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近江の轍  作者: 藤瀬慶久
十一代 甚五郎の章
75/97

第75話 議会制

 


 1853年(嘉永6年) 夏  江戸浦賀沖




「なんともあっけないものだったな」

 ペリーは隣に控える副官に上機嫌で話していた。

 船は既に日本を離れ、上海へと針路を定めていた。


「こちらも一カ月以上の滞在には耐えられない状況でした。即答を得られなかったのは残念でしたが…」

「なに、日本としてもすぐに回答を出せるものではないだろう。あちらは色々としがらみが多そうだ」

「それは我が国でも変わりません」


 副官の言葉に苦笑すると、ペリーは浦賀沖に停泊した時の事を思い出していた。

 ペリーから見れば、日本は天皇と将軍という『二人の皇帝』を持つ奇異な国だったが、ローマ法王と国王の関係と理解した。

 どちらと交渉すべきかは判断付かなかったが、幕府が国書を受け取った事で今後の交渉相手が幕府=将軍だと理解した。


 ペリー浦賀沖に現れてからわずか六日後の七月十四日に国書の授受が実現。これはペリーの予想よりもはるかに早い決着だった。

 国書は、受け取ったからには返事を寄越す必要がある。

 国書を受け取ったということは条約交渉を行う前提条件が整ったという事だ。


 国書を受けて、日本では議論が百出し、幕末の混乱期へと突入した。




 1853年(嘉永6年) 秋  肥前国彼杵郡長崎 オランダ商館



 長崎奉行の大沢乗哲と水野忠徳は、オランダ商館長のドンケル・クルチウスへ諮問を重ねていた。


「先だってそこもとの言われた通りにアメリカのペリーがやって来た。

 来年には返事を受け取りに再び日本へ来るということだが、どう対応すべきか。オランダとしての意見を聞きたい」

「彼らを含め、西洋諸国は第一に船の補給を受ける事を目的としております。お国の国法をいきなり免ずるという訳にもいかぬでしょうから、ここは規制を一部緩める事とされてはどうでしょう?」


