71 外交作戦の幕開け
ガープ要塞の作戦司令室
決死の覚悟で竜国から来訪したプラチナドラゴンの侯爵令嬢ベルクーナは
望みうる最上の結果にとりあえずは安堵していた。
だがベルクーナの表情は悲壮感に満ちたままだ。命の危険を予感させる
悲壮感ではなく膨大な宿題を出された学生のような悲壮感であるが。
とりあえず一連の挨拶が終わり会食という運びになる。
ベルクーナを案内して来た覇道の剣一行も穏当な結果に
胸を撫で下ろし会食に加わる事を承諾。
場所は電脳空間ではなく多目的ルームに設置された洒落たカフェレストラン風の
ダイニングルームである。ガープ構成員全てが飲食可能となった事や実物として
供給する嗜好品や料理の試食を行う必要から整えられた設備。
ここに烈風参謀に死神教授、ベルクーナと覇道の剣に自由の速き風の
冒険者2パーティーにユピテル王子、妖精国の大使ソアとリルケビットが
ウオトトスと共に席に着く。そこに…
「…遅くなって申し訳ないッス。」
「ひっ!!!」
入室して来たのは下級怪人モーキンと戦闘員№240ゲン、戦闘員№335の
テンパイに№560のロンパと№583メンマ、最後に戦闘員№700の
ツボキックとコボル族剣豪のプルである。彼らは今でも偽名で呼び合っていた
ために現在ではそちらが渾名として定着してしまっている。
「あ、申し訳ないッス!いつもの試食のつもりでお客さんと一緒とは
思わなかったんでここで変身するつもりでそのまま来ちゃったッス!」
ウオトトスでさえ人間姿に変身しているのに怪人のまま現れたモーキンに
最後に入室した槍の英雄アルルが大音声で苦言を呈する。
「モーキン殿達のお気持ちは分かりますがそろそろ周囲にも目を向けねば
いけませんわ!そこの竜族のお嬢さんなど怯えてしまっています!急ぎ
姿を変えて来ておいであそばせ。皆様をお待たせしてはなりません。」
小さく悲鳴をあげ緊張していたベルクーナはおろか烈風参謀や死神教授など
ガープ大幹部を含めた全員が耳を塞ぎ目を白黒させる大音量。それに促され
モーキン達は慌ててダイニングから飛び出した。この場で変身し全裸を晒す
のは品性を欠く。
「…それにしても凄まじい声量ですな。」
「もう一度、精密に検査させて欲しいのう。通常の声帯ながら尋常でない
デシベル数、その発声メカニズムを解明すれば生体の超音波兵器に応用
する事が出来そうじゃ。」
「私の声は普通だと思いますけれど?」
コテンと首をかしげて不思議がるアルル。全員の耳鳴りが止むタイミングで
オレンジ髪の若者が仲間と共に入室してきた。
「お待たせして申し訳ないッス。」
その声と喋り方からこの優しそうな若者が先程の怪物であると
知るベルクーナ。人間形態への変身能力を持つドラゴンの彼女に
とっては一瞬で理解出来る事であった。
(するとこの場にいるガープ側の全員が見た目以上の力を有しているのね…)
ベルクーナが物思いに耽っていると全員が着座し食事会が始まる。
「今日の食事会は堅苦しい挨拶など無しじゃ。今回は帝政トルフ名物の
激辛料理バルネロをメインディッシュにマールート世界の料理を色々と
用意して頂き、また地球世界の料理もいくつか用意した。互いに賞味し
異世界間食通交流としゃれこもうぞ。」
そう言って死神教授が指を鳴らすと続々と料理が運ばれてくる。
まずラースラン王国の魚料理リスパイゼと卵をふんだんに使ったパイのような
妖精国の料理レッテが供される。地球側からはドイツの家庭料理の牛肉ロール
の煮込みリンダールラーデンがきちんとロートコールを添えて登場し、続いて
ロシアのビーフストロガノフが供された。
