38 マッドサイエンティストの手並み
そこは清潔感ある不気味な場所であった。
得体の知れない液体に満たされた培養槽が
並び液の中にはピクピク動く臓器や肉塊の
ようなモノが浮かんでいる。
この恐怖の実験場のような怪しい施設、実は
ガープ要塞内のメディカルセンターであった。
「…一体、どういうつもりなのだ貴様ら。」
培養槽の一つ、その中に奇怪な寄生体と一体化した
若者の首、インプルスコーニが入った培養槽の前に
関係者が全員集まっていた。そしてインプルスコー
ニは目前に集まった者達に呆れている。
彼の首の切断面には生命維持装置らしい様々な器具が
接続されており液体の中なのに発言は培養槽に付随
したスピーカーから明瞭な言葉として伝わってくる。
主にインプルスコーニを呆れさせたのは先頭に立つ
死神教授の態度である。
いま教授は人間形態に戻っているが下半身は何かの
液体が入っているらしい円筒形の治療槽に収まって
いる。治療槽には車椅子のような車輪が付いており
自走可能らしい。
「どういうつもり?心外じゃのう。おヌシの質問には
全て答えてやっとるじゃろう?」
「それが変だろうが!普通はこちらの要望など無視して
そっちからの尋問が始まるものだぞ!」
「強制的に聞き出した情報なんぞ信頼性が低すぎて使い
物にならん。時間の無駄じゃ。」
「…では貴様らが正確な情報を得ようとすれば一体どう
するのだ?」
「次の質問じゃな。それはの、自分から情報を出すよう仕向
けるか、もしくは脳髄に端末を繋げて直に情報を吸い出して
しまうかじゃ。」
「気味の悪い事だな。要するに今の俺から聞きたい事は何も
無いという訳か。」
インプルスコーニの本体らしい寄生体の眼球が小刻みに
動いた。呆れた様子である。
「でしたら私が!私から武闘公に質問させてください!」
王国の王子でもあるロムルス上級導師が前に進み出て
教授の了解を得る前にインプルスコーニに問いかけた。
「答えよ武闘公!お前は兄上に、アニーサス兄上に一体何をしたぁ!」
「ほほう、お前はアニーサスの弟か。なるほどな。」
インプルスコーニの声に納得したような響きが加わる。
「それが俺を生かして捕えた理由か。道理で尋問も拷問も
始まらない訳だ。」
バンッ!
培養槽に両手をつきロムルスが再び問うた。
「質問に答えよ!!兄上はどんな死に様を…」
「アニーサスは生きているぞ。」
「え?」
「脳はそのまま残っている。意識もちゃんとあって
今この状況も見聞きしているな。これで満足か?」
「兄上は何か言っているのか?」
「…ふん。まあな。…聞きたいのか?」
こく
無言で頭を縦にふるロムルス。
「…よかろう。『うおー!!凄ええなおい。首だけなのに
痛くも苦しくも無えーなんてどんな技術だよおい!』っだ
そうだ。」
「戯言を…」
「いえ、死神教授殿、この上なく兄上らしい言動です。
アニーサス兄上は楽天的で常に前向き。ちょっと変です
が器の大きさは本物。私は兄上が悲観的になった所を見
た事がありません。」
「それは大器と言うより頭のネジが飛んでおるのじゃ
なかろうか?」
「…アニーサスは今のを聞いて大笑いしているな。」
「どうやら本当にアニーサス第一王子殿下が生存しておる
ようじゃのう。すまんが返してもらおうか。」
ジジルジイ大導師が培養槽に向け魔術を行使する構えを見せる。
「脅しか?一つ忠告しておくが俺の本体を傷付ければアニーサス
の命が終わるぞ?アニーサスの頭の中には髪より細い俺の触手が
何千本と食い込んでいる。俺が滅びる時はアニーサスの人生が終
わる時となるわ。」
「くっ!」
「人質などと卑劣な!兄上を返せ!」
「悪いが俺自身の意思でもどうにもならん。この身体の
本能が宿主から離れる時は宿主が死ぬか廃人になった場
合だけだ。治療魔法なぞ無意味だし無理やり引き剥がそ
うとすれば触手の食い込んだアニーサスの脳が破壊され
るだろう。お前らにはどうにもできん。」
「…何という事じゃ。」
「ああ、兄上…。」
「簡単に切除出来るぞ?」
「え?」
「え?」
「何だと?!」
自信に満ち溢れたマッドサイエンティストの顔で死神教授が
言い放つ。そしてコントロールユニットを立ち上げ、何かの
準備を開始しつつ全員に告げる。
「これこそがワシの得意分野じゃからの。苦手な白兵戦闘より
よっぽど勝算があるというものじゃわい。」
「聞いていなかったのかジジイ!!髪より細い俺の触手が
無理に引き剥がす事を不可能に…」
「触手の直径は平均で0.03ミリ。髪の毛の半分ほどの
太さじゃな。そして数は3022本か。一部の触手は脳下
