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第三幕 「ござる」な女子高生(一)

 凡ソ士ノ職分ト云ハ、其身ヲ顧ニ、主人ヲ得テ奉公ノ忠ヲ尽シ、朋輩二交テ信ヲ厚クシ、身ノ独リヲ慎デ義ヲ専トスルニアリ。

                    (『山鹿語類』巻第二十一「士道」 立本 知己職分)




「――真琴~っ! もう学校行く時間よ~! 早く起きないと遅れるわよ~っ!」

 今朝も近藤家のダイニングに、母・珠子(たまこ)の大声が木霊する。

「お姉ちゃん今日も寝坊か。まったく、高校生にもなってだらしないなあ」

 食卓の椅子に腰掛け、朝食のトーストをかじる小六の弟・庄司(しょうじ)が、生意気にも姉の怠惰な生活を批判する……いつもと変わらぬ、いたって平和な朝の食卓風景である。

 …………と思いきや、この日の朝はいつもとほんの少し、どこかが違っていた。

「あら? 真琴、起きてきてたの? 今朝は早いのね」

 キッチンで洗い物をしていた珠子が、食堂の入口に立つ真琴の姿に目を丸くする。

「しかも、もうすっかり制服に着替えてるし。今日は学校に早く行く用事でもあるの?」

 加えて、いつになくセーラー服をビシッと着込み、すでに学校へ行く準備も万端に済ませた真琴にそう問いかける母であったが、彼女はそれには答えず、代わりにペコリと斜め四十五度に背を曲げると、やけに行儀正しく朝の挨拶を述べた。

「母上、お早うございまする」

「えっ?」

 珠子は一瞬、何が起きたのかわからず、ポカーンとハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をして立ち尽くす。それは、同じく真琴の方へまん丸く見開かれた目を向ける弟の庄司も同様である。

「……お、お姉ちゃん、ど、どうしちゃったの⁉」

 トーストを口に咥えたまま動きを止めていた庄司は、わずかの後に気を取り直すと、慌てて言動のおかしな姉を問い質す。

「えっ? どうしたって何が?」

 しかし、訊かれた真琴本人はなんのことだかまるでわからぬとでもいうような様子で、怪訝そうに小首を傾げながら訊き返してくる。

「何が……って、今の挨拶はいったい……」

「はあ? 何言ってるの? 朝〝おはよう〟って言うのは当たり前じゃない。朝っぱらからわけわからないこと言って、あんたの方こそどうかしてるんじゃないの?」

 もう一度、口をパクパクとさせて尋ねてみる庄司だったが、やはり真琴は訝しげに眉をひそめ、むしろ庄司の方が変な目で見られてしまう。

「………………」

 その奇妙な姉の反応に庄司は仕方なく、何か言いたげな表情をその幼顔に残したまま、再びトーストをかじる作業へと戻っていく。

「いただきまーす」

 一方、当の真琴もそんな弟のとなりの席へと着き、何事もなかったかのように自身も朝食をとり始めた……のだったが、彼女のけったいな言動はそれだけに終わらなかったのである。

「こ、これはっ⁉ 母上、なぜ、かような夷敵(いてき)の食す物を朝餉(あさげ)に出すのでござるか⁉」

 真琴は皿に乗せられたトーストやら、ハムやら、サラダやらを見つめ、突然、驚きの表情とともに大声で叫ぶ。

「へ……?」

「い、いてき?」

 無論、それには母も弟も再びポカン顔である。

「……ど、どうしてって、いつもそうじゃない……もしかして、今朝は和食が食べたかったの?」

 それでもなんとか気を取り直し、再び尋ねる母であったが、すると真琴は今度も自分ではよくわかっていないように、キョトンとした顔で小首を傾げて見せる。

「ん? ……ああ、そういえば、いつもそうだったか……あれ? なんであたし、今そんな風に思ったんだろ?」

「お、お姉ちゃん、ほんと大丈夫? ……なんか言葉使いも変だし……」

「え? あたし今、何か変なこと言った?」

 庄司もその不可解な言動に改めて尋ねるが、やはり自分の口を吐いて出た言葉に彼女は気付いていないらしい。

「言ってたよ! なんか時代劇に出てくる侍みたいな台詞を……あ! ひょっとしてお姉ちゃん、まだ寝惚けてるな?」

「失礼ね! 別に寝惚けてなんかないわよ! ……でも、確かに今朝はなんか変な感じがするんだよなあ……」

 弟の疑いを即座に否定する真琴であったが、そう言いつつも自分自身、どこか違和感を抱いている様子である。

「ん? なんだ真琴、今日はずいぶんと早いんだな」

 と、そんなところへ父の久雄(ひさお)もやって来て、曲がったネクタイを直しながら、やはり皆と同じような感想をその口にした。常日頃の真琴は、それくらいに朝が弱いのだ。

