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近江の轍  作者: 藤瀬慶久
初代 仁右衛門の章
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第8話 祝言

 

 1573年(元亀4年) 春  近江国坂田郡横山城




「そなたは保内の伝次郎殿かな?」

 横山城の木下勢へ兵糧の補給を行っていた伝次郎は、御蔵方と二・三打ち合わせをしていると不意に声を掛けられた

 振り向くとネズミ顔の小男がニコニコと笑っていた

「いかにも、伴伝次郎にございます」

「某は横山城を預かる木下藤吉郎と申す」

「これはっ」

 慌てて膝を付こうとした伝次郎を藤吉郎が押しとどめた


「いやいや、そのようなことをなされずともよい。それより伝次郎殿を見込んで一つ相談があるのだが

 ちとこちらへ来て下さらんか」

 そう言うや藤吉郎は伝次郎の手を引いて城の(くりや)へ入って行った



「相談というのは小谷城のことよ」

 藤吉郎は厨の上がり框に腰かけ、隣に伝次郎を座らせるとおもむろに話し始めた

「もう二年以上も囲んでいるのになかなか小谷城の兵糧が尽きる気配がない。稲の刈入などさせてはおらぬのだがどうしたことかと思いましてな

 伝次郎殿はどのように見る?そんなに大量に兵糧を確保しておったのだろうか」

「商人故戦のことはわかりかねますが、籠城中であっても兵糧を手に入れることはできるでしょう」

「ほう」

「私は弾正忠様にご贔屓にして頂いております故他の大名と取引することはまずありませんが、世の中には銭さえ払えば陣営はどうでも良いと考える輩も居りまする

 そういった者たちがお城へ運び込んでおるのでしょう」

「しかし、城は我らが包囲しておるし、越前方面への街道も封鎖しておるが…」

「一人担ぎで夜陰に紛れればなんとでもなりましょう。それぞれの商人は一人ですが、それが三十人ほどもいれば十分にお城の兵糧は賄えるはず

 一日で大量に運び込む必要はないのです

 毎日少しづつ運ばせれば良い」


「ううむ、防ぐ手立てはないものか…」

「ございまする」

 伝次郎はにこやかに答えた

「彼らは陣営はどうでも良い。高く買ってくれさえすればいいのです

 であれば、あちらより高値で買うと言えば商人達の方からこぞってこちらへ持って参りましょう」

「むむ…いかい銭がかかるのう」

「左様にございますな」

 伝次郎と藤吉郎はその後、街道の各町の商いの状況などについて雑談を交わした




 1573年(元亀4年) 春  近江国蒲生郡南津田村




 甚左衛門を訪ねた宗兵衛は泣きそうなくらい情けない顔をしていた

「そういうことは早く言え。もう話をまとめてしまった」

「うむ…まあ、やむを得ぬのだが…」

 甚左衛門はやれやれと言うと大きく息をついた



 父と兄が志村城で死んだ後、甚左衛門はちえの食い扶持も得るために行商の足を日本海まで伸ばしていた

 西川家の農地は一旦講に預け、然るべき者に引き継いでもらうことにした

 当主が死んだ場合は農地は子が継ぐのが習わしだったが、子が小さい場合など一人前に働くことができない場合、一旦講預かりとして村のみんなで代わりに耕し、子が大きくなるのを待って返すのが決まりだ

 だが甚左衛門は既に商人として身を立てていたし、甚左衛門やちえに子が生まれ、それが成長するまで無償で耕してもらうのも気が引けた


 越前への北国街道は織田に封鎖されていたので、西近江路から高島郡を経て小浜へと回った

 高島郡や小浜は京との交流が多いせいか蚊帳を高級品として知っていてくれたので、二貫でもそれなりに売れた

 自家生産であるので甚左衛門の利幅は長兵衛から(あがな)っていた時よりも多くの利を得られた

 さらに日野の椀や塗杯などもそれなりの商いが出来ており、飛ぶように売れるというほどではないがまずまずの営業成果を得ていた

 登せ荷に小浜で仕入れた塩合物(塩漬けの魚)や干物・するめなどは伊勢のものより味が良く、瀬田や金森などで喜ばれた



 甚左衛門は行商に行かねばならないが、小浜までとなると日帰りは難しい

 夜にちえ一人になるのは不用心にすぎると思ったので、新八に家の留守を守ってもらった

 といって、ちえを好きにしていいなどと言った覚えはもちろんないが、新八は愛嬌がある上に優しい男だ

 父と兄を亡くしたちえを気遣ってできるだけ話し相手になるように努めていたそうだが、そのうちに気付けば()()()()関係になっていたそうだ


「旦那様!申し訳ございません!多大なご恩を頂いておきながらこのようなことを仕出かしてしまい…」

「兄さん違うの!新八さんは私を気遣ってくれただけなの!」

 甚左衛門がそれを知った時新八は土に額がめり込むほど土下座するし、ちえは泣いて新八をかばって大騒ぎするしで、まるで恋仲の男女を引き裂くガンコ親父のような扱いを受けてしまった

