十三 いたずらしいなわたし
秋の足音は、枯葉色と共にやって来た。世間はみるみる間に萌黄色を輝かせ始め、乾いた風が気まぐれに吹きつけるし、和らいだ太陽は柔らかな生命力を降り注いでいた。
散歩するにもとっておきの季節だ。
「もうちょい経つと、台風がよっけ来るよってな。今のうちにしっかり外に出といた方がええぞ」
「台風って、東京でもいっつも来るよ?」
「上陸すると勢いが弱まるからな。東京のほうじゃ、弱まった台風がほとんどやろうけど、ここら辺はよう直撃するし、たまに上陸場所にもなるからな。この時期は気象情報を逐一確認しとかんと、えらいことになるんや」
「楽しみが一つ、増えたかも」
話が終わるや、ちぢりは居ても立ってもいられないとすぐに外へと出ていったが、それはまた、計助にとってはなんとも微妙な気難しさを与えた。というのも、最近ようやく気楽に話しすることが叶い、互いに明け透けなくものを言い合える仲に近付いてきたと感じているのに、ちぢりは一向に外へと出ていき、一人、陽が落ちるまで歩き続けるのだ。話す時間などいくらでもあるから気にかけることでもないのだが、それを気にしてしまう自分が子どもに思えることが、彼は悔しかったのだ。
もっとも計助の本意としては、家にとどまって彼と話を楽しめと望んでいるわけではなく、彼との会話が叶っていくことによって、他者との会話が楽しく感じて、学校の友達とファストフード店でもレストランでも構わない、だらだらと四方山話に暮れるような日が一日くらいあってもいいのではないか、ということが引っかかっているのだ。非生産的だとか、時間の浪費だとか、そんな正当な議論は不要だ。ただ、彼女が生きるには世間の価値観はあまりに残酷だから、少しでも上手にわたっていって欲しいと望むがゆえの希望なのだ。
そうまで考えて、夏休み中はひねもす会話に暮れる日があったというのに、最近は会話が減っていることを憂いていた。一体彼女は自分のことをどう考えているのだろうか、柄にもない考えが浮かんで計助は唇をかんだ。歳をとればとるだけ、変わっていく自分というものは受け入れがたいものだと頬杖をつきながらちぢりを待ち、夕方に帰って来た彼女を捕まえると言った。
「ちぢり、来週の土日は空いとるか?」
すると彼女は嬉しそうに笑い、また、どこかこそばゆそうに口元をムズムズと動かして、控えめに頷いた。こういった反応をする限り、悪くは思われていないことが分かるし、愛嬌あってほうっておけないものだと、計助は思い直すのだ。
「東京に行こか。久しぶりやろ、母さんに会うんも」
ちぢりが週一程度の頻度で手紙を書いていることは承知だったが、裏返せば会いたいという希望の表れでもあっただろう。彼女は嬉しさにまかせて臆面なく口元をほころばせて、計助の手を取った。
「計助さん、ありがとう! うん、計助さんさえよければ、わたし、行きたい」
「決定やな。金曜の夜に出るよって、覚悟しとけよ」
「わわっ、なんだか悪いことしているみたい。どうしよう、楽しみでこの一週間が価値を持たなくなっちゃうんじゃないかって心配になっちゃう。お母さんと会えるだけでも嬉しいのに、計助さんといっしょにお母さんの前に立つんだよね! ね、計助さん、わたしこんなに嬉しいことってない!」
ちぢりの喜びようは一週間のべつ幕なしに続き、散歩では世間の変化を見つめながら、自分一人では抱えきれないほどの嬉しさを分け与えて発散しているようだった。
金曜日になると、日も終わろうという深夜に家を出て、高速道路に乗って東京への道を突き進んだ。暗い世界では景色の良さも味わえない、山間の高速道路だから外灯も民家も望めない。前後の車と対向車だけが辛うじて光の息を漏らすだけで、アスファルトが延々と黒光りするだけだ。
