44 竜の国からの凱旋
時は少し遡る。
ここは旧ラゴル王朝の竜都ドルーガ・ライラス。一連の終戦処理も
一段落し遂に戦争終結の式典が行われる運びとなった。
戦死者の鎮魂と勇戦した両軍の兵士を称え今後の両国関係の
新しい起点となるよう注意深く配慮された式典は滞りなく終了。
現在は戦勝祝賀のレセプションパーティーが開かれていた。
この翌日には政治案件の事後処理と和平条約の共同発布に
備える為に竜国に残るネータン総司令と幕僚、本国から来
た外交使節団と第一主力艦隊の第一戦隊を残し他のラース
ラン艦隊と軍は全て帰国する事になっている。
軍隊とは金食い虫だ。戦わなくても駐留しているだけで
ドンドコ予算を食い潰す。本国のコストー財務大臣から
矢の催促で早期の軍の引き上げを求めて来ていたのだ。
パーティーは園遊会方式で奇しくも旧ラゴル王朝の大本営が
あった大竜宮殿の前庭跡での開催だ。瓦礫が撤去され多数の
魔法の灯明が昼のように場を照らし美しい天幕が多数設けら
れて関係する人々が無礼講の宴を楽しんでいた。
旧ラゴル王朝から新生ルーフル王朝へと移行した竜国関係者は
独裁者だった巨竜ラゴル・ダイナスから開放され新国家発足が
始まったという立場なので積極的に宴を楽しんでいる様子であった。
会場の一角、
ラースラン地上軍を率いて任務を達成したエラッソン侯爵家令息の
オーヘルは緊張と尊敬を込めてオリハルコン級冒険者のライユーク
に挨拶していた。
タイラン近郊で偽ガープの魔物軍と合同で戦った後、ラースラン軍と
ソル公国軍はそれぞれの任務で離れ、今ようやく再会を果たし改めて
お礼を述べる事に。
規格外の実力を持つライユーク。彼は単独でドラゴンを仕留めた人物と
して知られている。旧ラゴル王朝でも有名だった乱暴者のシルバードラ
ゴンを倒した彼に竜国関係者は距離を置いて様子見だ。
規格外の実績、規格外の逸話に事欠かない彼の出自もまた規格外だった。
「ライユーク殿下、ならびにソル公国軍におかれましては我が軍の危急の
事態にご助力下さり感謝の念に絶えません。本当に有難うございました。」
「はははっ!殿下は止めてくれないか少年。俺の所なんぞ名前だけの
形骸だ。まったく気にする必要はないぞ。」
「しかし『帝政トルフ』の皇弟殿下であらせられます。軽々に扱って
良い訳が…」
「何の権限も無く宮廷も無い名前だけの存在だ。生まれも育ちも庶民と
変わらん暮らしをしてきた俺なぞ敬ったとて無意味な事だぞ少年。」
「確かに出涸らし、残りカスみたいな帝室ですが無視出来る権威では
ありませんライユーク殿下。」
何気にヒドイ事を言いながらライユークへの敬称に拘るオーヘル。
頑なな少年の肩に手を置き、キラリと白い歯を光らせ実によい笑顔
のライユークが、
「はははっ!少年、それ以上に殿下呼びしたら俺は君に愛の鞭を
入れねばならんな。」
「あ、愛の鞭?!」
「俺と一緒にバルネロ大盛りを腹いっぱいに食べてもらう事になるな!」
「げえっ!」
バルネロ。帝政トルフ名物の超超激辛料理である。
帝政トルフ
この文明圏に存在するもう一つの帝国。
だが大アルガン帝国に比べきわめて変則的な帝国である。
形式の上ではトルフ皇帝に4人の大公が仕え皇帝の命令によって
4つの公国を大公が治めるという建前になっている。
ソル公国
デュラック公国
フェルディー公国
クレギオン公国
四公国を合計した帝政トルフの版図はラースラン王国の三倍近い。
ただし、国家として一枚岩ではなく四枚岩なのが実体で、それぞれ
の大公が軍権、警察権、徴税権、裁判権、おまけに外交権まで握っ
ており、各公国は実質的に独立国であった。
トルフ皇帝には一切の権限や権力が無い。ただし帝政域内での権威は
絶対で帝室の名によって爵位や官位の任命が行われる。皇帝による任命
がその地位の正当性の証明であり権威を担保する物であった。
実際は各大公が提出してくる叙任状や人事表に言われるままにサインと
ハンコを押すだけ。ぶっちゃけトルフ皇帝家はただの身分証明書発行所
という扱いなのだ。
皇帝が住まうのは人口が最盛期の一割以下の地方都市に変わり果てた
元帝都レオ・ブルスクと村三つという男爵領以下の皇帝領。のどかな
ド田舎である。
かつては権力を奪還しようとする皇帝が騒乱を巻き起こしたり
逆に皇帝家に取って代わろうとする大公が現れ他の三公国によ
って野望が打ち砕かれたりと流血の歴史があった。
しかし近代では四公国と皇帝の関係は良好で地域は安定している。
今では逆に小さく質素な皇帝領に大公達が気遣い、それぞれ競うように
領地を献上しようとしたが皇帝側に断られている。
小さな領地でも帝政府や宮廷など金のかかる統治機構を持たず、
軍権や警察権が無い為に金のかかる防衛や治安維持は大公達が
肩代わりしてやってくれるので予算のやりくりは容易なのだ。
権力が無いゆえ責任も無い。
地球世界の日本の皇室や英国の王室と違いトルフ帝室は忙しくも無かった。
爵位の叙任状にサインとハンコ。あとは年一回、4人の大公の年始挨拶を
受けるのと3年に一度帝国内を回る巡幸だけが公務の全て。
時間を持余し大金は無い皇帝家。その為か歴代皇帝は学者や芸術家として
名を成した者が多かった。それは皇族全体の傾向でもある。
中には大陸最高の冒険者へと登りつめた者もいた訳だ。
ライユークの笑顔に圧倒されているオーヘル少年に救いの手が伸びた。
「我が国の未来を背負う若者を苛めるのもそこまでにして頂けるかな?