 となりの田兵衛の女房が騒ぎを心配して見に来たほどだ


 もともと甚左衛門にもちえの嫁ぎ先に心当たりがあったわけでもないので、商品の確保も含めてこれ幸いと新八を西川家へ婿として迎え入れることにした

 ちなみに新八は甚左衛門のことを『旦那様』と呼んだ



(まったく…ちえを好いているなら日野城にご奉公に上がっている間に言ってくれればよかったものを)

 とはいえ、これは宗兵衛もかわいそうだった

 普通なら、宗兵衛の様子を見ればまず間違いなくちえに惚れていると気付いてお膳立てをしただろう

 宗兵衛の態度はそれほど露骨なものだったし、賦秀にも一瞬でバレた

 甚左衛門は()()()()事には異常に鈍いようで、新八とちえのことも隣近所の方が先に気付いたほどであった

 いや、ちえも宗兵衛の気持ちに気付かなかったのだから、これも西川の家系なのかもしれない


「祝言は来週だ。今更白紙になどすればちえも新八もひどく傷つくことになる」

「くぅ…ちえ殿があんなひょっとこなんぞに…」

「まあそう言うな。あれは心映えの良い男だし、なによりあれらは好き合うておる

 あきらめろ」

 そう言うと宗兵衛は肩を落として帰っていった



 翌週近所の者を招いて祝言を挙げた

 祝言といっても新八にも既に実家などというものはなく、ちえも身内と言えば甚左衛門一人だったので隣近所の者を招いて酒と鯵・鯖の干物の焼き魚、野菜の煮物、それと玄米のご飯などを振る舞う程度の簡素なものだった


 この時代の農民にとって米は年貢で納めるものであり、自分たちが食うのはもっぱら赤米や粟・稗・黍といった雑穀だったので玄米のご飯はそれだけでもごちそうだった

「旦那様。これからもよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、ふつつかな妹だがちえをよろしく頼む」

