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近江の轍  作者: 藤瀬慶久
初代 仁右衛門の章
14/97

第14話 古式水道

 

 1584年(天正12年) 冬  伊勢国一志郡松ヶ島




「今回のご加増おめでとうございまする」

「うむ。宗兵衛も屋敷地を与える故松ヶ島城下に居を構えるが良い」


 天正十二年の小牧・長久手の戦の戦功により、蒲生氏郷は近江日野六万石から伊勢松ヶ島十二万三千石へと加増・転封された

 それに伴い、商人司たる宗兵衛も松ヶ島への引っ越しを予定していた

 今頃は日野で家人たちが引っ越し準備に追われていることだろう


「松ヶ島は場所は良いのだが、ちと城が手狭だな」

「海に近い故、城下町としての場所も少し手狭ですな」

「いずれもう少し内陸に城を移して城下を広げよう」

「しかし、湊町を抱えるのはようございますな。日野とは比べるべくもない大きな商いとなりましょう」

「八幡山城でも良かったのだがな。あそこは畿内のヘソといってもいい要地になろう」

「なんの、まだまだ京へも近うございますし、船で大坂へ上ることも容易でございますれば」

「うむ。まずはこの松ヶ島城下にて日野以上の市を起こさねば。日野からも商人・職人を連れてくるがいい」

「はっ。手前の酒蔵にも杜氏を置きまする」

「春になれば紀州攻めになろう。それが終われば四国攻めだ。宗兵衛にはまだまだ働いてもらわねばならんぞ」

「それはもう、喜んで」



 宗兵衛は松ヶ島城下に酒屋と土倉を兼業する酒蔵を開いた

 取扱品目は酒・米・日野椀・麻呉服・木綿呉服・土倉と今や押しも押されもせぬ蒲生配下の豪商となっていた

 宗兵衛の酒屋は越後守にちなみ『越後殿酒屋』と呼ばれた


 宗兵衛は自分が起こした酒造りと日野椀の商いを湊を通じて日ノ本中へ送り出した

 今や師伝次郎以上の商業規模を誇り、身なりや配下も徐々にそれらしい威儀を備えつつあった

 だが、大身となっても奢ることなく、外聞の威儀やお役目のために必要なもの以外は変わらず質素倹約して始末を怠らなかった

 若かりし日の宗兵衛からは想像もつかない、見事な商人へと成長していた


 五井宗兵衛 三十八歳


 まさに今脂が乗りきっていると言ってよかった




 1585年(天正13年) 夏  近江国蒲生郡八幡山




 甚左衛門は一昨年末から行商を控え、八幡山城と山下町の普請にかかりきりになっていた

 当初こそ経験のない大工組頭に戸惑い・失敗の連続だったが、生来算勘に明るく工期や材料の計算も素早く正確だったため、一年経ったこの頃には現場の人足や番匠らから頼りにされる存在へとなっていった


