70 竜の侯爵令嬢
いささか時を遡る。
ドラゴンの国の壮麗なる竜都ドルーガ・ライラスが陥落し新勢力ガープと
ラースラン王国に敗北を喫した日。
夕闇が迫る竜都圏内の外れ、岩だらけの荒地に瀕死のドラゴンが倒れ臥していた。
光があれば美しく輝くプラチナの色彩を持つそのドラゴンは闇の中で重い怪我に
喘ぎ朦朧とした意識は途切れようとしていた。
(……?)
顔面にも深い傷を受けたドラゴンの残った片方の目に何かが見えた。
霞む視界の中、かろうじて認識したのは貧しい身なりの人々の姿だった。
こんな寒々しい荒地に誰か暮らしているのか?そう疑問に思う前に
瀕死のプラチナドラゴン、竜族の貴族令嬢ベルクーナの意識は闇に落ちた。
(………っつ…痛っ……)
全身を苛む苦痛に強制的に意識を覚醒させられた彼女。
激痛に呻きながら片方しかない瞼をゆっくりと開く。
彼女は簡素だが清潔な布地の上に寝かされていた。竜形態のまま
の巨体の下に敷くのは中々の枚数が必要だったろう。そして
怪我を負った箇所にも揉み込んだ薬草を湿布しての充て布が
巻かれている。
簡素とは言っても周囲に居る救護してくれた者達の着ているボロ服から
比べたらずいぶん上等な布地に違いなかった。
(…この者達が助けてくれた?)
一様に痩せ細った者達は獣人の比率が多い。人間やエルフも散見されるが
ハーピー族など翼を持つ種族はいない。飛行能力を持つ種族は空中にある
竜都ドルーガ・ライラス上流区の雑役に召集されるのが旧ラゴル王朝時代に
あった労役制度であり人口構成がこの場所を竜国の寒村である事を示している。
ドラゴンである彼女が目を開くと場にホッとした雰囲気が広がり
初老の犬獣人が歩み寄ってきた。ドラゴンに知性がある事を知る
竜国の住人のみに見られる反応である。
「気が付かれましたか。ですがどうぞ御安静に。竜族の方でも
油断できぬ深手にございますれば。」
「…あ、貴方は?」
「私はこの村の村長を務めておりますパトラッシーという者、どうぞ
お見知りおきを。」
そう言って哀れなほど痩せ細った犬獣人のパトラッシー村長は
頭を下げた。
それを受けて返答した時だ。
「…どうやら救って頂いたようですね。心から感謝いたしますわ。
私は………………………………………………………………あれ?」
(あれ?え?えっ?えええっ?)
「私はどこ?!ここは誰?!っっ痛うぅぅ!!」
「無理に動いては怪我に響きまする!どうか落ち着かれませ。おそらくは
傷による一時的な記憶の混乱かと。頭部の怪我は大きいですが意識は戻り
お言葉も明瞭。時間をかければ竜族の生命力なら必ず記憶も戻りましょう。」
「…ハァ、ハァ、お騒がせしました。早く戻ると良いのですが…ところで
パトラッシー殿は医の心得が?」
「以前に縁あって滞在された医学を知る方に基本的な事を教わり後は
独学で。何せ貧しい村ですから簡単に医師を呼べませんので。さっ、
そろそろ湿布を取り替えましょう。」
「それでしたら……」
彼女は記憶を失っていたが竜族としての本能により自らの能力は
把握していた。パトラッシー村長に一言ことわり変身能力を使って
人間形態へと姿を変える。
竜人の姿に変わっても身体の大きさに比例して怪我も残る。
だがドラゴン姿のままより治療の手間は随分と楽なはずだ。
人の姿に変わった事で彼女の怪我の凄惨さが如実になった。
惨い上にうら若い女性が体格差の関係で全裸になり村長達は目を逸らし
村の女性達が歩み出て清潔な布で彼女を覆う。
