十一 みんなの太陽
穂先は盆過ぎから金色に輝き始め、田んぼはあっという間に太陽を蒔いたように輝かしい光を放ち、風でそよぐたびに光をはじいていた。夏は草木から空気までが、すべて生命力でみちみちている、汗をかくことすらもその生命力の一端だと思えばこそ、ちぢりは散歩をやめることはなかった。
計助は麦わら帽子を買ってやり、直射日光から彼女を守ってやろうとしたが、麦わら帽子の方が先に音をあげそうな有様だった。
よくもまあ懲りないものだと思いながらも、計助には他に頭を悩ます事柄があった。
「計助くん、いつもにも負けず劣らず難しい顔してどうしたのさ」
「……いつもどおり難しい顔やと?」
「うん、おおむね」
職場で悩んでいたならすぐにも佳織がめざとく声をかけるが、彼女の物言いときたならば相変わらずだ。そうはいっても、計助自身が彼女の助けを借りたいという気持ちを少なからず持っていたものだから、この声かけには助けられた思いもあった。
いつもどおりの仏頂面で、面倒そうなそぶりを織り交ぜながらも計助は気持ち襟を正して向き直る。
「もののついでに、少し相談に乗ってほしんやけど」
「気持ちがこもっていれば、何でもいいと思うよ」
佳織の返答があまりに的確すぎて、計助は二の句が継げなかった。戸惑うという反応すら忘れたように、ただぽかんと目と口を半開きの計助は、さぞや面白かったに違いない。相手は不敵な笑みのままだ。
「顔にでも書いてあったか?」
「ううん、次に計助君がわたしに相談するとしたら、きっとちぢりちゃんの誕生日プレゼントだろうなって思ってたから。時期的にもちょうどそんなくらいじゃない」
「まいった」
諸手を挙げて降参のポーズをとってみたが、さして笑いには繋がらず、バカなまねをしたと計助は居直った。
彼はここ数日、いや夏休みに入る前から、ちぢりの誕生日になにを買ってやろうかとずっと頭を悩ませているのだ。当初こそ図書カードでも買ってやったらそれで満足だろうなんて高をくくっていたが、夏休みをとおして意思疎通が上手くいきだしたならば、彼らしくもなく、形あるものをしっかり渡したいという思いにかられたのだ。
計助自身、女性にプレゼントすることがほとんどなかった。一時期恋人がいたときなどは、ネックレスや時計といったものを渡したりもしたが、計助とちぢりの関係ならではの特別なものという今までにない意識が芽生えたなら、選ぶことができなくなってしまったのだ。
ネックレス、時計、ピアス、写真立て、そんな色気づいたようなものは、二人の関係に似つかわしくないように思えたし、それほどちぢりに似合わないものはあるまい。道ばたの葉っぱを渡した方がよほど彼女的だと考えだしたなら、どつぼだ。
悩めば悩むほど堂々めぐりで、果てはなにをあげてもいいかと思い、考えを放棄したくなり、誕生日に気づかないふりをしてもいいんじゃないかという本末転倒な考えまで行き着くのだから人の思考とは不思議なもので、一人でこれ以上考えていてもどん詰まりだ。
「なんか羨ましいなー、ちぢりちゃんばっかり。わたし、計助くんからもらった誕生日プレゼントなんて、役場に入った年にチョコレートをもらったきりなのに」
「当日に突然せびるやつが悪いやろ」
「あ、覚えてくれてるんだ。あれが最初で最後だったのにな」
「子どもの誕生日を忘れる親はおらへんやろ、そういうことや」
言いながら顔をしかめると、佳織は合図を受け取ったと話を本筋に戻した。
「ちぢりちゃんにプレゼントかぁ……趣味とか、趣向とか、そんなあたりからせめていけば?」
それが分かったら苦労しないと言いたかったが、分からないことを認めるのも悔しく、非難は避けた。
「なんていうか、売ってるようなもんは根本的に、あいつにあわへん気がしてな。ただそう考えだしたらなんもなくて」