垂体の組織と癒着しておるようじゃが記憶野やシナプス細
胞とは繋がっておらんな。まあ意識と記憶の混線が起こる
から当然か。どうやら至極簡単な手術で片付きそうじゃ。」
「ジジイ、一体どうやって俺の中身の事を…」
「ナノマシンと言っての、ちっこい機械なのじゃが診断用や
手術補助、細胞保護や局部麻酔など12種類のナノマシンを
それぞれ万の単位で今おヌシの頭にドクドク送り込んでおるわ。」
言いながら両手を広げた死神教授。その腕に床からせり上が
って来た大仰な機械に取り付けられているデータグローブを
装着。同時に培養槽の内部に多数のマニュピレーターが伸び
て先端に付いている様々な手術道具、レーザーメスやドリル、
極細のピンアームなどが武闘公の首を取り囲んだ。
「元の世界においてワシが経験したもっとも困難なオペは
味方の要人の脳に生物兵器の殺人カビが取り付いてしまい
、それを除去する為の手術じゃった。」
説明しつつ死神教授がデータグローブを操作すると数十本の
手術道具が一斉に蠢き出す。
「何万という菌糸を伸ばし周囲の細胞をガン化させる毒素を
撒き散らす殺人カビ。ワシともあろう者が切除し脳を完全な
状態で救出するのに17分もかかってしまったわ。」
「は?」
「さあ、全てのガープ怪人、戦闘員らの改造手術を行ってきた
この死神教授の生命工学の粋をじっくり堪能するがいい!!」
「ぬおおおお?!」
マッドサイエンティストらしい狂気じみた笑みを浮かべた死神
教授のインプルスコーニ分離手術、その執刀が始まった。
○ ○ ○ ○ ○
ああ、またか……… …… …
インプルスコーニは大魔王の前に平伏しながら唇を噛む。
ハヴァロン平原において死霊術の罠にかかったラースラン王国
の野戦軍を撃滅し、ちょうど限界が来た宿主を捨て王国軍の指
導者とおぼしき若者を宿主にしての凱旋。
上機嫌で褒美を与えようとする大魔王に何度目か分からぬ
切なる願いを訴えかける。
「寄生体の身ではいざという時に不覚を取る恐れがございます。
大魔王陛下、なにとぞ私に自ら戦える身体をお与え下さい。」
『そなたが不覚?ありえぬ也。されど力を求める姿勢は殊勝。
故にそなたに更なる寄生能力の強化と『因子』を授けよう。』
違う!!!そうじゃないんだ!!俺は自分の身体が欲しいんだ。
借り物ではない自分の骨格、自分の筋肉が欲しい!
どれほど武勲を重ねても大魔王は決してインプルスコーニが
真に欲する物を与えようとはせず『因子』など他の褒美を下
賜してきた。これまでも。そして恐らくこれからも。
『因子』、
それは大魔王だけが与えられる才能の萌芽、進化の可能性である。
大魔王によって生命の本質に因子を植え付けられた者はどれほど
高度なスキルや武技であろうとも鍛錬すれば必ず獲得できるのだ。
種族や職業の制限をも無視してどんな力や技でも習得出来てしまう。
魔王軍陣営において大魔王から因子を与えられるのは垂涎の的で
あり憧れであった。
インプルスコーニにとっては無用な至高の褒美。
されどそれは大魔王からの最大級の賛辞に違いな
く不平など言う事は許されぬ。
ありがたき幸せ、そう感謝の意を示し大魔王の褒美を受ける
しかなかった。
カツーン
カツーン
魔宮の中心部、その寒々しい廊下をプライベートスペースに
向け進むインプルスコーニ。
苛立ちと落胆を噛み締めているのは激した歩調で丸分かりだ。
『辛いよなぁ。ま、元気出せやインプルスコーニさんよ。』
「貴様?!」
驚いた事に新しい宿主が錯乱もせず普通に脳内から呼びかけてきた。
これまでの経験では宿主は身体を奪われた事に錯乱し内部で
荒れまくるものだ。それをしばし観察し鑑賞した後でその意
識を落とす様にしてきた。ずっと騒がれてはうっとおしいか
らである。
だがこの新しい宿主アニーサスは最初こそ錯乱したが比較的早く
静かになりインプルスコーニはその存在を失念するほど無反応に
なっていたのだ。
まさか、ずっと大人しく見ていて話しかけてくるなどインプル
スコーニにとって前代未聞の事態だった。しかも肉体を奪った
相手に憎しみではなく同情した上で元気付けようとしている謎
態度。
「貴様、身体を乗っ取られた事を恨んでいないのか?」
『まあ、要するに合戦で負けて虜囚になったようなもんっと
考えれば討ち死にしちまうよりマシかなっと思ってな。』
「討ち死によりマシ……」
『おかげで人間としては誰も見た事ない魔宮の奥も見られたし
大魔王クィラ御本人の姿も拝めた。多分それらを見て生きてる奴
なんて俺ぐらいだろうな♪』
「なんとも図太い奴だ。」
