀七忍衆の
押陸斎様、忍軍の命令で捜索していたって言ってたけどその後もアタイ達母娘を
親身になって世話をしてくれたわ。お母ちゃんを元気付け励まし続けてくれて、
ついにはお母ちゃんと夫婦となってお義父ちゃんになってくれたんだ。」
「……そうか。私からも感謝せねばならないな。」
「押陸斎様は命の恩人であり忍法の師匠でもありお義父ちゃんだった……」
「…だった?」
「押陸斎様は殺されたわ。魔王軍四天王の筆頭、統帥公ボーゼルの手で。
アタイは絶対に許さない。この手で必ずボーゼルを討ち取ってみせる。」
「なんと……紅影殿の武運を祈ろう。見事に仇討ちが成るように。」
厳粛な表情で応えた家忠はフッと笑みを浮かべると自分の軍馬に結わえ付けて
いた巾着袋を開き、綺麗な包装紙に包まれた板状の物を数枚取り出した。
「これは大陸のプーガ商会という所から取り寄せた高級菓子『ちょこれいと』と
いう物じゃ。紅影殿と会う機会もあるかと思って持って来た。極上の甘さが舌を
楽しませる一品。白亜や妹御と一緒に食べておくれ。」
「ありがとう!えへへ、お母ちゃんは甘い物が大好きなんだ。」
「……知っているよ。」
家忠は優しく目を細めるのだった。
さて、先ほど血ヶ崎騎馬隊に魔道砲を撃ち込んだのは最後に残った
竜骨機であった。死紋衆の頭領の江戸主水は竜骨機に砲撃を命じた
あと、ガープ戦闘部隊の暫定指揮官サンキューの前で土下座をし、
「これこの通り我々死紋衆は血ヶ崎藩ならびに五大賢者とは手切れと
致し申す!!死紋衆は新勢力ガープに対し全面降伏する所存にて!!
なにとぞ御受け入れ下さりませ!!」
「分りました。闇大将軍閣下が帰還すれば正式な降伏受諾を…」
「あいや暫く!!!あの恐ろしきお方が帰還するまで敵対状態など
恐ろし過ぎて気を失う寸前にて!!なにとぞ前もっての降伏をお認め
頂きとうござります!!!!」
(…うーわぁ…)
まるで闇大将軍が戻って来たら即座に粛清されるかのような怯え様。
威嚇効果が高過ぎたかと考えたサンキューは無線で闇大将軍に伺い
を立てようかと思案していると無視されたと思った主水は傍らに
立っていた血愕斎に懇願し始めた。
「血愕斎殿!!いや血愕斎様!!どうか貴殿からも取り成して貰えませんか?
狼賀忍軍と我が死紋衆、時に戦い時に共闘してきた間柄、忍者とは滅尽する
のではなく手下に置いて利用すべきものじゃろう?」
この必死の懇願を血愕斎は情け無いと笑う事は出来なかった。
血愕斎もまた初めて見せた闇大将軍の実力、その戦闘形態の
恐ろしさに竦み発揮された破壊力に戦慄していたのだ。
(それに…この場の戦闘隊は壊滅したが死紋衆の残党は各地に残り
その情報網もあなどれぬ。利用する旨味は充分だな。)
血愕斎は勿体付ける口調で、
「我らを頼るは正しい選択じゃな。我が狼賀忍軍は新勢力ガープから群島での
諜報活動を仕切る権限を頂いておる。我らが口添えすれば死紋衆の安全は保証
