16 闇を見つめる闇
「グロリスめが。たとえ肉体が朽ちようと闘魔将ともあろうものが
役目を最後まで果たせぬとは情け無い!!」
暗い大聖堂のような寒々しい空間で激昂する男の声が轟く。
この荘厳な空間は聖堂のような構造だが雰囲気は明らかに聖ではなく邪だ。
ドーム状の天井はおそろしく高く、壁面は漆黒で白い人骨のような
装飾が施されたおどろおどろしい代物だ。
所々で青白い灯がともっているが全体を照らす事は無く闇が支配している。
この場にいる何人かの人影が中央の水鏡付近に集まっていた。
ここは魔王軍の中枢『魔宮』であり集う彼らこそ大魔王に仕えし四天王。
さきほどから烈火の如き怒声を張り上げているのは長身で逞しい体躯の男。
棘や角飾りが取り付けられた黒色の物騒な全身鎧を着込み巨剣を佩いている。
魔獣を模した禍々しい兜に覆われ口元しか見えないが意外に若い男性で
あるようだ。彼が再び怒声を上げようとするのを別のエコーの掛かった
ような奇怪な声が揶揄する。
「『武闘公』らしい物言いじゃが既に霧散し消滅したグロリスの魔霊を
罵倒しても無意味じゃぞ?ふぉふぉふぉ。」
異質な声に静止された鎧の男『武闘公インプルスコーニ』は怪奇な声を
発した同じ魔王軍四天王の1人である『謀略公クロサイト』へと向き直る。
武闘公を嗜めた謀略公クロサイトは奇怪な姿をしていた。道化のような
装束に歪んだ笑みを浮かべたマスクで顔を覆い表情は伺えない。細い胴体
から伸びる手足は異常に長く細い。まるで人間サイズのアシダカグモのよう
な体型で両手両足を折りたたみカマドウマのような姿勢で武闘公インプルス
コーニを睨め上げていた。
「落ち着かれませお二方。1つ提案なのですが毒怪グロリスの霊が消滅前に
送って来た映像をもう一度確認し具体的な検討をすべきではありませんか?」
遠慮がちに声をあげたのもまた四天王の1人内務公デモール。
彼女は1点の特徴を除いて非常に美しい人間の女性のように見える。
儚げな美貌、長く美しい暗灰色の髪。シスターのような衣服の上から
黒いベールを被った姿は清楚と言えたかもしれない。
だが、彼女は人間ではありえなかった。見上げるような巨体。身長18メートル
を超えそびえ立つ巨人。人の10倍以上の体格を持つ静かなる淑女。それが内務
公デモールだ。
デモールの提案に特に異論は無い二人は再び『見透の水鏡』に向き直り
起動させるワードを唱えた。
水鏡は妖しく輝きグロリスが思念波で送ってきた映像を再生する。
圧倒的な攻撃で肉体を木っ端微塵にされた闘魔将グロリス。だがその魂は
保有する膨大な魔力を駆使して『魔霊』と化し報復の機会をうかがっていた。
霊体ながら自我と記憶を完璧に保持し魔法を行使できる魔霊。霊であり
不可視だが敵に霊視能力がある事を警戒しまず隠形の呪文を使うグロリス。
復讐を狙うグロリスだが闘魔将として敵の情報を魔王軍に届ける使命を
忘れてはいない。自分が見た光景を記録し送り届ける為に『魔宮』の
水鏡と自分とを思念波で繋ぎリンクさせる。
グロリスが見るに敵は歴戦であるらしい。
爆風でダメージを受けた部隊は整然と要塞内に後退し、それを支援する
為に要塞内から別の部隊が姿を現す。鳥のような姿の怪物に指揮された
新部隊は撤退支援の作業の後に周囲の防備を固める。
合理的な行動で隙は無い。これでは別動隊を用意して奇襲を仕掛けていても
成功率は低くかろう。
グロリスの魔霊は自分を倒したカメのような姿の怪物を追い要塞内へと侵入する。
鋼鉄の要塞に入った瞬間、グロリスは強烈な違和感を覚えた。
(魔素が…薄い?)
魔素を持つ肉体を失った今、魔力を行使するにも霊体を保持するにも周囲の物体や
空間が発する魔素が欠かせない。
魔素が薄いという事は使える魔法や力が限定されるという事だ。
(だが…逃さぬ!!)