『大魔王の雰囲気は流石の大迫力だったな。姿も衝撃的だった。
だけど性格はなあ…あれ、絶対にインプルスコーニが何を望んで
いるか知っていてやってるぞ。魔の王らしい嗜虐さだろうけど
ちょっと惨いよな。』
「…だが従うしかない。逆らうなぞ不可能だ。」
それから一蓮托生に近い両者は語り合う事にした。
途中からインプルスコーニも脳内で返答し始め誰に
も聞かれる心配の無い会話となってゆく。
ラースラン王国の第一王子としての自分を語り終わった
アニーサスに今度はインプルスコーニが自身がどんな存
在かを説明する。
「我が魔王軍が元いた『アロル世界』に『バルー』という
名の気持ち悪い寄生生物がいる。厭らしい事にバルーは
頭に寄生しその肉体を支配下に置いてしまう怪虫なのだ。」
バルーに寄生された生物は意識を失い身体を奪われる。
その代わり驚異的な身体能力を得るのだ。
ただのゴブリンがバルーに寄生されただけで素手でグリフォン
の群れを殲滅しサイクロプスを簡単に叩き潰す。
「そのバルーの1体に大魔王陛下が強大な魔力を注ぎ強制進化
させて作り出されたのが俺という訳さ。バルーに高度な知能と
人格を与え宿主の身体強化能力をケタ違いに増強された存在さ。」
『その言い方だとインプルスコーニは自分の身体が…』
「大嫌いだよ。こんな身体。自分で戦う事も出来ない、
それどころか消化器官さえ無く養分を吸って生きるだけ
のミジメな存在。それに第一、俺は大の虫嫌いなんだ。」
その後もインプルスコーニはアニーサスの意識をオフに
せず、不思議な器の大きさを見せるアニーサスと相棒の
ような関係を形作って行く事になる。
真実、アニーサスは大器なのかもしれない。自身を嫌悪し
攻撃衝動に荒み、大魔王への忠誠と恐怖に塗り潰されてい
たインプルスコーニの心を明るく前向きな方向へと変えて
いったのだから。
○ ○ ○ ○ ○
どれほど時間が経過したのか。
インプルスコーニは意識を取り戻した。
分離手術は成功したのだろう。いま培養槽に浮いているのは
寄生生物としてのインプルスコーニの本体のみ。
目玉を動かして周りを見る。ちょうど正面に成人が入るだけの
大きさの培養槽があり首と胴体、左腕が繋がったアニーサスが
入っていた。消滅した右腕の再生も始まっているのだろう。何
やら肉が盛り上がり始めている。
そのアニーサスはしっかりと目を開きインプルスコーニの方を
心配げに見ていた。
(助かったのか。よかったなアニーサス)
『助かったのか。よかったなアニーサス』
(!?)
発声器官の無い本体、宿主が無い今、どうせ声が出ない
と思いながら呟いた言葉が出て驚くインプルスコーニ。
『な、何だ?これは一体??』
ゆっくりしたボイスの合成音声でインプルスコーニの言葉が
培養槽に付随したスピーカーから発せられる。
「言語中枢と情報伝達を繋げてスピーカー機能と連動させた
のじゃ。どうやら問題なく機能しとるようじゃの。」
「ジジイか。魔法も使わず恐ろしい技術力だな。それに
分離手術そのものも早く終わったように見受けられる…』
「分離はカップラーメンを作る程度の時間で終わった。
完璧にな。お前さんの意識が戻る前にアニーサス王子の
治療を終えて、ついでに王子からお前さんの事情を聞いて
おいたわ。」
『!?、おい!アニーサス!!』
てへぺろ
アニーサス王子は繋がった左手を後頭部に当て片目を
閉じ舌を出して誤魔化した。
「お前さん、自分の身体が欲しいんじゃろ?」
『!っ、出来るのか?!』
「造作も無いわ。お前さんの肉体から採取した細胞を改変して
新たな身体を作る。ただし、お前さんの触手を神経節に改造し
本体も新しい身体の脳と一体化し体内に収まってもらうぞ。
つまり、寄生生物としての力を失い別の生命へと生まれ変わ
ってもらう事になる。」
『むしろ望む所よ!』
「ふむ、その方式で了承なのだな?言っておくがスキルや武技は
使えるが寄生由来の身体強化能力は限定的な物になるぞ?』
『かまわん。それで対価は何だ?』
「うむ、対価と条件も飲んでもらう。対価は四天王として知りうる
限りの魔王軍の情報の提供。特に大魔王についての情報じゃ。そし
て条件は新たな身体を得て再び戦えるようになっても決して我らと
敵対しない事の確約じゃ。」
「乗った!!」
自身でも驚くほどあっさりと魔王軍から離脱する決意をした
元四天王の即断に死神教授は満足げに頷いてみせる。
この日、公文書ではラースラン王国の第一王子が救出され、
魔王軍四天王の武闘公インプルスコーニが倒され滅んだと
記録される事となった。