あまり考えずに言った言葉だが、的確に要点をついていると、彼自身が感心した。つまり、世間で売っているものから何かを探そうとしているような、今の状況からは打開策などでるはずもなかったのだ。彼女に合わないということもさることながら、計助自身もどこかでそれを倦厭していたのかもしれない。特別なものをプレゼントしたいなど、素直に口にはできない。
「売っていないものって……シロツメクサの冠とか?」
「極端やけど、悪くない意見にも思えるから困るんよな。まぁそのレプリカとか? 技術があるなら俺自身が作るけど、うん、そうやな、オーダーメイドみたいなやつかな」
「おまえのために作った的な?」
「含む言い方しとらんと、なんかアイデアよこせ」
無茶は承知だったが、佳織は口元をすぼめて、悩んでいそうに目を左右に泳がせた。
「たとえば、最近のちぢりちゃんの挙動から、ヒントを得るとかどうかな? 最近変わったこととか、ううん、昨日や今日のことで、気になったこととか」
「昨日今日か……」
昨日は雨が降っており、反面今朝は朝日が白く照りつけていて、快晴というにこれ以上ないほど適当な天気だった。ちぢりは朝一番に庭に駆けだすと、葉っぱの上にのった水滴を見て、ずっと楽しそうにしていた。計助が新聞に目をとおしながら、次に見たときに彼女は、上半身を横に倒しながら、横向きに水滴を見ていた。
「なんや、面白いもんでもあるんか?」
「水滴って、向こうの景色を反対に映すの。でも鏡と一緒でね、左右逆だけど、上下逆じゃないの。だから、横向きに見たならどうなるのかなって」
「左右逆やったやろ?」
「ううん、わたしが横向きだったから、上下逆になった」
朝からそんな無味乾燥なやりとりをしたことを思いだした。
計助が言うと、佳織は嬉しそうに体をうずうずとさせて、たまらないといった具合だ。
「ほんっと、かわいらしい! 羨ましいったらありゃしないんだから」
その後も、ちぢりは朝日が昇る朝方に見える、白い太陽が水面全体に反射した白い海がお気に入りだと言って、ずっとその姿を眺めていたりもしたのだ。風と海と太陽が合わさると、絶え間なく小さな輝きが起き続けて、吸い込まれてしまいそうだと言っていた。葉っぱの上でも、朝露が輝いていて、光を集めているようだとも。
「んで、今のはヒントになったか? 毎日がこんな感じやぞ」
「毎日そんなだったら、暇する暇もないじゃない。ちぢりちゃんにしてみれば、こっちにきて良かったんじゃないの?」
確かに志摩の地はちぢりにとって宝箱のようで、毎日が何らかの驚きと感動に満ちているようだし、この地を心から好きになってくれているのだと思えば計助だって嫌な気はしまい。だからこそ、彼女へのプレゼントはこの地ならではという、志摩の地を好きになってくれたという証明のようなものがあれば一番かもしれない。
いつだったか、伊勢の神宮に行ったときに彼女は言っていた、趣向や好みはいっしょにいる人によって変わると。だからこそ計助は、この地そのものであるのだ。彼がいることで、ちぢりはこの地を好きになり、時間を忘れて歩き続けられるのかもしれない。
「……なるほどな、佳織、おまえなかなかやるやん」
計助はふとひらめいて、独りごちた。一方で佳織はなにを分かるでもなく、ただ素知らぬ顔で、今にも鼻歌を歌いそうなそぶりで頷くだけだ。
「おまえって、聞き上手なんな。なんてか、うん、すごいな」
「悩み相談とかって、聞き手側はなにを意見する必要もなくって、聞いていればだいたいの人は一方的に話していって、自分で解決していけるもんなのよ。考えをまとめるために、二三意見をして、あとは述べさせるの」
「大学時代の受け売りか?」
「そんなとこ」
こうしているとどっちが年上か分からないし、頭が上がらない。偏屈な計助と気ままに話をすることができるというだけでも、男女問わず珍しいというのに、佳織に至ってはまた特別だ。
「おまえにしてみりゃ、反抗期の子どもみたいなもんなんやろな、俺も。手のひらでちょちょいってなもんか」
「奇遇じゃないの、わたしも誕生日プレゼントで悩む計助くんが中高生に見えたところ。うぶらしいというか、青春的っていうか」