されよう。ただし!今後は死紋衆は狼賀忍軍の傘下に入ってもらうぞ。それで
宜しいな?」
死紋衆の利用価値を説明し掛け合えば事を荒立てたくない新勢力ガープは
応じてくれる。特に闇大将軍の理解力と柔軟さから大丈夫と判断し主水に
太鼓判を押した。
「おおお!それで結構!!なにとぞ宜しゅうお願いいたすぅぅぅ!!」
江戸主水は土下座をしながらペコペコと頭を下げ続けた。その後ろで
巨大な竜骨機が同じように土下座しシンクロ率100%でペコペコ頭を下げる。
主水の様子と応えに血愕斎は満足げに頷いたのであった。
こうして城外の戦いに終止符が打たれようとしている時、落城寸前と
なった城郭の地下でこの鮫村城の戦いの最終決着が付こうとしている。
「ええい!!何なのだこれは?グレイゼンベールを護っていた高結界並みの
転移阻害が何故この野蛮な時代に展開されるのだ!!」
古代の魔法帝国の名を引き合いに転移阻害結界へと毒付きながら
赤玉の賢人ラーテは地下の転移門の所に駆け込んで来ると魔道
エネルギーの注入を最大値にし、門の第12階層目の魔法術式を
起動させ暴走寸前までパワーを活性化させる。
転移で逃げられない事に焦ったラーテ。
闇大将軍の魔の手が迫る中で残された唯一の脱出手段に全てを賭けた。
地下の転移門を臨界点ギリギリのフルパワーで使用すれば現在の
転移阻害結界をブチ抜いて突破出来る。出力が強力過ぎて一度の
使用で転移門が崩壊するだろうが逃げられれば問題無かった。
(問題は……間に合うかどうかだな…)
転移門の魔法術式展開は9階層目を終えた所で臨界まであと少し
時間が掛かる。じりじりと焦るラーテの懸念は直ぐに現実となった。
ズガァァン!!
地上へと上がる階段通路から轟音と共に土煙が吹き込んで来た。
狭い階段通路を強大な力を持った何者かが強引にこじ開けて
侵入して来たのである。
土煙の中からヌッと姿を現した者にラーテは声をかけた。
「…やはり私の姿を確認されていたようですな。直接言葉を交わすのは
初めてですね。新勢力ガープの大幹部、闇大将軍閣下。」
(何でもいい!!いま少し時間を稼いで…)
「そうだな、赤玉の賢人ラーテ殿。ではさっそく死んで頂こうか。
貴殿のような人物に時間を稼がせるとロクな事が無いんでね。」
「待てええ!!待て待て待て!何の情報も引き出さずこのラーテを殺す気か?
それも現場の独断で?ま、まずは上の判断を仰ぐべきだろうが!」
「…お前さんは本当に賢者か?俺は軍事を司るガープの大幹部だぜ?
こりゃ俺の専権事項だ。俺の決定に他の幹部は異を唱えられねえ。
もっとも烈風参謀や死神教授がお前の始末に反対する訳も無いがな。」
苦笑しながら闇大将軍は右手を突き出した。その時だった。
フォオオオオオ……
転移門の魔法陣部分が淡く光り、周囲の魔道機械や構造体が作動音を
鳴らし始めた。それを見たラーテが、
「今だ!!………えっ!ぐおおおおお?!」
ドシャァ!
