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第四幕 無敵なマネージャー(二)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)



「――堀田、悪いがちょっと審判やってくれ」

「あ、ああ。わかった……」

 先程、同じく真琴に完敗した堀田に審判を頼むと、松平は素早く面を着け、真琴の前へと静かに進み出る。

「セヤァァァァーッ!」

 正眼で真琴と向き合った松平は、それまでの者達同様、気合とともに竹刀の切先(きっさき)で真琴を威嚇する……ただ、他の者と松平の違う点は、彼にはまるで隙がないというところだ。さすが、県大会個人で二位になっただけのことはある。

「なるほど。他の者より頭一つ抜きん出てはいるようでござるな……」

 松平の完全無欠な正眼の構えに、真琴も彼の力量を素直に称賛する……しかし、相手に隙を見い出せないでいるのは松平の方とて同じであった。

 ……ダメだ……動けない。まさか、近藤がこれほどの腕を持っていたなんて……この勝負、先に隙を見せた方の負けだ……。

 松平は心の中でそう呟くと、改めて中段に構える竹刀の切先に意識を集中させた。

 ……あちら同様、これではこちらも動けぬか……このままでは埒が明かぬな……。

 対する真琴も、心の内でそう嘯く。

「なれば、別流派の技を使わせてもらうとしよう……」

 そして、今度は実際にそう口に出すと、彼女は不意に剣先を下げ、やや前のめりな姿勢で下段に構えるのだった。

「なっ…⁉」

 突然の意表を突くその動きに、面の中で松平は目を大きく見開いて驚く。

 ど、どういうつもりだ? この状況でいきなり下段だと? ……面を誘っているつもりか? けど、まるで隙だらけじゃないか⁉

 今、下段に構えている真琴の面はそれまでの正眼に構えていた時とは大きく異なり、何も遮るもののない、完全に無防備な状態にある。まさに面を打ってくださいと言わんばかりだ。

 ……あからさまに面を打たせておいて、じつは()(せん)を取って籠手でも打とうっていう魂胆だな……でも、それは少し、俺の腕を甘く見すぎちゃいないかいっ⁉

 ダッ…!

 先に動いたのは松平だった。

 「面ぇぇぇぇぇぇーんっ!」

 渾身の力を込め、松平が一気呵成に面を叩き込む。その電光石火の速さを持って放たれた打突は、一直線にブレることなく真琴の面へと向かっていく。

 もらった!

 松平は確信した。


 パァァァァァァーン…!


 竹でできた刀が防具を(したた)かに打つ、剣道経験者ならばよく聞きなれた音が道場内に木霊する……。

「ゴクン……」

 部員達は皆、固唾を飲んでその勝負の行方に注目する……。

 …………だが、実際に小気味の良い音を道場内に響かせたのは、わずかに早く真琴の放った、出端(でばな)を挫く籠手の方だった。

 ガタッ…。

 右腕を強打され、松平は堪らなく竹刀を床に落とす。

「……こ、籠手あり一本っ! 勝負あり!」

 一拍置いて、審判の堀田が気を取り直すと手を上げて判定を下す。

「おおおおおおおー!」

 パチパチパチパチ…。

 その声に、試合を見守っていた部員達の間からも大きな歓声と割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 ……まさか、後の先を取りにくるのはわかってたのに……それなのに、こんな簡単に籠手を取られるなんて……。

「今のは柳生新陰流の理論を用いた、陰の内に陽を、静の内に動を思う技にござる。いや、なかなかの剣の腕にござるな。久々におもしろき試合ができもうした」

 大喝采の中、竹刀を落したまま呆然と立ち尽くす松平に、真琴は満足げな笑みを面の中に浮かべ、まるで剣の道を説く師匠ででもあるかのように声をかける。

「真琴すごいじゃない! 団体戦レギュラーはおろか、あの松平先輩にも勝っちゃうなんて! わたし、真琴がこんなにも剣道得意だったなんてぜんぜん知らなかったよ! もしかして、本当に前から剣道やってたとか?」

 するとそこへ、今度は道場の隅で勝負を見守っていた民恵が、驚きと感嘆の色を見開かれた瞳に浮かべて駆け寄って来る。

「まあ、容赦なく打ち負かしちゃったのはちょっとマズかった気もするけど、これで先輩、きっと真琴のこと気になりだすと思うよ? ひょっとしたら、そこから恋が芽生えるなんてことだって……ウフフ…」

 そして、声のボリュームを限界まで落とすと、周りには聞こえないよう、面の隙間から彼女にこっそりと耳打ちする。

「うん? なんの話でこざるか?」

 だが、民恵のその囁きに真琴は訝しげな表情を金属製の格子越しに浮かべると、その面の重みがかかる小さな頭を若干、横に傾けた――。


 ……フフフ。これで松平先輩と真琴の関係も、ただの部活の先輩・後輩から、もっと特別な深い関係に……。

 試合の後、道場正面に座る真琴とその前に一同並んで正座する部員達の姿を眺めながら、民恵はそんな、これから親友と先輩との間に始まるロマンチックな展開を妄想する。

 すると、そうした民恵の心の声を知ってか知らずか、松平を先頭に居並ぶ部員達が、真琴に向かって一斉に声を揃えて頭を下げる。


「先生と呼ばせてください!」


 …って、んな師匠と弟子の関係じゃダメじゃん!

