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#1星の庭

自分よりいくらか小柄な身長。アッシュブラウンのサイドポニー。暇そうに携帯に目を落とすその姿は一見妄想めいていて、それくらいに私の目と心を虜にした。


「ああ、今日も授業終わった~」

「おつかれ~ヒサギン」

サイドポニーを揺らしながら彼女は楸の席にやってきた。

夢宮由美里。それが彼女の名前だ。入学式の日に私が突然話しかけてからいつも一緒にいることが多い。

「ヒサギンは部活決めた?」

すごい自分の部活言いたそう。

「ユミリンは?」

楸が問いかけると、得意げな顔でユミリンは答えた。

「私はもちろんテニス部!」

「おぉ、運動部だ~」

ぱちぱちと手を鳴らす。

「中学でもテニスしてたの?」

「うん、高校ではやめようと思ってたんだけど、すっごいかわいい先輩がいてさ、これは続けざるを得ないな~って」

「かわいい先輩」

なんだそれ、と思う。私の中学では部内の年功序列が結構厳しく、先輩に対して『かわいい』だなんてあまり聞くことがなかったのだ。校風の違いを肌で感じる。

「それでそれで、ヒサギンは?」

「中学からの先輩に誘われて美術部」

ふーん、と適当な返事が帰ってくる。面白みもないことなのは自分でもわかっているんだ。

「ヒサギンもテニスしようよ~」

「私には無理だよ~」

不意に頭の上に由美里の顔が乗ってきて、それを合図にしていたように鼓動が早くなる。

それに刺激されたように滲み出るのは痛みだった。


思春期になると男子は女子を好きになるし、女子は男子を好きになる。保険の教科書も先生もそう言うし、友達の恋バナだっていつも男子の話だったから、多分これが普通。

なのに、二宮楸は女の子を好きになった。

中学生になって性的なあれこれを知っても、男子をその対象には出来なかった。

だから、当時まだ染めていなかった髪は涙の色をしていたんだと思う。

「は?女同士じゃん。きも」

はらはら、ほろり。

「私のことずっとそういう目で見てたの?」

ぱらぱら、ころころ。

「マジでやめてそういうの気持ち悪いから」

きらきら、ぱりん。

恋を失って、もう誰も好きにはなるまいと誓っのに。それなのに。彼女はあまりに綺麗過ぎた。

全て忘れるために染めた髪も、流行りのメイクも、いたずらな春風に崩されてどうしようもなかった。


「どーした、ヒサギン?」

頭上からの声で楸は現実に帰還した。

見上げると、顔を離した由美里が怪訝そうにこちらを見ている。

「ごめん、なんでもない。ちょっと考え事」

笑って誤魔化す。

今考えていたことが全部口に出ていたのなら、彼女は何処へ行くのだろう。叶うなら、できるだけ近くにいてくれたらいいな。

そんな朧気な願いをくすぐる春風は、痛くて、甘くて、温かかった。





「君、軟式テニスに興味ない?」

ショートカットの黒髪も、清楚な微笑みも、全てが黄金比。先輩が何部かはどうでもよかった。ただ、先輩と同じ部活に入りたいと思った。


「あ、来てくれたんだ」

放課後の体育館で、先輩が私を見つけて駆け寄ってきた。

「夢宮由美里ちゃんだったよね?」

「はい!」

放課後、テニス部の体験入部に訪れた由美里は

喜びに胸を踊らせた。

中学でテニスをしていて本当によかった。あの惰性と退屈の日々はこの時のためにあったのだ。

「改めて、私は長辻翔子。よろしくね」

「よろしくお願いします!」

「お、元気だねー」

ポンポンと頭を撫でられる。

その度に心がふわふわと遥か上空に飛んで行きそうになっていく。


「──先輩、私にドキドキしてるんですか?」

「───先輩なら・・・・・・いいですよ?」

「────先輩、大好き」

何回、ガラスの靴を放り捨てただろう。

自慢のネイルも髪型も、決して灰被りじゃないくせに。

その度にバラバラに割れてしまった靴を、

あなたなら拾ってくれそうな気がしたんだ。

長辻翔子先輩。ながつじ、しょうこ、せんぱい。噛み締める響きは甘い。


(これは、そう、恋だ)

一目惚れというやつだ。春風はとても素敵な出会いを運んでくれた。

「経験者だったよね? じゃあこっち来て」

回れ右をした長辻先輩の髪からいい匂いがする。私は匂いフェチというわけではないのだが、このドキドキの前には説得力皆無だ。

体育館に響く小気味よい足音のリズム。

軽快に飛び交うテニスボールのステップ。

先輩の鼻歌も合わさって、心は社交会に来たシンデレラだ。

0時の鐘が幾度急かしても帰る気なんて起きるはずもない。でも、いつかは帰らなきゃいけないから。ガラスのシューズの靴紐を、少し緩めに結び直した。




恋愛はとても素晴らしいものなのだとみんなが言う。多分それは事実だ。

ただ、私にとっては苦いだけ。

馬鹿みたいだ。もうずっと前の話なのに。


部活も終わり、翔子は桜花寮に帰還した。

3年もの間ほぼ毎日汗だくでくぐり抜けた門だが、今年部活を引退したらもう汗だくにはなっていないだろうし、そのちょっと後にはくぐりすらしなくなるのだと思うと寂寥が胸を掠める。