その中に飛び込もうとして更に一段激しく反応を始めた転移門に
弾き飛ばされ床に転がされてしまった。
転移門はラーテが飛び込む前に何者かによって使用されたらしい。
魔法陣が輝き光が中央に集束したかと思うと虚空から1人の人影が
現出した。
同時に魔法陣は光を失い周囲の魔道機械や構造体に亀裂が入り
嫌な音を立てて崩れ始める。
「あああああああああ……。」
絶望と怒りが綯い交ぜになった声を絞り出すラーテに転移門から
出現した人物が語りかけた。いや、嘲笑した。
「あれぇ、新勢力ガープの大幹部様がいるね。どうやらラーテ殿は
追い詰められ最後の逃げ道を私に潰されたようで。ご愁傷様です。」
「……ハーリク?いや、違う。貴様は…」
その人物は良く言えば温厚、悪く言えばボンヤリした印象の若い男性に見えた。
服装も地味。ただ存在は地味ではない。人間形態のドラゴン、明らかに竜族と
思われる男の額にはオリハルコンの鱗が光り輝いていた。
「ふふ、青玉の賢人と名乗っていたハーリクに約三千年ものあいだ身体を
奪われていた竜族のアステカトル。身体の貸し賃を取り立てに来たよ。」
そう言ったオリハルコンドラゴンのアステカトルは闇大将軍に向かって、
「という訳で少々お時間を頂けますかな?ガープの大幹部殿。決してこの者を
取り逃がしませんから御安心下さいな。」
「…三千年とは長生きだな。まあ、あまり時間は掛けられないがいいだろう。
その代わり、事が済んだら詳細を聞かせてもらうぜ?」
「了解です。…確かに長生きですが、これでも神竜9柱の1席ですので。
まあ、私の能力の殆どが私の魂と結び付いているのでハーリクは私の力を
使えなかったようですが。…さてラーテ。君達は本当に笑わせてくれるね。」
「んな?!」
「三千年前に私が口封じとして最高大神官ヤソ・レイシスの手でハーリクの
依代にされている間、愚かな君達が五大賢者を名乗っていたなんてね。ハー
リクの所持品にあった記録結晶にあった膨大なメモ書きを読ませてもらったよ。
随分と几帳面な性格で事細かく書かれていたな。」
「馬鹿な!!記録結晶を開くには生体認証が必要なはずだ!」
「…本当に愚かだね。ハーリクは私の身体でメモメモ書いていたのだよ?
そんな事も分らない君達が五大賢者?笑わせないでくれ。『魔法帝国の5人の
皇子と皇女達』よ。」
「っ!!」
「そう、君達は学者でもなければ賢人でもない。ただ超魔法文明の呪文や
マジックアイテムの使い方を知っている傲慢な古代の皇族にすぎない。
さて取立てだ。と言ってもお前が滅びる前に語るだけだがな。邪神ゼノスの
使徒どもが私の口を封じお前達に知らせなかった情報をね。」
その時、闇大将軍の横に到着し黙って話を聞いていた陰陽師の羽庭が
疑問を投げかけた。
「口封じならば抹殺されそうですが…」
「ああ、それはね陰陽頭さん。私を殺すにはそちらのガープ大幹部殿なみの
攻撃力が無いと無理だからですよ。これでも神竜とまで呼ばれる一族の端くれ
ですから。」
「余計な事はいい!!私に語る事とは何だ?応えよオリハルコンドラゴン!」
絶叫に近い声で割って入ったラーテに笑顔で応えるアステカトル。
「良かろう。魔法帝国グレイゼンベールの帝都、魔法都市ダーナと特権階級だけが
暮らす楽園のような中枢地区バードラを中心とした帝国中枢部を襲った悲劇、その
真相を教えてやろうラーテ。」
「…?!、……待て、グレイゼンベール消滅の真相だと??」
「ふっ、古代魔法文明期の大国、魔法帝国グレイゼンベールは私が守護者を
務めていた光の大神の神殿都市を消滅させて図に乗り、分不相応な野望を
抱くに至った。畏れ多くも神を召喚して使役し、世界征服を目論むなどと
罰当たりで愚かしい計画を実行し、致命的な問題が生じ失敗。神を召喚する
はずだった魔法陣は巨大な次元の亀裂と化してグレイゼンベール中枢を全て
飲み込んでしまった。まあ神を蔑ろにした罰が当たったような話だな。」
