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第三幕 「ござる」な女子高生(二)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)

 また、二時間目の英語の授業でのこと――

「Inazou say “It is true courage to live when it is right to live,and to die only when it is right to die…」

「先生っ!」

 授業開始早々、教科書の英文を読み上げる女性教師に、突然、いたく真剣な表情をした真琴が挙手をして質問をする。

「あ、はい! 近藤さん、どうかしたの?」

「先生、なぜ、かように我が国を侵略せんとするエゲレスやメリケンの言葉を学ばねばならぬのでござりまするか?」

「め、めりけん? ……ああ、アメリカの古い呼び名ね。あと、エゲレスはイギリスのことね。いや、なぜ学ぶのかといきなり訊かれても……まあ、今や英語はどの国行ってもだいたい話せる人がいる共通語的な言葉だし、グローバル化したこれからの世の中を生きていくためには、日本人でも英語話せるようになっていた方がいいというか……」

 突然の珍妙な質問に円らな瞳をパチクリとさせて、かなり面喰った様子の美人英語教師・高野千夜(たかのちよ)であったが、それでも律儀な性格の彼女はそんな回答を考えながらしてくれる。

「なんと! それがしの知らぬ間にエゲレス語がそのようなことに……」

 すると、それを聞いた真琴は寝耳に水を注がれたかのような表情をして、初めてその事実を知ったとでも言わんばかりに驚きの声を上げる。

「ええ。そうよ……っていうか、それくらい普通に生活してればわかるでしょ? いや、その前にエゲレス語って、あなたいったいいつの時代の人よ……」

「……まさか、かようなことに……だが、なぜ、フランスの言葉ではないのだ? 確か幕府はフランスを手本に軍制改革を行うなど、エゲレスよりもかの国とのよしみを通じていたはず……もしや、フランスとの戦にエゲレスが勝利したのか?」

「あの……近藤さん? 話、聞いてる?」

 なぜか大きなショックを受け、ぶつぶつと独り呟きながらいたく深刻そうに考え込むおかしな女生徒を、終始、置いてけぼりな高野はひどく不審そうに円らな瞳を細めて見つめた――。


 はたまた、三時間目の日本史の授業……

「――おおおお…なんと言うことだっ!」

 またしても突然、教科書を黙って読んでいた真琴が大きな声で嘆き出す。

「こ、近藤、いったいどうしたんだ?」

 彼女の予期せぬ行動に、まだ若き歴史の教師・本居宣直(もとおりのりなお)も、普段は溌剌としているその顔を今ばかりは強張らせ、それまでの教師に同じく動揺の色を顕わにする。

 他の生徒達も今日これで三度目となる真琴の奇態に、またしても目を丸くして彼女を見つめている。

「本居先生! ここに記されている幕府が倒れ、朝廷と薩長連合が新たな国を作ったというのは(まこと)のことにござりまするか⁉」

「あ、ああ。その通りだが……って、それぐらい中学の社会科でも習うだろう? それに近藤。今、先生が話してるのは古墳時代についてだ。明治維新をやるのはまだまだ先だぞ?」

 黒板に円墳や方墳、前方後円墳などの絵を描いて古墳の種類を説明していた本居は、真琴の質問に驚きつつも、今やっている授業に集中するよう彼女を諭す。

 ……が、真琴はその話をまるで聞いちゃあいない。

「しかもその後、日本はメリケンとの戦に敗れ、一時はかの国の属領となり果ててしまうとは……この学問所はおろか街の人々までが異人の着物なぞ着ておるし、いくら幕府の欧化策だとて、さすがに変だとは思うていたのでござる……それにしても、この畏れ多くも天子様を頂く神国日本の地が、よもや野蛮な異人どもによってこうも蹂躙されてしまおうとは……やはり、ぺルリの黒船如きに臆して国を開き、夷敵の文化なぞを受け入れたのがそもそもの間違いだったのだあぁぁぁっ!」