地球側から煮込み料理が続くのは以前からのリサーチで異世界人、特に
緯度が高く冬が厳しいラースランの人々にボルシチがクリーンヒットした
故だった。季節柄で他の煮込み料理もお試しで登場させたわけだ。
ほかに地球の食事としては味の良さと手軽さからアメリカンスタイルの
ホットドックが冒険者達に好評であり日本食ではウナギの蒲焼きが高評価だった。
だが砂糖の流通量からお菓子や酒類に若干の差が在ったものの食文化については
それほどの格差がある訳でもなく食事会は文化的優越を競うというよりは相互に
珍しい料理を楽しもうという趣旨であった。
まずは和やかに。なにせこの後にはボスキャラが登場するのだ。
暫し食事を堪能し歓談に花を咲かせていたが遂にソレが運ばれる。
どおおぉぉぉぉぉぉぉん
幻聴で特大の擬音が聞こえそうな迫力を放つ煮えたぎった真紅の料理。
一気にダイニングルームの空気に辛味が充満し皿から立ち上る湯気を
給仕役の戦闘員達は顔を仰け反らせて回避していた。戦闘員形態なのにだ。
帝政トルフの名物、超激辛料理バルネロ。
圧倒的な戦闘力を感じてしまうバルネロの皿が全員の前に
並び、其れを皆が凝視する間ダイニングルームに静寂が訪れる。
「さて本日の主役の登場じゃ。激辛との事なので苦手な者は
無理せずギブアップするようにな。ただし脱走組はペナルティ
として最低でも一口は食うように。」
「はっはっはっ!!とてつもなく旨いからペナルティにならん
かもしれんぞ。だがこのパンチのある味で陰鬱な気分を吹飛ばすといい!」
豪放な冒険者ライユークの言葉に促され食べようとする者もいるが
早々にギブアップする者も出た。
ピクシーのソアとリルケビットはバルネロの上で湯気に当てられ、
まるで殺虫スプレーをかけられたハエのようにヘロヘロ落ちてゆく。
寸前で激辛の赤い皿に落ちるのを回避した二人はテーブルの上で
へたり込み、ぴーぴー泣き言を上げた。
「無理無理無理いい!」
「こんなの食べたら私達は溶けちゃう!」
そのまま二人は口直し用に用意されていたミルクシャーベットに
飛びつく。他にも自由の速き風の神官パンガロと魔術師ルティ、
覇道の剣では唯一、斥候を勤める烈火の闘士フェイレンが即座に
ギブアップしシャーベットを所望した。
脱落した者を除く全員が意を決してバルネロを口に運び…例外を除く
全員が一斉に悲鳴を上げた!!
「ぎええええ?!辛い!辛過ぎッス!!」
「あひぃぃ!!口の中が大火事だ!!」
言葉になっているのはモーキンと自由の速き風のリポースだけで
あとの者は言葉ではなく吼え声、涙声であった。
だが阿鼻叫喚の中で正反対の反応を示す例外者たち。
「ほう、途轍もない辛さに負けない濃厚な旨味とコクが舌を楽しませますね。
激しい辛さという特徴がありながら美食として確固とした存在となっている。」
「大変に美味しいですわ!この辛さも癖になりそうです。」
「確かに辛いが悪くない。これなら名物となるのも分かるな。」
グルメレポートするウオトトスに続き槍の英雄アルルと元魔王軍四天王のプルが
激辛バルネロをバクバク食べながら賞賛する。
だがこの賞賛と悲鳴が交錯するカオス試食において事件が勃発。
「ひぁ?!」
シュゴオオオオオオオオオ!!!
あまりの辛さに悲鳴を上げたベルクーナが半ば無意識に高温のブレスを
吐き出してしまったのだ。
竜族は人間形態になっても角やウロコが一部残るように
実はブレスを吐く事も可能なのである。
プラチナドラゴンの彼女が吹いたのはビーム砲のように集束した
熱線ブレス。凶悪な威力のブレスはベルクーナの向かい側に座って
いた死神教授の顔面に直撃してしまった!!