「・・・・・・大学、どうしようかなぁ・・・・・・」

親や先生が勧めてくれる大学に行きたくないわけじゃない。高校選びだってそんな風だった。

それを後悔なんてしていないし、今の友達とも仲良くなれてよかったと思っている。

でも、ふとした時に思考の片隅をに浮かぶのは、ちゃんと自分の意思で高校を決めたifの世界。この手からこぼれ落ちたものが、どうしようもなくキラキラと輝いて見えるのは今の環境への裏切りだろうか。

「・・・・・・とりあえずラケット置いて、お風呂行こ」

翔子は考える事を放棄してラケットを背負い直した。

帰ってすぐ汗を流すのは1年の頃からの日課になっている。大して汗をかいていない日も、なんならオフの日もすぐにシャワーを浴びるのだから、1種のルーティンワークだ。

でも今日は違った。

今日は部屋の前に女の子がいる。

初めて見る顔だから1年だろうか。控えめな茶髪のポニーテールを困惑に揺らしている。

「・・・・・・どうしたの?迷子?」

このまま放置しても自分の肩と彼女の足が疲れるだけだ。そう自分に言い聞かせて翔子はその女の子に話しかけた。

「すいません、お風呂がどこかわからなくて」

「ああ、お風呂ね、ちょうど私も行くところだからちょっと待ってて」

部屋に入り、ラケットを雑に扉近くに置いて、タンスの中から着替えを取り出していく。その中で目に入ったのは、ずっと前に初めて自分で買った下着だった。


忘れもしない、中学時代の記憶。

「俺、長辻が好きだ。俺と付き合って欲しい」

その言葉は少女漫画のワンシーンのようで。

「長辻といるだけで俺、幸せだよ」

その言葉は甘ったるい恋愛ドラマのようで。

「・・・・・・今日、家に親いねぇんだけどさ」

その言葉は大人びた小説のようで。

あの日、あの時は、彼の腕の中が幸せだった。

だからつい流されてしまった。つい許してしまった。

けれど、中学生の妊娠を大人は許してくれなかった。

周囲から浴びせられるのは罵声と嘲笑。

苦し紛れの抵抗すら私には許されなかった。

次の年に別の中学に通い始めるまで、私に下され続けたのは罰だ。自分は悪いことをしたんだから、これは仕方の無いことなんだ。


「・・・・・・ばか」

誰に向けてか独り言をこぼし、さっさと別の下着を取る。部屋の前には後輩を待たせているんだ。いつまでも思い出に浸っているわけにもいかない。

「おまたせ、こっち、ついてきて」

「ありがとうございます」

なかなか元気のいい後輩だ。中学の時は何部だったんだろう。

「私は長辻翔子。君は?」

「あ、二宮楸です」

まだ名乗ってもなかったですね、と舌を出す後輩改めて楸ちゃん。

「楸ちゃんって、結構おっちょこちょい?1年の部屋からだと3年の部屋逆方向だよ?」

「どうしても部屋の位置とか覚えるのが苦手で・・・・・・」

ギャルっぽい見た目だけど、はにかむと楸ちゃんは幼く見える。悪い意味じゃなくて、かわいいとか、純粋って意味で。

「また迷ったらその時もよろしくお願いしますね」

「いいよ。でもちゃんと自分で覚える努力も忘れないでね」

初対面なのにここまで気さくに話してくれるのは、正直かなりありがたい。私が2人だったら、今頃沈黙が喉に絡みついていたことだろう。

「ほら、着いたよ」

ゆったりと喋っている間に大浴場の前にたどり着いた。いつもよりちょっと早い気がする。

「ありがとうございます!」

やっぱり元気。というか若い。まだ私もおばさんになったつもりは無いけど、若い。

「もうすぐ、って言っても1時間後くらいだけど、お風呂閉まっちゃうから一緒に入っちゃおうか」

「はい」


お風呂から帰還した翔子は、ベッドに寝転んでスマホをいじっていた。予習も充分。復習も充分。課題も終わらせてしまえば受験生とはいえど退屈なのだ。

楸『今日はありがとうございました!』

スタンプと一緒に楸ちゃんからLINEが届く。

「・・・・・・かわいいなぁ」

スマホの画面をそっと撫でて、翔子は返信の文面を打ち込み始めた。


ここまで読んで下さってありがとうございます。

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