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ちぢり感覚  作者: 等野過去
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二十一 欠点だらけ

 意地を張ることはたいへんな気力を伴うものであり、一度張った意地をたゆますことは容易ではなかった。ちぢりほどの素直さをもってしてもこの点では同様で、いざ計助の前に立つと体が震えて、声がでなかった。計助の不機嫌にも拍車がかかっており、彼女の恐怖を倍増させていたことはいうまでもないだろう。

「おはよう」

「いってきます」

 はじめは、毎日のあいさつを、顔を見合わせて言うことから始めた。これがちぢりの精いっぱいの努力であることは計助も感じたらしく、または計助のほうではちぢりの態度の変化を思春期の一環とでもとったのだろうか、ここしばらくの粗暴な態度について一切問い質すようなまねはしなかった。ちぢりとて、計助の行為の意味を分からぬほどでもない。譲歩しながら距離を縮めようと、無理をせずにすり寄って来てくれる計助の行為に感謝しながらも、申し訳なさが先んじて距離を縮めることを拒んでしまうような素振りがでてしまい、結局はちぐはぐなままで数日が経過した。

 その日、計助は旧友の見舞いのため仕事を昼で終わらせ、早い目の帰宅となった。すると家にはちぢりがおり、互いに予期せぬ時間帯にかちあったのだ。

「友人がバイクで事故してな、んでちょっと見舞いにいったもんでな。すまん、言ってなかったな」

「ううん、わたしも今日からテスト期間で、お昼までの授業で……」

 どぎまぎとする度合いはちぢりのほうが強く、最近の素っ気ない関係を忘れたような仕草に、期せずして計助の笑いが漏れた。その笑顔にいやされたちぢりも自然に笑みがでてしまったが、すぐにも顔を引き締めて自分の部屋へと上がっていった。

 久しいちぢりの笑顔から少しでも互いの距離が縮まったことを感じた計助としては、この機会にもう少し話できればという願いを込めて、夕食の買い物にちぢりを誘おうと決意した。そうして二階へあがって彼女の部屋をノックした。

「これから買い物にいくけど、いっしょにどうや?」

「ありがとう。……でも、今、テスト勉強中で、いいところだから」

「そう言わんとどうや」

 計助が何度となく誘っても、ひたすらに彼女は部屋の中でぐずった。それどころか声には感情を押し殺したところがあって、(しび)れをきらした計助は「はいるぞ」と言うと、ちぢりの拒否よりも早く部屋のドアを開けた。彼自身も節操のない無理矢理な行動だとは思ったが、その先で、目を()れさせて顔中真っ赤で泣いている彼女がいるのだから、思わず駆け寄った。

「どうしたんや? どっかぶつけたんか?」

「ううん、ちがう、ちがうの」

「だったらどうしたんや?」

 計助の心配が嬉しかったのだろう、ちぢりはゆっくりと表情を和らげると、涙をふきふき答えた。

「ごめんなさい、でも、本当に心配はいらないの。ありがとう、計助さん」

 ちぢりが以前のように嬉しそうにはにかみ、計助の名を優しく呼ぶ。懐かしい感覚に、計助こそ涙腺が緩みそうになって必死に耐えることになった。ちぢりは何も変わっていなかったのだと確信するには十分すぎる対応で、恋だとか、思春期だとか、勝手な思い込みで自分自身を納得させていたのは言い訳にすぎないと反省するところだ。

 二人の特有の、時の流れを遅らせるような緩慢(かんまん)な時間が戻ってきたのを感じて、計助は許可を求めるでもなく自然に部屋の隅に腰をおろし、ちぢりもそれに(なら)う形で隣に腰をおろした。そうして二人で窓から外を眺めて、一息ついたのだ。

 この空間はどちらか一人のものでもない、それでいて二人以外の誰のものでもない。心がかよった二人だから得られる、あの互いの気持ちを落ち着けるためだけにある、特有の時間だ。

「あのね」

 雰囲気に心をやわらげて、先に口を開いたのはちぢりだった。

「わたしは本当に何でもなかったの。笑うことなく、聞いてくれるかな?」

「なんや、俺はずいぶんと信頼されとらんなやな」

「わたしって、疑り深いから」

 茶化されても、余計な笑いを返す必要もなければ相づちだっていらない。自然と続きの言葉は紡がれた。

「計助さんは、夢を見るほうかな? わたしね、夢を見ているだけじゃなくって、目が覚めても今が夢なのかどうかや、夢が現実だったのかどうかとか、分からなくなっちゃうことがよくあるの。現実だと天変地異が起きるなんてありえないことだけど、ありえないと思う今が夢で、ありえる世界が現実じゃないかとか、今が誰かの夢の中で感覚が操られているだけじゃないだろうかとか、誰かの夢から誰かの夢を旅しているんじゃないかとか。目が覚めるといつも、どこにいるのか分からなくなっちゃうの」

「夢の中でも、ちぢりはちぢりなんやな」

「計助さんには分かってもらえないかな、朝目が覚めて、計助さんという人物はわたしの妄想だったんじゃないかとか、今が夢で本当はわたし以外の誰かが計助さんの家にいて、本当のわたしは道ばたにうずくまっているんじゃないかって怖くなることなんて」

 他人の恐怖の対象に自分がいるということなんて考えたこともなく、計助は無意識に彼女を怖がらせているという感覚に不思議な感情を抱いた。形容しがたいものだし、ある意味で自分に関係のないことであるが、このいかんともしがたいもどかしい気持ちはちぢりがやってきた当初に抱いた感情とどこか似ている。純粋な故に心をかき乱す、あのもどかしさだ。

