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第四幕 無敵なマネージャー(一)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)

 午後の授業に入っても、真琴の奇妙奇天烈な言動は続く。

 例えば、五時間目、地理の授業の時も……

「――申し訳ござらぬ。羽州(うしゅう)はどこにござる?」

「えっ?」

出羽国(でわのくに)にござるよ。どこにも書いてないのでござる」

 真琴は地図帳の日本地図のページを開き、となりの席の男子に見せながら尋ねる。

「ん? おい、近藤。なにしゃべってるんだ?」

 それに気付き、板書をしてた三〇代、鉄っちゃん(・・・・・)(乗りテツ)の教師・伊能忠雄(いのうただお)が振り返って注意するのであったが……。

「ああ、先生、それがでござるよ。この日本(ひのもと)の地図、なんだか変ではござらんか?」

 逆に真琴は渡りに船とばかり、悪びれもせずに伊能へ訊き返す。

「変? ……変ってどこがだ? 何か誤字でもあったか?」

「いや、それがしの故郷、出羽の地がどこにも見当たらぬのでござる。他にも聞き慣れぬ地名ばかりで、どこがどこやらさっぱりわかりませぬ。大阪や奈良、京の都はちゃんと書いてあるようにござるが……」

 伊能の問いにどこからどう見てもいたって普通な日本地図をよく見えるように高々と掲げ、真琴はそれを指差しながら自身の疑問を説明する。

「でわ? ……おお、旧国名の出羽国か。それなら今の山形と秋田の一部だな……って、今やってる授業と関係ないだろ? それにおまえ、山形の出身だったか?」

「山形? ……ああ、ここでござるな。なんと、今の出羽はそんな名の御家中が治めておられるのでござるか? なれば我が家中は何処へ……ああ、そういば江戸はどこでござる?」

 さすが地理教師。彼女の言わんとしていることをなんとか理解し、現在の出羽の位置を親切にも教えてやる伊能であったが、真琴の方はまだどこか微妙に勘違いしているようである。

「江戸って、そりゃ、東京に決まってるだろ?」

「東京? ああ確かにそこら辺の場所にそう書いてあるでござるな。まあ、西の京に対して、江戸は東の京と呼べなくもないでござるが……しかし、畏れ多くも天子様のおられる場所こそがやはり京の都にござろう? これでは庶民に誤解を生みまする」

「天子様て……もしかして、いまだに東京へは正式な遷都がなされていないとか、そういう京都人が主張しているような話か?」

「せんと? ……もしや、都を江戸に遷したのでござるか⁉」

 そんな感じで、いつまでも真琴と伊藤の会話は噛み合わなかった――。

 

 さらに、六時間目の地学の授業でも……

「――なんと! 空の星が動いてるのではなく、この大地の方が回っているでござるか! 以前、地球儀なるものを蘭学者に見せられて、大地が球のような形をしているという話は聞いたことござったが……なるほど。これはまた新たな驚きにござる」

「……近藤、おまえ、コペルニクス以前の人間か?」

 またも勝手に教科書を読みながら独り大声で騒ぐ真琴を、ちょっとメタボな地学の教師・渋川春樹(しぶかわはるき)は変な目で見つめていた――。


 そして、その日の放課後、部活動でのことである……

「――ヤァァァァーッ!」

「面ぇぇぇぇぇぇーん!」

 いつもの如く黒ジャージに着替えた真琴と民恵は、剣道場の片隅で道具の手入れをしたり、試合形式で行われる稽古のタイムキーパーをやったりしながら、部員達が竹刀で打ち合う姿をなんとはなしに眺めていた。

「………………」

 いや、なんとなくなのは民恵一人で、真琴の方の眼差しはいたって真剣だ。んまあ、真琴の場合、そんな時はたいてい松平の姿をその目で追っていると相場が決まっているのであるが、今日の彼女はやはりいつもとどこか違う……。