「近藤……もしかしておまえ、熱烈な攘夷派維新志士好きの歴女か?」

 人目も憚らず、大声で嘆き喚く真琴の姿に、まるで奇妙な珍獣でも見るかのような視線を本居は送り続けた――。


 それから四時間目、家庭科の調理実習では……

「はーい、準備はいいですかあ~? 今日は皆さんにブリ大根を作っていただきたいと思いま~す♪」

 家庭科の女性教師・四條耶麻佳(しじょうやまか)が、いつものおっとりのんびりとした声色でエプロンと三角巾を着けた生徒達に語りかける。

「はーい!」

 それに答え、生徒達も女子・男子の別を問わず、満面の笑顔で一斉に愉しげな声を返す。

やはり自分達で料理を作り、それを実際に食べられる調理実習というのは、今も昔も生徒達にとって大人気な授業であるらしい。

 ……だが、その中でただ独り、なぜか真琴だけはものすごく不服そうな表情で、カワイらしい眉間に深い皺を刻んでいた。

「ううむ…古来より〝男子厨房に立つべからず!〟と申すのに、なぜ、それがしがかような格好をして、このようなことをせねばならぬのだ?」

 エプロンの裾を引っ張りながら、真琴は誰に言うとでもなく、そんな文句を口にする。

「男子って……あんた女子でしょうに。それに、今は男も女も関係なく家事をする時代だよ? あんた、いつからそんな古風な女性になったのさ?」

 その呟きを拾い、となりにいた民恵が反射的に的確なツッコミを入れる。

「女子? ……ハッ! なんと! それがしは女子(おなご)でござったか⁉」

「……真琴、あんた、今朝なんか悪いもんでも食った?」

 男女関係なく、全員エプロン姿のクラスメイト達を見回し、自分が女子であることを今更知ったかのように驚く真琴を、民恵は白けた目を細めてまじまじと観察する。

「さっきは自分から楽しそうにエプロン着てたってのに、いきなりどうしちゃったのさ? やっぱ今日の真琴、ちょっと…いや、かなり変だよ?」

 突然、人が変わったかのように豹変し、なんだかわけのわからぬことを口走ったり、普段とはまるで違う行動をとったりする明らかにおかしな様子の親友に、それまではちょっと怖くて切り出せなかった民恵もついに覚悟を決めて問い質すことにする。

「ほんとにどうしちゃったの? もしかして、松平先輩のことで何かあった?」

「松平? ……どこの御家中の松平様にござる?」

「はい?」

「こらこら、そこのお二人さん。授業中の私語はいけませんよおー」

 しかし、民恵のその詰問にもまたわけのわからぬことを真琴が答えていると、どこか間の抜けた四條の声がそんな二人の間に割って入る。

「あ、すみま…」

「も、申し訳ござりませぬっ!」

 注意され、慌てて謝ろうとする民恵だったが、そのとなりで体を「く」の字に折り曲げて詫びる真琴の大声に、思わずビクリッ! と体を仰け反らせてしまう。

「またも驚くべき事実が判明したとはいえ、講義を妨げ、師の注意を受けるとはなんたる不覚……お許しくださりませ! 以後、かような失態のなきよう悔い改めまする!」

 さらに時代がかった台詞をすらすら噛まずに述べると、真琴はよりいっそう深々と頭を下げ、なぜだか必要以上に悔い改めている。その尋常ならざる大袈裟な謝り方に生徒達は全員ひきまくりだ。

「はい。大変素直でよろしい。それじゃ、一緒に楽しくお料理しましょうね♪」

 しかし、教師の四條だけは相変わらずおっとりした調子で、そんな真琴にニッコリほのぼのと微笑みかける。

 この四條、聞くところによると先祖は公家に通じる良家のお嬢様らしく、そのせいなのか、普段よりどこか浮世離れしている。現在の真琴同様、どうにも世間とは少しばかりズレたその言動であるが、むしろ同じような者同士、相通じるところでもあるのだろうか? 今の四條の言葉には真琴もかなり感動した様子である。

「おお! 不出来な教え子に対してなんと温かいお言葉! さすがは婦女子の道を説いておられる先生! なんと〝(じん)〟と〝(じょ)〟の徳に厚きお方にございましょう!」

「……なんなんだ、この間の抜けた学園ドラマみたいな寸劇は……」

 そんな時間と空間を超越した二人のやり取りを、親友の民恵は他の生徒達とともに引きつった顔で見つめていた。

「はい。それでは皆さん。先ずは大根を輪切りにして、皮を桂剝きにしましょう!」

 その寸劇に完全に置いて行かれてしまっている生徒達を他所に、四條はまるで何事もなかったかのように授業を再開する。

「む、輪切りでござりまするか? それがし、あまり料理というものはしたことないでござるが、刃物の扱いならばお任せくだされ!」

 すると今度は何を思ったか? 真琴は率先して俎板の前に立ち、右手に包丁、左手にまるまる一本の白い大根をむんずと掴む。

「タアッ!」

 そして、その大根を宙に放り投げたかと思いきや、右手の包丁を閃かせ、空中で大根をスパスパと輪切りにしていく。

 スパン! スパン! スパン! ……バラバラバラ…。

 目にも留まらぬ包丁捌きで見事に切り分けられた輪切りの大根は、下に置かれた水切り籠の中へと、うまい具合に落下する。

「おおおお!」

 パチパチパチパチ…!