すると計助はわずかに口先をとがらせたが、それ以上はなにも言わなかった。佳織の指摘が的確すぎたし、計助自身もまた、女性へのプレゼントだとか、相手を喜ばせるとか、ひいては自分をよく思ってもらいたいという希望をひっくるめて、初恋に心を煩わせる中高生となにが違うのだろうと皮肉に思ったところで、心うちを言い当てられたのが気に入らなかったのだ。
計助の行動は早く、その日の内に、隣町にある知り合いの店へと足を運んだ。すぐにも注文を言いつけると、無理に承諾させ、店側の尽力もあってちぢりの誕生日に間に合うようプレゼントを繕うことに成功したのだった。
実際、そのプレゼントを手にしたときの相手の驚く顔が見えるような期待の中に、満足してもらえるか分からない一抹の不安が混在するアンバランスな状態は、恋人へのそれを渡すときとなにが違っただろうか。急に気恥ずかしさを覚えた計助だったが、今更後戻りできるわけもなく、意を決するしかなかった。
「わたしからも、冷蔵庫に手作りのケーキを入れといたから、帰りにいっしょに持っていって渡してね」
佳織が気を利かせたこともあって、計助は両手がふさがるような状態で家へと帰ったのだから、迎えたちぢりは意表をつかれながらも、自分の誕生日を知ってくれていた驚きと嬉しさをめいっぱいの笑顔で表現するしかなかった。
「佳織がおまえにって、ケーキ作ってくれたんやと」
「ケーキだなんて! 佳織さんって本当に何でもできちゃうんだ、なんだか憧れているのも恥ずかしくなっちゃいそう。月が太陽に憧れるのと同じなの、太陽を知らない月なんて、きっと夜空に溶けちゃうんだから。計助さんと佳織さんが知り合いで良かったなって出会いに感謝しちゃう」
売り物のようにおいしそうなケーキの上にはチョコレートのデコレーションとともに下手な字で『誕生日 おめでとう ちぢりちゃん』とハートマークが入っていて、ちぢりは胸に手を当てて幸せをかみしめているといわんばかりに目をつむって唇を強くかんでいた。
「計助さん、ハートのところは絶対に、わたしが食べるからね。欲しいっていったって、こればっかりは……その、せめて半分こだからね!」
「子どもやあるまいし、ましてやおまえが貰ったもんやからすきにせえ。食べさせて貰えりゃそれ以上わがままは言わん」
「うん、いっしょに食べて、祝ってもらっても……いいかな?」
「聞かれるまでもない、食うなゆわれても食ったる」
そうして帰り道に買ってきたローソクを立てると、火をつけて電気を消した。息を吹きかけた後、電気をつけたなら、ちぢりは目頭を押さえて泣きじゃくっていた。
「計助さんに祝ってもらえて、嬉しくって、嬉しくって……家族みたいだなって、ありがとう」
「祝ったるくらいで泣かれると、こっちが困るわ。ほら、これ以上泣いたらこれやらんからな」
計助は少し照れ気味に、ポケットからプレゼントの小箱をだしてちぢりの正面に置いてやったなら、彼女はきょとんとその目を見開いて、次に計助を正面から見据えた。
「……開けていいの?」
もどかしいばかりに頷いたなら、ちぢりはすぐにそのリボンの両端を引いた。ほどけたリボンすらも宝物だといわんばかりに丁重に結んで横に置いたなら、包装紙を開く。中からは手のひらほどの木箱が現れた。
指輪でも入っていそうな荘厳な入れ物をおそるおそる開いたなら、中には青いクッション素材の上に金色をした丸い円盤のようなアンティークが鎮座していた。円盤の中心には小指の爪くらいの丸いガラスがはめられており、その周囲を一センチくらいの金細工がぐるりと取り囲んでいて、さらにその周囲を細い金細工がとり囲んでいる。一番外側を囲んでいる金細工には、外側に十一個の真珠が取りつけられており、黒真珠と白真珠が交互に並んで縁取られていた。一つだけ、真珠と真珠の間に輪っかがあり、そこから金色のチェーンがつるされて、ネックレスになっていた。
計助のプレゼントはちぢりの目にどう映っただろうか。計助は密かに表情をぬすみ見たなら、彼女は泣くまいと口元を引き締めながらも、寒いかのように両腕を抱き締めるようにしていた。
