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ちぢり感覚  作者: 等野過去
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五 魔法のくつ

 高校の入学式当日、この日がちぢりの初登校となった。高校の制服を着ると、恥ずかしそうにして、しばらくは計助の前にでてこなかった。それでも渋々といった具合で赤らめた顔を見せたなら、似合うかどうか、変じゃないかと質問攻めをした。

「よう似合っとるやん」

 計助は何も考えずに返答したが、年相応に嬉しそうに飛び跳ねるものだから、ようやくちぢりの高校生らしいところを見た思いだった。

「これだったら、その、計助さんだったら隣をいっしょに歩けるかな?」

「気になるもならへんも、高校生が制服着て歩いとってなんを気にするよ」

「うん……そうかな、確かにそうだ」

 言いながら、その場で何度か回ってスカートのひだを浮かして嬉しそうだ。

「でもわたし、長いスカートに(あこが)れるの。短いスカートって、ちょっと……人工的っていうのかな、歩いているといつも自分だけが浮き立っているような、別の惑星を歩いているような感覚になっちゃうの」

「長くても変わらんやろ?」

「ううん、長いとね、まるで……笑わないでね。まるでダンスにでも行くような、百年もの歴史をさかのぼったような感覚になるの。足をつんのめらせながら、一歩一歩進むと、一年ごと歴史をさかのぼっているみたいでね。歴史という階段をくだっていく、……シンデレラみたいな、ヒロインみたいな……あ、やっぱり笑った!」

 ちぢりは(ほお)(ふく)らませるまねをしながら、すぐに口元をほころばせた。そしてお弁当を作りにかかる。

 計助は時折、彼女を見ていると居た(たま)れなくなることがあった。如何せん否定されることに慣れているのだろうか、笑顔で誤魔化しながら後悔しているように映るときがあり、その度に計助はやってしまったと強く()やむのだった。彼女を受け入れることが大事だと思いながらも、やはりすぐに否定の言葉が飛びだしてしまい、また、小ばかにするように突っぱねて扱ってしまうのは癖なのだろう。乱暴にもとられかねないぶっきらぼうなやりとりは、田舎(いなか)ではさも当たり前の光景だし、誰もがそうした中で育ってきているので無礼講だって日常茶飯事(さはんじ)であったが、あまりに強すぎる感受性には、毒以外のなにものでもないだろう。地元の高校に行くとなると、心配が芽をだしてもしかるべきだ。

 お弁当は昨晩に作り置きしておいたサラダや煮物を詰め、朝からは卵焼きとご飯を詰めて、ふりかけを準備するだけで手軽にすまされた。計助がいつもお昼と夜を買って済ませていることを知るや、昨日の朝にもお弁当を作る予定だったが、フライパン片手に終始ちぢりの目は宙を捉えており、卵焼きを焦げ付かせたために持っていくことを断じて許さなかったのだ。何をしていてもすぐに注意がよそに向いてしまうのだろう、台所に立って調理をしながらに、料理をしていることすら忘れてしまうのだ。構わない食べられると計助は主張したが、そこは女が(すた)るらしく、朝ごはんとして食べていかないつもりなら捨てるとまで言いだした。そうして反省した彼女が本日とった行為は驚くべきもので、キッチンタイマーのアラームを一分ごとにかけることで、集中力が散漫な彼女を定期的に現実に戻すという荒療治だ。計助が早起きせざるをえなかった理由がここにあり、一分ごとに騒がしい台所という代償を支払ってようやく、卵焼きは成功したようで、本人も満足の笑みだ。

「それじゃ、先に出るね」

「ほんまにええんか? 車で送ってくぞ。役所と高校なんて百メートルも離れてへんのに」

「ありがとう。でも、わたしは歩いて行きたいから」

 そう言われては引き止めることははばかられ、見送った。たかだか三キロ程度の道のりだが、彼女の散歩を考えると一時間半前という過剰な時間の余裕ぶりは、それでも妥当だろう。まだ七時にもならない冷たい空気の中、彼女は意気揚々と出ていった。

 いざ見送ってからは、気もそぞろで、テレビのニュースが何一つと頭に入ってこなかった。新聞も見ているだけで、そわそわと同じ記事ばかりに目をとおしていた。車で後を追おうかと、冗談(じようだん)めいた考えが真面目に思い浮かび、打ち消し、また思いついては落ち着かなかった。

 結局いつもより三十分も早く車をだすと、無関心を装おうとちぢりを避けるように迂回(うかい)路を通って早い目の出勤となった。一番乗りかと思っていたが、あいにく佳織が一番の若手がゆえ、パソコンを叩いて朝一から業務に励んでいた。

