#3空
「私、ヒサギンの事が好きなの!」
「わ、私もユミリンが好き!」
教会の荘厳な鐘の音が聞こえる。やがて純白のドレスに身を包んだユミリンは2人の誓いを立てんと潤んだ瞳をそっと閉じる。
ユミリンの顔にかかった薄いベールを私はそっと取り去った。ああ、私たちは今日結ばれるのか。ここまで長かった。色々なことがあって、色々な事をした。そう考えればこれは必然であり、運命だったのかもしれない。
その運命に、私は誓う。
「私は、ずっとユミリンを幸せに──────
夢だった。
半開きの視線で、目覚まし時計を睨みつける。
せっかくいい夢だったのに。
言い訳がましい騒音を鳴らし続ける時計を止めて、いつもと違う天井を眺める。
「ここ、うちじゃん」
「楸ー?いつまで寝てんの?早く朝ごはん食べなさい」
お母さんの声が聞こえる。
なんでうちにいるんだっけと記憶を探れば、答えは簡単に見つかった。
「そうだ、今日おばさんの結婚式だ」
だからあんな夢を見てしまったのか。
まったく私という生き物は単純すぎて困る。
「なにしてるのー?楸ー?」
「今行くー!」
寝癖を手探りで確認しながら楸は自室を出て階段を降りた。
「やっと起きた。10時から式場行って準備とか手伝わなきゃいけないから、食べ終わったらすぐ身支度しておきなさい」
時計を見ると、現在8時46分。式場に向かうまでの時間を考慮すると遊んでいる時間はあまりなさそうだ。
「あんた、小さい頃からよく京子ちゃんに遊んでもらってたんだから、ちゃんとおめでとうって言いなさいよ」
「んー」
パンを咀嚼しながら返事をする。
京子ちゃんというのはおばさんの名前だ。
小さい頃に保育園で遊んでいた記憶はほとんどないが、おばさんと遊んでいた事は割と鮮明に覚えている。
部屋の中でお絵描きをしていて、おばさんに『上手いねー』って褒められていたのが1番古い記憶だったりもするくらいなのだから、幼い頃から余程可愛がってもらっていたのだろう。
よく考えればあの当時まだおばさんは中学生だったという事になる。おばさんというよりお姉さんだ。実際おねえちゃんって呼んでたし。
私が中学生の間も何度もうちに来たり逆に行ったりしていたが今は寮生活なので、最近は会っていない。
「結婚か・・・・・・」
それはきっと幸せなことなのだろう。神様の前で永遠の愛を誓うなんて、素晴らしくロマンチックだ。
でも私にその日は訪れない。女の子を好きになる私は、好きな人と結婚できない。
絶望の一端を垣間見たようで悪寒が背筋を駆け抜ける。
(世間一般的な目で見れば、同性愛なんて異端も甚だしい事、なんだよね)
「楸、手止まってるけど、どうかした?」
「え?・・・・・・ううん、なんでもない」
朝から暗い気持ちになるところだった。今日はおめでたい日なのだ。テンションは上げていかなければ。考えるのをやめることにする。
楸はテレビをつけた。
何気に初めて見るウェディングドレスは、ぼやけた夢で見たものよりもずっと綺麗だった。
「おばさん久しぶり、結婚おめでと」
「あら、楸ちゃん。大きくなったねぇ」
どこか抜けた口調はいつもと変わらない。おばさんのそれだ。
「別に前会ったのも何ヶ月か前じゃん。そんな変わらないでしょ」
「でも大きくなったよ~?」
よしよしと頭を撫でられる。いやいやと頭を振る。ここまでワンセット。
微妙に会話が噛み合っていない気もしないでは無いが、この人と話していればいつもの事なので突っ込まないことにして話を進めた。
「そういえばおばさんって、旦那さんとはどこで知り合ったの?」
「んー、高1で同じクラスだったんだ。たまたま名前順の席で隣になって、彼に話しかけられたのが始まりかな?」
どこかで聞いたようなストーリーだなと思う。
ほぼまるっきり私とユミリンの話だ。
違う部分なんて、同性だったか異性だったかでしかない。