周囲には血に汚れた布や小さな肉片、そして傷付近から剥がれ落ちたと
思われるプラチナ色の鱗が散在していた。本体から離れた部位は変身の
影響を受けずそのまま残る。
灯明を受けてキラキラ光る鱗を見つめる少女がいた。
「キラキラして綺麗……」
幼い声に治療の充て布を巻かれながらベルクーナは其方に目を向ける。
7、8歳ほどのホークマンの少女が屈んで光る鱗を見つめていた。
貴女の鱗もとっても綺麗。でもルーフルのみたいにキラキラ
光ってないのね。
恐らく失った記憶による既視感を感じながら右の翼を失っている少女を
見つめていると少女は鱗に手を伸ばし懐に入れる。
「これフラッピー、はしたない事をしてはいけないよ。」
ドラゴンの鱗は高い素材価値があり、たとえ抜け落ちた鱗であろうと
本人の同意無く持ち去る事は許されない。
フラッピーという片翼の少女は村長に窘められ赤面しながらプラチナの鱗を
差し出した。
だが、その本来の鱗の持ち主は静かに首を横に振り、
「どうかその鱗は御自由になさって下さい。私は他に何も持っておらず
自分が何者かも分からない身上。救って下さった皆様に感謝の気持ちを
現す事が出来るなら私に異存はありません。」
それを聞いて村長達は感謝を述べ頭を下げ、フラッピーは飛び上がって
喜んだ。翼をパタパタさせているが片方しかない為に宙に浮く事はない。
(喜んでいる様子を見ているのに痛ましいですわ…)
もしかすればフラッピーの事情も知る機会があるかもしれない。ふとそんな風に
思うベルクーナ。そしてそれは案外速く訪れた。
「それではフラッピーちゃんの翼は魔獣にやられたの?」
「うん、凄く素早い魔獣で飛び立つのが遅れたの。あの頃は父ちゃんが
いたから直ぐにアタシを連れて上空に逃げてくれたから助かったけど。」
その後、意識を取り戻してから少しずつ回復し始めているベルクーナの世話を
主に担当する事となったのはフラッピーと村長だった。
貧しい村ゆえ働き手が総出で対応するのは大変な様子だったので
ベルクーナの側から1人で何とかすると申し出たのだが、村長いわく、
『我が村は竜族の方々に庇護していただいた恩がございます。
どうか最小限の人数での介護をお受け下され。』
『恩ですか?』
パトラッシー村長の説明では竜都の外縁部、つまり外れに位置するこの村は
魔獣が出没する山岳地帯との境に位置し、更に澱んだ魔力が滞留する穢れの森も
間近に位置し魔獣の被害を心配せねばならぬ場所だった。
だが竜都のドラゴンの庇護により魔物の活動は最低限に抑えられ、周囲の荒野に
比べ比較的耕作に向いた土地と川があるこの場を維持出来ているとの事だった。
だが完全に防護されている訳ではない。フラッピーのように運悪く魔物に
遭遇してしまうケースも稀にあるのだ。
「アタシは飛べなくなっちゃて空中の上流区の宮殿に奉公に出る話が
無くなっちゃった。父ちゃんと母ちゃんに会えるかもって思ったんだけどなぁ。」
聞けば上流区に奉公に出ていたフラッピーの両親は竜帝府直属の偵察隊に
配属されたと連絡が来て以来ずっと音信不通となっているらしい。
「ふふっ、フラッピーちゃん。いずれ私の怪我と記憶が癒えたら一緒に上流区まで
御両親を探しに行きましょうね。」
「うん!」
気が利き一生懸命に介護してくれる片翼の少女をベルクーナは可愛がった。
だが日々この少女と過ごしている時、ふと胸の奥が苦しくなる時がある。
記憶の彼方にある別の誰かの面影がよぎるのだ。
(もしかして以前にホークマンの方と良くない関係が…)