「お城の普請は内装の調度を残すのみでございます。麓の居館もあと一月もあれば出来上がりましょう。

 山下町の普請は手を付けたばかりですので、今年一杯はかかろうかと思います」

「うむ。ようやってくれましたな」

「ありがとうございます」

「此度の四国攻めの功により、南近江は関白様の甥御様、羽柴孫七郎様が知行されることとなる。この八幡山城は孫七郎様の居城となることと相成った。

 近々こちらへ視察に来られると思う故、その時はしっかりと説明を頼むぞ」

「はっ!承りました」


 甚左衛門は八幡山麓にある居館前の仮陣屋で田中吉政に進捗を報告していた

 八幡山は急峻な山で、平時の城主は麓の居館にて政務を行う予定だった

 居館は現在の日牟禮八幡宮のあたりにあった

 この時には八幡堀はすでに完成しており、琵琶湖の各湊から続々と資材が集まっていた



「頭ぁ~ちょっといいですか?」

 人足の小頭が陣幕の外から声を掛ける

「ちょっと失礼いたします」

「ああ、報告はここまでで結構。普請場に戻って下され」

 甚左衛門は一礼すると陣幕を押し上げて外に出た


「何事だ?」

「へぇ。ちいと厄介なことがありまして。ともかく山下町の方へお願いしやす」

 厄介ごとか…すぐに解決できなければ、引き返して九兵衛様に頭を下げることになるな…

 甚左衛門は夏の日差しに目を細めながら山下町へ向かった

 蝉の声がうるさく響いていた



「これでさ。ちいと飲んでみてくだせぇ」

「む?」

 小頭から差し出された水を口に含む

「ぐぇっ」

 思わず吐き出した。ひどく金気(かなけ)臭い

「ここらの町家用に井戸を掘っていたんですが、東側は砂利地で水はけも良く、水もいいのが湧くんですがね…

 東側は粘土質で水はけが悪い。おまけに湧いた水がこんな有様でして…」

「むぅ~これでは生活に使えんな…」

(うみ)から水を引いてもいいんですが、排水とごっちゃになっちまいますしねぇ…」

「うむ~~~~~~~」

 甚左衛門は一頻り考え込んだ


「少し考えてみる。皆は町割り普請の方を先にかかってくれ」

「「「へい!」」」


 甚左衛門は頭を抱えながら南津田村に帰った



「水か…水がなければ町としてはどうにもならんな…」

「水がどうかされたのですか?」

 夜家に戻り、一息ついていると茶を出してくれたふくがにこにこと聞いてきた

「ああ、これはすまぬ。いや、八幡山下の井戸から出た水なのだが、これが金気臭くてとても飲めんのだ。

 水をいちいち運んでいては生活が不便に過ぎるしなぁ」

「そうですか…困りましたねぇ…」

「川を引いてくればいいかもしれんが、(うみ)が氾濫すればたちまち町が浸水してしまうしな…

 ああ~~~~。どうしたものか」

 言いながらごろんと横になった

 っと、一本の竹竿が目に入る

 滋賀郡の比良山系の山民から、何か特産に使えないかと押し付けられていたものだった

 比良山では竹藪が多く、有効利用できればありがたいと相談されていた


(節を抜けば中に水を通すことが出来るな………!!!!)


「これだぁぁぁぁぁ!!!!」

 がばっと起き上がると突然叫び出した夫に、ふくは驚いてのけぞっていた

「どうなすったのです?」

「これだ!これだよ!ふく!

 東側からは良い水が湧くのだ!なら、西側には水が湧かない程度の仮井戸を掘ってそこに東側から水を回せば良いのだ!」

「????」

 ふくは甚左衛門の言っていることの半分もわからなかった

 しかし、”これだ!これだ!”と言って楽しそうに竹を見ている夫を見ると心が和んだ


(遣り甲斐のある良いお役目を頂けてよかった)

 ふくは心からそう思った



 -翌日-


 甚左衛門は番匠を呼び、木のブロックの中心を丸くくり抜いた物を作らせた

 同時に竹を一丈(約3メートル)に揃えて節を全てくり抜いた物を作り、普請役と番匠役の小頭たちを集めた


「よいか!

 東側の水をこの節をくり抜いた竹を使って西側へ流す。竹と竹はこの駒(木製ブロック)でつなぎ、各通りと筋の土中にこれを埋め込むのだ。

 辻には樽を埋めて、樽の中に水がたまれば東西にも南北にも水が回るようにする。

 これを各戸に掘った取り井戸に繋ぐのだ。

 元井戸は東側の井戸の中にこの竹を繋げば、人の手で運ばずとも各戸の取り井戸に勝手に水が溜るだろう」


 ざわざわざわ


 小頭たちがざわつきながら問題点がないか検証しはじめる

 やがて、全員の意見が一致した


「良い御思案です!さすがは頭だ!」

「そうだそうだ!これなら西側も絵図面通りの町割りができまさぁ!」

「よし!

