第55話 御朱印状
1750年(寛延3年) 夏 京 近江屋新四郎屋敷
西川理助は京の弓仕入れを一手に任せている近江屋新四郎の屋敷を訪れていた
弓の買付が思うように進まず、江戸の両店舗では在庫を切らしかけているため仕入れを督促する目的だった
「新四郎殿。近頃弓の仕入れが思うように進んでおらぬようですが、一体どうなされたのかな?」
仕入れ代金を前貸しているので、必然強めの口調となる
カネは払ってあるのだから、早く仕入れて江戸へ持ってゆかねば売り損なうことにもなりかねない
この頃、弓は江戸で流行しつつあり、山形屋にとっても追い風の時期だった
「実は…柴田勘十郎を始め、腕の良い下地屋(弓職人)五人が江戸での弓の流行に目を付け、直接販売を始めまして…」
「なに!?どういうことですか!彼らには山形屋から多額の前貸をしておるでしょう!
ふざけるのも大概にしてもらいたい!」
理助は腹が立った
山形屋に卸すという約束でカネを借り、出来上がった商品は江戸で直販するというのだから無理もない
カネを返せばいいだろうという問題ではなかった
新四郎はひたすら平身低頭するばかりだった
「山形屋さんからお借りしている仕入れ代金も、彼らに回しておる分が多く、そこからの仕入れが回らねば私としても卸させてもらう商品が足りませぬで…
申し訳ありません」
「………」
憮然として言葉にならないでいると、新四郎がついに土下座の恰好でさらに話だす
「かくなる上は私は買継(卸売)を降り、お借りしている前借金のカタとして私の店を使っていただければと思います
こうなったのは全て私の不徳と致すところですので、何卒お腹立ちを鎮めていただければ…」
最早泣き出さんばかりの新四郎に、理助はそれ以上怒りをぶつけることは出来なかった
商売上舐められるわけにはいかないので厳しく当たっているが、根は優しい男だった
「……わかり申した
では、手代諸共この店を借り受けさせていただき、山形屋にて直接仕入れを行わせて頂きます
それと、賃料は別途お支払いいたしますのでその間に別の生計の道を見つけられるがよろしいでしょう」
「……! ありがとうございます!重ね重ねのご恩、決して忘れません」
こうして、山形屋は京での弓の仕入れ店を開設することとなった
今までは江戸や関東方面への出店ばかりだったが、初めて上方への店舗を持つことになった
京店では近江屋新四郎の番頭だった伊右衛門を支配人に据え、出来るだけ今までの仕入れ体制を維持するように努めた
もちろん、裏切って直販を始めた下地屋には前貸金の以後の貸与を打ち切った
「前貸金を打ち切るのは良いが、肝心の弓の仕入れが難渋している
何か知恵はないか?伊右衛門」
「では、和歌山の下地屋とも契約を行ってはいかがですか?」
「和歌山といえば、紀州公のお膝元か?」
「左様でございます。和歌山でも弓の製造は行っております
今後の安定仕入れを考えれば、今から新たな下地屋を囲っておくことは山形屋の利益になるかと」
「それも道理だな。なにせ、まずは今の需要を満たす商品が足りぬ
今は一張でも多くの商品を確保せねば話にならん。急ぎ、新たな下地屋との契約を詰めてくれ」
「承知いたしました」
伊右衛門は山形屋の手代としての初仕事だったので、張り切って下地屋との契約に回った
和歌山では二十人の下地屋と仕入れの契約を結び、新たな前貸金が発生した
理助も必要な先行投資だったので彼らに積極的に貸し出しを行った
江戸時代の問屋は物流を司る役割で、その力は強かった
山形屋のように多くの問屋は生産者に前貸して材料などを仕入れさせ、製品を一手に買付けることで生産者の囲い込みを行った
それだけの資本力と販売力があるからこそ、物流の統制が可能になるのだった
元禄以降、織物などでは工場制の手工業が行われていたが、日本では機械工業に移ることはなく手工業を発達させ続けて幕末まで生産体制を維持した
それは機械化を行う為の知識が無かったからとは単純には思えない
長崎のオランダ商館からは毎年『阿蘭陀風説書』という海外情報誌が幕末まで幕府に提出されている
また、蘭学書と言われる各種文献はオランダから輸入した書物を翻訳して出版した物で、解体新書などはその代表格だ
それらの諸文献の中に産業革命とそれに伴う生産設備の機械化の情報が一切含まれていなかったとも考えにくいように思う
あるいは、知っててもその価値を見出せずにスルーし続けただけかもしれないし、相次ぐ飢饉によって食糧生産こそを優先させた結果なのかもしれない
いずれにせよ、手工業による生産体制の継続は職人たちに下手な機械よりも正確に製品を生産する技能を身に付けさせ、代々継承させていった
当時の市場規模では機械工業の新たな設備を開発するよりも、手工業の生産能力を拡大させていく方が合理的だと考えられていたように思う
終わったドラクエのレベルを上げ続けるような、旧来の生産設備での生産力の限界に挑戦する姿勢は、日本の工業力の基礎レベルを底上げすることに役立った
農業生産力、工業生産力、金融理論などなど…
近代国家へと至る道筋は、特に産業界において明確にその姿を現し始めていた
この翌年の寛延四年二月
五代利助改め甚五郎はこの世を去る
享年七十五歳