「あ、アタシそろそろ水汲みに行かなきゃ!それじゃプラチナ様失礼します。
直ぐに村長に来るように伝えておきますから。」
「行ってらっしゃい。あ、窓は開けておいてくれるかしら?」
「はーい。」
フラッピーは閉めようとしていた窓から離れ元気いっぱいに駆けて行った。
プラチナ様と呼ばれるようになっていたベルクーナは部屋の窓から外を見る。
ここは村長の家、その2階にある日当たりの良い部屋だった。
村長の家は村全体を見渡せる立地に立っている。その窓から
見える寒村の状況にベルクーナは憤りを感じていた。
「やっぱり旧竜帝府って理不尽だわ…」
村の南側には平地が広がり近くを流れる川から水を引きそれなりの規模の
農地となっていた。
だが今はまだ何も作物が無い。
そして村の東には魔物が潜む山岳があり鬱蒼と茂る山林を無理に切り開き
段々畑が作られていた。村の耕作は主に其方で行っている。
水の手が無い為に村人が水を汲んでは急斜面を登り畑を潤す。
村人総出の重労働だ。
なぜこんな事になっているかといえば竜帝府からの命令であった。
耕作に適した良質の畑の方は大竜宮殿を飾る美しい花だけを栽培せよ。と。
美しいが食料にならない花々を育て竜帝府へと献上するあいだ
生きて行く為に地の痩せた斜面の畑も耕してゆく。
しかし取り立てられる租税は平地の畑も含む基準で決められ
段々畑の作物の8割が持って行かれていた。
話を聞いた時はひどく憤慨したものだった。ここで暮らす人々の事を
どう考えているのかと。庇護を受けていたのだから仕方なかったと
言う村長達はあまりに人が良過ぎないかと。
だが戦争に負け旧竜帝府が消滅し新しい竜帝王ルーフルが即位してから
何もかも変わったと聞き安堵した。
まず平地の農地には村人が自由に何を植えても良い事となった。
現在は小麦の種が蒔かれている。段々畑の方の作物も順調に
育成しており世話を続けている。なにせルーフル陛下は向こう
2年間は無税とする詔を出したのだ。育ちつつある作物を
収穫しないのは損である。
さらに人々の生活への助けはそれだけではなかった。
竜国の商業圏を牛耳るラースラン王国から疲弊した商業と流通を
立て直す為に有力な商会が乗り込んできた。
ラースラン商業ギルド長ボーリー・モーケルの孫ゼニオ・モーケルが
モーケル商会の支店を開設。まず金融業から始め疲弊した商工業界に
どしどし融資し資金を流し始める。
そして謎の人物、カメデッセーなる男が立ち上げた『プーガ商会』が
大量の消費財や工具や農具を持ち込んで支店を構え、物資を気前良く
放出し始めたのである。
特に困窮している地域には竜帝府のツケという形で実質的に物資の
無料配布を行った。
『これらの商品の代金は国力が回復した後の税収から徴収させて頂く
事でルーフル陛下と話は付いとります。遠慮は無用でっせ。』
大柄で温和な雰囲気を持つが謎の迫力のあるカメデッセー氏はそう言って
商品を放出しインフレ気味だった物価暴騰を押さえ込んでしまった。
カメデッセー氏は商品をあえて竜国の流通業者を使って運搬し彼らに
仕事を与えつつ地元の商会を密かに援助し彼らが困窮しないよう手配し、
ある程度事を見届けた後に選り抜きのスタッフを残して帰国した。
カメデッセー氏の傍らにはオリハルコン級冒険者『君臨者』の元メンバー
女僧侶グラーガが護衛兼秘書として随行していた。
商業神カネクレイの僧侶であるグラーガは商習慣や計算に詳しく
高給をもって雇用されたらしい。