 その思っていたのとはなんか違う展開に、民恵は独り、手の甲で払うベタな仕草を交えながらツッコミを入れた。

「近藤先生! これからはこの日新高校剣道部の師範として、俺達部員一同に稽古をつけてください!」

「是非、先生の門弟の一端にお加えください!」

「いや、それがしはまだまだ修行中の身……すまぬが、弟子をとる気はござりませぬ」

 一方、人知れず一人漫才を演じる民恵を他所(よそ)にして、瞳に熱いものを宿す部員達から剣の師となることを請われる真琴であったが、彼女は考える間もなく、その願いをきっぱりと断った。

「でしたらせめて、剣の腕を上達させるコツだけでもお教えください!」

「お願いします!」

「一言だけでもいいですから!」

 しかし、それでも松平達は諦めず、しつこく真琴に剣の指導を仰ぐ。どうやら思いがけぬ彼女の力量を目の当たりにして、皆、大そう感服してしまっているようだ。

「うーん…そうでござるな……なんとうか、貴公らの剣は刀で相手と斬り結ぼうとしているのではなく、初めから竹刀という棒切れで叩き合おうとしているように感じられ申した」

「棒切れ……?」

「左様。いくら竹刀稽古とは言え、それでは真の剣の道とは申せませぬ。時には実際に真剣を振るってみて、本物の刀ならば如何(いか)に扱わねばならぬのか? という、実戦に即した感覚を身に付けるのもまた、剣の上達に必要なことなのではござりませぬかな?」

 師になることは即座に断った真琴であるが、真摯な態度で教えを請う松平達に絆され、しばし考えた後にそのような助言を彼らに与える。

「なるほどぉ……なんとなくわかりました。ご指導、どうもありがとうございます!」

「さすが近藤先生! おっしゃられることが違います!」

「すっごく為になりました!」

 そのありがたいお言葉に、松平以下剣道部員達はさらに感動し、目をキラキラと輝かせては真琴に礼を述べる。

「うむ。まあ、後は武士として、平時にあっても常に乱を忘れぬ心構えでござるかな? いや、充分に楽しませていただいた。今日はこれにて失礼いたそう……」

 そんな松平達に、真琴もたいそう満足げな笑みを浮かべてそう答えるのだったが、直後、彼女はガクンと、まるで憑きものでも落ちるかのようにその首を項垂(うなだ)れる。

「……あれ? あたし、今、何してたんだろう? ……えっ⁉ なんで、あたし防具なんか着けてるの⁉ …っていうか、どうしてこんな所に座って……」

 そして、次に顔を上げた時にはそれまでの彼女とはまるで別人のように…というか、いつものよく見慣れた真琴に戻っていたのだった。

「あ、あの、皆さん、これはいったい……」

 真琴は自分の身に着けている防具や、目の前にずらりと居並ぶ部員達の顔をぐるっと見回した後、何がなんだかさっぱりわからないといった様子でおそるおそる尋ねる。

「………………」

 だが、部員達の側にしても、皆、訝しげな顔をして真琴の方を見返している。

「た、民ちゃ~ん……あたし、ここでいったい何してるの~?」

 仕方なく、真琴は道場の片隅に民恵の姿を見付けると、潜めながらもちゃんと届くように張り上げた中途半端な声で、唯一、自分の味方になってくれそうな彼女に助けを求めた。

「何してるのて……真琴、もしかして、今のこともぜんぜん憶えてない……とか?」

 どうやら素でそんなことを言ってるらしい真琴には、さすがに付き合いの長い民恵も驚いているみたいだ。

「もしかしなくても、ぜんぜん憶えてないんですけど……」

「あ、あんた……もしそれが本当だったら、やっぱぜったいにおかしいよ! 今の今まであんだけみんなと試合しておいて、それも全員打ち負かして、しかも松平先輩にまで勝っちゃったっていうのに……それをぜんっぜん、憶えてないだなんて……」

「え? 勝った? ……って、ひょっとして剣道の試合でってこと⁉ このあたしが? しかも松平先輩にまで? まさか、そんなことあるわけ……」

 そこまで聞いてもまるで記憶がない様子で、真琴が疑うように松平達の方を無意識に覗うと、部員全員、尊敬の眼差しを彼女に向けて、うんうんと頷いている。

「ええ~⁉ …うそお……」

本気(ガチ)で憶えてないの? ……真琴、あんた、やっぱどうかしてるよ。一度、医者に診てもらった方がいいんじゃない?」

 ここへきて、最初は半分おもしろがっていたところもある民恵も、どうやら本気で心配し始めたようである。

「い、医者って……」

「だって、もう完全に多重人格だよ? もしそうじゃなきゃ、あとは侍の怨霊かなんかに取り憑かれてるかだよ! ああ! そう、それだよ! それ! よく考えてみれば、いきなりあんな侍みたいな口調になっちゃうなんてありえないもん。なら医者じゃなくて神社か寺でお祓いか、さもなきゃ霊能者のとこだ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ民ちゃん! そんな怨霊だなんて怖いこと……あたし、怨霊に取り憑かれるような身に憶えは…」

 本気で心配し始めるや興奮して取り乱す困った親友の民恵に、そう反論しかける真琴であったが。

「ん? 侍の怨霊? ……って、まさか⁉」

 ふと、彼女の脳裏に、ある嫌な予感が過ったのであった……。

つづくでござりまする…。

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