「それで、わたしは三日前に、夢を見たの。笑わないでね……夢で、コウノトリが子供を運んでいる最中に、月にぶつかるの。思わず子供をくちばしから離してしまって、子供は大洋の真ん中に落ちてしまうの。コウノトリは母親の心持ちで、最愛の子供が落ちてしまったと慌てて、何日も何日も広い海を探し続けるの。最後にコウノトリはサメに食べられたんじゃないだろうかって考えて……確認するために、サメの口の中に飛び込んでしまうの」

 するとちぢりはまた体中を震わせて、目に涙をためて、必死に言葉を放った。

「わたしは目が覚めたときに、怖かったけれども、それ以上に、そんなコウノトリが世界のどこかにいないなんていう保証がないと思うと、悲しくて、悲しくて。計助さん、あれは夢なの、現実なの? どうしてコウノトリが月にぶつからないなんていえるの?」

 無償の愛という美しい言葉があるが、無分別の愛まで加わったなら、これほど危険なことはないということを計助は思い知らされた。おそらく、ちぢりには現実のことだろうと、夢のことだろうと些細なことにすぎないのだ。そんな不幸が夢の中に存在したことを悲しんでいるのだ。

 どんな言葉がかけられるのだろうかと、計助は情けない自分を思って(くや)しかったし、ちぢりが釘を差したように笑う気持ちになどなれなかった。三日も前の、夢の中の、夢物語のために涙を流していたのだと思うと、歯ぎしりをして、どうしておまえが泣かなくちゃいけないのかと怒りすら覚えてしまうほどにとりとめない漠然とした感傷にさいなまれた。

 彼の困惑を感じとったちぢりは、泣きたい気持ちを抑えてまでも、必死に笑顔を取り繕った。

「ごめんね、わたし、変だよね。こんなことで泣くなんて」

「変なもんか!」

 あまりに見境のない、こだわりのない愛に居た(たま)れなくなり、計助は怒りをぶつけるように声を荒げていた。きょとんとしたちぢりに向かって、必死に(うつた)えた。

「もしこれから変やと受け止められそうなことを思いついたなら、真っ先に俺に言え。ばかにされると思ったら、考えるよりまず、俺に言え。俺は絶対ばかにせえへんから、ばかにするようなことがあったら、すぐに怒ってくれ。俺は、おまえのその感情を、否定したくない」

 何を言えばいいのか分からなかったし、計助自身も考えはまとまっていなかったのだろう。それでも何かを伝えなければならないと、懸命に言葉だけを吐きだした。

「俺は、ちぢりの味方でありたいし、その考えを変やと思いたくないし、尊重していきたい。やから、だまっとるなんてせんといてくれ。おまえさえよければ、俺は聞くから」

 すべてを受け入れる準備など、とうにできていた。きっかけがなかっただけだと計助は分かっていた。彼女の考えを尊重したいがばかりに、悩んだり、辛い彼女の思いを聞けなかった、そしてそれが彼にとって辛かったことを認めたのだ。一体いつからこんなにも自分の考えは変わってしまったのだろうか、思いの丈を吐露できた困惑の裏には、ちぢりに対しての、白旗降伏(こうふく)が表れていた。

 きっかけを待っていたのはなにも彼だけではない。ちぢりだって同じだ。

「じゃあ……じゃあ計助さん、ばかにされそうなこと、言ってもいい?」

「何でも言え、何でも聞いてやる」

「わたし、もっと、計助さんといっしょにいたい」

 涙が邪魔をしてそれ以上語ることができなかったが、その言葉が何を意味しているのかを知るには十分だった。計助は理解することができたのだ、ちぢりが何に悩んでいたのかを。なぜ素っ気ない態度を押しとおしていたのかを。

 期せずして計助の口元は緩んだ。たったそれだけだったのかと、もっと大きな要因が二人の関係に潜んでいたわけではなかったのだと、安堵(あんど)からもたらされた笑みだった。

「やったら、おまえの母親の体調が戻ったら、こっちに呼ぼ。ちぢりが戻る必要なんてあらへん、元気になったらさっそく、ここへ呼ぼ」

 計助は本当に魔法使いに違いない、ちぢりはそう思った。彼女がずっと苦悩していたことを、こうもたやすく解決してしまうのだから。しかも最高の形で。彼女はこれから先も計助や友人たちと楽しくすごしていいし、母親の回復を喜んでもいいのだ。

「本当に、本当にいいの? わたし、ばかなこと言ってるの、分かってるのに。変なこと言ってるのに」

「いつものことやないか。おまえの変なことで喜ぶ人間がここにおることを、知っといてくれ」

 ちぢりは、嬉しさのあまり計助の腕に顔をうずめてすすり泣いた。今日という幸せがここにあることに感謝をして。計助とずっといっしょにいられることに、感謝をして。

 喜びと悲しみは少し似ている。感情が高ぶりすぎると、感じることができないほどに泣くことしかできなくなるから。感情の荒波に対しては、泣いて発散することしかできなくなるから。

 その日はちぢりにとっては忘れられない日となった。以後、彼女の中でこの日は第二の誕生日と呼ばれることとなる。彼女がまた一つ、新しく生まれ変わった日と称して。



  わたしの欠点 挙げだしたなら きりがない


  わがままで 歩いてばかり よく泣くし

  口先突きだす 頬すぐ真っ赤 独りよがり

  背が低いし 静かがいいし いたずらしい

  妄想ばかり いじけっ子 常識もない

  素直じゃない 夢見がちで いじっぱり


  きりがないほど いっぱいあるのに

  あの人が両手を 囲うように広げると

  全部その中に おさまっちゃうんだって


  わたしの欠点を 大事に 大事に 守ってくれるんだって

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