ブレスを吹く事が前提の竜族といえど人間形態で使用した場合は
皮膚の弱い場所や粘膜などに多少のダメージが入ってしまう。
「ずびばぜん!!大丈夫れふか?!」
なので粘膜部分である唇が腫れ上がりタラコ唇になったベルクーナが
死神教授に必死の呼びかけを行う。
「問題無い。直撃寸前で虚数空間を展開し熱線を収蔵した。今は
熱エネルギーを我が生体エネルギーに変換し吸収しておるところじゃ。」
ベルクーナの呼びかけに無傷の死神教授が涼しい顔で応えた。
「ふふっ、最大級の必殺技などは無理だが我等のような最上級怪人は
変身しなくても機能の50%は使用可能。いつでも充分な防御能力を
発揮する事ができる。」
続いて説明する烈風参謀の言葉にガープ人員以外の全員が絶句した。
(やはり、あの時に仕掛けても勝機は薄かったか…)
元魔王軍四天王のプルは心の内で何度も自問自答してきた問いに
決着を見出した。
インプルスコーニとして死神教授と対決した時、もし教授が最上級怪人に
変身する前に斬り掛かっていたら勝っていたのでは?そう考えていたのだが
変身前でも戦闘機能を発揮出来るなら話は別である。
バルネロのおかわりを貰いながらプルは自分の中で出した
結論に得心するのだった。
「なんと。最上級怪人の力とは凄まじいものですな…」
「ですが何の代償も無い訳ではないのです。…やはり何も感じないか…」
覇道の剣の賢者ルシムにバルネロを食べながら呟くように応える
烈風参謀。
「我ら最上級怪人は味覚がほぼ無い。それに性的な快感もまったく
感じる事が無いのじゃ。最上級怪人の力の源泉である『生体亜空間
制御器官』という内臓の制御の為に神経系伝達が特殊でのう。科学とは
どこまで発達しても厳然たるプラスとマイナスの世界。良いとこ取りは
出来ないんじゃよ。」
「むろん、脳に直接信号を伝達する電脳空間なら美食など快楽を楽しめる。
つまり我ら最上級怪人もまた組織を裏切り離脱する事は出来ないように
仕組まれていたという訳だ。」
(その電脳空間都市をガープ大首領の命令で構築したのはワシ。自らを
繋ぐ鎖としての認識も出来ないままに…忌々しい事じゃ。)
烈風参謀や死神教授らガープ大幹部の意外な苦悩に場は沈黙してしまう。
だが普段と変わらず平然とバルネロを食べ終わった烈風参謀が口を拭いつつ
立ち上がり、
「それでは皆さんは引き続き食事会をお楽しみください。私は仕事があるので
これにて失礼致します。」
「行くのか。もう出立の刻限なのじゃな。」
「お疲れ様です。ちなみにどちらに行かれるかお伺いしても宜しいかな?」
賢者ルシムの問いに烈風参謀は凄みのある笑みを浮かべ応えた。
「まず大アルガン帝国の帝都バンデルで重要情報を確保した後で
神聖ゼノス教会の総本山、聖庁府ロルクへと乗り込みます。」
それはガープによる外交・宣伝戦の反撃開始を告げる言葉であった。
○ ○ ○ ○ ○
戦火の鎮まった大アルガン帝国の帝都バンデル。
大陸に覇を唱える巨大帝国の首都にふさわしい大都市である。
復興が急速に進む市街地。そのもっとも被害を受けていたのは
帝国の中枢を構成する政庁や貴族の邸宅が集中する中央区画であった。
再建の喧騒が著しい中央区画であるがそこにほぼ無傷の邸館が存在した。
その館が無事だったのは幸運でもなければ何かの忖度が有った訳でもない。
優美な外観に偽装してはいるが実体は要塞のように堅牢で戦闘に適した
強固な防衛施設となっている大邸宅がその本領を発揮したからに他ならない。
在帝都ザン・クオーク選帝侯館
その執務室で1人の年若い女性が異様に目付きの鋭い侍従長と共に
表情の無い兵士姿の若者の報告を受けていた。
日課の騎乗訓練をこなし乗馬服姿で手に乗馬鞭を持ったまま報告を受ける
その女性こそザン・クオーク選帝侯の長女ドミナである。
常にニヤついていた先代ザン・クオーク選帝侯と違い暫定選帝侯に就任した
ドミナはくっきりした美貌に真面目な表情を浮かべたまま膝を突いて報告を
しようとしていた兵士姿の密偵に立ち上がっての報告を求める。
「無駄な儀礼は不要です。私が聞きたいのはアイツの最後について。
貴方が確認した時には既に遺骸だったとか。その詳細の報告を。」