ライユーク殿。」
「これはまた久しい!お元気そうで何よりだネータン王太女。」
「殿下呼びは控えさせてもらったのだ。私の事も総司令官と呼んで
頂きたいな。」
「成る程、ネータン総司令官か!確かにその方がしっくりくるな。」
ウンウンと頷くライユークの傍らでオーヘルは慌ててラースラン軍式の
敬礼をネータン総司令に行った。
「楽にせよオーヘル。この度は良く任務を全うし励んだな。」
「はい。アガット将軍達に支えられ任務達成が出来ました。我が隊の
将兵達の献身と貢献をどうかお汲み取り下さいますよう。」
オーヘルの言葉にネータン総司令官は頷くと
「さて、詳細な報告書を読ませてもらった。君は魔物軍が襲来した時に
戦わなかったそうだな?」
オーヘルの顔に緊張が走る。
「……はい。」
「戦闘の指揮を執ったのはアガット将軍で君は護衛に護られながら後方で
本国との連絡を指示したり怪我人に対応する救護所の設置など行っていた
という事だな。間違いないか?」
「間違いございません。」
「上出来だオーヘル。君は正しい判断と行動を行った。胸を張るといい。」
「え?!」
「経験豊かな将軍の作戦指揮に口出しせず自分に出来る事を行った。
手柄に焦る初陣の若造にはなかなか此れが出来ないものでな。」
少し遠い目をしてネータン総司令官が語る。
「昔、軍学校を首席で卒業した若い王族が初陣に出た。そして高慢な事に老
練な司令官の作戦指揮にあれこれ口出しし勝てる戦いを敗北させてしまった
のだ。そんなバカ女な王族と同じ轍を踏まないだけ君は立派だ。エラッソン
侯爵も良い跡継ぎを得られたようだな。」
トン
感極まって咄嗟に言葉が出ないオーヘルの胸にネータン総司令は軽く
拳を当て、
「これからも祖国の為に尽くせ。期待している。」
それからネータン総司令は腕を組んで感心しているライユークに向き直り
「ところで貴殿はあのガープの怪人モーキンに武闘試合を申し込んだ
そうだな。どうだ、勝ったのか?」
「試合そのものが断られた。あそこまで外見と内実とのギャップがあるとは
流石に思わんかったぞ。」
自分とアンタが戦ったら加減していても周囲に被害が出るっスよ?周りに
迷惑をかける訳にいかないっス。
「フッ、もし奴と本気で殺し合ったら勝算はありそうかオリハルコン級殿?」
「俺の相手の力量を見抜く目は経験と直感だ。勇者パーティーの輝竜姫ルコア
のような探査の固有スキルじゃねえから正確には言えんが…勝算は無いな。」
竜帝王ラゴル・ダイナスを倒した怪物。果たして本当だろうかと考えていた
ライユークだが実際にモーキンと相対した時に思った。コイツなら出来て当然
だと。
ライユークの言葉に肩をすくめるとネータン総司令は周囲を見回し、
「そういえばそのモーキンの上司、烈風参謀とは会ったか?」
「いや知らんな。どんなバケモノなんだ?」
「フッ、聞いて驚くといい。物凄い美女だ。黒髪のな。」
「黒髪とは珍しいな。美しいとの事だがあのモーキンの上司だ。それなりの
力量を備えている者なのだろう。」
「それは会ってのお楽しみにして置くといい。しかし奴はどこに行った?」
近くにいたラースラン軍の士官が応えた。
「烈風参謀殿は新生ルーフル王朝の中枢に根回しに行かれました。」
「ん?先ほどまで私はルーフル陛下と会談していたのだが行き違ったか?」
「ルーフル陛下ではなくフィン殿の所に挨拶に伺っていました。ネータン
総司令官殿。」
後背から冷静そのものな声が応える。
忽然と現れた黒とグレーの軍服を纏った黒髪の美女は完璧な敬礼を行う。
「『将を射んとする者はまず馬を射よ』我が世界の言葉です。フィン殿を
通じてならば我等を警戒しているルーフル陛下に対して交渉や要望を通す
のが容易となるでしょう。」
「クククッ、相変わらず抜け目無いな烈風参謀。どうだライユーク殿、
この者が烈風参謀…どうかしたかライユーク?」
オリハルコン級冒険者のライユークは目を見開き微動だにしていなかった。
彼が烈風参謀を視認した瞬間、彼の心拍数が急上昇し冷や汗が止まらない。
この上なく鋭く研ぎ澄まされた冒険者としての直感は絶対の死だった。
この女がその気になったらこの場の全員が秒の単位で皆殺しになるだろう。
自分達『覇道の剣』やここに集うドラゴン達、空中艦隊が束になって抵抗し
ても戦いにすらならぬ。一方的な殺戮になるに違いない。
(この女は怪物だ。どう対応する?全力逃走か逆に皆を避難させる為に
死を覚悟で時間稼ぎするか…)
「聞いているのかライユーク殿。此方がモーキン殿の上官たる烈風参謀殿。
我がラースランの同盟者、異世界から到来した新勢力ガープの幹部だ。」
「んん?…モーキン殿の上官?同盟者?おおお!」
(味方か!)