「あれ、計助くん、今日は高校の入学式でしょ?」

「俺には関係あらへんからな」

「あーらま、やっぱしそういうこと言っちゃうんだ。ちぢりちゃんもかわいそうに」

 出勤して一言目がこれだ。年下で後輩だが、呼び方といい、態度といい、気さくさがいかにも田舎だ。

「ま、そりゃ心配してへん言うたら嘘になるけど、そんな歳でもないやろ」

「入学式に歳が関係あるとは思わないけどねぇ」

「俺が付いていようといまいと、なんら変わるわけやなし」

 計助の認識が甘かったと思わされるのは、夕方、仕事から帰ってからだった。家に着いたが、電気が点いておらず、施錠されていたのだ。高校は入学式で昼には終わっているはずだというのに、何があったのか。少なからず心配もあったが、気の合った友達でもできて遊んできているのだろうと高をくくっていれば、少し遅れて家に帰って来た。

「ただいま」

 そのさまを見て、計助は度肝(どぎも)を抜かれた。制服は泥で汚れ、足首の上までがびしょ濡れになっており、くつに至っては全体が乾いた泥まみれで紙粘土のような有様だった。

「計助さん……ごめんなさい」

「何があったんや?」

 そんな恰好になるなど望んで起こるわけもなく、転んだくらいならいいが、いじめなどの標的にされたのではと思うと看過できない。断固として口を割ろうとしないちぢりだったが、根負けし、とうとうその口を開いた。

「田んぼがたくさん、所狭しと()き詰められていて、わたし、すごくうれしくなっちゃったの。自然の水面が、陸の海が広がっていて、これだけたくさんの田んぼがあるんだから、どっちが湾でどっちが陸なのか、分からないくらいで。青空が映ると、今度はお空のようで、あぜ道が飛行機雲のように見えたら綱渡りみたいな気分になって、しばらく飛行機雲の上を楽しく歩いて、水辺を観察したら、おたまじゃくしやアメンボなんかにまぎれて蜘蛛(くも)がいてね、水面を()っているの。ね、蜘蛛って水面を這えるんだって思うと、わたし、驚きと、感激でずっと蜘蛛を観察してね、みなもが波立たぬように優しく足を置いていることに気付いて、もしかしてそうすれば水の上に立てるんじゃないかって思って……」

「もうええ。はよ(くつ)脱いで、まずはシャワー浴びてこい」

「……はい」

 ちぢりはしょげながら、脱衣所へと歩いて行った。

 大人気ないと思う気持ちが半分、どうしてこんなことをしでかすのかと、(あき)れと失望感がもう半分だ。外の水道でくつを洗うと、新聞紙を取り出して、丸めてちぢりの皮靴に突っ込んだ。そして片付けた矢先のファンヒーターを物置から取り出して、灯油を補充してスイッチを入れる。

「気持ち悪かったやろうに……よくこんな状態で散歩してきたもんや」

 そもそも学校の行きと帰り、どちらで足を突っ込んだのだろうか。朝、田んぼに足を突っ込んだかもしれないと思うと、とんだ初登校を飾ったろうと考えてゲンナリした。

 軽くシャワーから出てきたちぢりは、髪の毛を乾かすことも後回しにし、無造作にはねた頭でリビングに来ると、乾かされる自分のくつを見て、寂しそうな顔をした。

「新品のくつが、こうなったんや。濡れた状態でよくも散歩できたもんやけど、少しは反省せえよ」

「……はい、ごめんなさい」

 感慨深げにしばらくくつを見ていたが、いつまでもそうしていてはいけないと思ったか、夕食の準備に取りかかった。

 しばらくは一分ごとのキッチンタイマーが鳴り響くだけだったが、ふと突然、ちぢりが尋ねた。

「計助さん、暑くないですか?」

「ほうか? 火いつかっとるからやろ」

「かもしれない。ファンヒーター、切ってもらってもいいかな?」

「いうても、ほっといたら明日の朝になってもくつはかわいとらんで」

 何を言いだすのかと思えば、誰のせいでこんなことになっているか自覚がないのだろうか。計助は半ばあきれながら会話すると、切実そうな表情をして、ちぢりは大げさに頭を下げて懇願してくるものだから、圧倒され、首を傾げながらファンヒーターを切ることとなった。くつは乾かなかったら仕方ないということで、そのまま玄関に追いやられた。

 ちぢりの中でどんな思いがあったのか分からない。結局次の日、彼女は濡れた靴を()いて高校へ行ったのだ。朝も早く、湿り気を帯びた空気の中で、彼女は生乾きのくつをはいて何を思ったのだろうか。しっかりとした反省であればいいのにと、計助はため息を吐いた。きっと、彼の理解できない何かを彼女は守ったのだ。分からないことが分かるだけに悶々(もんもん)とし、歯がゆさばかりが心中をかきむしっていた。