 忙しなく動く真琴の瞳はまるで分析でもするかのように、部員達一人一人の動きを微塵も余すところなく追っている……また、だんだんと時間が経つにつれ、彼女は足を貧乏揺すりさせたり、そわそわと体を動かしたりして、なんだか妙に落ち着かない素振を見せ始めている。

「ん? 真琴、どうしたの? もしかしてトイレ?」

 その様子に、世間一般的な解釈からそう尋ねる民恵であったが……。

「ええい! もう我慢ならん!」

 突然、大声でそう言い放つと真琴は勢いよく立ち上がる。

「……そ、そんなに我慢してたの?」

 と、びっくりして民恵はもう一度尋ねるが、彼女はまるで聞こえていないようにそれを無視し、予備に置いてある竹刀の一本を掴むと稽古する部員達の方へ向かって行く。

「お頼み申ぉーす! それがしとも一手お相手願いたい!」

 そして、何を思ったか、いきなり大音声(だいおんじょう)を張り上げると稽古中の部員達に試合を申し入れた。

 突然のよく通る大声に、激しく竹刀をぶつけ合っていた部員達もぴたりとその動きを止め、一斉に同じ動作で彼女の方を振り返る。それまでの騒音が止み、しーんと静まり返った空気が広い道場内を一瞬にして包み込む……。

「ん? どうした近藤? ひょっとして、おまえも剣道やりたくなったのか?」

 その剣道場独特の静寂の中、唖然として立ち尽くす集団から一歩前に出た部長の松平が、汗ばむ面の中から真琴に尋ねた。

「その通りにござる! 皆々様のお姿を拝見いたしておりましたら、それがしも久々に剣を振るいたくなり申した」

「おお! そうか! ついに近藤も剣道の魅力に目覚めてくれたか! …っていうか久々って、本当は前に剣道やってたりしたのか? いや~その武士みたいな言葉使いもいいなぁ~。なんだか近藤とは趣味が合いそうな気がするよ!」

 授業の時同様、真琴が時代がかった口調でそう答えると、松平は面の格子越しに瞳をキラキラと輝かせ、なぜだかやけに感動している。

「まさか……例の恋する別人格がまたも登場⁉ ……でも、これって、もしかして、そのおかげで実はイイ感じだったりする?」

 そんな時代劇がどストライクゾーンの松平の様子に、独り遠くから見守っていた民恵は真琴の恋の行方を思い、どこか興奮の面持ちで人知れずにそう呟く。

「遠慮はいりませぬ。誰からでも、どんどんかかってきてくださりませ」

「よし! いい心意気だ! それなら軽く試合をしてみようか。確か女子用の予備の防具があったはずだな。おい! 誰か女子の部室行って取って来てくれ」

 自信満々、ただのマネージャーとも思えぬ大口を叩く剣道素人の真琴に、松平は怒るどころかむしろ嬉々とした笑みを浮かべ、彼女のための防具を用意するよう指示を飛ばす。

「あ、わたし取り行ってきます!」

 その声に答えたのは、他でもない同じくマネージャーの民恵であった。

 ……フフフ…ここは真琴の恋が叶うかどうかの大事な勝負所……わたしも最大限、協力してあげなくっちゃ!

 心の内にそう呟き、松平とはまた違ったベクトルで目を輝かせながら、民恵は友の幸せと、そして、自分のミーハーな好奇心を満たすために部室へと走った――。


「――よし。いつでもいけるでござる」

 それからわずかの後、民恵が女子の部室から防具を取って帰り、それを真琴がジャージの上へ装着すると、いよいよマネージャー対正規の剣道部員という前代未聞の試合が幕を上げる。

 民恵の記憶が正しければ、普段、他人がするのを見ているとはいえ、真琴はこれまでに一度も自分自身に防具を着けたことなどなかったと思うのであるが、彼女はやけに手慣れた手つきで、垂れ、胴、面、籠手…と、各々の防具をなんの迷いもなくスムーズに身に着けていく……。

 そして、最初の対戦相手とお互いに礼をし、蹲踞(そんきょ)をして、正眼(せいがん)――即ち中段に竹刀を構えるという一連の動作も、妙に(さま)になっているといおうか、とても初めて剣道をやる人間の所作とは思えないほどの見事さであった。

 ……真琴、もしかして、この日のために隠れて練習してたとか?