18歳にして既に皇帝選出の投票権を有する暫定選帝侯となった威厳を
現しながら詳細を求めるドミナに兵士姿の密偵は淀みなく応える。
「は、私が駈け付けたのは落命直後、公式には戦死となっておりますが
前選帝侯閣下を倒したのは敵軍ではなく見殺しにしたメルタボリー皇女の
忠臣でございます。」
前選帝侯閣下と敬称を付けてはいるが密偵は明らかに侮蔑の色を瞳に
浮かべ言葉を続ける。
「私はその瞬間には立会っていませんので正確な文言ではありませんが
前選帝侯閣下は自らを斬ったメルタボリー皇女の忠臣に次のような言葉を
発したとの事、いわく『なぜ私を殺す?死んだメルタボリー殿下に忠義を
尽くした所で何も利益や見返りなど無いというのに?』、前選帝侯閣下は
不思議そうに絶命したそうです。おそらく忠誠という物を閣下はまったく
理解していなかったのでしょう…」
報告を聞く目付きの鋭い侍従長の眼光は更に鋭利となったが逆に
ドミナは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「どうやら本物のアイツが死んだようね。死に際にそんな
台詞を吐くなんて常人じゃない。影武者の可能性は消えたわ。」
そうしてドミナは幾つかの必要な報告を受けた後に密偵を退室させ
執務室内のソファーに目線を送る。
「聞いたわねタングスト、クロウム。子供の貴方達をこの場に留めた
理由は…もう分かっているでしょう?」
行儀良くソファーに座っているのは9歳になるドミナの弟達、双子の
クロウムとタングストである。
笑顔を見せればさぞかし可愛いであろう少年達。将来はご婦人達を
夢中にさせる美青年になるであろう双子達は端正な顔を真面目な表情で
引き締めていた。
この姉弟は決して無意味な笑みを浮かべないと決めていたのだ。
笑顔とは嬉しい時や楽しい時にするものだと。
「ええ、これで心置きなく姉さまの計画を進める事が出来ますね。」
「父さまと母さまも喜んでくれますね。姉さま。」
姉の言葉にようやく笑顔を浮かべて応える双子。彼女達の言う計画とは
ザン・クオーク選帝侯家を廃絶し、育ての親である騎士リエフ・ホルクの
血統による男爵の叙任によって新たにリエフ男爵家を興す事であった。
ドミナが密かに抱いていた計画であったが具現化する好機が到来する。
それは聖戦においてザン・クオーク・ムザンが倒れたとの知らせであった。
前ザン・クオーク選帝侯の戦死の報を受け選帝侯会議開催の為に貴族院の
要請により暫定選帝侯の座に就いたドミナはメッサリナ皇女への投票を
確約する代わりにリエフ男爵家創出の内諾を得ていた。
だが、万が一に前ザン・クオーク選帝侯が生存していた場合は全てが霧散する。
事を慎重に進めていたが本日ついにその懸念は消えたのである。
これで遠慮無く計画を進められる。笑顔でタングストが言った。
「もうクロウム兄上が男爵に叙任されるまで進んでも大丈夫じゃないかな?」
「冗談は止めてよタングスト兄上。男爵家を起こすのは兄上。僕は姉さまと
一緒に冒険者になるから。」
二人の笑顔が剣呑な物に変わり同時にソファーから立ち上がる。
「兄はそっちだろ?クロウムは成績優秀で年齢に合わない高い知性だって
家庭教師のガーベン爺も言ってたじゃん!クロウムの方が新当主にふさわしい!」
「タングストの方がカリスマあるじゃん。家臣や領民からの支持と人気が抜群。
そっちが兄として男爵になる方が皆も喜ぶよ!ちなみに僕も喜ぶ!いいじゃん!」
実はこの大アルガン帝国では双子の順位は特に定まってはいない。
多数の種族や民族を統べる大帝国。慣習や社会の慣例も様々で双子の扱いや
相続についても民族によって色々であり帝国法で一律に決めると逆に不都合が
生じると考えられ、あえて明記されていない。其れゆえの弊害も現れている
のだが巨大な行政、つまり巨大なお役所仕事で中々に改善案は進まないのである。
一応、貴族階級の場合は当主が双子の子供のうち優秀と判断した者を兄として
跡継ぎに決める。
つまり帝国では先に後継者を決めてから兄とするヘンテコな慣習が主流なのだ。
「分からず屋だな兄上も!男爵家創設は実力と功績がありながら
