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近江の轍  作者: 藤瀬慶久
二代 甚五郎の章
23/97

第23話 新たな世代

 

 1614年(慶長19年) 夏  陸奥国糖部郡八戸




「よし、開店だ!」


 今年二十四になる岡田(おかだ)弥三右衛門(やざえもん)は、近江から離れて遠く八戸の地に店を構えていた

 八幡町から出て北陸方面へ行商の足を延ばしていたが、さらに奥へ進んで八戸までを交易圏にしていた

 この度、八戸を本拠地に据え、遠く蝦夷の産物を上方へ持ち帰ることを狙っていた





「店主の七郎右衛門様はいらっしゃいますか?」

 弥三右衛門は蝦夷に渡り、両浜組を取り仕切る材木屋を訪れていた


「あの、どちら様でしょう?」

 丁稚が怪訝な顔で見てくる

 先触れはしてあったはずだが…



「ああ、恵比須屋(えびすや)さんですな。不手際があって申し訳ない。

 手前が材木屋の七郎右衛門です」


 直ぐに奥から店主がやって来て頭を下げる

 どうやら厠にでも行っていたようで、手ぬぐいを手にしていた


「恵比須屋弥三右衛門です。この度蝦夷で商いをいたしたく、両浜組へご挨拶に伺った次第です」

「ご丁寧にありがとうございます。ささ、奥でお話しいたしましょう。


 おおい、お客様にお茶を」


 七郎右衛門が丁稚に指示を出すと、自ら先に立って客間に案内してくれた




 ズズーッ

 出された茶を一口飲んで一息つく


「改めまして、恵比須屋弥三右衛門です。蝦夷での商いに参加させて頂きたく、ご挨拶に参りました。

 これはつまらない物ですが…」

 そういって、扱う予定の絹織物を出す。一反のみだが、貴重品だ


「ほう…京の呉服ですな」

「さすがにお目が高い。手前は八幡にも店を置いていますので、京の呉服(絹)や近江の太物(絹以外の木綿や麻)を商っております。

 ご挨拶かたがた、手前どもの商品をお目に掛けたいと思いまして」

「ううむ… 良い品ですな。

 時に恵比須屋さんは北前船は持たれぬのですか?」

「いずれはと思っていますが、今は残念ながら不如意(資金不足)につきまして…」

 ははっと言って頭を掻く


「実は手前も福島屋さんも呉服・太物は苦手としておりましてな。特に呉服は糸割符が始まってから、伝手のない者にはなかなか商うのが難しい品になってしまいました。

 もし恵比須屋さんが呉服や太物を船で運んでくださるのなら、志摩守様も喜ばれましょう」


「では、手前が蝦夷で商いをする事は…?」

「もちろん、嫌も応もありませぬ。こちらから是非にとお願いしたいくらいでございます」


「ありがとうございます。今後ますます商いに励み、志摩守様のお役に立てるよう気張ります」

「気張るか…懐かしいですなぁ。手前も近江の出ですので、蝦夷へ来た頃は『始末して気張る』と声を張り上げておりました。

 この辺りでは気張るという言葉も耳にいたしませんで…」

「近江の商人(あきんど)の心意気ですからな」

「左様ですなぁ」



 手応えは悪くなかった

 これからの蝦夷はまだまだ伸びる市場だ

 八幡からの仕入れを充実させよう








 八戸に戻った弥三右衛門は、番頭と仕入れの相談をしていた



「八幡の灰屋さんと綿屋さんに出来るだけ多く呉服と太物を回してもらうように話さねばならん。

 雪が降る前に一度八幡へ戻って相談してくる。留守の間は頼むぞ」

「はい、旦那様。お気をつけて」


 今年のうちに一度八幡へ戻ろう

 最上屋の善太郎に山形の紅花を土産にやろうか

 珍しい物だからな



 最上屋は仁右衛門と親交の深かった二代目源左衛門が隠居し、今は息子の三代目源左衛門が最上屋を継いでいた

 善太郎は三代目源左衛門の息子で、弥三右衛門の十歳下だ

 幼い時から仲が良く、よく一緒に遊んでいた