 では番匠役は駒と樽を作ってくれ。普請役は竹を一丈に切り揃えて節を抜く作業にかかってくれ。

 竹は比良山から手配をする故、町割り普請と並行して行ってくれ」

「「「へい!」」」


 甚左衛門は飲み水に続いて、排水用の溝も切り、それらを八幡堀へと流す工夫をした

 水はけの悪い土地では、排水や雨水を堀に流さなければたちまち水浸しになってしまうからだ

 これらは『古式水道』と『背割り排水』として江戸期に入ると近江や近隣の水郷の水道設備として整備されていく

 八幡町は竹製の水道の元祖となった



 古式水道は町を作る上で欠かせない飲み水の確保に多大な貢献をした

 現代で言うと竹は配管・駒はジョイント・樽は分配用チーズとしての役割を持つ部品である

 これ以前の水道は木樋や石樋などで通していた為、地中に埋めることが難しく、結局は水源を中心にした町づくりが行われた

 だが、この古式水道と背割り排水の発明により、水源に縛られることのない自由な町づくりが可能となった

 なお、この竹製の水道は木樋や石樋、土管などと比べて維持費が安いというメリットがあった

 そのため、近江八幡町では昭和の中ごろまで秀次時代の古式水道を維持・管理しながら生活に活用していた

 現在でも近江八幡町では背割り排水の排水路をあちこちで目にすることが出来る




 1585年(天正13年) 秋  近江国蒲生郡八幡山城下 八幡城主居館




「面を上げてくれ」

「はっ」

 甚左衛門は新築成った八幡山城の城主、羽柴孫七郎秀次に拝謁していた


(まだ十八歳と聞く。若いが聡明なお方のようだ。活発な雰囲気だが、目元に少し神経質そうな気配を持っているのが気になるな…)

 甚左衛門は秀次の顔をしっかりと見た

 秀次は朗らかに笑いながら甚左衛門の顔を見据えていた


「この度の八幡山城、並びに山下町の普請、大儀であった。関白様からも良く褒美を取らすようにと仰せつかっている」

「もったいなきお言葉にございまする」

「何か望みはあるか?」

「はっ!さればこの八幡町に屋敷を構えるお許しをいただきとうございます」

「そんなことで良いのか?」

 秀次は拍子抜けしたような顔をした


「私はこの八幡山下町を近江一の町としたい。信長公の安土からも周りの市町(いちまち)からも住民を移住させようと考えている。そちが屋敷を構えぬと言っても構えさせることになるだろう。

 それでは褒美になるまい」


(なんとも気宇壮大な)

 甚左衛門はうれしくなった

 自分の作った町が八日市や安土をも超える町となるのだ


「されば、手前にこの八幡町の商人を吟味する役目を仰せ付けられたく、お願い申し上げます」

「商人の吟味とな?」

「左様、わが師伴伝次郎は楽市という商人の自由な商いの場を夢見ておりました。しかしながら、それは信長公の為されたような誰でも良いから商いをせよというものではございません。

 商人には商人の守るべき『義』というものがございまする。

 義なくして民は豊かになりませぬ。義なくして商人は人の役には立てませぬ。

 もしその義のない者が商いを志すならば、手前はそれを教え、導き、義を持った商人達による真に自由な商いを実現しとうございます」

「ふむ…商人の『義』か」


 しばし考え込んだ秀次はニッコリと笑って答えた


「しからば、西川甚左衛門。その方を八幡堀の輸出入調査役に任ずる。

 私は(うみ)の水運もこの八幡に集める。その八幡堀から入る荷も出る荷もその方の管理下に置くこととする。その方は商人達の取りまとめを行う役目となるのだ。

 その方の言う『義』とやらを守らせる為の力となろう」

「ははっ!有難き幸せ!我が身命を賭して相務めまする」


 こうして、甚左衛門は伝次郎の夢見た楽市の実現に一歩近づくことになった

 これ以後の八幡町は近江商人の本拠地として、江戸期・明治期・大正期を通じて日本中の商いの中で中心的な役割を担っていくことになる



 西川甚左衛門 三十八歳


 しかし、歴史は彼にこのまま順風満帆な人生を送らせることを許さなかった

 甚左衛門の苦悩と苦闘はまだまだ続いてゆく



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