第92話 銀行家の資質
1888年(明治二十一年) 七月 東京府三井組ハウス 三井銀行副頭取執務室
「頼むよ、西村!どうしても三井銀行から百万円の融資をしてもらいたいんだ!」
三井物産社長の益田孝は、三井銀行副頭取の西村虎四郎の机に両手を突きながらねじ込むように顔を突き出していた。
机に座る西村は顔をしかめてのけ反っている。
「ですから、何故百万円などという大金が必要なのです?」
「三池炭鉱を落札するためだ。あれが三菱のものになれば、三井は海外から撤退を余儀なくされる」
突拍子もない話だったが、西村にもその辺の事情は理解できた。
この明治二十一年四月
黒田清隆を第二代内閣総理大臣として黒田内閣が組織されることが内定していた。
初代の伊藤内閣の外務大臣の地位にあった井上馨は、条約改正交渉の行き詰まりにより明治二十年八月に外務大臣を辞任し、代わって長年の政敵である大隈重信が外務大臣に就任していた。
黒田清隆は北海道開拓使時代に官有物の払い下げ問題で世論の批判を浴びた人物だったが、内閣総理大臣となった暁には官有物を積極的に払い下げて政府の財政を整理する意向を持っており、三井物産が販売を手掛けていた三池炭鉱もその払い下げの対象になっていた。
三池炭鉱から産出する石炭は上海を中心に売捌いていたが、今では上海だけでなく香港やシンガポールにまで広く三池産の石炭が流通している。
三池炭鉱の石炭は油が強く粘って固まるが、換気を充分にすれば火力は他の石炭よりも強く優秀だった。
今三池炭鉱が払い下げられ、それを三井以外が落札すれば海外支店の利益が全て他社に流れてしまう事になる。それは、長州派閥である井上馨の子飼いと見なされていた三井の力を奪い取る為の大隈重信の陰謀だった。
大隈重信と結託して三池炭鉱を独占し、三井の追い落としを企図していたのは、三菱だった。
「岩崎弥之助は、大隈さんを通じて大蔵大臣あてに三菱がケツを持つと手紙を出したそうだ。
冗談じゃない!三池炭鉱の石炭を売り歩いて来たのは我が三井だ!三池炭鉱は三井のものだ!」
もう一度バンと大きな音を立てて益田が机を叩く。その音に驚いた西村がもう一度ビクッとのけ反って顔をしかめた。
「しかし、三池炭鉱の政府の指値は四百万円と言うじゃありませんか。それだけの投資をして、三井物産はちゃんと利益を回収できるんですか?」
「して見せる!全て俺に任せろ!」
西村は一つため息を吐くと、机の上に置いてある三井物産からの融資申込書を取り上げて目を通した。
「入札予定額は…四百十万円から四百五十五万五千円ですか。札はいくつ入れます?」
「四枚だ。佐々木八郎、加藤総右衛門、三井武之助、三井養之助の名前で入れる」
「三井物産にとっては大きな冒険ですね。失敗する可能性も少なくないと見えます。
ところで、大隈さんら慶応義塾派からは『三井物産は長州の金櫃だ』と言われているそうですが、実際の所はどうなんです?」
「…それは間違いだ。三井物産は一度たりともそういう金を長州に出したことは無い」
「何故そうされないのです?政府に金を使えば、もっと大きな商売ができるでしょうに」
益田はしばし沈黙した。この当時の企業は政府役人に金を使うことは至極真っ当な接待だと考えていた。
現代の目から見れば賄賂としか思えないような事も横行した。特にそういった賄賂を使う事が三菱では多かった。
「接待とは言うが、あれは賄賂だ。賄賂は事業の真っ当な収益性を損なわせる。賄賂無しではまともに商売ができない事業体質になる。それでは……いかんのだ!」
益田の絞り出すような声に、西村の顔も少し緩んだ。銀行家として様々な商店を見て来た西村には、益田の言わんとする事がある程度理解できた。
世間では馬鹿だとか要領が悪いと言われ、実業界にも益田を非難する声も少なくなかったが、それでも益田は断固として賄賂に手を出す事はしなかった。
井上馨や渋沢栄一にすら、ご馳走になる事はあっても益田からご馳走した事はただの一度もなかった。
とは言え、気持ちは分かるとしても銀行家としては失敗した時の事を考えないわけにはいかない。
「ま、折角手を広げた海外支店を畳むのも勿体ないですし、三池炭鉱が必要だという益田さんの意向もわかります」
「それじゃあ…」
「ですが、銀行家としては万一を考えないわけにはいきません。三井物産のみでなく、貴方個人も責任を負っていただきたい」
「個人で責任を…?」
「ええ、三井物産と益田さんの共同事業の形を取って下さい。要するに、三池炭鉱を買い取って、それが元で三井物産が倒れるような事になれば、その時は益田さん個人としても責任を取ってもらう。
それだけの覚悟がおありですか?」
真っすぐに見据えて来る西村の目線を正面から受けながら、益田は即答した。
「無論だ。全責任は俺が持つ。大した財産ではないが、俺の財産も抵当に入れてもらってかまわない」
「…よろしい。では、三井銀行として百万円の融資を許可しましょう」
そう言うと、西村は融資申込書に決裁印を押した。
副頭取直々に決裁した融資であれば、銀行としても否応はない。
三井銀行からの融資を受けた三井物産は、八月には無事に三池炭鉱を落札し、翌年の明治二十二年一月に三井三池炭鉱会社を設立した。