とにかく、この貧しい寒村にもアマザン隊商という配送業者がプーガ商会の
物資、当座の食料や新品の農具、大量の肥料を届け村は蘇りつつあるのだった。
物思いに耽っていると慌てた様子のパトラッシー村長がやって来た。
「朗報ですぞプラチナ様!!せっ聖女様が村に来られましたぁ!」
「聖女様??」
「ええ、最近噂のラースランに現れた聖女プレイア・ルン・ルーン様です!」
村長の興奮も分かるというものだ。神に見出された聖者や聖女は稀有な存在。
滅多に出現する者ではない。歴史的に存在しない時代も多く、当代のように
2名の聖女がいるような事は非常に珍しい。
まず勇者ゼファーと共にある生命の女神に見出されし聖女アスア姫。そして
最近ラースラン王国で発見された恋の女神チュッチュの聖女プレイア。
竜国のルーフルを表敬訪問した後、聖女は苦しむ民衆を救うとして専用馬車に
乗り竜国各所で聖女の奇跡を示しながらラースランを目指していた。そして
今日この村に立ち寄ったのである。
聖女の奇跡は強力で見出した神様の権能に関わらず死の病を消し去り
身体が欠損するほどの大怪我も綺麗に直してしまうという。
「これでプラチナ様は癒されますぞ!!」
「まあっ!まあっ!」
パトラーシュ村長の興奮が移り気持ちが高揚する。
やがて村人全員が集まり聖女プレイアを出迎えた。
ふわふわでピンク色の髪をした愛らしい少女。神々しい雰囲気はあるが
イタズラ子猫のような茶目っ気を感じさせる彼女こそ聖女プレイア。
「うっわ!ひどい怪我!!でももう大丈夫だよ。いま治すからね!」
常人なら死んでいても可笑しくないベルクーナの怪我に仰天しつつも
治癒の力を発揮しようと聖女は右手を伸ばした。
「あの、僭越ながら聖女様に申し上げます。」
ベルクーナは静止するように身振りをし、
「私は竜族なので一朝一夕に死ぬような事はありません。私よりそちらの
フラッピーちゃんの翼を治しては頂けないでしょうか?」
「駄目だよプラチナ様!!聖女様の力じゃないと綺麗に治らないよ!
アタシの翼なんかどーでもいいし!!」
ぱんぱん
「はいはいそこまで。別に人数制限なんてしてないし二人とも
治しちゃいますから心配後無用!!他にも居たら言ってね?
神経痛でも水虫でも治しちゃうから。取り除ける苦しみは
全部取り除く。神様から貰った幸せの力をケチケチするなんて
バカだもん、みんな助ける。わかった?」
手を叩いてそう宣言するとプレイアはフラッピーに手をかざし癒しの
光を放つ。特に何の効果音も無く極自然にフラッピーの翼が再生した。
まるで最初から両翼が揃っていたみたいに。
喚声を上げる村人の中から持病や怪我を抱えた者達が前に出て
遠慮がちに治癒を願い出ようとした。だがその言葉を待たず
次々と治してしまう聖女。驚く村人達ににっこり笑い
「気にしない。気にしない。治った事を喜んで。さっいよいよ貴女の番ね。」
そう言って聖女はプラチナ様と村人が呼ぶ竜族の女性を治療を開始した。
凄まじい高プラズマ砲でズタズタにされた全身が癒され右目と翼が再生し
焼け爛れた顔半分も元の美しい容貌を取り戻す。聖なる力は大いなる
癒しで全ての怪我を消し去ってしまった。
(ああ、何と言う心地よさ…)
ゆっくりと目を開くと何故か目を丸くして凝視している聖女様。
「※※※※※、※※。※※※※※※※ベルクーナ??※※。」
聞いた事無い言葉で呟く聖女。その中で唯一聞き取れたのが、
ベルクーナ
(ベルクーナ?……ベルクーナ!!!!!)