しかし、それだけがどうしようもなく高く分厚い壁となって、今日も見上げる私の首を疲れさせる。
いい加減、筋肉痛だった。
「・・・・・・やっぱ高校の恋愛って割と大事?」
「さては楸ちゃん、好きな人ができたね?」
大人は、簡単にこういうのを見破ってしまうのだろうか。胸の内のモヤモヤも、先の見えない夜霧も、大人になれば簡単に解決できるのだろうか。大人に頼れば、あるいは、私も。
「うん。できたよ。人生で2人目。どっちも女の子だった」
『は?女同士じゃん。きも』
「みんなは、ちゃんと男子を好きになるのに」
『私のことずっとそういう目で見てたの?』
「なのにっ、なのに好きになるのをやめられなくて・・・・・・!」
『まじでやめてそういうの気持ち悪いから』
「私はっ!・・・・・・わたしは・・・・・・」
中学時代、はじめてした愛の告白の場面がフラッシュバックする。
好きになった瞳に映る自分宛の軽蔑。
暗転した世界。
果たせなかったみんなでカラオケの約束。
その全てが傷を広げ、抉り、心を滅多刺しにする。
乱暴に大人に感情を投げつけるその姿は、酷く幼稚だ。おばさんはしばらく沈黙している。こんな醜態をどう受け止めているのだろうか。
「・・・・・・そっか」
ぎゅっと目を瞑った。もう聞きたくない。あんな言葉を、あんな感情を。もう、嫌なんだ。
不意に体の温度が上がる。目を開くと、おばさんのウエディングドレスが目の前にあった。
「私もさ、・・・・・・実はバイなんだ。だから楸ちゃんの気持ち、ちょっとだけわかるよ」
優しい言葉は福音になって荒んだ心に風を吹かせる。荒野に花の芽がひとつ、またひとつ芽吹きだし、太陽が眠い目をこすりだす。
「辛かったね。痛かったね。悲しかったね」
温かな空気が流れ込み、世界が鮮やかな色を取り戻す。
「大丈夫、ここにいるよ」
その言葉で、その音で、心の朝露が涙となって溢れ出した。
そうだ。ずっと辛かった。痛かった。苦しかった。何度も死にたいと思った。転生を望み、魂は錆びて朽ち果てた。
ずっと1人だと、そう思っていた。
「話してくれてありがとね。楸ちゃんは偉いから、もうちょっとわがままでいいんだよ」
さめざめと流れゆく涙は川になって傷を癒す。
心に残ったのは、かさぶたがひとつと、恋がひとつ。
部活の休日出勤も、そこに好きな人がいれば大して面倒な事ではない。
好きな人がラリーをしている姿を眺められるならむしろ楽しみなくらいだ。
じゃあ長辻先輩とラリーしたいかと聞かれると微妙だ。シチュエーションとしては悪くないが絶対負ける。
長辻先輩のペアをしていた先輩がミスをして、試合終了。コートから退場する。私は急いで駆け寄って、先輩に水を手渡した。
「お疲れ様です。長辻先輩!」
「ありがとう、由美里ちゃん」
先輩がニコっと笑うと、私の心臓も呼応するように跳ね上がり、脳内に甘い物質が溢れ出す。
「そうだ、先輩。今度ヒサギンの実家の方で大きい夏祭りがあるらしいんですよ。よかったら一緒に行きませんか?」
完璧。家で練習した甲斐があった。お祭りの情報を教えてくれて尚且つ長辻先輩とも仲良かったヒサギンに感謝。
「お祭りか・・・・・・そういえば最近ほとんど行ってないなぁ」
少しだけ考え込んで先輩は言った。
「うん、たまには気分転換も大事だよね。いいよ由美里ちゃんと楸ちゃんと、行こっか、お祭り」
「やったぁ!ヒサギンにも伝えときますね」
今日は最高の日だ。クラッカーでも鳴らしたい気分。テンション高くなりすぎて普段しないミスを連発してしまった。反省反省。
その夜は、ごろごろとベッドの上を転がっていた。
憧れの先輩に告白するチャンスがついに訪れたのだ。これまでもたくさんアピールした。今先輩に彼女も彼氏もいない事も把握済み。
お祭りは来週の土曜日。今からもう待ちきれない。
