39 忍び寄る悪意
ネオンが煌めく大都会の歓楽街。あらゆる娯楽が整い無数の飲食店が並ぶ
娯楽と快楽の未来都市。
ここは幻影であって現実でもある。これぞガープ要塞内に構築された
電脳仮想空間都市『ガープ横丁』であった。
その一角、大人気グルメドラマ『孤独の食通』に登場した全ての飲食店
を再現して集めた『旨や通り』にある絶品焼き鳥の店に彼等は
集っていた。
「どうじゃ、この店の焼き鳥は旨かろう?」
現実とまったく同じ姿の死神教授アバターがディフォルメされた鎧姿の
人物に言葉をかける。
「…信じられんな。触感に視覚、嗅覚に味覚まで完全な幻影世界とは…」
ディフォルメ鎧の男はインプルスコーニだった。寄生触手の神経節への
改造を既に終え、本体の脳髄化の準備も整った。あとは教授がインプル
スコーニの新しい身体を完成させるまで待つのみ。その間、彼の意識は
ガープ横丁へ招待され、ここで過ごす事になったのだ。
「まあ、難しい理屈を教授に尋ねたら幾らでも教えてくれるだろうが
お前さんだって別にそこまでして聞く気はないよな?」
角の生えた軍帽を被った厳つい軍服男がインプルスコーニに話しかける。
「それより『魔霊』とやらに化けて出てたグロリスが要塞内を偵察して
やがったって話をもう少し詳しく教えてくれねえか?」
「詳しくも何も最前に話した通りだ。グロリスの霊魂は魔力を駆使して
魔霊となり要塞に侵入、薄すぎる魔素に耐え切れず短時間で消滅した。
それまで奴の視界は魔宮に送られ続けていた。それだけの事。」
「それでは同じ闘魔将のドルブがその魔霊とやらになって侵入しておる
可能性はあるかの?」
「無いな。」
死神教授の質問に即答で断言するインプルスコーニ。
「グロリスと違ってドルブは魔法術式に熟練してはいない。
魔力は大きいが技術が無いドルブが魔霊化は難しいだろうし
魔素の薄い環境で存在を維持できるとも思えん。」
「なるほどのう。」
「魔素が希薄な環境だから転移で乗り込む事が出来なかったが
グロリスの霊が侵入した事で転移に必要なマーキング・ポイント
の要件を満たしている。後でグロリスが偵察した経路を説明する
から何らかの対策を取るといい。転移は出来ずとも知られた情報
に措置を取るべきだろうしな。」
「然りじゃ。情報提供に感謝する。」
「俺の為でもある。偵察用の邪妖精でも送り込まれて俺が裏切って
魔王軍の機密を暴露してる事を知られるのはまずい。少なくとも身体
が出来上がるまではな。」
「なんの、お前さんは有益な情報源じゃ。お前さんの事は手段を選ばず
守り抜いてみせるわい。」
「心強い事だ。…ところでアニーサス達はまだ来ないのか?」
「ワシら改造人間やお前さんのように神経節に直接端末を繋げら
れる場合とは違い、未改造の人間は電脳接続座席の調整が必要な
のでな。もう少し遅れるじゃろう。」
「そうか。それなら今のうちに報酬の一部の前払いしておこう。」
「ん?情報提供か?」
「ああ。伝える優先度が高い話だと思う。四天王の一角、謀略公
クロサイトの情報と奴が進めている対ガープ陰謀作戦案についてだ。」
「陰謀作戦じゃと?」
「詳細は俺にも分からん。何せ俺の積極攻撃案と奴の陰謀作戦案は
競合していたからな。大魔王の命令で同時進行が決定し実行された
話なのだから。分かっているのは俺が出撃する直前で準備段階が終
