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ちぢり感覚  作者: 等野過去
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四 確かなこと

「それは、ピクチャレスクね」

「ピクチャレスク?」

「そう、イギリスで起こった美的な概念の総称なんだけど、人が作り上げた整った風景だとか、近未来的な曲線だとかよりも、もっと荒廃的な、自然のありのままの姿にこそ真実の美があるって感じることよ」

「なるほどな、そういわれりゃ分からんでもないな」

 ちぢりの感覚は計助にとって理解しがたいもので、大学時代に美術を選考していた後輩の佳織に聞いたなら、そんな言葉が返ってきた。枠にあてはめることはよろしくないだろうが、言われるとこの上なくしっくりとくる感覚だった。

「都会でそんな感覚を養うなんて、確かに変わった子なことは間違いなさそうじゃないね。わたしちょっと興味あるなぁ……ね、計助くん、今度会わせてよ」

「そのうちな」

「あーあ、そんな気がない得意の返事がきましたよー」

 ちぢりとの二人暮らしは、計助にとって毎日が新しいものの発見のように感じられたが、どちらかといえば気苦労ばかりだった。同じ屋根の下に、理解できない価値観、感受性、寓話(ぐうわ)的な夢想癖を持つ人間と押し込められたなら、頭がもたない。これはと感心することも多いが、理解という要素が欠如してしまうと受け入れることが困難であると、強く認識させられた。

 おうむ岩を訪れたときも、彼が翌日から仕事な手前、何か暇つぶしを買ってやろうと、休みの日に何をしているのかを聞いた。

「大体散歩かな、雨でも、雪でも」

「いうても陽が落ちたなら、一人で出歩くことは俺が許さんでな。もちろん雨の日も、雪の日もや」

「……うん、わかった」

 残念そうな表情が計助の心をちくりと刺した。雨の日に外に出るなと言うだけでこんな反応をされてはたまらない。

「夜はどうするんや」

「夜はご本を読んだり、景色を見ているかな」

「夜の景色をか? ……ええけどな。ほんで、おおまかにどれくらい本を読むん?」

「んー、二三日で一冊くらい」

 かなりの数の本を読めるだろう、想像以上に有意義だと思う反面、それだけ読めるということは、一人きりの時間の長さを物語っていた。パソコンや携帯電話とは無縁なのだろう。

 本を買ってやろうと、二十分ほど車を走らせて小さな本屋にいくと、五冊まで選べと言ってやった。

「そんな、ただでさえ面倒をみてもらうのに、悪いよ……」

「おまえが本を読んどらんと、俺が相手することになるやろ。いらん気ぃつことらんと、はよ選べ」

 高校の始業式までは一週間ほどある。今後のためにも買って買いすぎることはない。

 そうして彼女が選んだのは、小説を二冊と、星座の本を一冊、料理の本を一冊、そしてぬり絵を一冊。

「なんや、子供みたいなもん買って」

 ぬり絵を買うなど、あまりに変わっているなと、つい深追いしてしまった。大人のぬり絵と(めい)打たれているものの、そんな本があるということ自体が計助には驚きだ。

「ずっとずーっとそれを見ているのが好きなの」

「色づいてでも見えるんか?」

 小ばかにした嘲笑(ちようしよう)がでてしまったことを自身でも気付いていたが、ちぢりは気にかけるでもなく、恥ずかしそうに(ほお)を赤らめて、うつむき加減で請け合った。

「そうなれればいいんだけどね。でもね、わたし、白と黒が好きなの。一番好きな色は黄色なのは間違いないんだけど、好きな色を二色選べって言われたら白と黒って答えるの」

 一つ選ぶと二つ選ぶで好きの順位が変わるという、そんな着眼自体がすでに計助の首をかしげさせていた。

「白と黒って両極端で、いわばあるかないか、イエスかノーか、生きているか死んでいるか、だと思うの。だからわたしはぬり絵を見てね、白が百あったら二とか一しかない黒を見て、どんなイエスとノーが集まったらこの絵ができるんだろうか、どんな生と死の国があったら、この絵を創造できるのか、そんなことを考えるのが好きなの。どうしてここは黒線が太いのだろう、このときに歴史上で、何があったのだろうかって。そう考えて、物語に似合った色をぬりだすと、まるで絵が動きだすような深みを帯びて、わたしをほったらかして語りだすの」