「あ、もしもしヒサギン?長辻先輩、おっけーだって」
『ほんと?よかった。楽しみだね!』
「うん、ヒサギンの地元楽しみ」
『そっち?』
くすくすと笑う声が聞こえる。
「ヒサギンの恥ずかしい思い出とかあったら後学のためにぜひ聞きたいんだけどなんかある?」
『えぇ~なんにもないよ~』
絶対なんかある。言及はしないけど絶対ある。
「そういえば国語の課題ってヒサギンもうやった?私まだなんだけどさー、もし終わってたら~写させて欲しいな~、なんて」
『えぇ~、なんか前も聞いた気がするんだけど』
「気のせい気のせい」
『もう、今回だけだよ?』
「やった!ありがと、ヒサギン」
・・・・・・ごめんね。
その後数分の雑談を経て、由美里は星空を眺めた。
「私はお祭りで、長辻先輩に告白するんだ」
恋とはつまり、双方向に変わる日がどうしようもなく愛おしい感情の事だ。わかってるのに。
『急にごめん、長辻と話したい』
私の元にそんなLINEが来たのは、由美里ちゃんと楸ちゃんと一緒にお祭りに行く前日の夜だった。
送り主の名前は、相馬海斗。中学時代に付き合っていた元彼だった。
転校してから1度も連絡をとっていないのだから、メッセージが来るのは実に4年ぶりとなる。
「相馬・・・・・・!」
初めて愛した人。
初めて愛された人。
そして、初めて抱かれた人。
妊娠しているのがわかった時の絶望感はずっとトラウマで、今でも生理が来る度にある種安心を覚えるほどだというのに。
心臓が鼓動を早める。過去の話だと割り切れない熱が体の中を駆け巡る。
既読をつけてから、1時間悩んだ。何度もシャーペンを持っては置いてを繰り返した。
冷蔵庫の中に常備しているお気に入りのジュースを2杯飲んだ。
『いいよ。どうしたの?』
そして結局無難な返信に落ち着く。すぐに既読がついて、数秒後にはまたメッセージが届いた。
『ありがとう。今度の日曜日会えないかな?』
「日曜日・・・・・・」
明後日。お祭りの翌日。予定では、週末課題をまとめてやるつもりの日。例えばこれが同じクラスの友達からの誘いだったら、ごめんねのスタンプと一緒に予定を説明する所だ。
でも今はそれどころじゃなかった。
私にトラウマを植え付けた張本人。本当ならもっとマイナスな感情を抱いて然るべき人。
なのに、今。私は、
会いたい、なんて考えてしまっている。
「相馬に会って、私はどうしたいんだろう」
もう一度恋人になりたいのだろうか。
それとも、ちゃんと謝ってほしいのだろうか。
自分にもわからない、心の奥底の海面がゆらゆらと窓の外の月を映し出していた。
『わかった。日曜日どこに行けばいい?』
ノーとは言えなかった。せっかくの4年振りの再開だ。そのくらいに軽く構えていよう。
そう決めて、翔子はペンを置いてベッドに倒れ込んだ。
「お、翔子おつかれ。勉強一段落着いた?」
振り向くと、美奈子ちゃんの部屋から帰ってきた棗が入ってきた扉を閉めていた。
「あぁ、棗。全然だよ。なんか集中できなくて」
「そっか。ま、そんな日もあるだろ。歯磨いてもう寝な」
「・・・・・・うん、そうする」
スマホがまた鳴って、LINEの通知が届いた。
『駅名だけ教えてくれれば長辻の最寄り駅まで行くよ』
『そんな、悪いって』
『俺が会いたいって言ったんだから、それくらいさせて』
まったく、相馬らしい。こういう妙な所で真面目なのはあの頃と変わらないようだ。
『ありがとう。最寄りは────』
ざっと5分ほどの、LINEによる短い会話。
それだけなのに懐かしくて、温かくて、嬉しくて。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
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