「黒一色の世界って不思議な感じにさせられるの。どこを見ても同じってことは、視界なんてあってないようなもので、今はまるで真後ろが見えるくらい視界が広がっているの」
「暗闇で残念やろ、こればっかはおまえの想像も及ばんのじゃないんか?」
いたずら心も手伝って、つい嬉しそうに言ってしまった計助だったが、ちぢりの声も負けず劣らずはずんでいる。
「ううん、暗闇って、一番自由なの。考えてもみてよ、目をつむった暗闇に何が見えるかって。色鮮やかな、夢じゃない?」
「恐れ入った」
東京に着くころには陽が昇り始め、早くも渋滞が行く手をはばみだした。何ヶ月ぶりかの風景に、ちぢりは残念そうな表情を向ける。
「わたし、今までは知らなかったから井の中の蛙でもよかったけれど、知っちゃうと……季節のない風景なんて恐ろしいものだなって、時計の秒針に飲み込まれたように錯覚しちゃう。きっと、何ヶ月後も十年後も、変わらずにたくさんの車が、今と同じ人たちが同じように移動しているのかな……それって、みんなは怖くないのかな? わたしなら、怖くて車になんて乗れなくなっちゃいそう」
「時間なんて、そんな完璧なもんやないやろ」
計助の言葉はちぢりの琴線に触れたようで、興味しんしんとばかりに、目を向けてやまない。
「ああ、深い意味なんてあらへんよ。ただ、時計なんていつもより五分早く家を出たって到着がきっちり五分早まるもんやなし、こうやっていっしょに運転してきたなら数時間やってあっという間に終わってくやろ。意識しすぎるから、時間は完璧になりたがるんや」
ちぢりに看過された物言いになってしまったと苦笑した計助だったが、ちぢりにはそれがこの上ない返答で、ただでさえ嬉しさしか寄せ付けない彼女は有頂天となって体をくねらせた。
「うん、うん、そう思う、わたしも、わたしだって! ね、さっきまでの楽しい道のりで、わたしたちが昨日に移動できていたら面白いのにね。だったらわたしと計助さんは不老不死で、ずっとずっといっしょに会話を楽しめるのにな!」
先程まで季節を感じないのがどうのこうのといっていた彼女からの台詞に、計助は声にだして笑った。まったく、敵わないという感情が先行していた。
朝早い時間ということもあって、どこかで朝食を取ろうとするも、駐車場のない店ばかりだ。田舎で車を乗り回してばかりの計助には、快適とはほど遠い。仕方なく、予定しているホテルに先に訪れて荷物を預けると、車を置いたまま近くの店を紹介してもらい、歩くこととした。
「なんかね、歩道を歩くって変な感じ。昨日までは車といっしょに歩いていたのに」
「安全なんやから、この点は地元にも見習ってほしいんやけどな。ただ、さっきおまえも言っとったけど、ほんまに季節感があらへんな」
往来する人々は半袖も長袖もいるし、破れかけたジーンズをはく人も不自然に大きな鞄を持つ人もいるし、どんなファッションでさえここを歩けば奇抜にはならないように感じられる。派手な色が目につくばかりで、季節特有の色柄であったり、落ち着きというものがどこにも見受けられない。
「ほんとう、こうやってぐるっと回転してもさ、どこにも秋が落ちてないの。小さい秋、みつからない」
そういいながら、歩いてぐるぐると回る彼女はいやに楽しそうだ。
「季節って、すごく自己主張が激しいのに、東京じゃどこで個性をだせばいいのか悩んじゃうんだろうな。志摩だと、季節がくれば田んぼを植えて、刈って、季節に合わせた作物ができて、土を掘り返して、葉が散って……一年は自然が勝手に示してくれるのに、こっちじゃ住む人が服装で人為的に季節を決めちゃうんだね」
確かに、みんなが半そでで歩いてさえすれば、ビルだらけの都会では、夏以外をどうやって連想しようものかと計助は頷いた。
「同じ日本なのに、ここがどこか分からなくなっちゃいそう。こことアフリカと、何が違うんだろうね」
「アフリカには四季がある」