認められなかったホルク父さまに報いる意味もあるんだよ!優秀な
兄上が当主になって家を盛り立てなきゃ駄目だよ!」
「だ・か・ら!僕じゃなくてお前が兄で後継者にふさわしいいんだよ!」
まれに双子の両方が極めて優秀で当主の座をかけて争うケースもあるのだが
奪い合うのではなく押し付け合うケースはあまり例が無い。
吟遊詩人にも唄われた高名な魔法戦士であり美丈夫だったリエフ・ホルク。
数多の功績を挙げ一代限りの貴族である騎士に叙された実力者だった父親の
血を色濃く引いた双子は互いを睨んだまま構えを取る。
クロウムは初級ながら既に魔術師系魔法を習得しておりタングストは
精霊魔法の才をもっていくつかの精霊と契約、初歩的な精霊系呪文を
会得している。
双方とも呪文を放とうと構えていると姉であるドミナが制止した。
「二人ともお待ちなさい。」
いつもは相続について二人で納得出来るまで話し合う事を勧め実力行使さえ
容認していたドミナだが本日ばかりは二人の狼藉を座視する訳にはいかなかった。
「すぐに済むから姉さま。我が雷精の呪文1発でクロウムは降参するから!」
「はっ!降参するのはタングストだろ!!僕の凍結呪文で頭を冷やすといい!」
ふぅ、とドミナは小さくため息をつき、
「今日は駄目だと分かっているでしょう?それとも久しぶりに貴方達の
お尻を叩く必要があるのかしら?」
ピタリと呪文を放つ構えを止め揃って姉の方を向く双子達。
「嫌だなぁ、ただの示威行為ですよ姉さま。本気で魔法を放つ
馬鹿をやるつもりはありませんよ。」
「お忍びでメッサリナ皇女殿下が来訪される日に喧嘩するほど
愚かなつもりはありません。」
そう、今日は極めて重要な要件について話し合う為にメッサリナ皇女が
この選帝侯館にやって来る。
双子は貴公子らしい真面目な表情で応えた。ただ両手で尻を押さえる様子が
いささか情け無い。
普段は双子をべたべたに可愛がり大切にしているドミナだが怒る時は怒る。
裏表の無い質実剛健な人柄なのだ。
そしてお尻を叩くと言い方は可愛い表現だが極限まで鍛え上げられたドミナの
腕力での尻叩きは強烈であった。むろん手加減はあるのだが基本的なパワーが
違うのだ。
何しろ権威ある大帝剣闘大会の予選において屈強な騎士や大男の戦士を
強力なパワーで叩きのめしドミナは本選出場を勝ち取っている。
内戦勃発で中断されている大帝剣闘大会の本選が開催されればドミナは
メッサリナ皇女専属の騎士ゼノビア以来の女性の優勝者となるのでは
と目されていた。世に轟くドミナの通称は『鉄腕令嬢』だ。
「…一層の事、ドミナ様が後見ではなく男爵になられてはいかがです?」
眼球に触れれば斬れて指から出血しそうなほど鋭い眼光を放ったまま
口元に笑みを浮かべ応える侍従長。双子のいずれかが男爵に叙せられた
後に帝国法で成人と認定される15歳までドミナが後見人となる予定である。
「それは無いわね。ギラー侍従長。」
ギラー侍従長の眼光を真正面から受けながら凄みのある笑みを浮かべ
ドミナが言い放つ。
「私はザン・クオーク選帝侯家を立ち上げた強欲ジジイやアイツの
血を引いている。だからアイツ等が欲し執着した大貴族の地位を私が
投げ捨ててやるのよ。他者の人生や幸せを踏みにじり大権を得ようとして
獲得した貴族位をその直系の血統である私が断絶してやる。痛快でしょう?」
そしてドミナは表情を引き締め、
「それよりギラー侍従長、アイツの裏活動の情報や資料を
纏めてあるわよね?」
「万事抜かりなく。隠滅された資料については私が直接証言いたします。」
淀みなく答えるギラー侍従長。侍従長とは表の顔でこの男は
前ザン・クオーク選帝侯の暗部の長として幾つもの顔を使い分け
様々な闇の活動に従事してきたのだ。
前ザン・クオーク選帝侯の亡き後、ドミナに対し即座に全てを
告白し臣従してきたギラーだったが来歴も分からぬ正体不明の
この男に対しドミナはまったく油断していない。そのギラーが
口元に笑みを浮かべ言葉を続けた。
「もっとも私の提出する情報の大半はかのお方も把握しておられるでしょうな。
メッサリナ殿下と共に来られる新勢力ガープの烈風参謀というお方は手ぬるい