グロリスは力の制限を受けようとも仇敵のカメ怪人を追う事を選択した。
要塞内は鉄の世界だった。非人間的なまでに合理的で冷たい鋼鉄の
構造体。ダークグレーと黒で塗装された内装に赤く発光するラインが
カメ怪人が行く廊下に寒々しい印象を与える。
怪人は待機所や救護施設へと向かう戦闘員の部隊と別れ要塞の最深部へ
向かうようだ。
(敵の中枢を…突き止めて破壊…。)
警備の歩哨と思われる戦闘員の敬礼に敬礼で応えながらカメ怪人は
長い廊下を進みスライドドアの小部屋のような所に入る。
(魔力は感じぬが…魔道エレベーターのような…昇降機か)
何故か意識が朦朧とし始めていたグロリスはカメ怪人に遅れまいと
エレベーターに侵入する。
もし霊能力者がこのエレベーター内を見たならばカノンタートルの
右脇に恐ろしい形相のグロリスの霊の顔を見る事だろう。
そう、要塞内に侵入した時点で5体揃っていたグロリスの霊体は
いつの間にか顔だけになってしまっていた。
グロリスは意識が薄れつつある事を自覚し保持している魔力を大きく
循環させ周囲の魔素を取り込み霊体を保とうと努める。ちょうど
息苦しくなった生き物が深呼吸して酸素を得ようとするように。
だが状態が改善する事は無くグロリスは意識が遠退きそうになりながら
必死にカメ怪人の後を追う。エレベーターを降りて程なくひときわ頑丈そうな
両開きのスライドドアの前に辿り着く。
幾何学的な目の意匠の紋章と見た事の無い文字のプレートのある扉。
自動のドアであるらしくカメ怪人が進むと普通に開いた。そのまま
グロリスも内部に侵入する。
ようやくグロリスが目の当たりにした敵の中枢。明滅する光に照らされた
室内は冷たいまでに合理的な構造で外部の様子を映す魔法の鏡のような物が
並び使途不明の機械が唸り声を上げている。
室内の一角にカメ怪人や鳥怪人と同格と思われる魚の怪人と戦闘員達が
整列していて近くには冒険者風の者達が青ざめた表情で呆然と並んでいた。
そしてカメ怪人は中央にいる首魁とおぼしき者達に頭を下げ何やら謝罪を
行っている様子。
首魁は3人で1人は軍服を纏った美女。だが黒髪に黒目と異質な特徴を持ち
只者ではない雰囲気を放っている。もう1人は化学を生業とする錬金術師の
ような格好の初老の男だが邪悪な容貌の半分を仮面で覆う怪人物だ。
(…アークデーモン?…いや魔力が…無い…)
もう1人?が水槽に入っているデーモンの生首のような怪物で首から下に
内臓をぶら下げながらカメ怪人に何か言葉をかけている。
(…いかん…意…識…が…もう持たん!…)
ようやく中枢に辿り着いたというのに限界に達したグロリスは起死回生の
一手に賭けた。魔力と魔素を保持していると思われる冒険者たち。中でも
ひと際大きな魔力を感じる魔術師の老人に狙いを絞る。
(…憑依…で…逆転でき…ファ?!)
ありったけの魔力を込め憑依の術式を組み上げ全力突進しようとした
瞬間にグロリスの意識は途絶え、顔すら崩壊し右目だけになっていた
グロリスの霊体は弾け飛んでしまった。
「?、気のせいかの。」
一瞬だけグロリスが存在していた空間に目を向けた老魔術師のジジルジイは
小さく呟くと目線を戻したのだった。
見透の水鏡の映像はここで途絶しふたたび最初から再生を開始する。
「ふむ、霊体の維持が困難なほど薄い魔素か。なかなか考えられんが
グロリスほどの者が魔力の配分を間違えるはずも無かろうのう。」
ズズゥン・・・
謀略公クロサイトが呟いていると内務公デモールの巨体が膝をつき成人より
大きな手を水鏡にかざす。そして数瞬ののち驚いたような声を上げた。
「これは?!」
「邪魔だデモール。水鏡から手をどけろ。よく見えん。」
「…失礼しました。」
武闘公インプルスコーニの不機嫌な声にデモールがそそくさと手を引く。
どうやらデモールが四天王の中で実力・順位共に最下位であるようだ。
「何か分ったのかな内務公?」
クロサイトの問いにデモールが察知した事実を答える。
「今、私の鑑識スキルで水鏡に残る痕跡から思念波を送るグロリスの