初代社長に抜擢されたのは、工部省三池鉱山局の技師として勤務していた団琢磨だった。
1890年(明治二十三年) 六月 滋賀県蒲生郡八幡町 八幡銀行頭取執務室
「どういうことだ!貞二郎!」
西川甚五郎は、頭取の西川貞二郎の机に両手を突きながらねじ込むように顔を突き出していた。
貞二郎は思わず体をのけぞらせ、驚いた顔で甚五郎を見ている。
「何故頭取を辞任するなどと言う!」
貞二郎はいつもの明るい顔つきから少し神妙な顔になり、ポツポツと語り出した。
「中野さんへの融資金の回収は、とても見込めるものではありません。私はその責任を取って辞任するつもりです」
「馬鹿な… 中野梧一への融資なら俺にも責任がある。お前が辞めるというのなら、俺も辞めねばならん。
第一、中野への焦げ付きは西川商店の当座預金でなんとか相殺していっているはずだ」
八幡銀行では、明治十五年に中野悟一という実業家へ融資を実行していた。
中野は藤田組に属して大阪の商業界に名をはせた実業家で、五代友厚、広瀬宰平と共に関西貿易商会を設立する。
だが、この中野という男はスキャンダラスな一面があり、黒田清隆の北海道官有物払い下げ不正問題の時には五代友厚らと共に一方の当事者として世論の非難を浴び、また偽札作りにも関与しているという噂で警察に逮捕されるといった事件も起こしている。
後に偽札作りに関しては冤罪と立証されたが、ともかくもカネにまつわる醜聞が少なくなかった。
そんな中、明治十六年九月に突如猟銃を自分に向けて発砲し、自殺していた。
自殺に至る動機は未だによくわかっていないが、ともあれ中野の自殺によって八幡銀行は死活問題といえる大問題を抱える事になった。
中野に融資した金額は金貨で一万円、銀貨で七千六百五十円という当時としては大きな金額で、しかも正金である為に額面以上のダメージがあった。
この融資金の焦げ付きを回収する方法は無く、貞二郎や甚五郎の個人資産や西川商店の当座預金を補填に回すことでなんとかその穴を埋めていた。
「正直、私は銀行家に向いていないんじゃないか思いまして…
銀行家は私のような向こう見ずではなく、甚五郎さんのような慎重な人でないと務まらないんじゃないかということが、ようやく私にも分かってきました。
中野さんの借金の穴は、傳右衛門家の資産を使ってできるだけ穴を埋めていきます。それを持って、引責辞任ってことで… どうですかね?」
「どうもこうも…」
甚五郎はそれだけ言うと絶句した。
確かにそんな中で積極的な事業拡大を行って来たのは貞二郎だし、それを必死になって止めて来たのは甚五郎だった。
だが、甚五郎はそれでいいとも思っていた。
貞二郎がアクセルなら、自分がブレーキになればいい。そうやってバランスを取りながら経営していけばいいと思っていた。
「甚五郎さんなら、銀行家に向いていると思うんですよね…
三井銀行の西村さんなんかは甚五郎さんにそっくりな石頭で…おっと」
思わず失言しそうになった貞二郎は、慌てて自分の口を抑えた。
「それに八幡町長としての仕事もありますし、正直銀行は向いてそうな甚五郎さんに投げてしまいたいな~っと」
そう言ってチラリと上目遣いで甚五郎を見上げる。
三十四歳の中年がやっても可愛さなどカケラもないが、何故か甚五郎は笑いそうになってしまった。
明治二十二年には大日本帝国憲法が発布され、合わせて四月には町村制が実施されていた。
貞二郎は町村制下で初代八幡町長として選出されていた。
「まあ、ともかく、私からはこれだけです。
八幡銀行をよろしくお願いします」
「貞二郎…」
甚五郎にはそれ以上言えなかった。
勝手に巻き込んでおいて途中で降りる奴があるかとか、一方的に責任を押し付けて行く気かとか、言いたいことは山ほどあった。
だが、向いていないと思ったら即座に降りるという姿勢も、いかにも貞二郎らしいと心のどこかで納得してしまった。
「まあ、実業界から身を引くわけじゃありません。これからは一実業家として、八幡銀行にはお世話になろうと思っていますし」
そういってようやく笑顔を見せた貞二郎に、甚五郎も釣られて笑ってしまった。
「わかったよ。後の事は俺がやる。お前は町長でもなんでも、好きな事をしろ」
「ははっ。さすがは甚五郎さん。諦めが早いですね」
「何年の付き合いだと思ってる。まったく…」
明治二十四年八月
西川甚五郎は滋賀県議会議員を辞職し、八幡銀行の頭取に就任して経営改革に乗り出す。
今までのようにたまに顔を出すという出勤形態を改め、毎日出社して帳簿の整備と仕組みから整え直し、改めて銀行事務を細かく規定していった。
甚五郎のきめ細やかな銀行経営はやがて来る苦難の時代を乗り越えさせる原動力となった。
一方、明治に入って日本は朝鮮半島に対して様々な干渉を試みてきたが、清は尚も朝鮮は清の属領という姿勢を打ち出して朝鮮半島の独立を支援する日本との対決姿勢を鮮明にし始めていた。
明治二十年以降の日本による朝鮮半島への経済的進出は、清の神経を充分過ぎるほどに苛立たせた。
近代国家日本にとって初めての大規模な対外戦争である日清戦争の時が迫る中、経済界においても大規模な変革の時を迎えつつあった。