その瞬間、ベルクーナは全ての記憶を取り戻した。とはいえ
今までの記憶が消えた訳ではない。
故に彼女の頭の中で激しいパラダイムシフトが巻き起こる。
竜族にとって他種族との身分差、階級は食物連鎖のピラミッドと
重なっていた。同じ種族の上下関係ではない。他種族は弱い家畜の
ようなもの。故に道具のように扱いとことん冷酷に接するのだ。
絶対強者として他種族の目線や気持ちに対して絶望的なまでに無関心であり
その無関心に起因する無理解こそが竜族の無慈悲な振る舞いの根源であった。
だがベルクーナは大敗北を喫し絶対強者という自己肯定の柱は倒れていた。
自負はひび割れ価値観が砕けた上で記憶を失っている間の村での思い出が
新たな視点を彼女に与える。
そして新たな価値観で思い出すルーフルの行っていた全種族平等主義。
「間違っていたのは…私の方だわ…」
ルーフルを思い最後にその姿を見た時を思い返す。
(あの時、ルーフル様は敵艦に捕まっていたのよ。あの恐ろしい兵器を
搭載した艦。隣にいたホークマンの女性…彼女も一緒に囚われていたの。
そう、見覚えあるわ………フィン。彼女はフィン!)
無関心だった過去と決別するように心の奥底からフィンの名前を探り当てる。
過去の罪も同時に思い返しながらベルクーナは思った。
(きっとフィンは私から受けた非道の仕打ちの後もずっとルーフル様を
支えていたのよ。ルーフル様が王族籍を剥奪された時もずっと支えて…
あの恐ろしい敵に捕らえられた時も支えていた。なのに私は嫉妬に狂い
そんな事実も見えないままルーフル様と結ばれ…いえ手に入れられなかった
事に怒り狂い暴走した挙句に自滅した。)
「えーっと、大丈夫?治療は上手く行ったかな??」
頭を抱え思いに沈むベルクーナに聖女プレイアが声をかける。
「はい。全て癒され記憶も戻りました。…罪を犯した過去の記憶も。」
「そう。…罪を自覚するのは大切よ。忘れちゃいけない。けどね、
そればっかりに囚われてもだめ。しっかり前を見て償っていかないとね。」
真顔で言う聖女にまっすぐ目線を向けるベルクーナ。すると聖女は
顔を真っ赤にして、
「らしくない事を言っちゃたわぁ。とにかく元気出してね!それじゃ
次の村に行かなきゃ行けないから私達はこれで失礼するね!!バイバーイ♪」
そう言ってぺこりと頭を下げると聖女は両手でスカートの左右を摘み
スタコラサッサと専用馬車へと走り去ってしまった。
「…なんか聖女様ってイメージと全然違うね。」
「そうねフラッピーちゃん。けどあれは間違いなく聖女だわ。」
「プラチナ様、記憶が戻ったって本当?」
「本当よ。名前はベルクーナ、プラチナのままの方が良かったかもね。」
「そんな事ないよ!!素敵な名前だよ!!…ねえベルクーナ様、やっぱり
村を出て行っちゃうだよね。」
動き出す聖女の専用馬車を見送りつつフラッピーが問いかける。
ベルクーナは出来るだけ明るい声で
「成さなきゃいけない事があるからね。けどいつか戻って来て
一緒にご両親を探しに行きましょう。フラッピーちゃん。」
「それは大丈夫。」
フラッピーはにっこり微笑んで翼を広げた。
「アタシは飛べる!!自分で探しに行けるから!!だからいつか純粋に
会いに来て!アタシや村の皆と。ベルクーナ様なら何時でも歓迎するから!!」
「ええ、必ずまた来るわ。」
再会を約する別れの言葉。ベルクーナは自身の胸にもしっかりと刻んだ。
寒村からドルーガ・ライラス下流区はそれほど遠くない。しかし
何の伝手も無くその場所を探し出すのに随分と時間が掛かってしまった。