烈風参謀の秘めた実力に圧倒され若干の恐慌状態だったライユークは
この瞬間に落ち着きを取り戻す。
「いやボンヤリして済まない。俺は冒険者のライユーク。覇道の剣という
パーティーのリーダーをやっている。」
「そして帝政トルフの皇弟殿下でもあらせられるな。」
ネータン総司令がニヤリと笑って付け足した。
「ほほう。随分と珍しい経歴ですな。」
「好きで得た立場じゃないんだがなぁ。叔父である先帝ベガール陛下が
爆破テロで家族共々に薨去。継承順位が低かったはずのケンマース兄貴
が即位する事になって面倒を背負う羽目になっちまった。」
「ん?確かベガール陛下が亡くなったのは魔法実験の失敗による
爆発だったと記憶しているが?」
「五大賢者の検証結果ではそうなっているがな。だが叔父貴がやって
いたのは古文書の解読だぞ?爆発する事自体おかしくないか?それに
何でわざわざ五大賢者が出しゃばって来る?」
実はライユークは五大賢者に対して疑惑の目を向けていた。この世界では
非常識に当たるので密かにだ。
理由はベガール皇帝が古代魔法文明遺跡、それも暴走した魔力が荒れ狂う
『禁忌の迷宮遺跡』についての古文書の解読を行っていた時に五大賢者から
何度も研究を止めるよう強く警告して来ていたのだ。
それを無視していたある日に起こったのが爆発事故である。
不審に思ったライユークは冒険者としての伝手や人脈を総動員して
調べた結果、五大賢者の1人、黒玉の賢人ジャミアが爆発の直前に
レオ・ブルスクに姿を現していた事を知る。
(公文書だとその日時はアルガン帝国のルアンにジャミアがいた事に
なってやがった。)
社会的に絶大な権威を持つ五大賢者。それに対する疑念は簡単には
支持されないだろう。そう思っていたのだが…
「素直に考えれば五大賢者がテロを行ったと考えるのが妥当だな。」
「!」
「可能性は低いだろう。もし爆破テロならば古代魔法文明を研究する
事自体を禁忌とする思想を持った連中が居る。そちらの犯行をまず疑う
べきだ。」
ライユークの想いをズバリ答えた烈風参謀と即座に否定してしまった
ネータン総司令。
(ネータン王女、アンタほどの人物でもそうなるか…だが烈風参謀って
女は…そうか、異世界から到来したとか言ってたな。だから余計な先入観
が無えのか。それなら何とか余人を交えずガープと接触する事を…)
実力があって政治的に独立しているガープを味方に引き入れる事を
思い立ったライユーク。っと、
「失礼ながらようやく思い出しました。『覇道の剣』、我々ガープの
偽者をソル公国軍とともに撃破した当代随一の冒険者パーティーでし
たな。いずれ改めてお話を伺う機会を…」
「いや、アンタ達は明日帰還してしまうんだろ?俺はアンタ達に
興味が湧いた。明日一緒に行っていいかな?異界からの来訪者、
ガープの拠点に訪問してみたい。」
「いや、我々は良いが明日の出発、覇道の剣のメンバーやソル公国に
無断で強行しては貴殿のお立場が…」
「はっはっはっ!説得するから大丈夫!説得できなくとも無理やり
連れて行くから大丈夫!!」
「…!!」
ネータン総司令は滅多に見られない面白いものに目を剥く。
あの烈風参謀が呆れてハトが豆鉄砲を食ったような表情で絶句
してしまった姿には氷の刃のような普段の鋭さは消失していた。
こうして竜の国から帰還するガープ部隊にも賑やかな同行者が
随行する事となったのだった。




