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近江の轍  作者: 藤瀬慶久
初代 仁右衛門の章
16/97

第16話 伊勢松坂城下

 


 1588年(天正16年) 春  近江国犬上郡柳川郷




「では父上、行って参ります」

「うむ。気をつけてな。海の藻屑となっては元も子もないぞ」

「はい」


 うららかな春の日


 建部(たてべ)七郎右衛門(しちろうえもん)元重(もとしげ)は、同郷の田付新助影豊が先に行ったことに影響を受けて、新天地蝦夷を目指して近江を発った


 建部家は六角家臣だったが、主家の没落に伴い半農半漁の生活を送っていた

 しかし生活は苦しく、世間の風当たりも良いものではなかった

 新たな八幡町では新旧合わせた商人達が続々と店を構えていたが、今からそれに参入しても勝ち残れる自信はない

 ならば、いっそのこと蝦夷で一山あててやろうと少ない元手で野菜の種を数種類仕入れ、この日旅立つ決意をしていた


(蝦夷は何もかもこれからの地になるだろう。楽な道ではあるまいが、懸命に始末すれば良い目が出るはずだ)



 七郎右衛門は柳川湊から湖北の塩津浜へ行き、敦賀を経て三国湊で蝦夷行きの船便を待った

 この当時若狭船が不定期に蝦夷へ航行していた

 船と言っても粗莚を帆に掛けたような縄綴船だった


(ひどい揺れだ。(うみ)とはわけが違うな)

 七郎右衛門は、日和を見ながら遅々として進まぬ船旅に焦りと船酔いを抱えながら、蝦夷での生活を夢想していた

 そして半月後、夢にまで見た松前の福山湊に降り立った


「ここから始末して気張り、必ずひとかどの商人となって見せる!」

 七郎右衛門はどんよりした曇り空とは裏腹に、意気天を衝くばかりであった




 1588年(天正16年) 春  伊勢国飯高郡四五百森




「順調のようだな」

 建築中の松ヶ島新城の普請を検分に来た氏郷は上機嫌だった

 穴太衆による石垣が間もなく完成し、城本体の普請を待つばかりとなっている

 年明けから築城を始めたにしては驚異的なペースだった


「資材は領内の寺社を取り壊して調達しよう」

「ハッ!」

 側近の町野(まちの)左近将監繁仍(しげより)に命じる


「ふむ、これを機にこの地も名を改めるか」

「矢川の庄を、でございますか?」

「そうだ。松ヶ島の松と日野の馬見岡綿向神社の若松の森にちなみ、この地を『松坂(まつざか)』。城の名前を『松坂城(まつざかじょう)』としよう」

「かしこまりました。領内に触れを回しまする」

「秋ごろには入城できるように急いでくれ。西国は落ち着いたが、いつまた騒がしくなるかわからん」

「ハッ!必ずや!」



 天正十六年に築城が開始された松坂城だが、驚くべきことにその年のうちに氏郷は松坂城への入城を果たしている

 倒壊は免れたとはいえ、地震と津波で被害を受けた松ヶ島城を一刻も早く出たかったのであろう



「城下町は直線にするな。敵の襲来に備えて曲がりくねった道や突き当りの道を作り、防衛機能を持たせるのだ」

「戦うための城にするのですな」

「もちろんだ。まだ戦は終わったわけではないぞ」


 氏郷はまだ天下への野望を捨てたわけではなかった

 宗兵衛にも言われたが、信長の後継者として、また天下の采配を振るう者として、自分にはその器量があると思っていた

 今は秀吉が天下の仕置きを任されているが、自分は秀吉よりも十九歳も若い

 秀吉が死んでからも十分に時間はある

 いや、機が熟せば自ら秀吉を滅ぼしてもいいのだ


 その為にも、本拠地松坂は戦うための城として整備しなければならない

 城下の発展を第一として、城下町を碁盤目状に整備した八幡山下町とはその点が決定的に違っていた

 八幡山城は山城とはいえ、戦うための城ではなかった




 1588年(天正16年) 夏  近江国蒲生郡仁保郷




「はい、確かに頂いてゆきます」

「よろしくお願いします。今年は我が郷が山形屋さんの『一番棚』を取るのだと女房衆が張り切っておりましたので」

「ははは、ではしっかりと質を検分させていただきましょう」


 新八は仁保郷の名主家に農閑期の間に百姓たちが作っていた蚊帳を受け取りに来ていた


「しかし、今年の夏は暑くなりましたな。物成も良さそうで結構なことです」

「そうですな。仁保川(日野川)の取水の争論も先年の中納言様の御裁きのおかげで、今は何事もなく落ち着いております」

「ええ、家老の田中様も領民の声を良く聞き入れて、一方的な御裁きにならぬよう配慮されています。

 八幡は真に良い御領主様を戴いたものですな」

「まことに」



 秀次は前年の天正十五年に中納言に叙され、江州中納言と呼ばれた

 秀次の八幡統治はたった五年に過ぎなかったが、その五年の間に横暴を働く悪徳代官を成敗したり、百姓の水争論(取水縄張り争い)を公平に裁くなど、領民からは良い領主だと慕われていた