物寂しい墓地に目的の場所を見つけたベルクーナは神妙な表情で目前の
墓標に一輪の花を沿え深く許しを請いながら冥福を祈る。
「あの、母のお知り合いですか?」
後ろから声をかけられ驚いて振り向くベルクーナ。
そこに立っていたのはホークマンの女性と背の高い竜族の
若者、その額にはミスリルの鱗が輝いている。
「…ベルクーナ嬢?」
「ルーフル様、そしてフィン様…」
予想外の遭遇に固まる3人。意を決したルーフルが言葉を発そうとした時、
ベルクーナはフィンの前に跪き、
「私は貴女の母プロペル様を死なせ貴女自身も殺そうとしました。
到底許されるとは思えませんが謝罪させてください。本当にごめんなさい。」
絶句するルーフル、だがフィンは、
「まず母の墓に謝罪して下さった事に貴女の謝罪の真心を感じました。
正直まだ許せるとは言えませんが…貴女の謝罪を受け入れます。」
そう言ってフィンは涙を流し続けるベルクーナを立ち上がるよう促す。
「ともかく此処では話も出来ないだろう。いったん仮王宮へ。」
ルーフルに促され仮王宮としている下流区の行政官館へと入り
3人きりで全ての経緯を話し合った。
長い時間をかけ事情を知ったルーフル。しかし重い口調でベルクーナに
宣告する。
「残念だが廃絶したヴァルファー侯爵家を再起させたり貴女の生存を
公表する訳には行かない。」
「分かりました。」
「何故ですか?!」
ベルクーナが沈んだ声で首肯するのと同時に何故かフィンが抗議の声を上げる。
「ベルクーナ嬢を護る為だよ。」
「は?」
「え?」
その理由は流石にベルクーナも予想外だった。
「ベルクーナ嬢は先の戦争で五大賢者のマジックアイテムを使い先陣を切って
戦った。いわばラースラン王国や新勢力ガープからすれば戦犯だ。」
「あ!!」
「現在、ドルーガ・ライラスに駐留しているラースラン艦隊の司令官は
ネータン王太女の側近で信頼の厚いダラン准将だ。理性的な人物で
彼なら説得は出来るかもしれない。だが…」
「だが?」
「新勢力ガープの出方が読めないんだ…」
「新勢力ガープ、あの恐ろしい兵器を持ち、竜都を焼き払いラゴル陛下の
首を討ち取った者達ですね。」
「ガープの竜国方面の軍を束ねる烈風参謀という人物は敵軍を冷酷に屠る
容赦の無い方だ。せっかく生き残ったベルクーナ嬢もどうなるか分かった
ものではない。」
「そうですね。当分のあいだベルクーナさんを隠しほとぼりが冷めた
頃合で…」
「お待ちください。」
ベルクーナが決意を秘めた表情でルーフルとフィンの会話に割って入る。
「私を匿っている事実が露見すれば竜国が糾弾される弱点となります。」
そう言ってベルクーナは椅子から立ち上がり、
「これ以上、大切な祖国に迷惑をかける訳にはまいりません。」
「?!どういうつもりだベルクーナ嬢、まさか!!」
「これもまた償い。私は自ら新勢力ガープの本拠地へ出頭いたします。」
ベルクーナが放った言葉には揺るがぬ決意が込められていた…
○ ○ ○ ○ ○
「……以上が我々が竜国関連の過去3ヶ月の情報収集の結果を統合分析して
見出した貴女の事情です。そして貴女は竜国からソル公国に割譲された
アレイワー平原の交易路建設計画に関わる為に竜国を訪れていた覇道の剣の
ライユーク殿に伝手を求めここまでやって来た。心配するルーフル陛下や
フィン殿を振り切って。」
ガープ要塞の司令室、黒髪の美女の調査報告の読み上げに口をパクパクさせる
ばかりで何も言えずにいるベルクーナ。
ちなみにアレイワー平原の交易路は仲介者の口添えにより竜国の中心部へと