 と、民恵が思うほどの型の美しさである。

「うん。さすが言うだけのことはあるな……よし! 始めっ!」

 審判役を買って出た松平も真琴のその身のこなしを異存なく褒め称えると、溌剌とした声で試合開始の合図を口にする。

「キェェェェーッ!」

 対戦相手に選ばれた白の道着に赤い胴を着けた女子部員は、竹刀の先を微妙に揺らしながら気合いの籠った奇声を上げる。

 しかし、対する真琴の方はそれには応じず、しばし相手を静観すると、独り言のように面の中で呟く……。

「フン……最初の相手は女子(おなご)にござるか。それがしも舐められたものでござるな……が、女子(おなご)と言えど、なかなかに筋は良いと見た。先程から拝見してるに、この道場の流儀は北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)……以前、廻国修行中、江戸に立ち寄った際に一度習ったことがござる。おもしろい! 我が流派・森羅万刀流(しんらばんとうりゅう)の妙技、とくとごろうじろ!」

 相手の竹刀の動きにそう判断を下すと、真琴も同じように剣先を揺らす構えを見せる。

この日新高校剣道部で行われている剣道は別に北辰一刀流でも、また、その他の古流剣術流派でもなく、ただ普通に〝現行剣道〟なのであるが、確かにその今一般にスポーツとして行われている現行剣道の中核をなす部分は、江戸末期に千葉周作の開いた北辰一刀流を元に作られている。そのため、彼女の…否、彼の(・・)目にはどうやらそのように映るらしい……。

「森羅万刀流は古今東西あらゆる武芸諸流派の剣を修めるのがその流儀……北辰一刀流の剣筋とて、すでに我がものとしてござる…」

「キェェェーッ! 面えぇぇぇぇーん!」

 真琴がそんな無駄口を叩いている間にも、相手は「隙あり」と思ったのか気合一声、真正面から面を打ち込んでくる。

 パァァァァァァーン…!

「フッ……勝負あったでござるな」

 だが、次の瞬間、相手の竹刀が真琴の面に触れるよりも早く、逆に振り抜かれた彼女の竹刀が相手の胴を薙ぎ払っていた。

「い、一本! 胴あり! ……近藤、実はおまえ、すごかったんだな!」

 その素早い一撃に、審判役の松平は驚きの表情を浮かべて真琴側の手を高々と上げる。

「これでは物足りのうござる。さあ、腕に覚えのある者は、休まずどんどんかかって参られよ!」

 速攻で相手から一本先取した真琴だが、まだまだ不満だとでもいわんばかりに他の部員達の方を向いて催促をする。

「よし! それじゃあ、端から順に近藤と一本勝負だ!」

 真琴の要望と、そして、たった今、目の当たりにした彼女の知られざる剣の才に、その後、剣道部の全員が一人づつ試合を挑んでいくこととなったのであるが……

「――面ぇぇぇーん!」

「タアッ!」

 パァァァーン…!

「――籠手ぇいっ!」

「ハアッ!」

 バシィィィィーン…!

「――胴っ!」

「セヤッ!」

 パっコォォォォォーン…!

 真琴に立ち向かう者達はいとも簡単に、次から次へと速攻で打ち負かされていってしまう……しかも、その中には一年や二年の補欠ばかりではなく、大会の団体戦に出場する三年レギュラーも…それも県大会でかなりいいところまでいっている選手までもが含まれているのだ。

「なら、今度は俺が相手だ!」

 そして、部員全員が軒並み彼女の剣の前に倒されてしまうと、最後に残った審判役の主将・松平が、ついに日新高剣道部最強の腕を持って対戦することとなった――。

つづくでござりまする…。

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