人物ではございません。」
ギラー侍従長が頭を下げると同時にドアがノックされもうすぐメッサリナ皇女が
到来する事を告げる先触れが来た事を侍女が報告してきた。ドミナは頷き、
「予定通りの刻限でいらっしゃるようね。クロウム、タングスト、私は
これから着替えてきます。貴方達も今のうちにお手洗いへ行っておきなさい。
ちょうど良い機会ですから皇女殿下にご挨拶申し上げるように。」
やはりドミナは本気で双子のうちいずれかを新当主にする腹なのだろう。
この機会に弟達を皇女と引き合わせ顔を売り込むつもりらしい。
颯爽と居室へ向かう姉の後姿を見送り双子の片割れクロウムがポツリと
呟いた。
「新当主になろうと冒険者になろうと皇女殿下と顔を繋いでおくのは
悪くないや。…けど本当に姉さまは全てを手放して身一つで出て行く
つもりなのかなぁ…血筋なんか気にしなくていいのに……」
ドミナは後見を終えた後で財産など全ての権利を双子に譲るつもりで
動いている。それを密かに心配している双子にギラー侍従長が声を
かけた。
「心配する必要はありますまい。ドミナ様ならあっという間に一流の
冒険者となるでしょう。既に偽名で冒険者ギルドに出入りし帝国管理の
ダンジョンにてヒドラを仕留め冒険者にも知己を得ておられる御様子。」
「いつの間に?!」
「…ドミナ様がお二人をこの場に残されたのは皇女殿下への目通りと共に
かの新勢力ガープの烈風参謀と知己を得るよう促す為かと思われます。
今後この大陸において上を目指す者にとり新勢力ガープを無視するなど
ありえません。我々も心構えを整えましょう。」
やんわりと話を変えて二人にメッサリナ皇女訪問に備えるよう
促すギラー侍従長。双子も食い下がる事無く素直に身支度を整えに行く。
(さて、手土産の情報も用意してあるが…鬼と出るか蛇と出るか…)
つかの間この場に独りになったギラー侍従長の眼光の強さが増した。
こうして出迎えの準備を整えた選帝侯館は万全の体制でメッサリナ皇女と
烈風参謀を出迎える。
「アルガンの栄光の担い手にして皇統を継ぐ皇女殿下を御迎えするは
当家にとって無上の誉れにございます。」
ドミナはメッサリナ皇女に膝を突き口上を述べる。この後、皇女からの
許しを得て名を名乗るのが作法なのだが…
「今日は非公式、秘密の訪問ですよザン・クオーク・ドミナさん。私的な
場で儀礼は不要です。使い分けてこそ公式の場での儀礼の価値が増しますわ。」
「それに無駄な時間も省ける。ドミナも無駄は嫌いだろう?」
「皇女殿下、それにゼノビア先輩まで。いくら非公式の場でも弟達の前で
だらしない出迎えは出来ませんわ。」
そう言って諦めた様子のドミナがメッサリナ皇女に促され立ち上がる。
ドミナとゼノビアは同じ剣技道場に通う先輩後輩でありメッサリナ皇女
とも知己がある。この二人がいれば充分なので他に護衛や随員はいない。
和やかな雰囲気になりかけたがメッサリナ皇女とゼノビアの後から
入室してきた存在が場の空気を緊迫させる。
漆黒の髪に黒とグレーを基調とした軍服に身を包んだ凄みのある美女。
新勢力ガープの大幹部、烈風参謀である。
烈風参謀は特徴的な口髭の随員を1名伴って歩調を乱す事無く進み出ると
完璧な敬礼をして、
「新勢力ガープを代表して参りました。烈風参謀と申します。よしなに。」
姿勢も言葉遣いにもまったく隙が無い。ガープの烈風参謀については
色々な話を聞かされていたドミナだったが本物は噂以上の凄みがあり
ドミナは認識を改めた。
(まるで美しい女性の形をした鋼鉄のような存在ね…)
「お噂はかねがね伺っておりますわ烈風参謀様。私はザン・クオーク・ドミナ、
今後とも宜しくお願いします。」
ドミナは会釈し傍らの弟達を紹介する。
「これなるは次期当主となる弟達。クロウム、タングスト、皆様に御挨拶を。」
姉の紹介を受けクロウムは胸に手を当ててお辞儀をし、
「ザン・クオーク・ドミナが弟クロウムと申します。場にそぐわぬ若輩者の
私共に挨拶申し上げる機会をお許し頂いた事に心より感謝申し上げます。」
淀みなく口上を述べたクロウムだが隣でタングストが微動だにしていない事に
内心慌てる。
(何やってんだよ!)