実際あるかどうか知れないが、そう言ってやったなら、ちぢりはにやりと笑って、「じゃ、月と何が違うのか、にしよ」と言いながら駆けだした。そして天に向かって両手を広げて、目いっぱい深呼吸をして見せた。
「わたしは、秋ってすごく好きなの。計助さんの地元に行って、余計そう思うようになった」
「なんでえ。秋は冬へと向かうんやから、荒廃の季節やで」
「ううん、秋って、春よりもいっそう、出会いの、恋の季節なの。木々も、トンボも、太陽だってみんな頬を真っ赤にして、厚着をしながら心をポカポカって温めるんだから。わたしは結婚するんだったら、だんぜん秋にしたいと思うの。朱色の、優しい季節だから。秋の陽気に囲まれていると、この季節に機嫌を悪くする人なんてこの世にいるのかなって疑っちゃう」
計助はしゃべるちぢりなど半分そっちのけで、言葉もださずに指先で目的の店に入るぞと示して移動したが、席に着くまでのあいだ、彼女は一向に言葉を止めることはなかった。
注文する段になってようやく口をひそめたが、食事が来たならまた言葉数が増えだす。
「なんや、緊張しとんか?」
だし抜けに計助が言うものだから、ちぢりは途端に恥ずかしくなったのだろうか、顔を真っ赤にして縮こまってしまった。心の裏を読まれたことが応えたのか、顔を机に突っ伏して、ごめんなさいと小さくつぶやいた。
そんな彼女の反応も久しぶりだと、計助は落ち着いたさまで、特段気に留めるでもなく、調子外れに言葉を紡ぐ。
「別にええよ、気にせんでも。いつもの調子と違って、頑張ってしゃべっとんななんて思って」
「……だったらこんなにも、泳がせておかなくたって」
「恥ずかしがっとんか? 柄にもない」
「いちおう言っておきますけど、わたしだって、恥ずかしかったり気になったりするんだから。洗濯ものがいっしょに洗われてたり、部屋に下着が干されていたりするとさ」
意地の張り方が可愛いものだと、自分の気遣いのなさを棚に上げながら、計助は笑った。
「見ざる聞かざる言わざるが俺のモットーやからな」
するとちぢりはやおら顔を上げて、上目遣いで口元に薄い笑みを張り付けた。
「なんや、また悪いこと思いついたんか?」
「わたしね、前まで、その言葉って恋する女の子のことを皮肉でそう言っているんだって思っていたの」
「見ざる聞かざる言わざるをか?」
「恋する女の子って、盲目になって他のことは見えなくなっちゃうし、嫌な噂は聞こえないふりして、でも当人の前に立つと途端に何も言えなくなっちゃうの。そんな計助さんを考えたら、可愛くなっちゃって」
言いながらくすくすと笑われるが、妄想で笑われたってかなわない。緊張がほぐれる分には良いことだが、やられてばかりでもたまらない。
「前までって、今は違うんか?」
嫌がらせの意味も込めてだったが、ちぢりは大真面目に返答した。
「うん。前までは小説なんか読んでいて、そんなものなんだって勝手に信じていたんだけど、最近分かったの。女の子って、好きな人の前では、口数が増えるんだって」
食事を終えたなら、電車に乗って目的の病院へ向かうこととした。都会では電車の時間を気にしなくてもいい、数分待てば次の電車がくるのだから便利なものだと考えたところで、計助はふと口を滑らせた。
「電車ってさ、平日より休みのほうが多いんだな」
するとちぢりは心当たりがあったのだろう、すぐにも頬を膨らませて、プイと横向いてしまった。どうやら計助は、無意識のほうがちぢりをやりこめるのが上手いようだ。
「最近気付いたんだけど、計助さんって、ほんっと、いじわる!」
見ます、聞きます、言います。
わたしの目玉は磁石みたいに引きつけられるし
耳は力いっぱい意識をひきずり回すし
口は言いたいことがありすぎて気が利かない
ま、わたしったら自分を見失いがちなの
いじわるされたときだけが
いじけて嬉しさを見せられる
ま、わたしったらすごくへそまがり。