 そういうと甚左衛門と新八は酒を酌み交わした

 酒は宗兵衛が上等の清酒を祝いだと言って届けてくれた

 本人は来れないと言っていたな

 まあ、無理もないか



 この頃の酒は濁り酒か、清酒といってもほとんど精米をしない玄米の状態で仕込むので、米ぬかの雑味と黄色味が酒に出て()()()のようにもったりとした飲み口だった

 酒造りに必要なのは米の中心にあるでんぷん質の部分であり、米の外周のぬかや白ぬかのタンパク質やミネラル分は雑味の元となる

 伏見の仁兵衛の酒は米の三割を精米する贅沢なもので、使う米のわりに出来上がる酒の量は少ない

 その代りすっきりと飲みやすく、料理と共に楽しまれた

 日野の塗椀と塗箸で飯を食い、塗杯で酒を飲むのがこの頃の伊勢で流行っていた




 1573年(元亀4年) 春  近江国蒲生郡日野城下




「おう!宗兵衛!南津田村に行っていたそうだな!麗しのちえ殿のごきげんはどう……… どうした?」

 最初ニヤニヤしながら宗兵衛をからかいに来た賦秀だったが、だんだんと怪訝な顔になる

 宗兵衛は今にも腹を切りそうな顔をしていた

 事情を聞いた賦秀は吹き出しそうになり、笑いをこらえるのに懸命だった

 古今東西を問わず、他人の色恋沙汰は蜜の味だ


「まあ、そう気を落とすな。また良い娘を見つければ良いではないか」

 口調はいかにも気遣わしげだったが、顔が明らかにニヤつくのは止められない様子だった



 今日は日野で三年目の仕込みとなる酒の初蔵出しの日で、産業振興を掲げる賦秀も立ち会っていた

 日野椀に一杯づつ掬って賦秀・宗兵衛・町野左近将監が味を確かめる

「うむ。やはりうまいな」

「やはりこのように淡麗なすっきりとした飲み口は日野酒ならではですな」

 賦秀側近の左近将監が舌鼓を打つ

 宗兵衛もやはり仁兵衛の酒は美味いと思った


「仁兵衛、見習いにつけた者共の出来栄えはどうだ?」

「まだ教え始めたところですのでなんとも…まあ筋は悪くないように見受けます」

「そうか。酒もだが人もしっかり仕込んでくれよ」

 仁兵衛の肩を軽く叩くと賦秀と左近将監は上機嫌で城へ戻って行った



 昨年までは酒造りにかかる米が用意できずに蒲生家の蔵から借りて三十石を仕込んだが、今年の秋からは今まで商った利で米を買い求めることができそうだった

 日野の醸造業もようやく目途が付き始めていた

 とはいえ、蒲生家から借りた米は商売が軌道にのれば返していかなければならない

 宗兵衛はちえの事を忘れるように商いに没頭していった




 1573年(元亀4年) 夏  美濃国厚見郡加納




 岐阜城下の市で店番をしている小助はここの所浮かない顔をしていた

 原因は兄の大助だった

 最近、大助がよく酒に酔って帰ってきた

 木曾や日野から仕入れてくる品もなんだかイマイチ良いものに見えないものが増えてきていた

 それを証明するように客足は徐々に遠のき、店番といってもヒマな時間が増えていた



 昨年の暮れに三方ヶ原で徳川軍を蹴散らした武田信玄が、この年の春突如病で死んだとの噂だった

 一時は岐阜ももう終わりかと店じまいをし始める商人もいたが、大助・小助は岐阜に残ってぎりぎりまで商いを続けようと決めていた

 とはいえ、岐阜が無事でも売上が惨憺たるものならば結局店じまいをせざるを得ないのだが…



「帰ったぞ」

「兄さん、また飲んできたのですか」

「おう!鈴がなかなか帰らしてくれなくてな」

 ワハハハと豪快に笑った後大助は奥に引っ込んで眠ってしまった

(売上も落ちてきているのにどうして金が続くのだろう)

 それが小助には不思議だった

 大助は宿場の鈴という飯盛り女を気に入っているようだった


『酒を飲みすぎるな』と伝次郎から厳しく教えられたはずなのに…

(伝次郎さんに知られたら大目玉だろうな)

 小助はまたため息をついた




 1573年(天正元年) 冬  近江国蒲生郡南津田村




「ここの横車を回して…そうです。そうやって糸を纏めて行ってください」

「こ…こうかい?」

「ああ、大丈夫、落ち着いてください」

「むぅ…難しいもんだな」

「すぐに慣れます」

 新八は田兵衛の肩に手を置いて励ました


 農地を譲って住宅と新八の工房だけになった西川家では、先年の戦で負傷した田兵衛と権左に蚊帳織りの手伝いをしてもらっていた

 二人とも米作りにはもう耐えられる体ではない

 といって、楽隠居をしていられるほどこの辺りの百姓家に余裕はない

 そこで、座っててもできる蚊帳織りの手伝いを専門に行うようになっていた


 作った蚊帳は甚左衛門がどんどん売っていく

 おかげで田兵衛も権左も家の中で肩身の狭い思いをせずに済んでいる


「そういや新八(しんぱ)っつぁん、麻は良いが畳表はやらんのかい?」

 糸巻の作業にひと段落つけた権左がニコニコと話しかけてきた

「いやぁ…イグサは扱ったことがなくて…」

 新八が頭をかいた

「それはいけねぇ。蚊帳作りを教えてもらっているお礼に畳表の編み方を教えてやるよ」

 南津田村ではイグサの栽培が盛んだ

 その関係で、権左や数人の男は畳表の作り方を心得ていた


 畳表はまだ甚左衛門には扱うのが難しい

 蚊帳以上に高級品だから、必然買い手を見つけるのが困難なのだ

 大身の武士ならばいいお得意様になってくれるが、そういった上客は既に他の商人が押さえてしまっている


「そうですね。旦那様が大店の主になられた時の為に畳の編み方も覚えておいた方がいいでしょう」

 新八は甚左衛門が商人として必ず大成すると思っていた

「あれだけ商才があり、胆の据わった方はなかなかいない。旦那様は今に立派な商家になられる」

 折りに触れてはちえにそう熱く語っていた

 ちえはそういってキラキラと目を光らせる夫を見ているのが幸せだった


 元々職人の弟子だけあって新八は手先が器用で物覚えが早い

 一年もすればすっかり畳表を一人で作れるようになっていた



 この秋には朝倉・浅井も続けざまに滅ぼし、信長は目下長島一向一揆の鎮圧にかかっていた

 近江ではようやく戦が遠のき、新八とちえは平穏な新婚生活を送っていた






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