繋がる連絡道路とも連結し交易の活性化によってソル公国と竜国、そして
ラースラン王国の経常収支を黒字化させる新計画に変更され工事が急ピッチで
進んでいる。
当初の予定よりだいぶ建設予算が膨らんだがその表向きの仲介者である
プーガ商会が気前良く多額の資金を拠出し計画は順調に進んでいた。
「…、…貴女は一体誰なのですか?」
ベルクーナが恐る恐る問いかけると軍服を着た黒髪の美女は
凄みのある笑みを浮かべ、
「申し遅れました。私が容赦の無いガープ三大幹部の1人、烈風参謀です。」
驚くベルクーナの顔色が変わる前に烈風参謀が少し笑いを含んだ言葉を続けた。
「私が竜国で従事した作戦行動を鑑みれば妥当な評価。私自身も特に間違っては
いないと考えます。ようこそベルクーナ殿。勇気と献身的自己犠牲を持つ貴女の
ような方の首を取るような愚かな事はありませんから御安心を。なにしろ……」
烈風参謀はベルクーナに歩み寄り
「貴女は非常に好都合な手駒。粗略にするなどとんでもない。」
言われた瞬間、ベルクーナは衝撃を受け…決死の覚悟を決める。
「…手駒とはどういう意味ですか?私に何をさせるつもりなの…」
もし祖国に対する悪辣な企みの道具にされるのであれば命を懸けて抵抗する
つもりである。ベルクーナは固唾を飲んで烈風参謀の言葉を待った。
「短期的な目的と長期的な目標があります。まず短期的な目的ですが新竜帝王
ルーフル陛下の治世を守り竜国を安定させる。これについては可及的速やかに
手を打つ必要があろうかと。」
「は??」
「現在、竜国の空中都市ドルーガ・ライラス内部にある超魔法文明の遺跡を
我がガープと魔術師ギルドの合同チームが調査を進め非常に興味をそそる
情報を得ました。そこで危険が予想される最深部へと進みたいが残念ながら
我等には余裕が無い。」
「ドルーガ・ライラスの遺跡…確か五大賢者の方々が権利を独占していた…」
「魔王軍との全面戦争の準備、外交戦、そして禁忌の迷宮遺跡の最下層調査、
今現在に我等が進めている懸案を片付け終わるまでドルーガ・ライラスの
調査には着手出来ない。その間にルーフル陛下に政治的危機が訪れ竜国が
混乱しては困るのです。」
「ルーフル様に政治的危機?!それはどういう事ですか!!」
烈風参謀は血相を変えたベルクーナを真正面に見据え真剣な口調で
説明を始める。
「現在、竜国に所属しているドラゴンの貴族は58名、殆ど全員が戦争終結の
後に降伏した者達だ。いわば旧来の支配体制に安住していた者達。その彼らが
ルーフル陛下の全種族平等主義に納得し従い続けると思えますかな?」
「あ!」
竜国、旧ラゴル王朝時代の宮廷を知るベルクーナは竜族の傲慢さを
身をもって知っていた。彼らが改心?ありえなかった。
「実は我がガープの諜報網は竜国でもそれなりの規模で張り巡らせている。
そこで不穏な動きをみせる貴族の存在を確認したのです。」
(何が『実は』なのかしら…)
ガープの諜報網の恐ろしさは今、身をもって知っている。正確に陰謀の
内容を調べ上げるのも時間の問題だろう。
「そこで貴女の出番です。」
「……。」
「貴女には以前のような誇り高く気品に満ち、そして傲慢な侯爵令嬢を
演じて頂きたい。そうして帰国し彼ら不逞な貴族達の中に潜り込んで頂く。」
目を見開くベルクーナの耳に烈風参謀の言葉が次々と流れ込んでくる。
「先の戦争では先陣を切ってラースラン艦隊に突撃した貴女は貴族主義の
体現ともいえる名門の令嬢でもある。彼らは喜んで貴女を迎え入れるでしょう。