「しかし、西洋は我が国を侵略する心づもりではないのか?清国のように…」

「清国が戦争になったのは、外国人を一切拒絶した為です。その結果、広東など五つの港が外国人に開放された。

 このように戦争になっては面白くないでしょう。我がオランダと同じように場所を限定されれば良いかと…

 平和裡に交渉を進められるが上策かと思います」


 クルチウスの言葉に大沢と水野は顔を見合わせる。

 水野忠徳はクルチウスの言う場所の限定という話に興味を示した。

 要するに『長崎』を日本の各地に設ければ良いという事だった。


 ―――確かに、長崎を開くことは国法に定められた事だ。これをもう二~三か所ほど増やせば、それで相手の要望はある程度満たせるだろう



 水野がさらに重ねて問う。


「通商についてはどうだ?我が国は国内で産物を作って消費し、それで事足りておる。

 今国を開いて産物を流出させれば、わが国の民が使う分が減るのではないか?」


「それは考え違いというものでしょう。清国では茶が一時払底しておりましたが、外国との交易品となるに従って荒れ地を拓き、茶の栽培が盛んになっております。

 お国でも商人達はそのように致すでしょう。

 まして、通商をしておれば飢饉の時などは米穀を海外から輸入することも可能となります。

 通商を認めることはお国の利益にかなうかと…」


 水野は納得したように一つ頷いた。


「所で、江戸からは来年のペリー来航をもう少し延期してはもらえぬかと連絡があった。

 まだ国内の議論が中々に収まらぬ状況でな。

 こちらの足元を固めるのに、も少し時間が欲しい」

「それは… 要請はしてみますが、間に合うかどうか…」


 事実、季節風に乗って航海するオランダ船は、本国へその意を伝えてアメリカに伝達するまでに軽く一年は必要だった。

 仲介できるほど時間的猶予は残されていない。


 水野と大沢はクルチウスの意見を老中阿部正弘へと連絡した。




 1853年(嘉永6年) 秋  江戸城本丸




 阿部正弘は各界から提出される議論に頭を痛めていた。

 分かっていた事だが、国法である鎖国を改める事に対して議論が百出し、日本国の意志を統一することは難航していた。



 ―――水戸公のご意見は気持ちだけの問題だ


 水戸藩主徳川斉昭からは、強硬に通商を拒否する意見書が出されていた。

 国法である鎖国を堅持し、場合によっては戦争も辞さずという強硬論は『攘夷論』として異国人との交わりを断つという考え方だった。

 しかし、現実にそれを行う為の献策は江戸湾各地に砲台を建設するというもので、とてもではないが現実を直視した論とは思われなかった。



 ―――しかし、井伊掃部頭殿の献策はこれまた極端な…


 彦根藩主井伊直弼は、積極的に開国して通商を大いに認め、そこで得た富を使って幕府の海軍を整備しようというものだった。

 現在の西洋列強との差はひとえに海軍力にあり、近代的な海軍を整備しさえすれば日本は西洋に負けるものではないという強烈な自負があった。

 その根底には、日本国の独立を維持するために軍事力を強化するという目的があった。



 開国に対しては大きく分けて三種類の議論があり、水戸藩を中心とした多数派は『攘夷論』を唱えたが、彦根藩を中心とした『積極的開国論』に加え、開国と補給は認めるが通商は拒否するという中道的な『消極的開国論』もあった。

 いずれにも共通していることは、海軍力の整備は必須であるということだった。


 阿部の諮問は藩主だけに留まらず、旗本や藩士、小普請組などの小身武士、吉原の遊女からの意見書まであった。

 目を引くのは小普請組の勝麟太郎(勝海舟)の意見書で、伊豆や奄美の孤島を外国軍に奪われた時の為に軍艦の製造とその訓練を致すべしというものだった。



 ―――とりあえず、オランダには蒸気船七隻を注文した


 公的には阿部は諮問の結果大船の建造を解禁するべしという意見が多数だったという形を取ったが、諮問の結果が出た二週間後には既にオランダ商館から蒸気軍船購入についての返書が出ている。

 諮問の結果を受けてと言うよりは、大船を解禁して幕府海軍を創設することは既定路線であり、最後の名分を得るために諮問したと考えるべきだろう。


 開国という国家の一大事を前に、以前のような譜代大名の一部のみの意見を持って国政を動かすことは出来なくなっていた。

 封建制度下においてではあるが、初期的な議会制とも言うべき『多数派の意見を持って政策を決定する』という手続きを必要とするほど、日本の民権思想は発展を見せていた。




 1854年(嘉永7年) 春  江戸城本丸




 老中首座の阿部正弘は、尾張藩附家老の成瀬正住を呼び出していた。


「お召しにより参上しました」

「うむ。ご苦労に存ずる」

「して、此度はどういった御用で?」


 しばし言いにくそうにしていた阿部だが、覚悟を決めると成瀬へ書面を渡した。


「天保から尾張領としていた八幡町だが…

 此度召し上げ、天領と変ずる。尾張藩には年明けから八幡町を信楽代官所へ引き渡すように」

「!! それは、一体如何なる訳で?」

「以前に水野越前守殿の時代に領有を認めていたが、元々八幡町は天領である。尾張藩からの賄賂によって領有を認めた部分も大きい。

 だが、この程アメリカと条約を結ぶにあたって、国内の政も改革していかねばならん。

 元々が不正な手段によって領有を認めたのであるから、これを糺す事は天下の政道を糺すことに繋がる」


 ―――今更そのような事を…


 成瀬は思わず怒りに震えた。

 八幡町からの上納金は、町方と交渉しながらであるとはいえ尾張藩の財政を支える大事な財源になっている。

 それに、八幡町の領有は幕府の推す養子を藩主に据えることの引替条件だった。

 阿部の言う賄賂云々は言いがかりに近い。



「それほどに、お上の台所が苦しいので?」

「…」

 成瀬の嫌味に阿部はそっぽを向いた。

 今後アメリカとの交渉と海軍の整備を行うに当たって、カネはいくらでも必要になる。

 豊かな八幡町の資力を幕府の財源の一つとする為と成瀬は理解し、実際にそれは図星だった。



 幕末の動乱期を前に、商人達の資本力は幕府政治を動かすほどに力を持った。

 しかし、それは平和であることが大前提だ。

 戦国期と同じく、戦の中にあってはやはり武士の軍事力の前に資金提供に応じざるを得なくなっていった。



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