ぎゅっ
「!!」
こっそりと後ろに回されたクロウムの手に尻を思いっきりツネられて
覚醒したタングストは即座に会釈し
「同じくザン・クオーク・ドミナが弟タングストと申します。未熟な若輩者
ではありますが重責を担う方々に最大級の敬意をもってご挨拶申し上げます。」
双子の所作と作法にゼノビアが感心した様子で
「噂に違わぬ利発そうな弟達だなドミナ。礼法などお前より出来ている
ように見えるぞ?」
「ええ、ゼノビア先輩の言う通りよくやってくれています。自慢の弟達ですわ。」
挨拶を終えた双子達にゼノビアは親しみを込めた言葉で評した。そして
メッサリナ皇女は二人に微笑み、
「アルガン・ゴナ・メッサリナです。初めまして、選帝侯家の至宝のお二人
に会えて嬉しいわ。」
「至宝…でございますか?」
「ふふっ、ドミナさんがそう言ってるのよ。そしてその表現は間違ってない
と思います。…内戦が終わったとはいえ帝国はまだまだ疲弊しています。
帝国を立て直すのに貴方達のような新しい世代の力に期待しているわ。
アルガンの栄光を再び帝国の頭上に輝かせるため二人の力を貸してほしい。」
「はい!身命を賭して励みます!」
「はい!身命を賭して励みます!」
自分達の知らないところで姉が至宝と呼んでくれていた事に気恥ずかしさ
を覚えつつ誇らしさを感じた双子。そしてメッサリナ皇女の期待を受け
祖国を護る藩屏としての自覚を感じるのだった。
「それでは貴方達は下がりなさい。姉はこれから皇女殿下と烈風参謀様に
込み入った話を行います。」
ドミナに促され素直に双子は退出する。所詮は9歳であり謀議に参加しても
役に立たない事は自覚していた。大人ぶってグズるような子供っぽさなどが
無いませた二人なのである。
「挨拶の時、何をボーっとしてたんだよタングスト。」
二人で居室へと向かう廊下でクロウムがタングストを
問いただす。そこに予想外の応えがあった。
「すごく綺麗な人だった…神秘的な黒い髪にあの美貌、あんな
美しい人がこの世に居るなんて…烈風参謀様…」
「はい?」
クロウムは同じ顔をした兄弟を見る。そしてその頬と耳が
赤く染まっているのを見た。
(マジかよ…)
確かに美しかったけど同時にかなり恐っそろしいと感じたクロウムは
双子なのに随分違うなと思いつつソレを言おうとして思い止まった。
1つの閃き。
「メッサリナ派はあのガープと手を組んでる。タングストが男爵になって
メッサリナ殿下の腹心になればあの烈風参謀とも何度も会う機会があると
僕は思うよ?」
「!!!」
タングストが目を見開き落雷が当たったような衝撃を受けていた。
その兄弟の表情を見てクロウムは内心でガッツポーズを取るのだった。
「さて、それでは早速、前選帝侯の遺産とも言うべき情報を引き渡して
頂けますかな?」
「ええ、ギラー侍従長。」
謀議の場に残った大人たちは挨拶もそこそこに実務に取り掛かっていた。
さっそく烈風参謀から前ザン・クオーク選帝侯の保持していた情報の
開示が要求される。
ドミナは頷き烈風参謀の要望に応えるべく暗部の長に合図した。
「畏まりました。まず書面に纏めた資料がこちらに。ですがそれなりに
分量がありますが…」
「確かに。ですが全部お預かりする所存。」
そう言って烈風参謀は大きなアタッシュケースを持った髭の配下の方を向いた。
「なるほど、これは『ワガハイ』殿にお渡しすれば良いのですな。」
「!。まだ吾輩は名乗っていませんが…」
鋭い眼光のまま笑みを浮かべたギラー侍従長はワガハイに向かって、
「私の方で勝手に把握しておりまして。ゼオ・メオ・アリアスでは
ご活躍でしたな。確か戦闘員ナンバーは76でしたかと。」
これには当のワガハイだけでなくメッサリナ皇女や騎士ゼノビア、そして
ドミナすら驚愕に目を見開くが烈風参謀だけは凄みのある笑みを浮かべた。
「流石ですなギラー侍従長殿、いや、狼賀忍軍の七忍衆が1人である
宇即斎殿とお呼びした方がよろしいかな?」