わった事と奴の計画は第一段階から三段階に展開するらしい事だけだ。」
「謀略公ね、役職名からして放置したらロクな事が無さそうだな。」
「何を仕掛けてくるか類推する手掛かりが欲しいのう。そやつの個性や
能力等の説明はしてくれるのじゃろ?」
「むろん。奴は我らが元居たアロル世界の神族の1人だった。最下級では
あったがな。だが奴は何か神々の掟を破ったらしく大いなる報いを受ける
破目になった。」
「報いじゃと?」
「それまで奴は美しい容姿を誇っていたが極限まで醜い姿に変えられた
らしい。その姿を見た者の精神を侵し発狂させるほどに。やがてアロル
神族を圧倒していた大魔王がその事を知り大変に面白がって奴と接触。
そのまま四天王に迎え入れた。手柄を上げる度に褒賞として狂気の容姿
を少しずつ治していくと約束してな。」
「大魔王の約束?それは…」
「ああ、裏があった。奴の肉体の歪みや醜さを治療するのではなく
ただ奴の精神へと転嫁していっただけだった。奴の姿がまともにな
るほどに心と感性は醜く歪んで行く理屈だな。それは相当に進行し
ているぞ。」
「面倒な相手のようじゃ。っで、具体的に特徴的な行動原理は
あるのかの?」
「奴は手段の為には目的を選ばん。その為には多少の不利を
被っても相手をより苦しめ困窮させる事に固執し悦楽に浸る。奴が
俺の積極攻撃案に反対した大きな理由の一つだろう。」
「非合理的な策略家か。なかなか面白いのう。」
「目的合理主義とは対極の快楽殺人者に近い歪な思考の持ち主か。
消去法でマトモな戦略を外して行けば奴が仕掛けてくる策が見えて
来そうだな。」
軍服男がニヤリと笑う。
「謀略公クロサイト、どんな陰謀を仕掛けてくるのやら。」
その時、店の入り口の暖簾をくぐってダンディーな口髭と
ポマードで固めたオールバックの紳士が入店して来た。
「将軍に教授殿、皆様を案内してまいりましたぞ。」
「ワガハイ殿に案内されましたぞ教授殿。いやはやここは面白い。」
「凄いです!完全な幻影で再現された歓楽街!!これがガープの皆さん
がいた元世界の情景なんですね!」
「本当に面白えな!回顧録とか書いたら今日だけで1章丸ごといきそうだ。
おっ、インプルスコーニもいるのか。そこ座っても良いかい?」
オールバックの男、戦闘員NO76通称ワガハイに続きジジルジイ大導師と
ロムルス王子に救出されたアニーサス第一王子が入店して来た。
ロムルスは現実と同じ姿だがジジルジイは少し若く、アニーサスは寄生される
直前の姿をしている。彼らは席に着く前に同席する軍服男に向き直った。
「これは初対面の方も居られるようで。まずはご挨拶と自己紹介を…」
「挨拶も自己紹介も無用だぜ。初対面じゃ無えからな。…まあ仕方無い
事だけどな。」
「そ、その声は?!もしや闇大将軍どのですか!!」
「正解。言っとくが怪人姿のまま生首状態の方がイレギュラーだ
からな。身体の復元が終わったら現実でもこっちの姿になるから
宜しく頼むぜ。」
チョイ悪親父の顔で軍服男、闇大将軍は苦笑するのだった。
○ ○ ○ ○ ○
ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!
ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!