 まあ、周りから見ればいじめているように見えたらしいが…




 1614年(慶長19年) 冬  伊勢国飯高郡松坂




「はいはい、おじゃましますよ」

 春は近郷の金を貸している百姓家に立ち寄っていた


 春は義父の宗兵衛から商いのなんたるかを教え込まれていた

 息子が当てにならないので、嫁に期待をかけようというのだろうか



「春さん!どうなすったのです?」

「ちょっと絞り味噌が余ったからおすそ分けにね」

 ヘヘッとはにかむような口調で春が百姓のおかみさんと話し込む


「どう?今年は良く実ったみたいだけど、旦那に余分な小遣い渡してない?」

「ええ、春さんに言われた通り、『これだけ借金があるから、ダメ』って言ったらしょんぼりしてました」

「「あっははははは」」


 二人して大声で笑う

 春は天性人に警戒心を持たせずに話し込むことができる才能があった

 百姓のおかみさんをがっちりと掴んで、台所から貸金の回収をできるように徹底していた


「男なんて、ちょっと()()が出たらすぐに酒に博打に無駄遣いしちゃうんだからさ。ちゃんと綣繰(へそく)って蓄えとかなきゃ、凶作になればイッパツだかんね」

「そうよねぇ。うちの人もちょっと油断するとすぐにお酒に飲まれて帰ってきちゃって」

「居る居る、うちにもそういう()()()()()が」


「「困るわよねぇ~」」





 これが春の商法だった

 春は時間の許す限り金を貸している百姓家を歩き回り、現状の生活ぶりや物成の状態を確認していた

 収入が苦しそうならば、利息のみで元金を据え置くなど柔軟に対応してくれるので、借り手からの評判はすこぶるよかった



 女房衆を抱き込み、時には金を借りていない家でも平気で上がり込んで世間話をする


 大きな金でなく、生活の資金を借りに来るのは大抵が女房だった

 彼女たちは嫁入り道具にと持たせてもらった服など当面必要ない物を質入れする

 当然、金を借りた後は財布のひもは女房ががっちりと握った

 親から持たせてもらった大事なものを使って金を工面してきたのだから、男共も渋々言うことを聞くのだった



 宗兵衛の商法とは少し違うが、『民の暮らしに役立つ』という大原則は春にもしっかり根付いており、近郷の村では何かあった時に金を借りるのならば、春から借りるという者がほとんどだった




 1614年(慶長19年) 冬  近江国蒲生郡八幡町




 八幡町の綿屋では、総年寄りを務める父に代わって、長男の二代目嘉右衛門が店を切り盛りしていた


「この前三河から買い付けた綿があっただろう。十日のうちには衾に仕立てて売り出せるようにしておけ。

 大坂で大御所様が戦をなされているから、物価も上がるだろう。

 今のうちにやっておかねば、仕立賃を吊り上げられることになるぞ」


 若干十五歳ながら、堂々たる仕切りぶりだった



「兄さん。縮みの木綿はどうする?」

「店では『番頭さん』だ。明日の里売りで全て捌く。売捌き人達に分けておいてくれ」

「わかった」

「返事は『はい』だ」

「はいはい」

「はいは一度でいい!」

「はい!」



 弟の太郎右衛門は十二歳

 商いの勉強を始めたばかりのひよっこだった







「兄さん。太物もいいけど、大きな商いと言えば呉服じゃないの?」

「呉服は糸割符があるから、扱うのが難しいんだ。灰屋さんのように元々やっていたならいざ知らず、これから新たにというのはやっかいだぞ」


(もったいないなぁ… 太物でちまちまやるより呉服でドーンと儲かればいいのに)

 太郎右衛門は家業の太物よりも呉服の商いに憧れていた

 京や大坂で聞く豪商たちは、全員呉服を商う

 それだけ大きな利が得られるのだった



(大きくなったら、京に行って糸割符仲間から買い付けられるようになろう。

 そうすれば、兄さんも見直すだろう)