「なんだと?!」
「それは真実か?」
ゼノビアとドミナが驚きの声を上げるがギラー本人は肩をすくめて
「やはりバレていましたか。流石に新勢力ガープの情報網は
誤魔化せなかったようで。」
狼賀忍軍
大陸南西沖に浮かぶツツ群島国に存在する最強の忍者集団の1つで
その超人的な体術による戦闘力と諜報能力は伝説的で大陸全土に
その名は轟いている。
そして狼賀忍軍を束ねる強力な頭領達である七忍衆。
首領 無着斎
血愕斎
葦萼斎
脇楽斎
免毒斎
宇即斎
1名が魔王軍の手によって落命して欠員となっており以上の六名が
狼賀忍軍の最高幹部である七忍衆だ。
「前ザン・クオーク選帝侯もなかなか強力な手駒を持っていたもの
ですな。貴方達の事は我等の耳にも頻繁に入る…」
「前選帝侯閣下とは利害の一致をみたので。魔王軍とも繋がっていた
前選帝侯閣下から奴等の内部情報が欲しかったものでして。閣下も
私の正体を知りながら利用されていました。ま、お互い様ですな。」
あけすけに語るギラーこと 宇即斎。名高き忍軍の幹部が考え無しにペラペラと
裏事情をバラす訳がない。そこにははっきりとしたメッセージがある。
「それで我等ガープに接触したという事か?」
烈風参謀の言葉に 宇即斎は頷き、
「前選帝侯閣下とは違いドミナ様は過去を清算し陰謀事とは無縁の
正々堂々とした道を歩もうとされています。積極的に裏工作を行う
我々など必要ありません。またメッサリナ殿下の所には既に優秀な
暗部組織があり我等の座る席はない。」
ぎらりと眼光を光らせ 宇即斎が本音を語る。
「我等が同志、七忍衆の1人である押陸斎が魔王軍に倒されて以来、
我等は大魔王と敵対しています。貴方達ガープは魔王軍の四天王の1人、
武闘公インプルスコーニを倒した反魔王軍の強大な勢力。是非とも手を組み
我々の後ろ盾、スポンサーになって頂きたい。」
「名高き狼賀忍軍が何の手土産も無くそのような提案を
する筈がないと踏んでいるのだが?」
「もちろんでございます。」
烈風参謀の問いにさも当然と頷き、宇即斎が指を立てた。
「凄まじい情報能力を有しておられる新勢力ガープでも掴んでいないと
思われる情報を幾つか。まず長らく消息不明となっている帝国の皇位継承権者の
1人セスターク皇子ですが五大賢者によって連れ去られております。生きている
のか死んでいるのか、その状態は今調査中ですが。」
自分の意思で帝国を離れたメルタボリー皇女と違い生死不明のセスターク皇子の
場合は不在のまま選帝侯会議が開催される事が決まっている。だが競争相手の
生存を知りメッサリナ皇女の顔に緊張が走った。
「次の情報ですが魔王軍四天王の謀略公クロサイトが五大賢者の1人である
黒玉の賢人ジャミアによって抹殺されました。」
「何と!」
烈風参謀は無反応だったがワガハイは衝撃を受けた様子だった。魔王の領域に
送り込んだドローンの撃墜率は99%で魔王陣営の内部情報はガープにとっても
最も入手困難なものだったからだ。魔王軍と内通していた前ザン・クオーク
選帝侯を利用して調べ上げた狼賀忍軍の実力は侮りがたいといえる。
「そして耳寄りな情報がもう1つ。五大賢者の生き残り、赤玉の賢人ラーテの
逃亡先について。」
「ほう…。」
目を細める烈風参謀に宇即斎は言葉を続けた。
「赤玉の賢人ラーテは我がツツ群島国の血ヶ崎藩に逃げ込んでいます。
その拠点の位置も行動も全て我ら狼賀忍軍が監視しておりますれば。」
これを聞き無表情だった烈風参謀が黒い笑みを浮かべ、
「我が新勢力ガープがスポンサーとなった以上は狼賀忍軍は
ラーテ打倒に動くガープ戦闘部隊を支援してくれるのだろうな?」
「もちろんでございます。狼賀忍軍は後ろ盾であるガープ戦闘部隊の
ツツ群島国における作戦行動を全力で支援させていただきましょう!!」
望みの物を手に入れた宇即斎は満面の笑みを浮かべ烈風参謀に
頭を下げるのだった。