 そこまで来るとどうだろう、理解という概念ですらゆるがせるほどだった。隣にいながら、この少女はどこか遥かかなた、別の世界にいるとしか思えなかった。面白い考えだと感心できればいいが、そんな次元を超越しているのだ。

 いつしか家でいっしょにいることが負担にも感じられ、帰る足が重くなりだした。料理の本を買ったのは、家で料理をして計助を迎えるためだという吉報も、気分を持ちあげるにはへの突っ張りにもなりはしなかった。

 そうして迎えた金曜日、予定が入っていない土日が思いやられるなと、後輩の佳織に相談したなら、帰って来たのは先ほどのような第三者の興味本位な返答だった。

「もういい、おまえに聞いた俺がばかやった」

「まあまあ、そう不貞腐(ふてくさ)れなさんな。そうねえ、だったら、神宮にでも連れていったらどうかな。自然を愛する娘さんなら、自然を大切にする人工物っていう、なんていうかなあ……まあ、お気に召すんじゃないかな」

 会った日に、神宮に一度行ってみたかったと言ったことを思いだし、よいアイデアかもしれないと計助は頷いた。家に一人彼女をほうっておく気にもならなかったし、出かけること自体は賛成だ。外に出したなら、ちぢりは彼女の価値観で勝手に物事を把握していくのだから、ほうっておけるだけ気楽なものだ。計助は彼女を理解することへの放棄じみた考えをしだしていることに気付いていなかった。

 提案は好意的に受け取られ、ちぢりは嬉しそうに前日の夜をすごした。遠足前夜の子供のように、明日を夢想しているさまは、この娘はいつまで子供でいられるのだろうかと、危うさまでも感じるほどだった。

 翌日、混雑を避けて朝一で車を走らせると、神宮のある伊勢市へと繋がる林道に差しかかった。

「神宮杉しかないところで、鹿もようでるし事故ばっかや。二十分くらい直線がないような道やでな」

 ちぢりに「しかない」や「なにもない」という概念は存在しないらしく、点在する桜を見てはどうしてこんな素晴らしい場所が存在するのか、神宮からこの道で繋がるなんて、神秘的で素晴らしい立地だと()めそやした。

「そうでもないんよ。おまえはそう思うやろうけど、実際はこの道が誘客するためにはとんでもないくせものになっとんのや」

「なんでなんだろうね、これだけおごそかで魅力(みりよく)的な道がただで行き来できるのに。普段通行禁止じゃないんだよね? 通るなって言われる方が、よっぽどこたえると思うの。おまけに鹿がでるなんて、動物園でもないのに。わたしだったらお金を払ってでも来たくなる道なのに!」

 よもや、こんな森に囲まれただけの変わり映えしない、事故頻出の道を普段通行禁止の荘厳(そうごん)な道だと言う度量には恐れ入る。ものは考えようだろうが、地元民である計助でさえそんなプラス思考にはなれなかった。道は山間(やまあい)の崖と川にはさまれており、きびしいカーブが続くばかりで、距離感や方角はおろか直線すらない。見渡す限り山と空だけで、針葉樹は背を競うようにまっすぐ天へと穂先をつきあげていた。

「みんな、つま先立ちしているみたいだね。身長をはかってるときのわたしもこんな感じで、いつも怒られるの」

 屹立(きつりつ)する木々を眺めて嬉しそうなのは、彼女だからに違いない。

 神宮に到着すると、城下町のように続くおかげ横町(・・・・・)をぶらりとめぐった。計助はちぢりのことを人工的なものを受け入れられないと認識していたが、木造のおもむきある街並みの再現や、人いきれの歩道、神宮へと繋がる宇治橋が新しくなったことなど、たいへんな興味の持ちようだった。歴史や文化的な側面には理解があるらしく、それがまた一つ、彼女の存在を線引きするのに厄介(やつかい)な種となった。