そこで彼らの信用を勝ち取りつつ密かにルーフル陛下と緊密に連絡を取って頂く。
その為にルーフル陛下と直通の連絡・通話手段を我等が用意しましょう。」
「ルーフル様と直接通話…」
「これは侯爵令嬢として宮廷を知る貴女にしか出来ない役目、フィン殿には
無理なのです。貴女だけがルーフル陛下を護り竜国を危機から救う事が出来る。」
「…私だけがルーフル様と祖国を救う事が出来る…」
ベルクーナは表情を引き締め決意の瞳で決断を下した。
「やります。このベルクーナ、彼ら不逞貴族の陰謀の内部に潜り内側から
悪しき企みを粉砕する為の手駒となりましょう。」
高揚した想いで決意を述べるベルクーナに目を細め口端を吊り上げ
黒い笑みを浮かべる烈風参謀。
「貴女の決断を賞賛しましょう。これで本件は手荒な手段を取らず
短期間で終息させるめどが付きました。次に長期的な目標なのですが…」
ふっ、と烈風参謀は表情を和らげ微笑んだ。先程とは笑顔の質が違う。
どこか遠い目をしながら烈風参謀は思いを語る。
「我々はこの世界の貴族制度と奴隷制度を解消したいのです。」
「!!。それは無理でしょう?!」
「ええ、急激に変える事なぞ不可能。強引に改革を断行しても
健全な民主主義が誕生する筈が無い。社会構造を歪め大規模な
混乱が起こるだけです。巨大な悪が跋扈する情勢でそれはあまりに
危険な事、」
「もしワシ等が世界征服を企むならその大混乱をとことん利用する
じゃろうな。今の社会体制で暮らす善良な人々を破滅させる事になろうて。」
烈風参謀の隣にいた怪しげなマッドサイエンティスト、死神教授も口を開く。
「じゃからの、まず時間をかけて社会変革を促してゆく。庶民には自由や平等、
公民意識を持たせ市民階層を形成する方向を目指して頂くのじゃ。そしてな、
貴族や王族には大きな権力には大きな義務が伴うノブレス・オブリージュの
思想を広めようと思うておる。現在ノブレス・オブリージュがあるのは一部の
国々だけじゃからのう。」
「その後に啓蒙主義を広めより進んだ社会への変化の準備を整えて行く。
ベルクーナ殿、貴女は竜国の貴族社会におけるその芽となって欲しい。
下層階級の人々の実情を知るのは貴女とルーフル陛下、フィン殿だけだ。
庶民出のフィン殿では求心力に欠けよう。我等が期待するのは貴女だ。」
「まあ、これについては長期目標じゃからあまり固く考えんでもええじゃろう。
竜国の貴族制度を和らげられれば御の字じゃ。奴隷制度の方は徐々に産業構造に
手を加え高度化して行き奴隷に仕事させるより儲かる産業を育成していけば
奴隷の無い時代の到来を早められるじゃろう。」
「…はあ、分かりました。可能な限り努力してみますわ。」
ベルクーナが承諾した時だ。
「宜しい。では本日から非合法工作員、つまりスパイの養成訓練を始めましょう。」
「え?」
「ルーフル陛下や派遣している我がガープ秘密工作部隊と共同作戦を遂行する
のですからミスが無いようスパイの技能を体得して頂く。」
「え??」
「ベルクーナ殿は捕虜の名目で滞在し現竜帝府との交渉で帰国が決まるという
シナリオで帰還して頂く予定じゃ。これが一番ルーフル陛下の手柄になるからの。
じゃからバッチリ訓練を受ける時間はあるぞい。」
「え???」
「スパイ訓練だけではありません。社会思想、政治思想に啓蒙思想、
そして倫理学など全てを学ぶ教育カリキュラムを準備しています。
時間の許す限り猛勉強して頂きますのでお覚悟を。」
「………本っ当に容赦無いわぁ、烈風参謀…」
ガックリ頭を落とすベルクーナだった。




