十 七つの個性
夏休みの最高のスタートを切ってから、ちぢりは毎朝早起きをして、計助のお弁当を作ることに精をだした。
長いと思われた夏休みも、一日すごしてしまうとあっという間の二十四時間で、繰り返していたならまばたきするような感覚で日々が過ぎっていった。海にも何度か行ったし、時期遅れながらに蛍を探しにも行ったし、お盆には家の前で折りたたみいすに座りながら、スペインパークで行われる花火をアイスを食べながら眺めたりもした。わかり合おうとする行為や、相手に興味を持つこと、自分のことをしゃべること、たったこれだけのことで、不思議なほどに計助はちぢりを近くに感じられたし、彼女のほうから話しかけてくることも多くなった。彼女の発案で、夕日が映える展望台や四角い灯台といった少し離れた場所まで足を延ばすこともあって、計助も少なからず楽しいという感情を覚えたりもした。
それまでの計助は、理解しようと心に決めているようでその実、譲歩する気持ちも持たずにはなから感覚が共有できないと決めつけていたのだ。夏に入り、計助がちぢりと分かり合おうとすることで、ちぢりの側からも計助について知るきっかけとなりえたのだ。たとえば計助は無言でいることを好むし、無言でいることのほうが多く、気分を落ち着けることができると思っている。ちぢりが沈黙を好む彼の性質を理解することで、今まで気を使って話しかけることが逆効果であったことを学び、また彼女自身も静かな中で物思いにふけることが多くなった。二人して無言で一つの空間にいるということが苦でなくなったならば、いっしょにいても苦痛を感じることもなく、自然に、当たり前のように二人でいられるような関係が急速に作られていった。
互いを理解することは、何よりもいっしょの時間と互いの好奇心という二つの要素が大事であって、それらで互いが強く惹かれ合うことになるのだ。この頃になればちぢりから計助に向かってお願いすることも幾度かあったくらいだ。今までであれば計助に気を使うばかりで、取るに足りぬことを迷惑だと過大に捉えて引っ込み思案であったわけだが、塩梅を把握して、多少のお願いは相手の気分を良くするという、人の親切心をくすぐって関係を綿密にする武器を一つ、手にしたのだ。
「計助さん、お願いがあるの。時間に余裕があるときでいいから、どこか、特別大きな本屋さんに行きたいの」
「ええよ、今週末にいこか。特別大きいか……どうせやし二時間くらい遠出しよか。ついでにうまいもんでも食いにいこ」
計助のほうからこうして即座の返答に加え、あえて遠くへ行こうと提案する。これはこれまでの彼にはなかったことであり、最も驚いているのは彼自身だろう。ちぢりにとっては、計助は心を許せる相手にとってはこれくらい気前のいい人間であると解釈しただけであったが、未だかつて、計助がこれほどまで誰かに気前が良いときなどなかったことを、彼自身は知っているのだ。
二時間以上にも及ぶ車内でも、二人は窮屈なことなく、互いにゆったりとした気分で移動をした。気が向くままに話をし、かと思えば三十分以上無言のときもあったが、堅苦しさはなかった。むしろ、無言のひとときを二人で満喫できるという事実が、他の何を差し置いても二人の距離を縮めたといっても過言ではないだろう。計助は、ちぢりとの最も有効な共通点を見つけたのだ。互いに沈黙を愛し、最も心を落ち着ける空間を共有し合えるという、非常に大事な共通点だ。
会話だって、計助のほうから切りだすことも格段に増えつつあったのは、心が隣り合うことができたこと以外にどんな理由があるだろう。
「でっかい本屋なんて行って、なん買うん?」
「……英語の、小説」
「なんでわざわざ」
「えっとね、たとえば……わたしが、ちぢりが自分のことをわたしっていうのも、計助さんが自分のことを俺っていうのも、英語だと両方Iでいっしょじゃないね。それがおいらでも、僕でも、全部ひっくるめて同じだって思うと、不思議で仕方がなくって自分で確認したくなったの」
「不思議っていうても、言語が違うんやからしゃーないやろ」