充分に整備された街道を規則正しく行軍するラースラン王国のラゴル王朝派遣軍。
特に大きな戦いや問題も無く占領の実績を残して任務を完遂し、
竜都ドルーガ・ライラスに駐留している主力艦隊と合流して総司
令官たるネータン王太女の指揮下に入るべく進出した地上軍は王朝
第一の主要街道に出たのだった。
「良い道です。順調に行けば一両日中には宿場町タイランに到着
出来ましょう。そうすればドルーガ・ライラスは目と鼻の先です。」
スキンヘッドで片目の厳つい副将アガットが初陣にして主将を
任された公爵令息のオーヘルに言葉をかけた。
「うん。順調だね。これなら予想より早く帰還できるかも。」
「コホン。」
露骨な咳払い。
エラッソン侯爵家の家令ヒラメルである。オーヘルのお目付け役兼
護衛として同行していたこの上品な老紳士は元冒険者で攻撃魔法の
達人の上級魔術師であった。
「オーヘル様、何か急いで国に戻らねばならぬ理由がお有りですかな?」
「い、いやヒラメル、特に理由は無いよ。ただ、まだ学生の身分だし勉強
が遅れる前に王立学園に戻れるか気になっているだけだよ。」
「……オーヘル様、エラッソン侯爵様はオーヘル様をイモーテア第二王女
殿下の婚約者候補にしようと意図しております。くれぐれも学園にて噂に
なっている男爵令嬢に入れ込む事はお控えなさいますよう。」
「う、わかっている。心配無用だ。」
オーヘルの脳裏に男爵家の庶子として入学して来た最近まで庶民として暮ら
していたというふわふわしたピンク色の髪の令嬢の顔が浮かぶ。
(おそらく父上がこの初陣を画策したのは彼女から引き離す事も
目的の一つにあったんだろうな。)
その時だ、
溜息をこらえているオーヘルの耳に喧騒と緊迫した叫びが
聞こえてきた。
「敵襲!!」
アガット将軍は凶報に即座に反応する。
「敵は何か!軍か魔物か、いずれなのか!」
「両方!!魔物の軍勢です!」
ギリッ!
鬼神の表情になり指令を飛ばすアガット将軍。
「重装歩兵は盾を構え隊列を組め!!魔道兵は魔力障壁を展開!
武技・スキルのある戦士団は小隊ごとに連携して各個に戦闘を
開始せよ!騎士団は俺に続けぇぇ!!」
オーヘルの防備に親衛騎士隊とヒラメルを付けるとアガット将軍は
自らが敵に当たるべく騎士を率い来襲して来た敵勢力の正面に猛進する。
「あれはマン・アントにトロールソルジャー!!トロールバーサーカーの
姿も確認!!」
騎士団を束ねるアド騎士団長が迫る敵勢力を目視する。
アリ人間のマン・アント。硬い外殻に覆われた奇怪な身体は
並みの刃物を通さず蟻酸という溶解液を吐く手強い魔物だ。
しかも隊列を組み槍で武装している。
そして攻撃力に特化したトロールの変異種のトロールソルジャーと
トロールバーサーカー。途轍もない腕力を生かす巨大な武器を備え
雄たけびを上げ迫る。
そして魔物らは奇妙な黒い戦闘服で統一されていた。
「敵将も見えた!それだけではないぞ!!」
アガット将軍が吼える。
敵の将は敵陣前列の中央にいた。
それは身長3メートルを超え黒ヤギの頭とコウモリの様な翼を備えていた。
実体化したグレートデーモン。暴虐な性質と冷徹な知性を備えた魔の将が
魔物の群れを統率していた。
そして魔物の群れの上空に不気味な怪物が5体、異様な動きで浮いている。
直径5メートルの目玉に多数の触手が生えた姿。
魔法生物のゲイザ・ベアードだ。強力な魔法障壁を持ち、剣や槍など
物理攻撃が届かない空中から怪光線や呪文攻撃を仕掛けてくる難敵。
迷宮の大ボス級の化物である。それが5体。
始まった戦いは激烈だが互角に推移してゆく。
魔の軍勢はおよそ1千。ラースラン軍は8千と数の上では優勢だが
魔物の1千は普通の軍勢とは意味が違う。ラースラン軍は守りを固め
粘り強く戦い魔軍を押し止め、アガット将軍の率いる騎士団が奮戦し
魔物側に出血を強いる。
「武技、猛虎大斬撃!!」
トロールソルジャーを斬り倒しつつアガット将軍が上を見て破顔した。