 その妙技を目の当たりにすると、それまでひき気味だったクラスメイト達からも思わず拍手と歓声が沸き起こる。

「フッ…また、つまらぬ物を斬ってしまった……」

 その声に気を良くしたのか、真琴は目を瞑って包丁を握り締めたまま、どこかで聞いたような台詞を口にポーズまで決めている。

しかし……

「あらあら。近藤さん、切り方は見事ですけれど、そんな風に包丁を振り回したら危ないからダメですよ。めっ!」

 四條は麻呂(・・)のような丸い眉根を寄せて真琴の傍まで来ると、とても怒っているようには見えないカワイらしい膨れっ顔で、彼女の危険行為を家庭科教師として注意した。

「あいや、これは申し訳ござりませぬ。それがし、ちょっと調子に乗りすぎたようでござるな。ハハハハ……」

 四條にカワイく怒られた真琴は、その顔に照れ笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに三角巾の巻かれた頭をぽりぽりと掻く。

「もう、どうにでもしてくれ……」

 そんな、自分のよく知る親友とは思えない真琴の姿を、民恵は白けた眼差しで諦めたように眺めていた――。


 そして、その調理実習で作ったブリ大根を一品に添えてのお弁当の時間……

「ええーっ! うそおっ! あ、あたしがそんなことしたのっ!?」

 いつものように民恵と机を向い合わせて昼食をとっていた真琴は、突然、大きな声を教室内に響かせる。だが、授業中に見せていた大胆な態度はどこへやら、直後、すぐに彼女は周囲を気にして、今更ではあるが口に手を当てた。

「嘘も何も……ほんとに憶えてないの? 水野の時なんか、マジで映画のアクションシーンみたく鮮やかに腕を捻じ上げちゃったんだから。ほら、こんな感じで……あっ! 痛っっっ…腕つったあ~っ!」

 そう言って、自身の右腕を使っての自虐的再現シーンを交えながら語る民恵に、真琴はこっそり、教室の窓際一番後の席に座る水野の方を覗ってみる。

「……チっ…」

 すると、どうやらあちらも真琴のことを気にしていたらしく、予期せず彼女と目が合うと気拙そうに立ち上がり、ズカズカと乱暴な足取りで教室を出て行ってしまう。

「な、なんか、ものスゴイ顔であたしのこと睨んでたよ? ……怖いよ~。仕返しとかされたらどうしよう~……」

「ま、その点は心配ないと思うよ。あの時の真琴を見るに、もし仕返しされたとしても逆に叩きのめしちゃうんじゃない?」

 札付きのワルにガンをつけられ、本気で怯えている真琴であるが、民恵はまるで心配などしてないといった様子で、お弁当の厚焼き玉子を突つきながら、まるで他人事のように答える。

「そ、そんなあ……あたし、そんなことした記憶がまったくないんだよう……」

「ねえ、ほんんんーっとに、何も憶えてないの?」

 ここまで言ってもまだ知らぬ存ぜぬと言い張る真琴に、民恵は不意に真面目な顔つきになると、もう一度、改めて尋ねてみた。

「……う、うん」

 いきなり真顔で訊かれた真琴は自分も畏まってコクリと頷く。

「もし、ほんとに憶えてないんだとしたら、今日のあんた、やっぱおかしいよ? だって、あんな真琴、今まで一度も見たことないもん。まるで人が変わっちゃったっていうかさ……水野の時もそうだし、他の授業の時だって時代劇の台詞みたいになんだかわけのわからないこと口走って……もしかして、多重人格とかってヤツだったり?」

「ま、まさか! そんなこと、今までに誰からも言われたことないし、自分でもそういった心当たりはぜんぜん……あ、でも、確かに今日は朝から思い当る節があるようなないような……」

 そう答えはしつつも真剣な表情で民恵に言われると、真琴もその可能性を完全には否定できなくなってしまう。

「あ! わかった! きっとあれだ。松平先輩に対する恋の悩みが過剰なストレスになって、そんな第二の 人格を生み出しちゃったんだよ! 真琴が豹変した時の話し方も先輩が好きそうな時代劇調だったし。うん。間違いない。きっとそれだ!」

「え~! まさか、そんなことで……」

「うん。それだ。それに違いない」

 その仮説に思い至った民恵は自信満々の面持ちで腕を組み、いたく納得したという様子でうんうんと大きく頷いている。

「ま、要するに、詰るところは〝恋の病〟っていうやつよ。お医者様でも草津の湯でも恋の病は直りゃせぬ~♪ ってね。この病の治療法はただ一つ。こうなったらもう覚悟を決めて、さっさと先輩にコクっちゃうしかありませんなあ」

 そして、なんだかやけに楽しそうな顔つきになると、そういう要らぬお世話まで付け加える。

「ねえ、民ちゃん……あたしのこと、本気で心配してくれてる?」

 そんな民恵に、真琴は目を細めると疑いの眼差しを向けて尋ねる。

「え……?」

 民恵は満面の笑みをその顔に浮かべながら、短くそう声を上げた――。


つづくで御座候…。

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