「まあ、志摩ってゆうたら真珠発祥の地やからな。俺なりに気に入るようなものをイメージして、知り合いに頼んで作ってもらったんや。太陽を模したんやけど、どうや、悪くはないやろ」
回りくどく確認するあたりは彼らしい。
ちぢりは軽く呼吸をしたなら、目線を計助に向けた。
「嬉しくて、鳥肌が立っちゃった」
聞いて笑った計助を見て、彼女もつられて笑いだし、涙が引っ込んだことを確認するとやっとのことで喜びを表すことが叶ったようだ。
「それな、取りだしてみ」
言われて、ちぢりは手のひらに円盤を乗せて回転させていると、あるときに真ん中の丸いガラスに突然、十字が浮かび上がった。
「そんでな、一つ周りの縁が、回転するんや」
触ってみると確かに、円盤の上下を貫く形で針をとおしたように、回転ドアのように回ったし、上下に貫いている軸自体も、外側の縁に沿うように回転した。そうして一番外側は、十一個の真珠と一つの輪っかで十二等分されている。
「誤差は一時間くらいやって」
そこまで言われたら十分だ。ちぢりもそれが日時計であると分かったなら、こんな神秘的な時計を与えられたことに、口元を奮わせていた。
「これ、本当にわたしなんかにいいの? いっきに大人になったみたい、十年分の誕生日を迎えたくらい嬉しい! 日時計だなんて、わたしこんなものがあれば外を歩いていたって、時間ばっかり見ちゃいそう!」
「日が落ちるまでには帰ってこい、つうメッセージやぞ」
計助のひねた言葉など、この場で何の効果があるだろうか。
「時計って、常に行動を見張っているみたいで嫌いだったけど、こんなにおしゃれで束縛されない時計を他に知らない。これをつけて計助さんの隣に並んだらどう、どうかな?」
「どうって何がや」
「計助さんがさ、わたしのために作ってくれたんだって思うと、こんなに胸が一杯になることなんてないもん。ましてやこんなにすてきなネックレス、わたしのためだって、きっと悩んでくれたんだ、考えてくれたんだ、ありがとうの一言なんかじゃ尽くせない!」
また涙がでそうになったのだろう、ちぢりは口元を引き締めると、両手で目を押さえた。
涙腺の本流が落ち着いたなら、彼女はおそるおそるその手でネックレスを取り、軽く口づけをして見せた。
「へへぇ、計助さんに」
「なんやそりゃ」
喜んでいるなら、水を差すなんて野暮なまねもするまい。ちぢりがブローチを抱きながらむずがる様子を眺め、計助は苦笑するしかなかった。彼自身も、嬉しかったのだけは疑いようもないのだから。
ちぢりの誕生日も無事に経過し、夏休み全体としては、関係も密接となり、お互いにとって有意義であったことは間違いないだろう。計助がプレゼントした麦わら帽子はひと夏で色褪せたし、日焼け止めは何度注意してもぬらずに散歩へ行き、素肌は無為に太陽にいぶされ続けて立派な小麦色をしていた。最後の一週間に限っては、ちぢりは宿題の残りが少しと、休み明けのテストに向かってほどほどに勉強をしていた。一学期の成績はかなり良かったが、気を抜かないように、計助の顔を立てようという思いがあるのだろう。言葉にこそださなかったが、十分にくみ取ることができるものだった。
ただ一つ、計助には気になる点があった。ちぢりが、夏休みをとおして、同級生と遊んだことが一度としてなかったことだ。
「植物は、光合成をして育ちます」
太陽ってお母さん。
植物たちに栄養を与えて育てる、お母さん。
「木は、太陽に向かって伸びます」
太陽ってお母さん。
木が大きくなってもずっとその上にいる、お母さん。
「朝顔は、朝に咲くからこの名前がつきました」
太陽ってお母さん。
寝坊しないように花を咲かせてくれる、お母さん。
「地球が回って、太陽は世界を一周します」
太陽ってお母さん。
世界に朝の到来を告げてくれる、お母さん。
「陽が沈む前に帰ってきなさい」
太陽ってお母さん。
外にいるときにわたしを見守ってくれる、お母さん。