 彼女は何を、どんな目線で見ているのだろうか。考えながら窓から浦を見渡したなら、いつもの何の変哲もない光景が広がっていた。太陽の光を反射し、波に揺れて小さく光りをまきちらし、近くでは海鵜(うみう)が波に乗って、揺れながらゆっくり移動をしている。対岸の埋め立て地のコンクリート端はこちらに向かって百メートルほどの近場まで、水面から身を乗りだしていた。水面は風で小さな動きを作りながら、まばらに突きでている海苔産業のさおと力比べをしているようだ。遠目の先では電車が音をちらしながら走り、建物に隠れ、表れ、また隠れ、駅に近づいたなら速度を落として軽トラックに抜かれていた。その前ではありのように人が歩いているのが分かる、自転車もいる、こんな早くから動くのだ、学生とも思えなかった。どこかから煙が上がっている、朝早くから野焼きをしている奇矯(ききよう)な人もいるものだ。紺碧(こんぺき)の空に張り付けたように、くっきりと色めき浮き立った小丘が視界の横いっぱいに広がっていた。こんなにくっきりと遠くが眺められるのは朝だからだろうか、それとも今日が特別なのか、その判断をできるだけ意識をして遠くを見たことがなかった。山には何本かの桜らしき色合いが見えた。桜とは別の赤味や、秋を思わせるような眼を見張る黄色さもそこにあった。左を拝めば、市内のテーマパークであるスペインパークの尖塔が黄色く光りながら、悠然とたたずんでいた。

 そんな、すべてがいつもの、ありふれた、何もない田舎町だった。この風景を、何もないと、彼は思っているのだ、今なお。

 思わず外に出て、道端からアスファルトを凝視した。それはアスファルトであってそれ以上でも以下でもあるはずがない。当たり前だと白けていると、とぼとぼと、膝辺りまで足を濡らしたちぢりが歩いてくるのが見えた。彼女は(くちびる)をかみながら、今にも泣きだしそうにして、頭を垂れながら計助の前に立つと、自分のうかつさを()いているのだろう、両手を強く握りしめながら体中を小刻みにふるわせていた。

「……ごめんなさい」

 この、ほんのたった十分ほどに何があったのか、定かではないが、計助はどう対応していいものか困った。反省の色がうかがえはするも、態度と結果があまりに正反対すぎて対処に困り果てた。怒るべきなのだろうか、優しく接してやるべきなのか。彼女の足跡は靴の大きさを知らせるように、アスファルトにべっとり染みついていた。

「とりあえず、理由を聞こうか」

 ちぢりは(うる)んだ瞳をまっすぐに向けながら、計助を正面から捉えた。目と目で真剣に向き合うことなど少なく、こうして間近で見つめ合うという行為に、計助のほうがたじろぎながらも、後退するわけにもいかず、どっしりと構えだけを作っていた。

「この先の橋を少し超えた右手に、大きな池があるの」

 長崎橋という、地元民しか知らないような小さな石橋を越えて数百メートルほど行くと、確かに大きな池がある。しかしそれは池よりも沼という方がしっくりくるようなもので、大雨のときにはよく氾濫(はんらん)して道路を冠水させることばかりの、傍迷惑な場所でもあった。

「あそこに、いつも、一羽だけ鳥がいるの。白くて、そして、いつもたった一羽で」

 確かにシラサギが、ほとんど一羽でそこに生息していることは、計助も知っていた。だが、ただそれだけだ。だからどうということもなければ、そのシラサギがいようといまいと関係のないことだ。

「毎朝あいさつしているんだけどね、今日は、互いに見つめあってたの。一分くらいも。たぶん、わたしたちって両想いなんじゃないかなんて考えちゃったら、我慢ができなくて……」

 一歩を踏みだして、沼地にはまってしまったわけだ。ちぢり本人も、注意された昨日の今日である手前、あまりの自分の見境なさに強く反省しきっている様子で、理由まで正直に打ち明けた彼女をこれ以上叱責(しつせき)することは心がとがめられ、計助は彼女にシャワー浴びさせると、今朝は車で送っていくことにした。

 彼女は断固として、濡れた靴を履いていたが、それを計助は迂闊(うかつ)な彼女自身への(いまし)めだとしか思っていなかった。それ以外に理由があるなどと、誰が思っただろうか。



  ぎゅ。 ぎゅ。 ぎゅ。

  わたしは 水を ふみしめる

  ぎゅ。 ぎゅむ。 ぎゅ。

  水の 上には 立てないし

  水たまりだって ふめば逃げる

  ぎゅ。 ぎゅん。 ぎゅ。

  水を すった わたしの くつは

  水の 心地を ゆいいつ くれる 魔法の くつだ

  ぎゅ。 ぎゅ。 ぎゅ。

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