「よし!!上空支援が来たぞ!!一気に膠着状態を脱する好機だ!」
2機の時空戦闘機ハイドルが到着し攻撃を開始した。ガンボート2隻も
速度の違いから遅れているが間も無く姿を現すだろう。
ハイドルの攻撃。それも荷電粒子ビーム砲搭載型である。
真紅の粒子ビームで撃ち抜かれ2体のゲイザ・ベアードが即死した。
これでゲイザ・ベアードからの呪文攻撃を魔力障壁で防いでいた
魔道兵を戦闘に投入出来る。そして更なる朗報が届いた。
「南西方面から軍勢!旗印はソル公国軍!!そのまま魔物軍の側面に
突入する模様!援軍です!!!」
伝令が息を切らせて叫ぶ。満面の笑顔だ。
上空では更に2体のベアードが撃墜される。残った1体は危険を察知して
低空へと逃れた。そのゲイザ・ベアードの真下に稲妻のように駆ける姿が
あった。
「武技!昇竜剣!!」
1人の剣士が火山の噴火のような猛烈な勢いで跳躍し、最後のゲイザ
ベアードを構えた大剣で下から上と一刀両断に切り裂く。
「キュルルルオオオオン!!」
『グオオオオオオアア!!』
同時に敵将グレートデーモンの首をアガット将軍が斬り飛ばしていた。
魔軍の主戦力たるゲイザ・ベアードは全滅し敵将グレートデーモンも
倒された。程なく空中艦ガンボートも到着し対地攻撃を開始する。
大勢は決した。
デーモンを倒したアガット将軍はゲイザ・ベアードを斬った
男に向き直る。
がっしりした顔に太い眉。鍛え抜かれた身体を実用的な装備で
覆い、額に金属を縫い付けたヘアバンドを巻いている。
「久しぶりだな。『ラースランの虎』」
アガット将軍をラースランの虎と呼ぶ男。
「本当に助かった。何より心強い援軍だったぞライユーク。」
そう、この男こそ大陸最高の冒険者パーティー『覇道の剣』の
リーダー、超人ライユークと呼ばれる者だった。
その時、大きな勝鬨が上がる。味方が魔軍を壊滅させたようだ。
「ご無事ですか?アガット将軍。」
親衛騎士に護られながらオーヘル少年とヒラメルがやって来た。
「いったい何だったのでしょう。この敵は…」
「デーモンがボスでマンアントにトロール。構成だけみれば魔王軍の
処刑部隊そのものなんだが妙な格好しているな…」
そう指摘するライユーク。彼と覇道の剣のメンバーがいつの間にか揃った
姿にオーヘルは瞳を輝かせたがライユークの指摘を受け敵の死骸を見た
少年は驚きの表情を浮かべる。
外骨格生物のマンアントが着用しているのはどこかで見たような
黒い戦闘服。そして胸元に大きく描かれているのは…
「これはガープ・アイの紋章?!」
「なんだい?そのガープアイってのは?」
「我らラースラン王国の新しい同盟者『新勢力ガープ』の紋章
です。」
「つまり、そのガープが裏切ったと?」
「まさか。」
オーヘルの傍らに居た家令ヒラメルが即答する。
「デーモンにベアード。それにこの死骸からも下劣な魔力が漂っている。
新勢力ガープの特徴は構成員も持ち物にも一切の魔力が無い事。強大な
力を振るいながら魔法を持たぬガープの特徴と合致しません。」
「おいおい、魔力も無しに強大な力?そりゃ本当か?」
「事実だ。」
ライユークの疑問にアガット将軍が答えながら空を指差した。
「あのゲイザーを撃ち落した戦闘艇はガープ所属だ。ちゃんと敵を
仕留めていただろう?それに調べれば魔力が無い事が分かるはず。」
そう言ってアガットは覇道の剣のメンバーの一人に目を向けた。
身軽な服装で勝気な表情のハーフエルフの少女はアガット将軍と
ライユークの顔を交互に見た後に一歩前に出て空を見る。
数瞬の後、
「マジかよ。本当に魔力が無えぞ。俺あんなの初めて見たわ。
一体どーやって飛んでるんだアレ。」
男言葉の少女キャミル。彼女は超一流の魔法格闘士であり
鋭い魔力感知能力を備えている。
彼女の断言は覇道の剣一行を納得させてくれた。だがラースラン
側の人々はそれ所ではない。非常に難しい問題の萌芽が確認され
たのだ。
新勢力ガープの偽者の出現。誰がどう考えても大きな波乱の
幕開けになるに違いなかったのだから。