「おまえがこんなことに、そうも興味深そうにするなんて思わんかった」

「みんな、自分でも何に興味が生まれるか分からないし、何にでも興味って持てると思うの。でもそれは、そのときの気分だってさることながら、与えられた情報や、いっしょにいる人によって変わるんじゃないかな? 好きな人がいっしょだったらどんなことにも興味を持つだろうし、好きな人のことだったらどんなことも知りたいって思うの」

 もっともだと頷き、ちぢりの意外な正論に戸惑うと同時に、少なからずプレッシャーを感じた。今回の言葉をだした背景としては、計助自身がちぢりから悪くは見られていない、と解釈してもよいのだろう。同時に、彼女の果てしない興味や感性を上手く刺激することが、こうしていっしょにいる彼の使命でもあるといえた。ほうっておいても勝手に何かを感じ取るだろうというのは安直で、それが自然ならまだしも、意匠(いしよう)を持った人工物であれば背景の大切さというものは、行政に携わっていれば痛いほどよく分かる。

 本堂へと続く砂利道を、飛び跳ねるように、砂利の()れる音を楽しむちぢりの傍らで計助は恥ずかしそうに歩いて行った。彼女は裸足になりたいと言うし、そこらの子供に笑顔で手を振って、でも必要以上に近づくことなく、周囲の自然や、開けた空を定期的に(あお)いだりもした。両手を広げて大きく回ってみたり、立ち止まって物思いにふけったり。そうして大人が五人集まってでも周囲を囲えないような巨大なご神木を見るたびに、軽く手を触れて、心を読み取ろうとするように、しばらく立ちすくんでいた。そうしてそれは度々、巨木に気を取られて誰もが見過ごしそうな、細く小さな木に対しても、平等に与えられた。

「そんな小さな木が、どうかしたんか?」

「今のわたしだと上手く言えないけれど、小さいものには小さい魅力があるの。ね、将来どんな木になるのか想像することは無限大だし、人間だって小さい頃の癖や性格って一生変わらないものだと思うけれど、木々だってそうだと考えたなら、小さい木の魅力的な癖を探して、それを褒めて伸ばすって、すごく大事なことだと思うの」

 木でも育てているつもりなのか、会話できているつもりなのか、色々の疑問は湧いてでたが、本人が上手くいえないと言っているし、深追いすればまた感性の隔たりに辟易とするだけだろうと、それ以上の追求は控えた。

 常緑広葉樹に囲まれて本殿へむかう道中、川べりに降りる道があり、水面へ繋がる階段をおりていくと川底には幾つものお金が撒かれている。ここでお賽銭をまいて祈ることがどうということはないのだが、昔からのならわしのようなもので、地元の人たちでもお金を投げ入れて願う人は多い。

 ちぢりはそれを見て、また何か余計なことを考えているらしく、目をくぎ付けにされていた。五分ほど経つと、川に指を突っ込んでペロリと舐めると、満足したように計助に駆け寄って、腕に抱きついた。

 そうして本殿に行くと、人の多さに圧倒され、幅広く何十段と続く階段を、一歩ごとに単語を並べながら登っていった。深追いはしないに越したことはないと、計助は先に頂上まで行って彼女を待ち、到着したなら二礼二拍手一礼という参拝方法を指導し、いっしょに百円玉を投げて祈った。

 帰りは黄色いお守りを買ってやり、幾つか店を回って帰路に着いた。総じて三時間余りの長いお参りとなった。全体的に、計助はちぢりをほうっておくこととしたが、彼女は基本的に歩みが遅く、また、何かにつけて感じ入って足を止めることひっきりなしだった。

「ね、計助さんは、何をお願いしたの?」

「おまえの母親の回復や」

「……うん、ありがとう」

 素っ気ない返事となったことを後悔したが、後の祭りで、ちぢりはそれ以後少し元気がなかった。

 せっかくの神宮参りは、後味の悪さを残す結果となってしまった。



  ぺこりとぺこり

  ぺちぺちん


  わたしは願う いっしょにいたいと

  あなたはいたく ないと願うの

  日本一の神さまは

  どちらの願いを かなえるの?


  一つ 確かなことがある

  わたしがずっとか いいこになること

  わたしの願いが かなうよう

  あなたの願いが 変わるよう


  またぺこり

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