享保の不景気を守りの経営で乗り切り、弓という新事業で後の山形屋中興の礎を築いたのは五代利助の功績だった
1751年(宝暦元年) 冬 近江国八幡町
十月に改元があり、寛延が宝暦に変わった頃、間もなく年の瀬となる慌ただしい時期に京の二条代官所から三名の同心が八幡町を訪れた
「この町の代表者は居るか?」
同心の一人が居丈高に呼ばわる
しばらくして総年寄会所から当代の総年寄である西谷源右衛門が、同心の所までおっとり刀で駆け付けて来た
「私が当町の総年寄を務めております西谷源右衛門でございます
当町は朽木主膳様のご支配ですが、二条のお代官所から一体何事でありましたでしょう?」
「その方らは恐れ多くも権現様より手ずから頂いた御朱印状によって諸役免除を保証されておると主張し、ご公儀の助郷役やその他もろもろのお役から逃れていると聞く
怪しからんことに、肝心の御朱印状を見せよと言ってもああだこうだと言い逃れて決して見せようとはせぬ」
―――見せたが最後、持ち帰って焼き捨ててしまう腹積もりであろうが
源右衛門は心の中で毒づいたが、ともあれ大通りでこれ以上騒ぎになるのはマズい
なんとか穏便に済ませようといつもの口上を述べる
「従前申し上げておりますように、恐れ多くも権現様手ずから頂いた御朱印状はご神体のごとき貴き物
それ故にそこな高札に内容を書き写してどのような御朱印状を頂いたかを示しておりまする
内容を確認したいという事であれば…」
「やかましい!このようなもの!」
言うや、同心は高札を根元から引き抜いた
「何を為されます!恐れ多くも権現様の…」
「黙れ!この高札は権現様の書かれたものではないのであろう!小賢しくもこのような物でご公儀のお役目を逃れようなどとは不届き千万!この高札は没収とする!」
「お待ち下され!その高札は権現様より賜った『楽市』という諸役免除特権の内容を記した物にございます!
我が八幡町の宝に等しいものでございます!
何卒お返しください!」
「これ以上の問答は無用!返してほしくば御朱印状を開示し、改めて高札をご公儀より賜るが良い!
ゆくぞ!」
言うや、同心達は高札を持って帰ってしまった
後には放心状態の西谷源右衛門が残された
源右衛門が会所に引き上げ、町全体が抗議の声で満ち満ちている中理助は京から戻って来た
「一体何事があったのです?」
近くで集まって立ち話をしている数名の者の輪に混じって話を聞く
「それが……」
一人がおずおずと町の鍵の辻に立てられていた高札の跡地を指さす
「これは!……高札が……」
理助は言葉を失った
事の顛末を聞き取った後、慌てて玉木町の蓮照寺へ駆けつけた
蓮照寺では伴伝兵衛、西川利右衛門他主だったの商家の主が集まり、総寄り(町民大会)の様相を呈していた
「まったくなんという事だ!このような仕打ちを受けねばならん理由がどこにある!」
「我らがご公儀の役目を逃れているなどと言いがかりも甚だしい!運上金に冥加金、御用金も既に何万両も献上しておるし、その上返ってくる見込みのない大名貸しすらも度々協力しているのだ!」
「真に!こう言っては口幅ったいようだが、今や商人あってのご公儀ではないか!」
口々に憤懣をぶつける
すでに場は役人への憤懣を語る場になっていた
「皆の衆、落ち着きなされ」
伴伝兵衛が落ち着いた声で場を宥める
「ともあれ、二条の代官所に訴え出て高札を返してもらうように働きかけねばならぬ
あの高札は八幡町の宝であり守り神だ
あれがなければ、今後お上はあれよこれよと我らにカネをせびって来ることは必定
朽木様のお代官様にご同道願って、何はともあれ二条代官所に訴えを起こして参りましょう」
伝兵衛の一言で場は対応策として朽木主膳家の代官を伴って二条代官所へ抗議に向かうことになった
朽木家は度々八幡町の富裕商から御用金を召し出してくる存在だったが、それだけではなく幕府への訴えなどに口添えすることも行っていた
八幡商人達が干上がれば朽木家も干上がるのだから、当然といえば当然だった
しかし、二条代官所では御朱印状がなければ話にならんと門前払いを食わされ、ならばと江戸の奉行所に訴え出たがこれも不調に終わる
結局高札を取り戻すには御朱印状を開示するしかなく、開示すれば廃棄されて高札の根拠となる御朱印状が失われるというジレンマに陥った
これまでも諸役免除の特権で瀬田川橋の架け替えや川沿いの堤防の普請などのお役を回避していたが、それに業を煮やした京都代官の陰謀だった
とはいえ、そもそも八幡町は天領でもなければ瀬田川の普請にしても八幡からは遠く離れた場所にあり、近隣町への協力依頼というよりは八幡町のカネに目を付けて負担金を出させようという下心から出たことだったから、八幡町がお役を回避しようとするのは当然だった
この事件を契機として、天保年間まで幕府と八幡町の戦いは続くことになる
公権力によって八幡町を思うままに支配しようとする幕府と、資本力を武器に自治独立を目指す町人達の果てしない市民権闘争
いわゆる、『御朱印騒動』の幕開けだった
御朱印騒動について、ノベルアッププラスにてコンテスト用に投稿しています
是非ご一読ください
https://novelup.plus/story/123894735