「ん? うん……なんか今朝はすんなり起きれたんだよね。どうしてだろ? ……ま、いいか。なんだか今日はトーストって気分じゃないし、そろそろ学校行くかな……それでは、父上、母上、学校へ行って参りまする」

 そして、自分でも気付かぬ内にそんな時代がかった台詞を再び言い残すと、彼女はどこか違和感を覚えたまま、学校へと出かけて行くのだった。

「……あ、ああ。行ってらっしゃい………」

 後に残された父と母、そして弟は、ただただ呆然と口を半開きにしたまま、その背筋をピンと伸ばしてダイニングを後にする、いつにない彼女の凛々しい後姿を見送った……。


「――まっことー! おっはよーっ!」

 昇降口を入った所で、朝からテンションの高い声を駆け寄った民恵かけてくる。

「ああ、これは佐々木殿、お早うござる」

その声に真琴も彼女の方を振り返ると、自身も礼儀正しく朝の挨拶を返した。

「………………」

 そう述べるや丁寧にペコリとお辞儀をする真琴の姿に、民恵も真琴の家族同様、その場で大きく目を見開いて固まってしまう。今日会ったら開口一番、例の誕生日プレゼントの件で弄ってやろうと企んでいた民恵であるが、そんなものも一瞬にして吹っ飛んでしまうほどのインパクトだ。

「……ん? どうしたの民ちゃん? 変なものでも見たような顔しちゃって」

 しかし、ここでも真琴は自身の言動にまるで気付いていない様子で、逆に硬直している民恵に対して不思議そうに問いかける。

「……へ、変なもの見たんだよ! あんたこそどうしたの⁉ 朝っぱらから妙な言葉使いしちゃって。もしかして熱でもあんの?」

「え? ……あ! ひょっとして、あたし、また変なこと言ってた?」

「うん。ひょっとしなくても言ってた。なんか時代劇調っていうか、武士みたいな言い方で〝お早うござる〟とか……あんた、時代劇ファンだったっけ? あ! そうか。なるほど。時代劇好きの松平先輩の気を引こうとして、それで…」

「きゃぁぁぁ~っ!」

 民恵がそこまで言いかけると真琴は大慌てで彼女の口を手で塞ぎ、(せわ)しなく首を振って周りの生徒達を気にする。

「な、何言ってんの民ちゃん! そんなんじゃないって! ……でも、なんか今日は朝から変なんだよね。家出る時もやっぱりそんな感じだったみたいだし……自分じゃ意識ないんだけど、ほんとあたし、今日はどうしちゃったんだろ? 民ちゃんの言う通り熱でもあるのかな?」

 真琴はそう呟き、民恵の口を拘束したまま、空いているもう片方の手を自分の額に当ててみる……しかし、掌に感じるのはほんのりとした温かさだけで、普段より熱っぽいというわけでもなさそうだ。

「……ぷはっ! ……ははーん…それはただの熱じゃなくて、恋の病のお熱ってやつじゃないの~?」

 そんな真琴のほんとに少々赤らんでいる顔を、ようやく彼女の猿轡から解放された民恵はいつものイヤラしい眼つきで下から覗き込むようにして見つめる。

「きっと松平先輩に振り向いてもらいたくって、本当の自分が無意識にそうさせてるんだよ。カーッ! ほんっとにもう! 恋する乙女はカワイイんだからん!」

「もお、やめてったらぁ! そんなんじゃないって言ってるでしょお! そういうことばっか言う民ちゃんなんか嫌い!」

 からかわれ、フグのように膨れる真琴は、今日もワイドショー好きなオバちゃん化している民恵を残してそそくさと歩いて行く。

「アハハハ。ごめんごめん。あんまりにも恋する乙女がカワイイもんだからさ。あ、ちょっと真琴、待ってったらあ~」

 肩を怒らせて前を行くそのカワイらしい背中を、民恵は笑いながら愉快そうに追った――。


 そんな風にして始まった真琴の一日は、その後も自分の意志とは関係ないところで奇妙な出来事が続くこととなる。

 例えば、一時間目、国語の時間……。

「子、曰く。学びて時にこれを習う。また楽しからずや……これは『論語』の冒頭に出てくる最も有名な一節ですね」

 初老の国語教諭・林羅三郎(はやしらさぶろう)が、鼻にかけた老眼メガネの黒縁を弄くりながら漢文の授業をしていた時のことである。

「この一節は孔子の開いた塾の名声が高まり、大勢の弟子達に囲まれながら学問していた時の充実した生活ぶりを語ったものとも、また、晩年の孔子の心境を述べたものだとも言われています……ん、コラッ! 水野っ! 授業中にマンガ読んでるとは何事だっ!」

 黒板の前で朗々と講釈を垂れていた林は、そのメガネの端に隠れて某マンガ雑誌を読んでいる生徒の姿を目聡く見付け、不意に振り返るとしわがれた声を荒げた。その水野なる生徒の席は教室の窓際一番後なのに、そんな辺境の悪事さえも見逃さぬとはさすがベテラン教師である。