 筆頭家老の田中吉政を中心に、家老たちの補佐を受けていたとはいえ、若干十九歳の身としては善政を敷いたと言えると思う

 現在でも、近江八幡では秀次時代の善政を遺徳として偲ぶ声が後を絶たない


「周辺の市町からも数々の商人がこの八幡の町を志していると聞きます。山形屋さんが骨を折られた甲斐がありましたな」

「ええ、旦那様はこの八幡を良い商人達の町にすると息巻いておられます。

 そのためにも、もっともっと上質な蚊帳を沢山作っていただかねば」

「あまり女房衆の尻を叩くと男どもが負けてしまいますでな」

「「あっははははははは」」

 新八と名主は声を揃えて笑った




 1588年(天正16年) 秋  伊勢国飯高郡松坂城下日野町




 新築成った松坂城の城下町だが、松ヶ島城下の住人を強制的に移住させ、また市街中心部には『日野町』を設けて日野からの移住を奨励した

 城下にはもちろん楽市楽座令を施行した


「蔵は場所を上げて浸水に強くしろ。米は今年の仕込み分は大湊から買い付ける。

 来年は松坂湊から入れることができるだろう」

「今年の酒の仕込みは寒前酒から始めますか?」

「そうしてくれ。取り急ぎ酒を売れるようにならなければ、商いがはかどらん」

「かしこまりました」


 宗兵衛が手代の勘治に指示を出していた

 松ヶ島からの移転に伴って米蔵と酒蔵を急造していた



 この頃の酒造りは四季醸造といって、年五回の仕込みを行っていた

 米を大量に消費してしまうので、後に徳川幕府によって不作の年は寒仕込み以外は禁止されたり、米がダブついてしまう時は解禁されたりと仕込んでいい回数が米の成りによって変わった

 そのため、後年には寒仕込み以外の仕込みは廃れていく

 また、寒仕込みの酒は五回の仕込みの中で一番上質な酒となったため、品質の追求という観点からも寒仕込みが酒造りの常識となっていった


 年中醸造する酒造りが復活するのは、昭和期の工業生産技術が確立してからとなる






「角屋七郎次郎でございます」

「蒲生家商人司の三井越後守にござる。この度、松坂少将様の呼びかけに応じられたこと、うれしく思いますぞ」

 蒲生氏郷はこの四月に左近衛少将に任じられ、松坂少将と呼ばれた


「楽市楽座にて優遇頂けると聞き、応じました。廻船は我らにお任せいただきたい」

「これは頼もしい。船を使った商いであれば陸路より余程の荷が扱えますからな。今後とも良しなに」

「こちらこそ、良しなにお願いいたしまする」

(なんだ、まだ十五の若造じゃないか。これなら取り込むのは容易かろう)


 宗兵衛は大湊より移住してきた廻船問屋の角屋(かどや)七郎次郎(しちろうじろう)忠栄(ただひで)を招いて茶を振る舞っていた

 氏郷は利休七哲の筆頭である茶人でもあった

 その影響で宗兵衛も茶の湯の心得を多少は持っていた


 角屋家は忠栄の祖父元秀の代に伊勢山田から大湊に移住し、大湊で廻船を営む筋金入りの海賊衆だった

 忠栄の父親の七郎次郎秀持は、信長存命中から家康の御用を務め、伊賀越えの大難の折りには伊勢から三河まで家康を送り届けるなど、徳川家に良く尽くした家だった

 当主は代々七郎次郎を名乗り、今の忠栄は二代目七郎次郎だった


 角屋を始めとした廻船屋が移住したあたりを『湊町』と呼んだ



「時に七郎次郎殿、少将様の御用の折りには、兵糧や軍船などの御用は務めてもらわねばならん。そのあたりは承知いただきたいが、よろしいかな?」

「越後殿の酒屋に運び入れる米については、お代を頂けるのでしょう?」

「さて、手前の蔵に一旦入れた後、蒲生様御用として献上する分もある。お代は出まするが、多少は値も協力していただかねばならんこともありますぞ」

「そうですか…楽市というのは嘘なのですか?」

「これは手厳しい。しかし、蒲生様あっての松坂湊でもありましょう」

「…」

(…小僧めが生意気な…)


 宗兵衛はにこやかな笑顔を保ち、口にも顔にもおくびにも出さなかったが、角屋をうまく手懐けていけるか少々不安を持った

 商人司として退くわけにはいかないし、自らの利を脅かす存在になられては厄介だ

 蒲生家の力を使ってうまく取り込んでいかなければならないなと思った




 1588年(天正16年) 冬  伊勢国飯高郡松坂城




「はっはっはっ。宗兵衛、角屋とやらにうまくやり込められたそうだな」

「はっ。面目次第もございません」

「良い。まあ移住したばかりで商いをこれから立てていかねばならんのだ。七郎次郎も必死なのであろう。

 だが、商人司とはいえ日野町をことさらに優遇はせぬぞ。

 余り露骨なことをすれば、この先松坂へ行こうという商人も減ってしまうやもしれぬしな」

「はい。もちろんでございます。ご城下の発展と少将様のお役に立つことを第一と思っておりますれば…」


 氏郷がニヤニヤしながら冷やかす

「蒲生様御用と言って割安で米を買い受けるつもりであったのだろう。七郎次郎もなかなかに抜け目がないな」

「はっ。恐れ入りまする」


 宗兵衛は冷や汗をかいていた

 氏郷に自分の狙いを正確に見抜かれていたからだ


 もっとも、氏郷にもそのことをことさら咎める気はなかった

 宗兵衛の献身はよく知っていたし、土倉として組下の商人への初期投資や融資も行っている

 金がいくらあっても足りないであろうことは氏郷にもわかっていた

 更にこれから組下の商人が増えるとなれば、宗兵衛の負担はより重くなるだろう

 多少特権を使って()()()()思いをするくらいの事は、目を瞑ってやってもバチは当たらんだろうと思っていた


 宗兵衛にしても、特権を使って利を得るのは、最終的に蒲生家の軍資金を充実させるという目的があってのことだ

 そのあたりの事は魚心あれば水心で、バレたところで大ごとにはならないと踏んでいた



(しかし、角屋七郎次郎とのことは何とかしなければならんな…)




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