霊の状態とあの場の環境を調べてみました。急激に魔霊体が崩壊した
のも納得です。あの空間に魔素はありません。皆無です。」
「馬鹿な!!ありえるのか?!」
「おそらく魔素を含む外気が多少混じっている為に微弱な魔素は
あるのでしょう。さもなくば侵入したとたんグロリスは消滅して
いたはずです。あそこに魔素は無い。あの要塞を構成している
物質も敵の身体にも魔素は無いようです。」
「魔素がなければ魔霊体は維持できん。グロリスの魔霊は意識と
自我、記憶を失いただの魂魄と化して輪廻の彼方に消え去ったか。」
「奴等も異世界からの渡来者…それもどうやら魔素や魔力が存在しない
世界から来た。おそらく我々とは根本的な考えが違う異質な相手といえ
るでしょう。」
「なに、異質ではあろうが考えが分らん訳ではないさ。」
そう言ってクロサイトは片手の指で印を結び水鏡の上で空中に文字を
書くような仕草をする。すると水鏡の映像は早送りされ動画中の三幹
部が映っている場面で一時停止した。
「見よ、この不気味な連中を。軍事訓練の行き届いた手下どもといい
間違いなく我らの同業者じゃわ。」
「それは同意だ。我々と同じ渡来して来た侵略者に違いない。」
「ええ、あの見るからに邪悪そうな姿。間違いなく私たちの獲物を後から
来て横取りする連中でしょうね。」
ガシャ
巨剣の柄に手を架けインプルスコーニが吼える。
「邪魔者は滅ぼす!!闘魔将を1人。それとゼルーガが予備兵力として
待機していたな。ゼルーガも投入し俺が直々に出陣して指揮を取るぞ!!
ただちに出撃だ!!!」
「待て待てぃ!!ゼルーガじゃと?!戦略級の超大型魔獣まで連れ出す気か?!
いきなり戦端を開くなんぞ拙速の極み。策を仕掛けるなり一時的に手を組むなり
工作の余地は残すべきじゃ!!時間を置けぃ!」
「お言葉ですが私も武闘公に賛成ですわ。初戦でこちらが破れた以上、手を
組もうとした所で足元を見られ奴等の野望に我々の方が利用される憂き目を
見る破目に陥るでしょう。いま選べる最善の手段は武力行使かと。」
普段は自分と同じく慎重論を唱えるデモールがインプルスコーニに同調されて
しまい旗色が悪くなったクロサイトはずっと沈黙を保っているもう1人の
四天王に話を振った。
「統帥公にして総司令たるボーゼル殿はいかがお考えかな?」
クロサイトは水鏡の反対側、少し奥まった一角に目を向ける。
その一角は特に濃い闇がわだかまっていた。青白い灯も通さぬ、まるで
手で触れられそうなほど濃く暗い闇。ふいにその闇の中に二つの赤い目が開く。
闇に遮られ全体像は全く見えないまま真紅に輝く双眸が何とも表現のし様もない
声で何の感情も篭らない言葉を発した。
「双方の言い分にはいずれも傾聴に値する価値が有る。だが武闘公の即戦案、
先ほど言っていた投入戦力で確実に勝利できるのか?また謀略公の案だが
確実に罠に嵌める策の用意や手を組む方策の確実性を担保するのにどれほど
時間が掛かるのかね?」
闇の中の赤い目は一旦此処で言葉を切り、
「我らは既に有用な手駒である闘魔将を1人失った。勇者ゼファーの一党を
滅ぼす戦いも続いている以上もはや時間も戦力も無駄には出来ぬ。まず必要
なのは情報収集だろうかと思う。」
「俺が先頭に立ち、命に代えても確実に敵を殲滅してみせる!」
「武闘公、貴殿の命は消耗品にするほど安くは無いぞ。それに未知の相手に
『確実』に勝つと宣言するのは蛮勇ですらなく妄想だ。」
いきり立つインプルスコーニを嗜めつつ赤い目は厳かな口調に改め、
「いずれにせよこの懸案は軽くは無い。我らだけで判断する事は避け大魔王
陛下の御裁可を仰ぐべきだと思う。そのあいだ我らは情報収集に努める。
何せ我々はこの新しき敵の名前すら知らぬだから。異論はいかに四天王諸卿?」
四天王筆頭のボーゼル総司令の方針に他3名は頭を下げ賛意を示した。
ある者は粛々と。ある者は不満を抱えながら。
これ以降、魔王の領域の中枢、魔宮においてもガープの存在が大いに
注目・監視対象として認識される事となる。