「何とでも言うがいい!!罰だろうが何だろうがグレイゼンベールは次元の狭間に
墜ちた。時間の流れすらない場所だ。サルベージすれば当時のまま復活させる事が
可能なのだ!その為に強大な力を持つゼノス神を利用して……」
「実はそれ間違い。」
「何を言う!ゼノスの力は強大だ。必ずグレイゼンベールを…」
「いや、魔法帝国は神の召喚に成功していたんだよ。」
「え?!」
「太古の欲神群の一柱、暴食の欲望を司る悪神ゼノスを召喚してしまった。
あのゼノスをこの世界に呼び込んだのは君達だ。その報いもまた壮絶。かの
悪神は開いた次元の穴の中に潜んでいてグレイゼンベール中枢を丸呑みにし
実体化する触媒とエネルギーに利用して顕現した。グレイゼンベールは丸ごと
貪り食われ生贄になったという訳だ。」
「待て……待て…待て!!それじゃ我が故郷グレイゼンベールは次元の
狭間に無いというのか?!ダーナに残っているはずの我らの本当の身体も…」
「もはや存在しない。全てゼノスの胃袋に消えた。その上で君達はゼノス教団に
騙され三千年間も彼らに協力しタダ働きして来たんだよ。笑えるだろう?最後の
五大賢者殿。」
言葉にならない叫びを上げようとしていたラーテ。だが擦り切れる寸前の理性が
ある言葉に反応し奇跡的に思考を整理した。
「…ッッ!!、今、最後の五大賢者と言ったか?!」
そのラーテの理性に止めの言葉を放つオリハルコンドラゴン。
「私がここへ来るのに使った転移門はルアンの地下に隠された秘密研究施設の
門だよ。ちょうどメッサリナ皇女が派遣したセスターク皇子捜索隊として変装
したガープ戦闘員の皆さんと忍者さん達が居たのでね、ハーリクのメモに残って
いた地下施設の位置を教えてやったんだ。そしたら彼らは凄い技術で穴を掘削して
くれたんで一緒に施設に突入したのさ。」
「そ、それじゃハーリクは??」
「………………完全消滅した。さ、独りは寂しかろう。君も後を追うといい。」
何時の間にか、アステカトルはラーテの至近に立っていた。温和な表情でも
隠し切れない威厳と凄みを滲み出しながらアステカトルは無造作にラーテの
仮面を剥ぎ取る。
「呪文を唱えてもいないのに大きく魔力が動いた?!」
陰陽師の羽庭が驚愕する目前で仮面を剥がれたラーテだったエルフの男が
床に崩れ落ちた。気を失っているようだ。
そのままアステカトルは闇大将軍を見上げて手に持った仮面に光る
大きなガーネットを指さし、
「これがラーテの本体、魂魄石です。この中にラーテの魂と意識が
詰め込まれていまして、あそこで倒れているエルフ族はただ肉体を
乗っ取られた被害者に過ぎません。調査研究資料としては面白い
ですが、この場で魂魄石は破壊させてもらいますね。」
「そういうカラクリか。いいぜ破壊してくれ。別の誰かを乗っ取って
ラーテが復活するかもしれん危険物だ。」
闇大将軍の応えにニッコリ微笑んだアステカトルは掌に破壊の魔力を込め
仮面ごと一気に魂魄石を握り砕く。
バッキイイィィン……
砕ける瞬間に赤の他に7色の光と魔力を霧散させ魂魄石は粉々になる。
結局ラーテは聞かされた真相によって未来の希望と過去の積み重ねを
全否定され反論の機会とかやり直しの希望すら与えられないまま完全消滅した。
微笑んだままの神竜の怒りの凄さに陰陽師の羽庭は立ち尽くすばかりである。
(これが五大賢者の終焉か……)
「…今、向こうとコンタクトを取った。ルアンの報告を受けている最中なんだが
アステカトル殿の話を聞いて情報のすり合わせをしたい。簡単で良いんでここに
来る経緯を教えてもらえるかい?」
戦いはほぼ終息したが司令官として状況の掌握と整理にとりかかる闇大将軍。
内耳に仕込んだ通信機器を通じて時空戦闘機ハイドルを経由する衛星通信で
ルアンの地下施設へと突入した探索隊の戦闘員にコンタクトしながら神竜の
アステカトルに情報提供を申し入れる。