「でも、『わたしは困ったことがあるの』って言うのも、『俺はこまっとんのや』っていうのも、英語だと同じだって考えると、おぼろげにでも不思議って感じが湧いてこないかな? わたしたち日本人にとっては、話し方一つでその人の性格を読み取ることができるじゃない。『わたしは、とても、困っているのです』ってしゃべっていたら、高貴な若い婦人が、仕立てのいい服を羽織って胸に手をあてて腰をかがめて懇願している、本当に困っている姿までが思い浮かぶし、『おれはすげぇこまっとんのやぞ』なんて言ってると、今にも怒りそうな男の人が睨みつけながらしゃべっているところが想像できるじゃない。なのに、英語だとこの二つが同じ言い回しだって思ったら、どうやって文章に個人が存在するのだろう、どうやって性別や性格を分けているんだろうって気になって仕方なくって……。だって、日本語だと、しゃべり方だけで誰がしゃべっているのか分かるけど、英語だと『誰かが言った』っていう一文を入れないことには、会話だけじゃしゃべる人が分からないんだもん」
「なるほどなぁ。考えたこともなかったけど、確かにそうやな。小説で三人も四人もあつまっとるとこで全員が同じしゃべり方しとったら、誰がどの言葉しゃべってるか分からんくなるやろうけど、それが英語って言われたらそうなんやなぁ」
「夏休みの宿題で、英語の訳をしていて気になったなら、いてもたってもいられなくなっちゃって……計助さんにお願いさせてもらったの」
計助がちぢりの考えに同調し、理解することが多くなったことで、ちぢりも考えを話すようになったし、話すからまた計助も彼女が分かる、良い循環だった。ちぢりの独特の観点は新鮮だったし、計助もまんざらでもなかった。
「そんなこと気にして英語勉強したことなんてあらへんわ。なんや、将来は翻訳家にでもなったらどうや?」
計助が言ったなら、ちぢりは顔を赤らめながら、左右に振った。
「ううん、将来の夢って言われると、うーんと……作家、とかどうかな」
「作家? ええやん、おまえの独特の感性が発揮できて向いてると思うで。でも、やったら今からでも頑張らんとな」
「えーと……」
ちぢりは困ったふうに目を泳がせて、運転席の計助に顔を寄せた。
「わたしの夢ってね、将来はこうなりたいっていうんじゃなくて、そう、夜に見る夢と同じなの。わたしは、作家を、やって、みたい、面白そうっていうのが、わたしの言う夢なの」
「つまり、好奇心てだけで、希望ではないんか」
「うん。でも、向いてそうって言われたのは嬉しい。ありがとう」
「なんかよう文章書いとんやから、よさそうやけどな」
するとちぢりは小首をかしげて見せた。
「わたしって、しゃべったり、考えたりするのは好きなんだけど、いざ文章にするとなるとぜんぜん上手に表せないの。だから自己流で、思ったときに文章を書くようにはしているんだけど……やっぱり、落書きみたいなのしかできなくって。こんなで作家だなんて恐れ多くて、まだ空を飛ぶ方がよっぽど現実味があるかもしれない」
「まあ高校の頃から将来何になりたいなんて、明確にもっとる方が珍しいやろな。今は好奇心や希望的な面白さで職業見とるくらいでええんやろうな」
夏休み前だったなら、どうしてこんな会話が望めただろうか。ちぢりのお礼に対して、あえて何も言わないのは計助なりの照れ隠しであり、彼自身も無理に言葉を返す必要もないと感じてのことだし、ちぢりだって理解をしているからこそ触れることもしなければすねたりしょげたりすることもない。こういった互いが居やすいように、気兼ねなく会話できるというのは、親子ほども年齢が離れた人たちの間ではまずもってみられることがない極めて稀な友愛だった。
計助の中でも考え方が変わっていた。彼だって機会さえあれば結婚を考えなかったわけではないし、実際にその機会が何度かあったことも事実だ。あと一歩というところまで現実のものとなりもした。しかしながら、それらはごく自然に流れていったのだ。世の流れの無慈悲な部分であろう、抗う間もなく、自然に、当たり前のように。それは違和感がないがゆえに、人格の根っこ部分にねっとりとまとわりつくのだ。そもそも彼自身が、今からでは思いもよらぬほどに純粋すぎたのだ。高校卒業と同時に社会へ出て、仲間同士の嘲笑、なすりつけ合いの責任追及、同性同士のくだらぬ矜持の押しつけ、客への嘲り、そんなどこにでも存在する面従後言の煩わしさに素直に屈服できなかったのだ。話をすれば二言目には愚痴、悪口、減らず口、言えない方が負けの社会で他人を信じられなくなっていたのかもしれない。そうして計助は、独りを好み、結婚など考えなくなり、他人との関与も必要以上に億劫となってしまったのだ。