「………………」

 しかし、水野は林の叱責を完全に無視し、平然と下を向いたままマンガを読み続けている。この水野。明るい金色に染め上げ髪をトサカのようにツンツンと尖らせ、制服も常にだらしなく崩しているといった、その見た目同様の反抗的でケンカっ早い問題児なのだ。

「コラッ! 聞いてるのか水野! とっととマンガをしまえ!」

 そんな教師を完全に舐め腐った水野の態度に、メガネの奥の目を吊り上げた林はツカツカと黒板の前から彼の方へと歩み寄って行く。

「水野! 今はマンガではなく漢文を読む時間だぞ? それをしまえと言っとるのがわからんのか!」

「チっ…うっせーな。んなの俺の勝手だろうが。いちいちイチャモンつけんじゃねーよ。ロンゴだかコンロだか知んねーが、んなつまんねー話、聞いてられっかよ」

 だが、水野は態度を改めるどころか、ウザったそうに暴言を吐く。

「……な、なんだとっ! それが教師に向かって言うこ…」

 不遜にもほどがある水野の言動に林の怒りもついに頂点へ達し、まるで茹でダコのように真っ赤な顔をして怒鳴り声を上げようとするのだったが。

「なんだその態度はっ!」

 それよりも先に、いきなり林とは違う怒号が別方向から聞こえてくる。しかも、男のような口調ではあるが、それは明らかに女子の声だ。

「……⁉」

 予期せぬ声に驚いて、林も、水野も、そして他の生徒達もその声のした方を振り返る……すると、そこには腰に手を当てて仁王立ちし、憤怒の形相で水野の方を睨む、いつにない真琴の姿があったのだった。

「そなた、師に向かってその言い様はなんだっ!」

 呆気にとられる皆を他所に、真琴はピンと背筋の伸びた妙に姿勢の良い足取りで水野のもとへと静かに歩み寄る。

「しかも、孔子先生の『論語』を侮辱するとは許せん! 我が手で成敗してくれるっ!」

 そして、唖然と立ち尽くす水野の金髪頭の天辺に、ゴツンと一発、なんの躊躇もなしに思いっきりゲンコツをお見舞いする。

「痛っ! ……痛ってなぁ~…いきなり何しやがんだ、近藤っ!」

 なんだか普段と様子の違う真琴に面食らう水野であったが、殴られた彼は当然、怒りを顕わにする。が、それでも真琴は怯まない。札付きのバッドボーイを前にして、いつもの真琴ならばまず考えられない大胆で勇猛な行動だ。

「何するも何もない! それになんだ⁉ その頭の色は? か様に異人の真似などしおって……貴様、それでも武士の子弟か⁉」

 怯まないどころか、いっそう彼を激しく叱責すると、真琴はさらにもう一発、ゴツンと水野の頭に二発目の鉄槌を食らわした。

「痛っ! てめ、近藤! なにが武士だ⁉ なんだか知らねえがナメてんじゃねーぞ、コラっ!」

 なぜか二度も殴られ、ついにブチ切れた水野は真琴を突き飛ばそうと力任せに右手を前へ突き出す。

「フン!」

しかし、彼女はそれを逆に掴むと、いとも簡単に捻じ上げてしまう。

「痛ててててて…」

 関節をきめられた水野は真琴に腕を取られたまま悲痛な呻き声を上げる。

「それがしに喧嘩を売るとはいい度胸でござるな。だが、憶えておけ。武士が喧嘩を売る時は、例えその喧嘩にて死するとも誰にも文句は言えぬということをな……さ、わかったら貴様のような武士の風上にもおけぬ腰抜けは、キャンキャン吠えずにおとなしく先生のありがたいお話を聞いておれ!」

 ドガッ…!

 勝手にいろいろと嘯き終わると真琴は水野の腕をようやくにして放し、その反動の勢いに任せて彼の席へと突き飛ばす。

「うぐっ…」

 自分の席に沈んだ水野はよく「ぐうの音も出ない」などという〝ぐうの音〟を上げて、机の上へ上半身へ放り出して突っ伏している。とりあえず〝ぐうの音〟は出たようであるが、いつにない真琴の言動への驚きと、今の遣り取りで判明したその挌闘における歴然とした力の差に、最早それ以上、彼に反撃するだけの気力は残っていない。

 油断なく、そうして完全に戦意を喪失した水野の姿を鋭い眼差しで確認すると、真琴は居住いを正し、林に満足げな笑顔を見せて催促をする。

「さ、先生。これで不逞な輩はおとなしくなり申した。授業を再開してくだされ」

「あ、ああ。ありがとう……」

 そんな真琴の姿に、林はポカンと口を開けたまま、気のない謝辞を述べた……。

つづくで御座候…。

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