アステカトルは快諾し、何故か苦笑を浮かべながら語りだした……
少し時間を巻き戻した遠く離れし土地ルアン。大アルガン帝国の
最重要地として魔王の領域と対峙し勇者ゼファーの根拠地やゼノス
聖堂騎士団の拠点、そして…五大賢者の拠点として古代遺跡を改装した
施設が存在した。
その施設の敷地内、名も分らぬ古代の神像付近の地面を未来的な掘削機器と
トラクタービーム照射機が凄まじい勢いで大地に斜め下方向のトンネルを
掘っていた。作業開始から十数分で50m余りのトンネルが開通するほどの
スピーディな作業だった。
「御提供いただいた情報通りの位置に地下施設を発見!ご協力感謝致します!」
「ご苦労さん。いやぁ科学の力ってのも侮れないね。」
人間形態に変身したガープの調査隊隊長がアステカトルに礼を述べていると
横から世にも美しいガラスの鈴が鳴るような声が確認してきた。
「五大賢者の隠し施設が見つかったの?それじゃそこにセスターク殿下が
捕らえられているんだよね?」
「はい。狼賀忍軍の調査報告と照らし合わせればその可能性が高いと
思われます。ビーエル閣下。」
ルアンを領有するバーテラ選帝侯の子息、若干14歳になったばかりの
ビーエルに隊長の戦闘員№69、通称ロックは丁寧に返答する。
不在の選帝侯と後継者として行政に当たっている長兄ノマールに代わって
この場に立ち会っているのだった。
周囲を圧倒する美貌と美しいプロポーションの肉体。世の吟遊詩人らに
絶世の美少年と歌われ大陸第一の容貌と称えられる噂に偽りは無かった。
むしろ噂以上と言って良い。初対面の時に背後に薔薇の花を
背負ってないのが不自然だなとロックはぼんやり考えたくらいだ。
鮮やかな赤紫の前髪をかき上げ整った目鼻に興奮の表情を浮かべる
ビーエル。彼は行方不明のセスターク皇子と男色関係で結ばれた
恋人同士である事は有名であった。
「セスターク殿下を救いに行きましょう!!今すぐに!!」
興奮するビーエルを護衛しながらトンネルを下り五大賢者の地下施設へと
突入する一行。異常なほど明るい施設に魔法装置や研究資料が散逸する中で
豪華な椅子に座って独り言を言っている人物を発見する。
「……僕はハーリク…私はハーリク。ハーリクだ…」
「セスターク殿下ぁ!!!!!!!!!」
その声を聞き、青い宝玉アクアマリンを嵌め込まれた仮面を被る
若者にビーエルが駆け寄った。
「…セスターク?」
ゆらり
立ち上がった若者にセスタークの名を連呼しながらビーエルはその胸に
飛び込んだ。
「セスターク殿下!!ああ、本当にご無事だったのですねセスターク殿下。
このビーエルは心よりご無事の帰還をお喜び申し上げます!!」
胸元に来た美少年を見下ろす仮面の若者。仮面越しでも少年の美貌は
見えるらしい。
「………………………………相変わらず愛らしいなビーエル。」
ビシ!!
仮面のアクアマリンにヒビが入り七色の光が漏れ出した。
「…私は………僕はセスターク……そうだ僕はセスタークだ!!会いたかったよ
ビーエル!!私はずっと!!」
ビシビシビシッ!!!
セスターク皇子の叫びに呼応するようにビーエルが抱きついた瞬間に
アクアマリンのヒビが増える。遂には大きな亀裂となりそして……
バッキイイィィン!!!!!!!
セスターク皇子がビーエルの身体を抱きしめその細い腰を引き寄せた
瞬間にハーリクの魂魄石だったアクアマリンは粉々に砕け散った。
感動的な場面のはずだが周囲の者達は気まずい表情で恋する
男同士の抱擁を見つめている。
それはこの話を神竜アステカトルから聞かされる闇大将軍と
羽庭も同様だった。
「………まあ、何か思ってたのとは違いますが五大賢者とは完全決着と
なりましたね。」
アステカトルが語り終え静寂が訪れた時、陰陽師の羽庭が
ポツっと呟いた。
いずれにせよ、今日この時を持って五大賢者という存在がマールートの
歴史から消え去り時代は新たな段階へと進む事となるのである。