しかしいっしょにいることを必然とされたならば、人間の適応力に驚かされるもので、相手次第では二人でもこんなにも自由に楽しい時間の共有が成立するのだ。食わず嫌いのようなものだったのかもしれないと、自身の反省点をあげつらった。
もっというなれば、計助の側でもちぢりの考え方に対する興味が強くにじみ出ていたともいえよう。計助がふと提案した言葉にも、ちぢりは独自の感性で返答を用意しているのだ。
「そんなに散歩が好きなんやったら、カメラでも買うたろか」
彼が提案した時にだって、ちぢりはありがとうと嬉しそうに前置きしながらも、首を横に振ったのだ。
「カメラってあまり好きじゃないの」
「せっかく散歩しとんやし、一年の変化とか、興味ある風景とか、携帯も持ってんのやから収められんやろ」
「その、カメラって、撮ってしまうといつでもみられるし、わたしのものになった気になるんだもん。だから忘れないけれど、覚えない。それよりわたしは本当に大事なものを探したいし、また、翌年に答え合わせしたり、記憶の中でどんどんと生きていてほしいの。写真は、いつまでも写真のままになっちゃうの」
それが写真のいいところだろうというのが計助の認識であって、まったく新しい考え方だった。極めつけに彼女はこう言い添えたのだ。
「写真みたいにね、ありのままの姿をとらえられてしまうと、美化されなくなっちゃうの。思い出は美化されるからこそ、写真よりもきれいにいられるから、いいと思うの」
さながら彼女は思考のびっくり箱だ、次々に新しい価値観を生み出すし、それを楽しむすべを心得ているのだ。計助もまんざらでもなくその姿を楽しいと思えるようになってきていたのだ。不思議な思考をする彼女だったが、補ってあまりある思いやりや気遣いがあることも認めているからこその姿でもあった。
ただし、ちぢりには何度注意をうけても治らない癖が二つあった。
一つめは、食事中に、食べていることを忘れることがあるという癖だ。突然上の空になったかと思うと、ずっと物思いにふけってしまうのだ。その傾向は、彼女の目を見ればよく分かる。計助も初めはなんて特殊な性格だと呆れたが、さすがに頻度がすぎるとみたか、幾度と注意を重ねた。彼女も改善しようという意思はあるのだが、無差別な好奇心や空想癖とでもいおうか、努力に思考が付いていかないようで一向に改善の余地がなかった。引っ越してきた当時であれば、女性にとっての食事とは対外的に自分を見せるいわゆる服装のようなもので、ちぢりは計助との会話や、一挙手一投足に注意を向けてばかりで食事を楽しんだり、無言で考えごとをするような余裕を持ち合わせておらず、緊張したまま終始していたのだが、彼女が気を許し、同時に落ち着いて食事をすることで露呈したのだ。
もう一つは、彼女は突然泣きだすことがあった。夜に窓から外を眺めて泣くのであれば多少のノスタルジックはあるかもしれないが、実際に遭遇してみれば話は別で、とっさに一体何が起きたのかやその日の会話を思いだして迂闊な要因はなかったかと心配の種でしかない。どころか、ちぢりは会話の途中で突然涙を流したりするのだ。本人にいわせれば思いだし笑いのようなものなのかもしれないが、感受性の高い彼女は、あらゆる小さな物事から想像を育み、妄想で頬を濡らしてしまうのだ。これも、従来であれば計助の前では決して見せず、もとい彼の前で想像を育むことをしなかったのであれば起こることのない癖であったが、二人が気持ちをかよわせるにつれて表面化しだしたのだった。元来女性は感受性が強いと言われるし、ドラマや小説で泣くことだって話には聞いている。しかしながらペットボトルのキャップが転がるのを見て泣きだすのだから計助の驚きようはなかった。彼にとっても恥ずかしい記憶の一端であるわけだが。
新しい一面を見つけることもしばしばありながら、夏休みは順調に経過していった。
しかし、休みはまだ終わらない。とっておきのイベントがあるのだから、後半にさしかかるあたりから計助は気がかりになりだして頭をもたげるのだった。
なくて七癖。
癖って、個性。
七つの個性を考える。
一つ、道を切り開く者か、後をつく者か
一つ、歩みを止める、気まぐれ具合
一つ、のんびりか、せっかちか
一つ、わたしも気になる、くびれの細い太い
一つ、おっきな頭とおっきな体の、バランス具合
一つ、せっせと動く働き者か、ふんぞり返る女王か
一つ、……最後の一つは何だろう?
七つの個性を考える。
ありを見ながら考える。