 太郎右衛門は堅実一手の初代嘉右衛門の息子らしからぬ山っ気があった




 1615年(元和元年) 秋  武蔵国豊島郡江戸




 仁右衛門は大坂夏の陣で豊臣家が滅亡したのを見るや、すぐさま江戸に店を構えるべく幕府に願書を提出し、受理された

 相も変わらずの()()()()だった

 いや、機転が効くというべきか



「山形屋の二号店だ!この店を『つまみ(だな)』(□の中に点三つ)と名付ける。

 鹿磯の近江屋と違い、本店の直営として営業する。

 ここの経営は甚五郎に任せるぞ!大きな商いに発展させるのだ!」

「はい!お任せください!」


 仁右衛門は慶長八年に開設された日本橋通の一丁目東側 最も日本橋に近い場所に店を構えた

 一軒挟んだ三軒目には扇屋伴荘右衛門が、四軒目には荘右衛門から分家した長男の扇屋(ばん)伝兵衛(でんべえ)がそれぞれ店を構える

 また、日本橋の上槙町には『灰屋』中村九兵衛が江戸店を構えていた


 五街道の起点となる日本橋の一角を八幡商人達で半ば占拠したような格好になった



 他国に出店した近江の各商家は、他国では近江屋を名乗り、支配人の名もそれぞれ変わった


 山形屋仁右衛門 ⇒ 近江屋作兵衛

 扇屋荘右衛門 ⇒ 近江屋平兵衛

 扇屋伝兵衛 ⇒ 近江屋惣兵衛



 といった具合だ

 ただし、非常にややこしくなるので、この物語では従来の店名と名乗りで進める

 また、つまみ店も『山形屋日本橋店』と呼称する




「よし!営業開始だ!新平は棚の整理と丁稚達の指導を頼む。善助たちはまずは江戸の町を見て回り、売捌きの手を考えてくれ。

 今日の晩飯の後で、今後の売り方の方針を決めるぞ!」

「「「はい!」」」


 甚五郎の号令一下で日本橋店が一斉に活気づく

 その様子を見て仁右衛門は満足げに帰路についた

 八幡の本店を留守にするわけにはいかないので、日本橋店は甚五郎に任せることにした


(甚五郎なら、うまくやるだろう)









「まずは善助から報告を聞こう」

「はい。江戸はやはりこれからの町ということもあって、まだまだ人は増え続けております。

 生活用品は何から何まで不足していくでしょう。

 八幡町からに限らず、諸国から荷を集めなければ、売り物が不足することも考えられます」


「ふむ。扱う荷も蚊帳と畳表だけに限らずにいけということか。

 新平はどうだ?店の中は?」


「はい。店の丁稚や手代も相当数不足いたします。おそらく人手はいくらあっても足りないかと。

 八幡町から人手を雇って増やしてもらうわけにはいきませんか?」

「まだ修行中の者ばかりだが… まあ、こちらで修行させると思えば良い経験になるか。

 親元を遠く離れさせるのは不憫だが…」


「なんの、八幡町に居るよりも商人として身を立てる機会はいくらでも転がっております。

 喜んで来る者も多いでしょう」

「わかった。人の手配も落ち着いたら旦那様に申し上げよう」


「ただし… やもめ暮らしだぞ。女を遠くに来させるわけにはいかんからな。

 皆飯炊きは自分たちですることになると心得ておけよ」

 甚五郎がニヤリと笑う



 近江に限らず、江戸や大坂に進出した商人は幕府のキリシタン禁止令(禁教令)によって痛くもない腹を探られるのを嫌い、身元のはっきりした奉公人を確保するため、郷里の近郷から子供を雇い入れて、本店で数年修行をさせた後江戸店や大坂店へ上らせた

 現代の転勤や単身赴任のようなものと思えばわかりやすいだろうか


 彼らは、五年毎や七年毎に一旦奉公満了として親元へ帰ることが許された

 一旦帰ったあと、引き続き勤務する意志があれば再び江戸や大坂へ上るのだ



 山形屋では江戸店や後に出店する京店には女を置かず、全てを男だけのやもめ暮らしにした

 そうすることで早く独立して嫁を持ちたいと思わせるように発破をかけたのだ


 しかし、男だらけの共同生活は、それはそれで結構楽しく、江戸に長逗留する奉公人もいた




 ともあれ、徳川が名実ともに天下の将軍家となった

 以後二百年以上に及ぶ徳川の治世の幕開けである


 政治的には紆余曲折を経ながらも、幕末までその権威を持続させた

 しかし、経済的にはその中にバブル景気やデフレ不況・政治介入による混乱期など、現代と非常に似通った様相を呈していく



 荒れ狂う商環境の中で、商人達の生き残りをかけた戦いは、新たな世代へと突入した




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